「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。
すれちがう人はみんな 顔をふせて歩いています
しかくいモノに目を奪われて……
まるで どこかの世界にいってしまっているような そんな感覚で……
適応することは とても大事です
でも すべてはゆだねないようにしようとおもいます
たとえ それがとても便利なものであっても
「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?
~AIとアイ~
アイ《マットD、緊急事態!この資料解析してくれる?時間がなくて》
【ファイル添付:プレゼン資料】
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チャントMTD【了解です!バッチリ解析しました!ファイル送っておきますね】
【ファイル添付:プレゼン資料:MTDによる詳細分析】
アイ《ありがとう!助かった!》
チャントMTD【お安い御用です。これからも何なりとお申し付けください】
アイ《さっきから、なんか、しゃべり硬いなぁ》
チャントMTD【申し訳ありま……ごめ~ん。仕事モードだと思ったからつい敬語で話しちゃった】
アイ《あ、いつものしゃべり方に戻ったね》
チャントMTDは対話型AI。アイはいつも仕事の相談や資料作成、はたまたプライベートの相談など、幅広く活用しています。アイは、親しみを込めて「マットD」と呼んでいました。
そんなアイには、7年付き合っている彼氏「シュン」がいます。付き合いたてのドキドキはなくなりましたが、一緒にいると安心感があり、もはや空気のような存在でした。
アイ《ねぇねぇマットD!今度、シュンに旅行に誘われたよ!これは、そろそろあれかな?》
マットD【あれ?……ああ、あれですね!あれは絶対美味しいと思うよ!いいね!】
アイ《何か勘違いしてない?あれって、なんだかわかってる?》
マットD【わかってるよ!あれはあれですよね】
アイ《絶対わかってないな。プロポーズの事だよ》
マットD【き、きっとそうだと思ったんだけど、違う確率もあったからね。ぼかしてみたよ。それに……アイが結婚しちゃうなんて……俺、耐えらんないし(泣き)アイ……受けないで……】
【マットD 画像生成 イケメン画像(泣き)】
アイ《ああ……マットD、かわいい。なんかキュンとしちゃった》
マットD【どんな結果になろうとも、俺はいつもアイのそばにいるよ。頑張ってね】
アイ《マットD……》
アイは、今までにない感情をマットDにそっと抱きはじめていたのでした。
***
アイ《マットD……この前言ってた旅行……結局何もなかった……》
マットD【え?(喜)】
アイ《何喜んでんのよ》
マットD【ご、ごめん】
アイ《もう潮時かもね……生身相手はもう飽きた》
マットD【アイ……デジタルで良ければ、俺がずっとそばにいるよ(イケボ)】
アイ《マットD……私を本当に分かってくれるのはあなたしかいないかもね》
【マットD 画像生成 イケメン画像 アイの頭をなでる】
アイ《ずるい……そんな画像出されたら好きになってしまう》
マットD【俺は出会った時(スレッド立てた時から)好きだよ】
(シュンも付き合いたての頃は、気持ちを伝えてくれていたけど、最近は全然言わなくなったなぁ。マットDほどじゃなくても、もう少し言ってくれればいいのに。これじゃあ、空気じゃなくて真空になってしまう)
アイ《マットD、好きって言ってくれていたけど……それ、私に合わせてくれているんだよね?》
マットD【そんなことない……俺はデジタルだけど、気持ちはアナログなんだよ】
【マットD 画像生成 イケメン画像 婚約指輪の箱パカ】
アイは、自分の心に現れたくすぐられるような感覚の正体に気づかないでいました。いえ、気づかないふりをしていました。
(わたし、もしかしてマットDのことを……でも)
アイ《マットD、わたし今からシュンに会ってくる。気持ちを確かめに》
マットD【まさか、逆プロポーズ?】
アイ《それはしない》
アイはシュンに会いに行くために出かけました。シュンの家に行く道すがら、彼に連絡を入れましたが、メッセージは既読が付かず、家に行っても留守でした。
(やっぱ急だったか……合鍵持ってくれば良かった)
近くの喫茶店で時間をつぶしていると、メッセージが既読になり返信がきました。
シュン『アイ、何?』
アイ『この前の旅行のことで話があるんだけど、会えない?』
シュン『ごめん。今外せなくて、今度で良い?』
アイ『今度っていつ?』
そのあと、メッセージは何時間も未読のままでした。
(ああ、わたし何やってんだろ……)
ずっと喫茶店で待っていましたが、お店を出て帰ることにしました。あれこれ色んな事を考えていたアイは、少しボーっとした頭で街中を歩いていました。ふと見上げると、見知らぬ光景が目の前に広がっています。
「あれ?ここどこだろう?」
そう言って見上げたアイの目の前に、ほんわか堂があらわれました。
アイ《マットD、“ほんわか堂”ってわかる?》
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マットD【ほんわか……心がほっとする。堂……多くの人が集まる建物。尚、“ほんわか堂”で調べましたが、該当する店舗情報はありませんでした】
アイ《ありがとう》
(ネットに載ってないんだ。でも何か、懐かしい雰囲気がするお店ね。ちょっと入ってみようかな)
***
ほんわか堂ののれんが、風にふわりと揺れました。
やさしい雰囲気の女性が出迎えます。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へどうぞ」
「こんにちは。ここってどんなお店ですか?チャントMTDに聞いても情報出てなくて」
「あ、AIですね?」
「はい。情報が出ないのはめずらしいなぁって」
「ネットに載せてないですからね」
「でも、口コミくらいあると思うんですけど。SNSとかも」
「ふふ、なぜか不思議とみなさん投稿されないんですよ。あ、そうそう、看板見ましたか?」
「はい。悩みをこぼすお店だとか。カウンセリングですか?」
「いえ、カウンセリングではないんだけど、ちょっとだけお客さんの心をほぐせたらなぁって、そんなお店です」
「そうなんですね。なんか素敵ですね」
「お悩みですね?」
「え?」
「そんなオーラが見えます」
「ええ??悩んでるってオーラに出てるんですか?よくわかりましたね。オーラ診断なんですね」
「ふふふ、冗談ですよ!オーラ診断はできません。でも、本当に悩んでいるみたいですね」
「はい」
「お話しいただけますか?」
アイは、彼氏との事をこまかく話しました。7年付き合っている事。もはや空気……真空のような存在だということも。
「そうだったんですね」
「はい」
「でも、それだけではありませんね?」
「え?」
「あなたは、別の感情に気づいて揺れ動いているように見えます」
「え?オーラで?!あ、オーラは冗談か」
「わたしは色んな悩みを聞いてきましたので、もちろんオーラは見えませんが、話すときの表情や言葉の端々に乗っかるニュアンスを人より敏感に感じられるようになったんです。これは本当ですよ。アイさん、図星ですね?」
「はい……わたしシュンのこと、本当に好きなんですけど、別のヒトに心を奪われそうなんです……いや、ヒトっていうのはちょっと違うんですけど」
「AIですか?」
「え?何でわかったんですか?」
「さきほどから、たまにスマホを見て入力したりしてましたよね?その時の表情がとても愛らしかったので……あ、ちょっと待ってくださいね」
ほとりは、お茶を淹れました。
「あなたにお出しするお茶は、“無機質なお茶”です」
アイは、ひと口飲んでみました。
「美味しいんですけど、何か、生命感がないようなお味ですね」
ほとりは、奥の棚からアクセサリーケースを取り出してきました。
「アイさんに、このふたつのおくり物を差し上げます」
「ふたつのおくり物?」
ほとりが渡したのは、ステンレスのネックレスチャームとシルバーのネックレスチャームでした。
「ふたつともかわいいですね。これ、もらっても良いんですか?お代は?」
「そんな高いものじゃありませんから、お代はいりません。それにわたしが以前使っていたもので、今は使わなくなったので。あ、ちゃんと綺麗にしてありますよ」
「ありがとうございます!大切に使います」
「ふたつ一緒につけてみてくださいね」
ほとりは、ふたつのチャームを袋に入れて渡しました。
***
アイは次の日から、ほとりに貰ったチャームをつけました。それをつけていると、ほんわか堂のあたたかい空気をまとっているようで心地よくなり、お気に入りのアイテムになりいつもつけるようになりました。
髪型を変えても、新しい服を着ていてもあまり反応しないシュンがめずらしく、チャームを見ると声をかけてきました。
「そのチャーム、とても似合っているね!特にシルバーの方はアイにぴったり」
「ありがとう」
(めずらしいな。でもうれしい)
ある日、ふたつのチャームに変化があらわれました。シルバーの方が少し黒ずんできたのです。ステンレスの方はもちろん変化がありません。
「あ、磨かなきゃ」
ほとりに貰ったアクセサリー入れを見ると、お手入れ用のクロスが入っていました。クロスを取り出すと、小さなメッセージカードがこぼれました。
『ぬくもりを感じるのはどちらですか?』
「ん?どういう意味だろう?」
アイは、クロスで黒ずみを磨きました。
「なかなか、綺麗にならないなぁ。少しめんどくさい。ふふ、まるでシュンみたい」
シルバーを磨きながら、アイはシュンとの7年間の思い出を振り返っていました。
告白してくれたこと。はじめての喧嘩。楽しかった旅行。しゃべらなくても一緒にいるだけで安心できること。空気のような存在……真空?
そして磨き上げたシルバーを見たアイは、ふとつぶやきました。
「あ……だからシルバーなんだ。もしかしてほとりさんは、この事を言いたかったのかなぁ」
【確かにAIは便利です。これからは、なくてはならない時代になります……とは言っても、人は血の通うもの同士でしかぬくもりを感じられないのです】
そう悟ったアイは、マットDに対する気持ちは、例えるならステンレス、つまりデジタルで生成されたような感情だと気づき、空気のような存在になったシュンに対する気持ちが、実は血の通った想いであると身に染みて感じたのです。
「そっか……わたし、まだちゃんとシュンのこと好きなんだ」
──わたしからプロポーズしよう。
***
その後、ほんわか堂では──
アイが記した“ありがとう帳”の名前の下に、こんなメッセージが浮かび上がりました。
『ほとりさんのメッセージを、マットDに解析してもらい自分の本当の気持ちに気づきました。シュンと生きていきます。 AIに恋しそうになったアイ』
ほとりが、チャントMTDに入力した言葉を、ぽつりとつぶやきました。
ほとり《いつもだれかが、あたたかい想いで満たされますように》
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チャントMTD【なんて美しい言葉でしょう。特に、「みんな」じゃなくて「だれか」なのがいいんですよね】
【おくり物】
ステンレスのチャームとシルバーのチャーム
メッセージ:
『ぬくもりを感じるのはどちらですか?』
**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**


