ほんわかさん


「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。

あいてを こころからおもう 
おもいつづける
それだけで ことばにしなくても
そのおもいは かならずつたわるとおもうんです。
たとえそれが なんねん なんじゅうねん たとうとも
どんなきょりがあっても

「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?

~キオクオキ~

***

ほんわか堂ののれんが、風にふわりと揺れました。
やさしい雰囲気の女性が出迎えます。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは。ここで少し休ませてくれんかの」
「あら、あなた、ここ喫茶店じゃなさそうよ」
「ええんじゃ、ええんじゃ、のう?」
「はい。どうぞ、奥のお席へ」

仲睦まじい老夫婦が来店しました。

「ごめんなさいね。最近主人、少し痴呆が進んでしまって、わがままにもなってきちゃって」
「いいんですよ。このお店は、心を休める場所ですから、心ゆくまでゆっくりしてってくださいね」
「何を言うてる。わしゃあ、まだぼけとらんわ!」
「あなた、ほら、お店の方が困ってしまうから、言葉を荒げないで」
「わかっとるわ」
「ふふ、良いんですよ。他にお客さんもいませんから」
「とは言え、わしももう年だし、足も弱ってきてしまって、このままじゃセツコに迷惑のかけどおしになってしまうのぉ」
「あら、ゲンジさん、またそのお話をなさるの?」
「もう、わしはセツコに迷惑をかけたくないんじゃ」
「迷惑だなんて思ってませんよ」
「あのぉ……何か訳があるようですね?聞かせてくれませんか?」

ほとりは、ふたりに語りかけました。

***

「おう、それは妙案じゃ」
「いえいえ、内輪の話ですから、お嬢さんに聞いてもらうわけには……」
「ええんじゃないか?店の看板に“あなたのお悩み、少しこぼしてみませんか?”と書いてあるようじゃし」
「お嬢さんにご迷惑がかかってしますわ」
「迷惑も何も、ここは先代からそういうお店じゃろ?」
「はい。もしよろしければお聞かせください」
「わしは、痴呆はないのじゃが、身体が弱ってしまって、トイレに行くのも、何をするにもセツコの手を煩わせるのが心苦しくてのぉ。つい最近までは、それでも何とかなったんじゃが、この前階段で滑って転んでしまって……今はこの通り車いす生活になってしまったんじゃ」
「そうなんですか」
「それで、自宅でお世話をしてもらうのに限界を感じてしまっての。じゃからわしからセツコに“わしを施設に入れてくれ”と頼んだんじゃが、一向に“うん”と言わないんじゃ」
「あなたは、私がお世話をすると決めたんです。やっと会えたんですのよ……昔、約束しましたわよね。どんなことがあっても寄り添うって」
「それは、大昔の話じゃ」
「大昔も今もかわりませんわ」
「わしはもう長くないし、せっかく会えたのに、迷惑をかけてしまう……たのむ。お願いじゃから施設に入らせてくれ。お前さんは、もう充分待ってくれた。わしに尽くしてくれた」
「待っていたんじゃありません。生きていたんです。あなたに、もう一度逢える日を夢見て」
「そ、それは、わしも同じじゃ」
「だから最後まで一緒にいさせてください」

セツコは頑として首を縦にふらないのでした。

***

「気持ちはありがたいのじゃが、セツコももう若くないんじゃから、無理をせずとも良いのに」
「あら、ゲンジさん、わたしはまだまだ若い方たちには負けませんよ。ねぇお嬢さん」
「え?!ええ」
「ほとりさん、何かすまぬのぉ。悩みをこぼすのではなく、いつものわしらの会話を聞いてもらっただけになってしまって。セツコはお淑やかに見えるが、結構気が強くての」
「セツコさん、素敵ですね」
「あら、そう?」
「ええ。あのぉ、お二人はずっと離れ離れだったんですか?」
「色々ありましてね、少し前に再会したんです」
「ふふ、すごく魅力的です。だから恋人同士って感じに見えるんですね」
「あらやだ、お嬢さん。恥ずかしいわ」
「からかうでない」

ふたりはまんざらでもない表情を浮かべ、お互いに顔を見合わせて微笑みました。

「少しお待ちくださいね」

ほとりは、お茶を淹れました。

「おふたりにお出しするお茶は、“円熟のお茶”です」

ふたりは、ひと口飲んでみました。

「深みがあって、とても落ち着くお味ですわね」
「うむ。入れるタイミングも温度も、すべて完璧じゃ。腕をあげたの!」
「あなた、“腕をあげたの!”って、何を言っているの?失礼だわ。本当に呆けてしまったの?」
「ふふふ、良いんですよ」

ほとりは、奥の棚から木箱を取り出してきました。

「おふたりに、このおくり物を差し上げます」
「え?おくり物?何でしょう?」

セツコは、蓋を開けてみます。すると中には、和紙に包まれたものが入っていました。丁寧に和紙を外して見てみると、そこにあったのは……

【諸行無常 諸法無我】と、達筆な文字で書かれた古びた木簡だったのです。

ゲンジはその木簡を見ると、何かに気づいたように、ほんの少しだけ目の奥が光ったのでした。

「ありがとうお嬢さん。でもこれ、あなたが大事にしていたものじゃないんですか?本当にもらってもいいの?」
「ええ、もちろんです。私が昔お世話になった人から貰ったものなんですが、本来あるべきところは私の所ではなく、おふたりの所なんじゃないかなって思ったので」
「じゃあ、ありがたく受け取りますね。ゲンジさん、いいかしら?」
「うむ。預かっておこうかの」
「預かる?また変なこと言って。お嬢さん、本当にありがとうね。この木簡、味わいがあってとても素敵だわ」

ほとりはお見送りし、老夫婦は、店をあとにしました。
夕焼けに照らされ、重なり合うふたりのそのシルエットが、若い頃のように一瞬輝いて見えました。

「変わらないものなんて、ないのかもしれません。でも、変わったからといってなくなるわけではないのです」

***

その後、ほんわか堂では──
ゲンジが記した“ありがとう帳”の名前の下に、こんなメッセージが浮かび上がりました。

『しっかりやっとるようじゃな  ほっこり庵主人 ゲンジ』

ほとりは、その文字を見つめたまま、しばらく動けませんでした。
やがて、いつもとはちがった面持ちで、ぽつりとつぶやきました。

「ゲンジさん……いや師匠、やっと初恋の人、セツコさんと出逢えたんですね」

ほんわか堂の灯りが、ふわりと揺れました。
まるで、昔の看板が一度だけ息を吹き返したように……。

【おくり物】
古びた木簡
メッセージ:
『諸行無常 諸法無我』

**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**