ほんわかさん


「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。

やりたくても やりたくても
どうしても できないことがあります
ひとには「任(にん)」というのがあるそうです

逆に思いもよらないところから
チャンスがまいおりることもあります

やりますか?やりませんか?
わたしだったら、とりあえずいどんでみます

「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?

〜不完全な私に、一番の作品を〜

***

「はい、カット。今の表情良かったよぉ。バッチリ頂きました」
「ありがとうございます」
「次もよろしくね」

漫画家志望から、女優に転身したアスカは、類い稀なる美貌と、ギャップのある低音ボイスが受けて、徐々にメディアに出て行きました。

「アスカさん、次はアニメのアテレコね」
「はい。よろしくお願いします」

特徴ある低音ボイスが目に留まり、声優の仕事も増えていきました。

(アニメに出られるのは素直にうれしい。でも原作者にもなりたい)

少しだけ葛藤を抱きながら、目の前にある仕事に真摯に向き合いました。
本当にやりたいことは胸にしまい、何でも挑んでいきます。
連続ドラマ・映画・バラエティ番組・アニメアテレコ・・・。
そんな時、ある仕事が舞い込みました。

『読み切りになりますが、漫画を書きませんか?』

(え?漫画?)

プロフィール欄に載っていた、特技「漫画を描くこと」を見て、ある雑誌社から声がかかったのでした。

(まさか漫画を依頼されるなんて思ってなかったけど、せっかくだし描いてみるか)

アスカは精一杯作品を描きました。今までで一番の作品になるように、そして絵が下手だと言われないように丁寧に描きました。そして、その作品が掲載されるやいなや、大反響がおきました。

『アスカさん、すごい!』
『ヘタウマな絵がかわいい』
『ストーリーの良さと絵の下手さが、本人の見た目と声以上にギャップを生んでて面白い!』

アスカは勿論ヘタウマな絵を目指したわけではありませんでしたが、そんなコメントが殺到しました。

(なんか、複雑だなぁ…こんな形で夢がかなってしまうなんて。)

夢が叶ったはずなのに、なぜか少しだけ胸がざわついている──複雑な気持ちを抱えたアスカでしたが、読み切りだと割り切りました。そんな想いとは裏腹に、またもや編集部から連絡がありました。

『とても反響があり、読者の評判も良いので、あの作品を元に連載してみませんか?』

(え?!れ、連載…)

アスカは悩みました。漫画の依頼があり、雑誌に掲載されたのは、作品がコンテストに通過したからではなく、自分が女優としてメディアに出始めて有名になったのがきっかけ。
面白くても、漫画がうまい人でも、コンテストにひっかからない、デビューできないこの世界で、女優として名前が売れたからといって、作品が世に出ても良いのだろうかと、とても悩みました。

アスカは目を瞑ると、「コト」っと音が聞こえました。
目を開けてみると、見えてきたのは、あの時の「万華鏡」

「…覗いてみよう」

万華鏡を覗きながら、アスカは「ほんわか堂」で言われた言葉を思い出しました。

『見方によって、世界は少しかわりますよ』

「またあのお店に行ってみようかな」

アスカは万華鏡を片手に、街にでかけました。

「どうやって行ったんだっけ?」

ネットでさがしても、お店は出てきません。

「たしか、ここらへんだったような」

アスカは、記憶を頼りに歩きましたが、なかなかたどり着けませんでした。

「…はぁ、もうあきらめて帰るか」

と歩き出した時、ふいに頬をなでる風が吹きました。
アスカはふりかえります。そこには「ほんわか堂」がたたずんでいました。

「あ、あった!」

***

ほんわか堂ののれんが、風にふわりと揺れました。

「ごめんください」
「いらっしゃいませ」
「ごぶさたしています」
「え?どなたですか?」
「あ、ごめんなさい。覚えてないですよね…」
「あはは、冗談ですよ。アスカさんですね?」

ほとりのやさしい声を聴いた途端、アスカの涙腺が一気に崩壊し、涙があふれだしてきました。

「あわわ、ごめんなさい。浮かない顔していたから、ちょっと冗談を言ったつもりだったんですけど、悪ふざけがすぎましたね」
「ううん…ちがうんです」
「え?」
「ほとりさんの声を聴いたら、何か心に張り詰めていたものが急にあふれ出してきて」
「そうだったんですか。あわてました」
「ごめんなさい」
「なにか、あったんですね?」
「はい」
「またお会いできるような気がしていました。お話いただけますか?」

アスカは、読み切りの漫画が掲載されたことや、その経緯や反響についてや、自分がどう思っているかについて、ほとりに洗いざらい話しました。
ほとりは、静かにアスカの言葉に耳を傾け、やわらかい微笑みを投げかけました。

「今日お出しするお茶は、“本心”のお茶です」

アスカは一口飲みました。

「このお茶は、何かわたしの心を後押ししてくれるような味がします」

ほとりは、その茶碗の横に“おくり物”を置きました。
アスカに贈ったのは「多機能ペン」でした。

「書く時は一色ですが、切り替えると何色も書けますよね?」
「はい」
「時には切り替える柔軟さや、利用するしたたかさも必要ではないですか?」
「でも…」
「人は必ずしも望んだ才能をもらえるわけではないのです。だから与えられた環境の中で、自分の才能をどう生かすかが大切だと思うんです」
「…私、夢をあきらめたわけではないんです。本心では漫画家になりたい」
「そうですよね。それは最初から分かっていました」
「ではなんで万華鏡を?」
「…目的地にたどり着く道は、一つではないのですよ」

ほとりはやさしく語りかけました。
そして、多機能ペンには、メッセージカードが添えられていました。

『見方を変えると、あなたの味方があらわれますよ』

***

その後アスカは、漫画の連載を決意を込めて引き受けました。元々ストーリーには定評がありました。そして、女優として飛躍していくと同時に、漫画の仕事もたくさんこなすようになります。
ヘタウマと評される絵は一向にかわりませんでしたが、「うまく描けない自分」も作品の一部だと、ようやく思えるようになり、それでも誰かの心を動かせるなら、もうそれで十分だと思えるようになりました。

「不完全な私が描く物語こそ、いまの私にとって一番の作品なんだ」

***

その後、ほんわか堂では──
アスカが記した“ありがとう帳”の名前の下に、こんなメッセージがしっかりと浮かび上がりました。

『夢を見ても良いんですね。わたし、漫画家も名乗っていきます。 女優兼ヘタウマ漫画家 アスカ』

ほとりが、いつものように棚を片付けながら、ぽつりとつぶやいていました。

「きょうも、だれかのみらいが すこしだけ あかるくなりますように」

【おくり物】
多機能ペン
メッセージ:
『見方を変えると、あなたの味方があらわれますよ』

**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**