ほんわかさん


「ほんわか堂」の店先には、小さな黒板が立てかけてあります。
そこには、ほとりの手書きで、こんなふうに書かれているのです。

「わんわん」
いぬの鳴き声って それだけでも 気持ちをあらわしますよね?
人みたいに ふくざつなことばをつかわなくても
しぐさや 鳴き声だけで 伝えることができるんです。

「ほんわか堂」
今日も ふわっと あいています。
あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?

〜ワンコのきもち〜

***

「ごめん。なおとさん、しゅうくんが噛もうとしちゃって」
「いや、大丈夫だよ。でもどうして、最近俺に懐こうとしないんだろう」
「ごめん。ほんとごめんね」
「いや、みきさんは悪くないよ。しゅうくん、俺の事嫌いなのかな?」

みきが飼っている愛犬、しゅうくんは、なぜか、みきの彼氏なおとに懐かないんです。
なおとは今まで犬に嫌われた事がなく、むしろ懐かれる方でした。
でも、しゅうくんをあやそうとすると、噛みつかれないまでも、吠えたり、威嚇されたり、近づかなかったり…。
なおとは、自分に問題があるのかと悩んでいました。
しゅうくんは人懐っこく、今までどんな人にも威嚇することはありませんでした。
でも、なぜかなおとにだけ威嚇してしまうんです。

ふたりは、お付き合いを始めて2年。
なおとは、みきに結婚の意思があると伝えていました。
みきもなおとの優しい心に惹かれ、将来を共にすると心に誓っていました。
同棲も話にでましたが、このままでは、それもままなりません。

「じゃ、俺、今日はかえるね」
「うん。ほんとごめんね」
「気にしないで。俺、しゅうくんと仲良くなれるようがんばるから」
「私もしゅうくんが懐くようしつけるから」
「無理しないでね。それじゃ」
「うん。またね」

みきは、なおとと別れたあとの帰り道、しゅうくんがいつもと違う道を行くのでそのままついていくと、「ほんわか堂」ののれんを見つけました。しゅうくんもお店の前で止まります。

(「あなたのお悩み、少しだけこぼしてみませんか?」だって。変わったお店ね)

***

ほんわか堂ののれんをくぐると、しゅうくんが「わん」と挨拶するように鳴きました。

「いらっしゃいませ」
「あの、ペットも一緒なんですけど、入っても大丈夫ですか?」
「どうぞ、大丈夫ですよ。お好きなお席へどうぞ」

しゅうくんは、ほとりをみて尻尾をふります。どうやら、ほとりの事を気に入ったようでした。

「わんちゃん、なんてお名前ですか?」
「しゅう、って言います」
「しゅうくん。とてもかわいい。人懐っこいですね」
「そ、そうですね」
「わん」

浮かない表情を浮かべているみきに、ほとりは話しかけました。

「…なにか、お悩みをかかえていますね?」
「え?なんでわかるんですか?」
「しゅうくんがそう言っています」
「え?犬の心がわかるんですか?」
「あはは、冗談です。でも、図星だったようですね」
「ええ」
「差し支えなければ、話していただけますか?」

みきは、なおととの事をはなしました。なおとに結婚の意思があることと、しゅうくんが懐かないこと。

「でも出会ったころは、しゅうくんはなおとさんに懐いていたんです。でも、何気なく、なおとさんから結婚の話が出たころから、しゅうくんが急に威嚇するようになったんです」
「わんわん!」
「しゅうくん、何か訴えているみたいですね。わんちゃんは、素直な気持ちにすぐ気づくんですよ」
「わん!」
「続きを話してくれますか?」
「はい。今日もなおとさんにあったんですけど、なおとさんも何とかしゅうくんと仲良くしようとしてくれて、でもやっぱりだめで…それでなおとさんも悩んでしまって」
「そうだったんですか」
「はい」
「…あの、みきさん、何かなおとさんに隠していることはありませんか?」
「わん!!」
「え?」
「ずっと何かひっかかりがあるように感じてました。何か隠していますね?」
「そ、それは…」

みきは、ふと黙ります。
しゅうくんは、みきの袖を引っ張りました。
そして、意を決したようにしゃべりはじめました。

「…わたし、なおとさんにずっと隠していることがあるんです。……実は、わたし、バツイチで子供もいて、けど今は事情があって子供には会えないんです。交際はじめてから、なおとさんには言えないでいました。結婚の話が出た時には、余計言えなくなってしまって…」

ほとりは静かに、お茶を出します。

「あなたにお出しするお茶は、素のお茶です。このお茶は、“素のあなた”でいられるように淹れました」

みきは、ひとくち口に含みました。

「おいしい。すっと心が洗われるような味ですね」
「気に入っていただけましたか?みきさんに、一つおくり物を差し上げます」

ほとりは、木のぬくもりのあるフォトフレームを渡しました。

「ここに、本当に大切な誰かの写真を飾ってください」

そのフォトフレームには、メッセージカードが添えられていました。

『しゅうくんは“あなたの心の奥”を守っているのかもしれませんね』

***

みきは部屋に、子供との写真をそっと飾りました。
なおとがそれに気づき、静かに問いかけました。

「……この子、誰?もしかして、みきさんの?」
「…うん」

みきは震える声でうなずきました。
なおとは、しばらく黙ってから微笑みました。

「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
「え?」
「俺、みきさんが好きだから一緒にいたいと思った。何か隠し事があるのかなってうすうす感じていたよ。でも、それがどんなことでも受け入れようと思っていた。みきさんが隠したかったらそれでも良いし、どんなことでも受け入れようと」
「なおとさん…でも、わたし、バツイチ子持ちで…」
「そんなことで気持ちは変わらないよ。それを理由に俺が離れると思った?」
「うん…今までの人はみんなそうだったから。あなたを失ってしまうと思うと、余計言えなくなって、どんどん怖くなった…」

泣きじゃくるみきをなおとが抱きしめると、なおとは一言耳元でささやきました。

「結婚しよう」
「うん」
「くぅ~ん」

それ以降、しゅうくんはなおとに懐き、尻尾を振ったり、膝の上に頭をのせるようになりました。

***

そのあと、ほんわか堂では──
みきが記した名前を記した“ありがとう帳”に、こんな言葉が浮かび上がりました。

『しゅうくんに感謝です。あのままだったら、また大切な存在を失うところでした。バツイチ子持ちのみき』

ほとりが、いつものように急須を洗いながら、ぽつりとつぶやいていました。

「素直なこころって、素晴らしいですね。わんちゃんにも、ちゃんと届くんです。今回もまた、やさしい心に出逢えました」

【おくり物】
木のぬくもりのあるフォトフレーム
メッセージ:
『しゅうくんは“あなたの心の奥”を守っているのかもしれませんね』

**次にのれんをくぐるのは、もしかすると“あなた”かもしれませんね**