空に隕石が見えたら、アイスを食べようと思う

 それから三月に入っても、隕石のことがみんなの頭の中にある状態は続いていた。

「あ、岡野。明日は三者面談だから忘れるなよ」

 放課後、廊下ですれ違った担任の河岸(かわぎし)先生が私に声をかけた。ホームルームの時に教室に来るのだからその時に言えば良くないか?と頭によぎったが、それだと先生的には言い忘れると思ったのだろう。
 その日は寄り道をせずにまっすぐ家に帰った。テレビをつければ、今日も隕石の特集が放送されている。専門家らしき人たちが大きな机を囲むように座って議論を交わしている。

『隕石への不安を煽った詐欺も横行しているらしく、正しい情報を見極めることが大切と言えるでしょう。現在確率が5%前後であることは変わっていません。にも関わらず、来年必ず隕石が衝突するというデマも流れており……』

 まるで人々の不安を煽るような、隕石への恐怖を強めるような、そんな情報を流す人もいるらしい。その話を聞いている周りのコメンテーターたちも次々と意見を述べていく。

『こんな状況で詐欺を行うなんて……。被害に合う方が少なくなるように相談窓口の設置も視野に入れて頂きたいですね』

 そんな話を横で聞いていたアナウンサーが、専門家やコメンテーターに向かって質問を投げかける。

『レーダー観測による正確な確率が出るのはいつ頃になるのでしょうか?』
『それもまだ決まっていません。軌道計算の精度を上げていき、隕石にレーダーが届くことが確定した段階で正式な日付が発表になるでしょう』

 ぼーっとテレビを見ながら、頭に入ってくる情報を整理していく。つまり私たちはまだしばらく5%前後という確率に振り回されるということだ。
 それでも今の私を一番悩ませているのは5%前後という確率ではなく、凛華がカフェで私に言った言葉。

『今しか出来ないことを探すんじゃなくて、今の風奈にしか出来ないことを探した方が良いんじゃない?』

 あれからよく考えた。今しか出来ないことを沢山考えて、来年閉館予定の美術館に行こうかなとか17歳しか参加出来ないイベントを探すとか。他にも色々考えた。そして、思いついたアイデアを全て並べてやっと気づいた。

 これは私じゃない人でも出来ることだと。

 今しか出来ないこと、なんて案外なくて。私しか出来ないこと、なんてもっと存在しない。なんで隕石のせいで自分に特別な才能がないことを実感しないといけないのか。

「はぁ……」

 大きなため息をつく。
 それでも、あの時に思ってしまったのだ。後悔がないように今の私にしか出来ないことをしたい、と。

 *

 翌日の三者面談は十分で終わった。志望校は変えていないし成績も大きく変わっていないのだから、そんなものだろう。課題を提出し忘れていたこともあり、お母さんには先に帰ってもらった。しかし、やってあったつもりの英語課題は面倒臭い長文問題だけ飛ばされている始末。
 課題が終わる頃には18時を過ぎてしまっていた。席を立ち上がってバッグを肩にかけた瞬間、教室の外から声をかけられる。

「まだ帰っていなかったのか」

 顔を向ければ、三者面談ぶりの河岸先生が立っている。

「英語の課題をしてて」
「終わったのか?」
「はい」

 先程の三者面談のような緊張感はもうなかった。三者面談は親もいるのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど、どこか不思議な感覚もする。

「早く提出してきた方が良いぞ。さっき職員室で英語の水野先生を見たが、課題の提出者チャック中だった」
「え!」

 提出遅れにならないように早く持っていきたくて教室を出ようとした私を河岸先生が呼び止めた。

「ちょっと待て、岡野」
「いま急いだ方が良いって言いませんでした!?」
「言ったが、聞きたいことがある」
「今じゃないとダメですか!?」
「ああ、今じゃないとダメだ」

 この担任、三者面談が終わったら本性出しやがって……!と大した本性でもないのに河岸先生に心の中で抗議してしまう。しかし、そんな感情も次の先生の言葉で忘れていた。

「今しか出来ないことを探しているのか?」

 なんでそんなことまで知って!?生徒のプライバシーは!?というツッコミをする前に河岸先生が言葉を続ける。

飯塚(いいづか)が言ってたぞ。岡野が今の自分にしか出来ないことを探して迷走中だって」
「どうしたら凛華とそんな会話になるんですか!」
「偶然隕石の話になったんだよ。その時に岡野と一緒に今しか出来ないことを探してるんだって楽しそうに話してた」

 偶然隕石の話になるくらい、もうこの世界で隕石は身近なものになっているらしい。その現実がどこか辛かった。

「岡野は地に足ついた進路希望だし、それにちゃんと将来のことも見据えているだろ? そんな岡野にしては珍しい悩みだなと思ったんだ」
「そんなことは……」

 何を否定しようとしているのだろう。私自身ですら、なんでこんなに「今の私にしか出来ないこと」に固執しているのか良く分かっていないのに。それでも、一つだけちゃんと分かっていることがある。

「多分、私は後悔したくないだけですね……」

 誤魔化すような笑いだった。絶対に笑う必要がない場面で私はいま自分でも理解出来ていない本心を誤魔化すように笑っている。そんな私の考えなど、河岸先生にはお見通しのようだった。いや、例え全てを見通せていなくても、河岸先生が発した言葉は私の中の確信をついていた。


「岡野は隕石が落ちた時に後悔したくないのか? それとも、隕石が落ちなかった時に後悔したくないのかどっちだ?」


 何も言葉が出なかった。わずか2択なのに、返答することが出来なかった。そんな私を無視して先生は言葉を続けていく。

「隕石が落ちた時、満足な人生を歩めなかったと後悔したくないのか。それとも……」




「隕石が落ちなかった時、不安なまま過ごした17歳を無駄にしたと後悔したくないのか。どっちだ?」




 なぜか息が止まったような感覚がした。
 今もちゃんと生きているのだから息が止まっているはずはないのに。なんでこんなに息苦しいのだろう。息が苦しくなって、喉が締め付けられるように、なぜ泣きたくなるのだろう。

「先生は岡野より長く生きている。でも、今の岡野の問いに答えはあげられない。というか、答えを出せない。先生だって今の自分にしか出来ないことなんて分からないからな」

 先生でも出せない問いの答えを、私は探している。

「真面目な岡野はきっと隕石なんていう理不尽なものに一つでも価値を見出したいのかもしれない」

 河岸先生の顔は、三者面談の時よりずっとずっと先生っぽかった。


「先生は案外悩んでいる時間も一つの価値だと思うぞ」

 
 怖かった。ただただ怖かった。
 当たり前のように楽しく17歳を生きたかっただけなのに、何故不安に怯えて過ごさないといけないの。どれだけ楽しく毎日を過ごそうと思っても、怖くて不安なものはどうしようもないのだ。だって、生きているのだから。
 どれだけ理解したくなくても、冷静になれば5%という確率は人生を賭けるに高すぎることを理解していった。本当は5%の意味が分からないような幼さを持っていたかった。
 隕石が落ちた時、後悔して死にたくなかった。でも、隕石が落ちなかった時だって後悔したくないのだ。17歳という時間を、今という大切な時間を、不安に押しつぶされて無駄にしたなんて思いたくなかった。今しか出来ないことをして、どんな結末になっても納得したかった。

「先生が引き留めたから、水野先生には上手く言って課題を渡しておくよ」

 私の手から英語の課題を取って、河岸先生は職員室に向かってしまった。誰もいなくなった教室で窓の外を見る。夜空には当たり前に隕石なんて見えるわけもなく、見えたのは月だけ。

 その景色を見て、やっと気づいた。本当の意味で隕石はまだ見えていないことを理解した。
  
 今しか出来ないことが、もしあるなら。17歳にしか出来ないことが、もしあるなら。
 
 教えて欲しい。考えてみて欲しい。



 きっと私はそれをしなかったら後悔するんだと思う。



 例え、隕石が落ちても落ちなくても。