号泣してたら美しい男が怪異から助けてくれました

 ぼんやりと庭の隅にいる、黒い綿毛のようなものを見る。
 お葬式だと言われたけれど、六歳になったばかりの子供にはよくわからなかった。
 綿毛をじっと見て手を伸ばそうとしたら、目の前に黒い影。
 伸ばした手をそっと取られた。

「君はこっちの方が幸せだ」

 心地よい甘さのある声が告げると、両方の瞼に順番に柔らかいものが押し当てられた。
 優しい感触。
 強烈な睡魔にそのまま目を閉じると、思考はぼやけていった。

□ □  □  □

「ううう、もう嫌だあ」

 夜月甘音(よるづきあまね)はボロボロと恥も外聞もなく滂沱の涙を零しながら、全力で走っていた。
 とても年頃の女の子のする顔ではない。
 ずびすびと鼻水をすすりながら走っているので、呼吸がままならなくて、とても苦しい。
 視界に長い黒髪に赤い服、左腕のない女が入ってきた瞬間、甘音は転びそうになりながら方向転換した。
 その勢いのまま路地裏へと飛び込み、ゴミ箱の影にしゃがみ込む。
 生ごみの臭いが不快だけれど、今はそんなことにかまっていられない。
 ゴミ箱からそっと通りを伺うと、さきほどの左腕のない女はいなくなっていて、ほうと息をつく。
 寒い空気に吐いた息が白かった。
 安堵にまた涙が零れる。

「最悪! 本当に最悪! 私が何したっていうのよ!」

 また鼻水を盛大にすする。
 二十歳の誕生日を迎えて三日。
 この三日間で涙が枯れ果ててもいいんじゃないかと思うくらいに、甘音は何度も号泣していた。
 誕生日当日。
 大学に行こうとアパートを出てから世界が変わった。
 急に変なものが視えるようになったのだ。
 最初はあまりにハッキリと視えるから、話しかけられたりしても普通の人と勘違いして反応してしまった。
 反応したあとで目の前で首が取れたり、襲い掛かられたりして、それがいわゆる幽霊などの怪異のたぐいだと何とか事態を飲み込めたのは二日目だ。
 一日目はひたすら泣いて叫んでいたし、そのせいで大学でもそれ意外でも奇異な目で遠巻きにされて心が折れそうになった。
 いや、ハッキリ折れた。
 甘音はどこにでもいる普通の大学生だ。
 髪も染めていないので黒髪の最低限、清潔感を損なわない程度のセミロング。
 顔だって目が多少大きいくらいで、十人が十人どこにでもいる顔ですねと太鼓判を押してくれることだろう。
 せいぜいアウトドアの趣味が一切ないので肌が白いのが特徴くらいだ。
 ただ、急に怪異が視えるようになって困ってしまう致命的な欠点があった。
 極度の怖がりで泣き虫なのだ。
 何故か昔から怖い夢をよく見る。
 そのせいで小さい頃から夜泣きが酷かった。
 正直高校生になっても泣きながら飛び起きたときは、情けなさに死にたくなった。
 泣き虫なのもコンプレックスだ。
 小さい頃からそんな感じで泣いていたので、すっかり怖がりの泣き虫が定着してしまった。
 ついでにグロいスプラッターも駄目だし、痛いのも苦手だ。
 甘音の意志に反して悲鳴も出るし、涙も出る。
 女の子としてとかではなく、それなりの年齢の人間にこれは致命的だろう。
 つねに顔が涙でぐしゃぐしゃなのだから。
 正直こんな情けない自分は嫌いだけれど、今は虚勢を張る余裕もなかった。

「もう! もう! なによこれ!」

 ひっく、ぐす、としゃくり上げながら、そっと表通りを伺い見る。
 すると、テケテケと小さな影が走りこんできて、甘音はビクリと肩を震わせて悲鳴を上げそうになった口を両手で押さえた。

「どっこだー?」

 陽気な声でキョロキョロとあたりを見回すのは人間ではない。
 体調三十センチほどの小さな鬼だった。
 こしみの一枚で、細い体に腹だけ丸く出ている。
 額には一本の角があった。
 誕生日を迎えてからこの三日間、この鬼に甘音はストーカーされていた。
 初日に目が合って悲鳴を上げたらケタケタと笑い、追いかけてくる。
 そのせいで気が触れたのではないかと腫物に触る扱いだ。
 ただでさえ小心者で友達を作るのが苦手でほとんどいないのに、ぼっち一直線になりつつある。

「ひいん……怖いの嫌いなのに、何なんなのよこれ。ありえないでしょ」

 なんかもう喋っていたら怖いのが少しはまぎれるのではと、口の中でまくし立てる。
 全然怖さは半減しなかった。

「見つけたぞ!」
「ひえっ!」

 ゴミ箱の影に鬼が飛び込んできた。
 顔から血の気がひいて、体を縮こまらせる。
 頭を抱えて目をぎゅっとつぶると、眦から涙が頬を伝った。

「あっはは、泣いてやんのー」

 小さな鬼が甘音の周りをぐるぐる回りながら嘲笑する。
 馬鹿にされていることに悔しくなるし、それを怖がっているのも恥ずかしい。
 震える唇を噛みしめた。

「もうやだ……」

 喉がしゃくり上げすぎて震えた。
 すっかり声が掠れている。
 水分をとりたいくらい渇いているのを自覚した。