◇◇
聞いた話によると、天禄は生まれた時に、身体から後光がさしていたらしい。
何処に行っても、歓喜で迎えられ、目が合っただけで、加護を貰ったと大泣きされる。
政務だって、私が玉座に座っているだけで、軽く解決してしまうし、世に恐れられている魔物だって、一人で楽に撃退できてしまうのだ。
王家の直系男子は、魔物を祓う力をそれなりに持っているらしいが、私は別格だ。
何でもできてしまうし、何をしても許される。
(確かに、私は「神」かもしれない)
やることなすこと、上手くいくよう仕組まれているのだ。
唯一、失敗したのは……。
(結婚だけだな)
これだけは、しくじった。
王として即位したからには、魔物討伐に出ることと、妻を娶ることは、義務のようなものだと、母から諭され、とりあえず、任せてみたところ、異様な風体の娘がやって来た。
(母上もひどい。離縁すら許してくれないとは)
滅んでしまったとはいえ、元々、亮と莫は兄弟国で、父は莫から逃げてきた公主を可愛がっていたらしい。その縁で、母は彼女を娶ったそうだが……。
(父がアレを可愛がっていたというのは、有り得ない話だな)
薄気味悪いと遠ざけたが、今どうしているのか、知りもしない。
(まあ、知りたくもないが……)
結婚自体がなかったことになったのか?
それなら、ありがたいことだ。今後、妃となる者は、自分の手で探したい。
(もっとも、私と釣り合う女なんて、この世にはいないかもしれないが)
すべては順調。
このまま、国を維持して、妃を娶り、子供を大勢作って、不安定な周辺国を併呑していき、亮の黄金期を築く。
それは間違いなく、この私であれば、容易く実現可能だと信じていた。
「……さあ、寝るか」
明日も早い。
私は寝台に横たわり、目を閉じた。
一瞬、教育係の太傅から、勉強しろと、口煩く訴えられたことを思い出したが……。
(なぜ、何でもできてしまう私が、ちまちま教書なんか読まなければならないのだ?)
必要に迫られた時に、一読すれば十分だろう。
今日も一日、頑張ったのだ。眠る時間まで、削られたら、やっていられない。
――しかし。
心地良く微睡み始めたところで、私は容赦なく起こされてしまったのだ。
『こんばんは。天禄様』
『うわ!? 何? 誰だ?』
突然、耳元で女に囁かれた。
まずい……。
気づいた時には、手遅れだった。
(……動かない?)
身体がぴくりとも動かなった。
動け動けと、足掻いても、まるで、石のように四肢が固くなって、私の言うことを聞いてくれない。
私は冷や汗をかきながら、目をぎょろつかせるくらいしかできなくなっていた。
『くそっ! 早く元に戻せ! 貴様、死にたいのか?』
『死にたい? ふふっ。今まさに、死にかかっているのは、貴方の方ですが?』
『くっ! 誰か! 誰かいないのか!?』
『無駄です。助けは来ません』
『……っ』
悔しい。
大声で助けを呼んだとしても、私の目の前に広がっている世界は、霧がかった白いだけの空間。従者も衛兵も、母上もいない。
今、私はこの女の掌の上で転がされているのだ。
『こんなことを私にして、タダで済むと思っているのか?』
『そうですね。どうせ、磔にされるのでしたら、その前に、貴方を亡き者にしてしまえば、私は無罪放免ですね。誰も私が貴方の心に入りこんだとは思ってもいないでしょうから』
『何……?』
『ああ、お労しいことです。天禄様。貴方は自身の力を過信して、鍛錬を怠った。魂の書。あれは、魔物に身体を乗っ取られないよう、自我を強くするための方法が書かれた教本です。魔物を討伐しようとする人間だったら、五歳児でも知っている基本中の基本。しっかり、それを学んでいれば、私如きに、こんな目に遭わされることもなかったのに』
淡々と諭す声は、怖いくらい落ち着いていた。
逆に、柔和だからこそ、私の自尊心に、鋭利な傷を刻んでいくのだ。
『そんなもの学ばなくたって、私は……』
『それが自惚れというものなのです。今はまだ「子供だから」で許される。でも、成人して、その先……。貴方は死ぬまで、この国の王として魔物を滅していかなければならない。無知は自らの寿命を縮めることに繋がります』
『偉そうに。お前、一体何者なんだ!?』
宮城の中心。内廷と外廷の間に位置する燿極殿。
最も警備の厳しい、天禄の臥室に侵入できるほどの賊だ。
(誰なんだ。コイツ?)
心当たりを探そうとするも、恐怖のあまり、頭の中が真っ白になってしまう。
『教えませんよ。五歳児にも劣る貴方に、なぜ、私が名前を教えなければならないのです』
『たかが、書物ごときで、こんな……!?』
『書物ごとき? 何が書かれているのかすら、知らないくせに。馬鹿にしますよ。私は今、貴方を初めて馬鹿にしています。自覚がないのが恐い。亮王ともあろうお方が、都合の良い言葉だけを信じ、自惚れ、増長し、国民の平穏を脅かそうとしているのですからね』
――都合のいい言葉?
(皆が私に向ける称賛は、嘘だというのか?)
本当は陰で、嘲っているとでも?
そんなはずはない。私は常に国民の期待に応えている。完璧な王のはずだ。
『戯言ばかり言いやがって。お前なんか、即刻捕えて、殺してやる!』
『どうぞ、ご自由に。でも、せめて魂の書くらい、諳んじることができるくらい、知恵を身につけてからにしてください』
『いいだろう。だったら、三日でやってやる。絶対に、お前を見返してやるからな!』
『楽しみにしていますよ。努々、今宵のような不覚を取りませんよう』
遠くに去っていく、軽やかな笑声を耳にしながら、しかし、その時になって、私はようやく気がついた。
『……あの女。どうして、私を殺さなかったんだ?』
ばんっと、何かが破れる音が響き、私は寝台から弾かれたようにして起き上がった。
「はあ、はあ……」
全力疾走した時のように、息が上がっている。
髪を掻き分けると、寝汗でびっしょりだ。
(……夢?)
――否。
夢じゃない。
寝台の横の円卓に、真っ赤な糸で編まれた飾り紐が置かれていた。
あの女は確かに、実在していたのだ。
聞いた話によると、天禄は生まれた時に、身体から後光がさしていたらしい。
何処に行っても、歓喜で迎えられ、目が合っただけで、加護を貰ったと大泣きされる。
政務だって、私が玉座に座っているだけで、軽く解決してしまうし、世に恐れられている魔物だって、一人で楽に撃退できてしまうのだ。
王家の直系男子は、魔物を祓う力をそれなりに持っているらしいが、私は別格だ。
何でもできてしまうし、何をしても許される。
(確かに、私は「神」かもしれない)
やることなすこと、上手くいくよう仕組まれているのだ。
唯一、失敗したのは……。
(結婚だけだな)
これだけは、しくじった。
王として即位したからには、魔物討伐に出ることと、妻を娶ることは、義務のようなものだと、母から諭され、とりあえず、任せてみたところ、異様な風体の娘がやって来た。
(母上もひどい。離縁すら許してくれないとは)
滅んでしまったとはいえ、元々、亮と莫は兄弟国で、父は莫から逃げてきた公主を可愛がっていたらしい。その縁で、母は彼女を娶ったそうだが……。
(父がアレを可愛がっていたというのは、有り得ない話だな)
薄気味悪いと遠ざけたが、今どうしているのか、知りもしない。
(まあ、知りたくもないが……)
結婚自体がなかったことになったのか?
それなら、ありがたいことだ。今後、妃となる者は、自分の手で探したい。
(もっとも、私と釣り合う女なんて、この世にはいないかもしれないが)
すべては順調。
このまま、国を維持して、妃を娶り、子供を大勢作って、不安定な周辺国を併呑していき、亮の黄金期を築く。
それは間違いなく、この私であれば、容易く実現可能だと信じていた。
「……さあ、寝るか」
明日も早い。
私は寝台に横たわり、目を閉じた。
一瞬、教育係の太傅から、勉強しろと、口煩く訴えられたことを思い出したが……。
(なぜ、何でもできてしまう私が、ちまちま教書なんか読まなければならないのだ?)
必要に迫られた時に、一読すれば十分だろう。
今日も一日、頑張ったのだ。眠る時間まで、削られたら、やっていられない。
――しかし。
心地良く微睡み始めたところで、私は容赦なく起こされてしまったのだ。
『こんばんは。天禄様』
『うわ!? 何? 誰だ?』
突然、耳元で女に囁かれた。
まずい……。
気づいた時には、手遅れだった。
(……動かない?)
身体がぴくりとも動かなった。
動け動けと、足掻いても、まるで、石のように四肢が固くなって、私の言うことを聞いてくれない。
私は冷や汗をかきながら、目をぎょろつかせるくらいしかできなくなっていた。
『くそっ! 早く元に戻せ! 貴様、死にたいのか?』
『死にたい? ふふっ。今まさに、死にかかっているのは、貴方の方ですが?』
『くっ! 誰か! 誰かいないのか!?』
『無駄です。助けは来ません』
『……っ』
悔しい。
大声で助けを呼んだとしても、私の目の前に広がっている世界は、霧がかった白いだけの空間。従者も衛兵も、母上もいない。
今、私はこの女の掌の上で転がされているのだ。
『こんなことを私にして、タダで済むと思っているのか?』
『そうですね。どうせ、磔にされるのでしたら、その前に、貴方を亡き者にしてしまえば、私は無罪放免ですね。誰も私が貴方の心に入りこんだとは思ってもいないでしょうから』
『何……?』
『ああ、お労しいことです。天禄様。貴方は自身の力を過信して、鍛錬を怠った。魂の書。あれは、魔物に身体を乗っ取られないよう、自我を強くするための方法が書かれた教本です。魔物を討伐しようとする人間だったら、五歳児でも知っている基本中の基本。しっかり、それを学んでいれば、私如きに、こんな目に遭わされることもなかったのに』
淡々と諭す声は、怖いくらい落ち着いていた。
逆に、柔和だからこそ、私の自尊心に、鋭利な傷を刻んでいくのだ。
『そんなもの学ばなくたって、私は……』
『それが自惚れというものなのです。今はまだ「子供だから」で許される。でも、成人して、その先……。貴方は死ぬまで、この国の王として魔物を滅していかなければならない。無知は自らの寿命を縮めることに繋がります』
『偉そうに。お前、一体何者なんだ!?』
宮城の中心。内廷と外廷の間に位置する燿極殿。
最も警備の厳しい、天禄の臥室に侵入できるほどの賊だ。
(誰なんだ。コイツ?)
心当たりを探そうとするも、恐怖のあまり、頭の中が真っ白になってしまう。
『教えませんよ。五歳児にも劣る貴方に、なぜ、私が名前を教えなければならないのです』
『たかが、書物ごときで、こんな……!?』
『書物ごとき? 何が書かれているのかすら、知らないくせに。馬鹿にしますよ。私は今、貴方を初めて馬鹿にしています。自覚がないのが恐い。亮王ともあろうお方が、都合の良い言葉だけを信じ、自惚れ、増長し、国民の平穏を脅かそうとしているのですからね』
――都合のいい言葉?
(皆が私に向ける称賛は、嘘だというのか?)
本当は陰で、嘲っているとでも?
そんなはずはない。私は常に国民の期待に応えている。完璧な王のはずだ。
『戯言ばかり言いやがって。お前なんか、即刻捕えて、殺してやる!』
『どうぞ、ご自由に。でも、せめて魂の書くらい、諳んじることができるくらい、知恵を身につけてからにしてください』
『いいだろう。だったら、三日でやってやる。絶対に、お前を見返してやるからな!』
『楽しみにしていますよ。努々、今宵のような不覚を取りませんよう』
遠くに去っていく、軽やかな笑声を耳にしながら、しかし、その時になって、私はようやく気がついた。
『……あの女。どうして、私を殺さなかったんだ?』
ばんっと、何かが破れる音が響き、私は寝台から弾かれたようにして起き上がった。
「はあ、はあ……」
全力疾走した時のように、息が上がっている。
髪を掻き分けると、寝汗でびっしょりだ。
(……夢?)
――否。
夢じゃない。
寝台の横の円卓に、真っ赤な糸で編まれた飾り紐が置かれていた。
あの女は確かに、実在していたのだ。



