◆◆
「何です? それ?」
「これは、初討伐の時に、天禄様が身につけていた着物の切れ端なの。処分するから丁度いいって。王太后様に渡されたのよ」
「はあ?」
美雨は目が点になっている。
私は布の刺繍部分を手でなぞりながら、淡々と説明した。
「これは、呪い事の一つで、視たい相手の所有物を持って集中すると、その相手の所在が視えて、意識を繋げることができるの。莫と違って、亮では呪い事自体が忌避されているから、秘密裏に、王妃という名目で、年頃の女性を迎え入れ、婚姻という名の契約を結んで、この術を学ばせた上で、瘴気を受けさせているのでしょう」
「……ん? つまり、婚姻関係を結ぶことで、より深く、王の意識に繋がることができるという?」
「そうね。私は元々呪い事をしていたけど、確かに結婚することで、精度が増したわね」
「あのー……。お妃様」
きっぱり、美雨が言った。
「おかしいです」
「えっ?」
「それなら、正直に国民に伝えたら良いのです。成人前の王様は力が弱いので、魔物討伐は無理だって……」
真っ当な考え方だ。
私がもし、滅んだ莫の出身ではなく、公主などでもなければ……。
きっと、美雨と同じように考えたはずだ。
……でも。
「王は「希望」だから」
「希望?」
美雨が小首を傾げている。
同い年だが、小柄で童顔な美雨は、きょとんとしていると、本当にあどけない子供のようだった。
ついその愛らしさに、機密事項を話し過ぎてしまう。
「わざわざ、神格化されている王の弱みを国民に晒す必要性はないわ。それによって、国が揺らぐくらいなら、女一人を犠牲にすることなんて、容易いことよ」
圧倒的な力を持つ、神様みたいな人。
莫にも、そういう人がいてくれたら、良かった。
(私が殺してしまった、あの人たちが……)
もし、彼らが生きていたら、莫は滅びなかったのではないか?
最近、美雨に頼んで仕入れてもらった話によると、未だ、莫があった場所は不安定らしい。亮のような大国が助けてくれたら、良いのだろう。けど、それは絶望的だ。
昔、何度、援軍を頼んでも来てはくれなかった。
(そもそも、無理よね)
あの王太后様が権力を振るっている国なのだ。
この機に攻められないだけ、まだマシだ。
「でも、それでいいんですか。お妃様は?」
美雨は目を真っ赤にしていた。彼女は泣いているのではない。理不尽な怒りで、自分を見失いそうになっているのだ。
(だから、嫌だったのに)
良識的な考え方を持っている人間が、第一王妃の役割を知ったところで、到底、理解などできるはずがないのだ。
「いいのよ。美雨。王太后様に恩を返せって脅されたこともあるけれど。でも、これは私が望んだことなのよ」
「望んで、こんなお身体に? せっかく綺麗なお顔をしているのに、それが、こんな……。私は腹立しいです。亮のために御身を捧げてくださっているというのに、その事実を誰も知らない。王太后様なんて、わざわざ嘲るためにお妃様を訪ねてくる。一体、あの方、何なんですか?」
「ああ……。王太后様は、先の国王陛下が私を可愛がっていたことが気に入らないのよ」
「何ですって! そんな理由で!? こんな狭い房間に隔離するなんて、まともじゃないです」
「でも、瘴気を受けた人間なんて、普通に嫌厭されるし……」
「それでも! 物置小屋なんて、あんまりですよ」
そうかもしれない。
後宮は、今のところ、空き室ばかりだ。
天禄様は、成人していないし、王太后様は、今のところ、他の女性を後宮に入れるつもりはないようだから、こんな場所に私を追いやったのは、単純に、私に対する嫌がらせだろう。
(私は、この房間から自由に外に出ることを認められていない)
四六時中、痛みと格闘しながら、息をしているだけの日々。
天禄様とは、魔物討伐の際、意識を繋げてはいるけれど、現実の世界では、婚姻の儀以来、一度も会っていなかった。
(季節も、二巡してしまったわ)
もう、あの方は、私のことなんて忘れてしまっただろう。
……それでいいのだ。
だけど。
(私はどうしても、あの方と繋がりを持っていなければならない)
魔物を殲滅するためには、天禄様の力は必要なのだ。
「……ねえ、美雨。そんなことより、私、天禄様に関する噂の方が気になるわ」
「ああ、アレですか?」
今までの深刻な顔つきから一変して、美雨はにやりと口の端を上げた。
「天禄様が「馬鹿」っていう?」
「さすがに、口が過ぎるわよ」
「そうですかね。お妃様が受けている仕打ちの方が、よほど不敬ですけど。でも、私、お妃様の件で、耀極殿の近くまで行った時、官吏が天禄様を馬鹿呼ばわりしていたのを、確かに聞きましたよ」
――耀極殿。
それは、天禄様が起居している我が国で一番重要な宮だった。
「そんな場所で、陛下の悪口を言うなんて」
「まあ、たとえ本当に馬鹿だったとしても、国民にとって、王は「神」ですから。外部に漏れることはないでしょうけど」
……それは、天禄様にとって、良いことなのか、悪いことなのか?
「私もね、気になっていたの。だって、天禄様は以前、魂の書が分からないなんて、そら恐ろしいことをおっしゃっていたし。討伐の時も、まるで魂が安定していないから」
「天禄様、甘やかされていますからね。性格も自惚れが強く、気性も荒いときたら、いくら、お顔が美しくても? あ、口が過ぎましたね。申し訳ありません」
「性格はともかく……」
「えっ。いいんですか?」
「そうね……。多少、癖があっても、やることをやって下さるのなら、それでいいのだけど。問題は学びの方よね。魔物討伐は危険も多いから、基礎から学んでおかないと、お命に係わるわ」
歯痒いことだ。
(もし、私に天禄様と同じ力があったのなら、基礎固めをしっかりした上で、力を十全に使いこなし、魔物を狩って回るのに……)
いずれにしても、この姿ではもう……。
――天禄様が成人するまで、あと五年。
その前に少しでも、己のできることを……。
「美雨。一つ、頼まれてくれるかしら?」
私は自分の念を込めた真っ赤な組紐を、彼女に手渡したのだった。
「何です? それ?」
「これは、初討伐の時に、天禄様が身につけていた着物の切れ端なの。処分するから丁度いいって。王太后様に渡されたのよ」
「はあ?」
美雨は目が点になっている。
私は布の刺繍部分を手でなぞりながら、淡々と説明した。
「これは、呪い事の一つで、視たい相手の所有物を持って集中すると、その相手の所在が視えて、意識を繋げることができるの。莫と違って、亮では呪い事自体が忌避されているから、秘密裏に、王妃という名目で、年頃の女性を迎え入れ、婚姻という名の契約を結んで、この術を学ばせた上で、瘴気を受けさせているのでしょう」
「……ん? つまり、婚姻関係を結ぶことで、より深く、王の意識に繋がることができるという?」
「そうね。私は元々呪い事をしていたけど、確かに結婚することで、精度が増したわね」
「あのー……。お妃様」
きっぱり、美雨が言った。
「おかしいです」
「えっ?」
「それなら、正直に国民に伝えたら良いのです。成人前の王様は力が弱いので、魔物討伐は無理だって……」
真っ当な考え方だ。
私がもし、滅んだ莫の出身ではなく、公主などでもなければ……。
きっと、美雨と同じように考えたはずだ。
……でも。
「王は「希望」だから」
「希望?」
美雨が小首を傾げている。
同い年だが、小柄で童顔な美雨は、きょとんとしていると、本当にあどけない子供のようだった。
ついその愛らしさに、機密事項を話し過ぎてしまう。
「わざわざ、神格化されている王の弱みを国民に晒す必要性はないわ。それによって、国が揺らぐくらいなら、女一人を犠牲にすることなんて、容易いことよ」
圧倒的な力を持つ、神様みたいな人。
莫にも、そういう人がいてくれたら、良かった。
(私が殺してしまった、あの人たちが……)
もし、彼らが生きていたら、莫は滅びなかったのではないか?
最近、美雨に頼んで仕入れてもらった話によると、未だ、莫があった場所は不安定らしい。亮のような大国が助けてくれたら、良いのだろう。けど、それは絶望的だ。
昔、何度、援軍を頼んでも来てはくれなかった。
(そもそも、無理よね)
あの王太后様が権力を振るっている国なのだ。
この機に攻められないだけ、まだマシだ。
「でも、それでいいんですか。お妃様は?」
美雨は目を真っ赤にしていた。彼女は泣いているのではない。理不尽な怒りで、自分を見失いそうになっているのだ。
(だから、嫌だったのに)
良識的な考え方を持っている人間が、第一王妃の役割を知ったところで、到底、理解などできるはずがないのだ。
「いいのよ。美雨。王太后様に恩を返せって脅されたこともあるけれど。でも、これは私が望んだことなのよ」
「望んで、こんなお身体に? せっかく綺麗なお顔をしているのに、それが、こんな……。私は腹立しいです。亮のために御身を捧げてくださっているというのに、その事実を誰も知らない。王太后様なんて、わざわざ嘲るためにお妃様を訪ねてくる。一体、あの方、何なんですか?」
「ああ……。王太后様は、先の国王陛下が私を可愛がっていたことが気に入らないのよ」
「何ですって! そんな理由で!? こんな狭い房間に隔離するなんて、まともじゃないです」
「でも、瘴気を受けた人間なんて、普通に嫌厭されるし……」
「それでも! 物置小屋なんて、あんまりですよ」
そうかもしれない。
後宮は、今のところ、空き室ばかりだ。
天禄様は、成人していないし、王太后様は、今のところ、他の女性を後宮に入れるつもりはないようだから、こんな場所に私を追いやったのは、単純に、私に対する嫌がらせだろう。
(私は、この房間から自由に外に出ることを認められていない)
四六時中、痛みと格闘しながら、息をしているだけの日々。
天禄様とは、魔物討伐の際、意識を繋げてはいるけれど、現実の世界では、婚姻の儀以来、一度も会っていなかった。
(季節も、二巡してしまったわ)
もう、あの方は、私のことなんて忘れてしまっただろう。
……それでいいのだ。
だけど。
(私はどうしても、あの方と繋がりを持っていなければならない)
魔物を殲滅するためには、天禄様の力は必要なのだ。
「……ねえ、美雨。そんなことより、私、天禄様に関する噂の方が気になるわ」
「ああ、アレですか?」
今までの深刻な顔つきから一変して、美雨はにやりと口の端を上げた。
「天禄様が「馬鹿」っていう?」
「さすがに、口が過ぎるわよ」
「そうですかね。お妃様が受けている仕打ちの方が、よほど不敬ですけど。でも、私、お妃様の件で、耀極殿の近くまで行った時、官吏が天禄様を馬鹿呼ばわりしていたのを、確かに聞きましたよ」
――耀極殿。
それは、天禄様が起居している我が国で一番重要な宮だった。
「そんな場所で、陛下の悪口を言うなんて」
「まあ、たとえ本当に馬鹿だったとしても、国民にとって、王は「神」ですから。外部に漏れることはないでしょうけど」
……それは、天禄様にとって、良いことなのか、悪いことなのか?
「私もね、気になっていたの。だって、天禄様は以前、魂の書が分からないなんて、そら恐ろしいことをおっしゃっていたし。討伐の時も、まるで魂が安定していないから」
「天禄様、甘やかされていますからね。性格も自惚れが強く、気性も荒いときたら、いくら、お顔が美しくても? あ、口が過ぎましたね。申し訳ありません」
「性格はともかく……」
「えっ。いいんですか?」
「そうね……。多少、癖があっても、やることをやって下さるのなら、それでいいのだけど。問題は学びの方よね。魔物討伐は危険も多いから、基礎から学んでおかないと、お命に係わるわ」
歯痒いことだ。
(もし、私に天禄様と同じ力があったのなら、基礎固めをしっかりした上で、力を十全に使いこなし、魔物を狩って回るのに……)
いずれにしても、この姿ではもう……。
――天禄様が成人するまで、あと五年。
その前に少しでも、己のできることを……。
「美雨。一つ、頼まれてくれるかしら?」
私は自分の念を込めた真っ赤な組紐を、彼女に手渡したのだった。



