◆◆
天禄様は、十一歳。
私、琳娜は十五歳。
二人の婚姻は形だけのもので、御簾越しに、直接顔を合わせることもなく、静かに終わった。
この婚姻は建前としては「聖婚」だ。 表向きは、実在しない「女神」を最初の妻に迎えるということになっている。
でも、本当は……。
私のような贄が未成年の王の「最初の王妃」として、あてがわれているのだ。
当然、夫となる亮王、天禄様はこのことを知らない。
だから、婚姻の儀の後、不機嫌そのもので、私を呼び出してきたのだ。
「お前は数年前に滅んだ隣国、莫の王族の公主と聞いているが、そちらの国では、夫の前で黒服を纏って、面布をする習慣があるのか? 失礼ではないか!?」
婚姻の儀が終わり、王太后様の宮に呼ばれた私は、早速、天禄様に叱責されてしまった。
(怒っているわよね。当然だわ)
声変わりをしていない幼い少年の甲高い声は、感情剥き出しで、怒りに満ちている。
天禄様の言い分は、正しい。
結婚相手が全身黒ずくめで、顔まで覆っていたら、薄気味悪くて、腹も立つはずだ。私だってそう思う。……だけど。
王太后様や、大勢の侍女達が見ている前で、そこまで激しく責め立てなくてもいいではないか?
「どうした? 口が利けないのか?」
「……」
――違いますと、否定したくても、王太后様の目がある。話してはならないと、きつく命じられたのは、先程のことだ。
(一言くらいなら?)
しかし、布の隙間かちらりと窺った王太后様は、淡い笑みを浮かべているが、感情は消えていた。
あの酷薄な笑みは、私に対する牽制だろう。
言外に、喋るなと命じている。
(……駄目なのね)
話してしまったら、その後、どんなお叱りを受けるか知れない。
会話は諦めるしかないのだ。
「話す気がないらしいな?」
「……っ」
ふるふる……。私は首を横に振って、意思表示をする。
だが、それはかえって、天禄様を逆上させる結果になってしまった。
「貴様。私を馬鹿にしているのか? 私は花嫁が口を利けないなんて話、聞いていないぞ!?」
「……も」
――申し訳ありません。
陛下を揶揄する意図など、なかったのです。
黒衣も面布も、史書に記されていた通り、第一王妃の婚礼衣装。……理由があるのです。
「……ぅ」
思い余って、話しかけてしまいそうになって、しかし、そんな私を見計らったように……。
「陛下。わたくしも、まさか黒衣で嫁いでくるとは思ってもいなかったのです。この娘を選んだのは、わたくし。何卒、お許しくださいな」
王太后様が、横から口を出してきたのだ。
「……母上」
今までの緊張感が少しだけ和らいだものの、しかし、天禄様はあくまで辛辣だった。
「許すも何も、薄気味悪い。即刻、離縁をしたいのだが?」
「もう、半日で離縁ですか? 困ったお方ですね」
くすくすと、王太后様がわざとらしい笑声を響かせる。
多分、この人は最初から、こうなることが分かっていたのだろう。
わたしが徹底的に、嫌われるのを目の当たりにして、とても楽しそうだ。
「されど、陛下。すぐに離婚とは、誓約した神に悪うございます。とりあえず、害はないようですし、その辺に捨て置けば良いのでは?」
「これを、置き物とでも思え……と?」
いかにも、億劫そうに溜息を吐かれた。
この方は、全力で私のことを嫌がっている。
(私だって……)
……嫌だ。
こんな怪しい風体で、子供の花嫁になんてなりたくなかった。
でも、大切な人を死に追いやってしまった私は、一匹でも多く魔物を狩らねばならない。
――魔物を滅ぼす圧倒的な力を持っているのは、この方しかいないのだから。
「そうですわね」
王太后様が天禄様をあやすように、猫撫で声で言った。
「陛下が成人の儀を迎える頃に、相応しい美妃を、わたくしが選んで差し上げましょう。それまでの辛抱ですよ」
「あと七年も……か」
「気分を害したのでしたら、これから、宴会でも開きますか?」
「あー……。そうだな。太傅が魂の書がどうのとか言っていたが、よく分からんし、宴でも催して、気晴らしでもするか」
(え?)
今、聞き捨てならない言葉を耳にしたような気がしたが?
(聞き違いよね?)
私は黒い面布の下で、一人顔面蒼白になっていた。
――魂の書。
それは、降魔の王として必須の教書のはずだ。もしも、本当に天禄様が「分からない」と口にしていたら、一大事だ。
(まさか、本当に分からないってことはないわよね?)
恐る恐る顔を上げたら、面布の隙間から、緋色の宝座に座っている天禄様の整った顔が確と見えた。
(……確かに)
噂通りの美貌。
可憐な少女のような麗しい御姿。
肩までの艶やかな黒髪に、滑らかな白い肌。薄黄の上着を深衣の上に引っ掛けている。
私とは真逆の光の中にいるような崇高な存在。
亮には数年前から滞在していたので、先代国王とは顔を合わせたことがあったが、天禄様とこうして直に会うのは初めてだった。
(お父上も美しい方だったけれど、天禄様は、人間の域を越えているわ)
王太后様が目に入れても痛くないほど、溺愛しているのも頷ける。
「何だ?」
――っ!?
目が合った。
慌てて、顔の向きを変えたものの、手遅れだった。
「何を見ている? 気色悪い。私の前から、さっさと消えろ!」
天禄様の菫色の瞳は、私に対する嫌悪しかなかった。
――あと七年。
私はこの方から疎まれ、生きていかなければならないのだ。
天禄様は、十一歳。
私、琳娜は十五歳。
二人の婚姻は形だけのもので、御簾越しに、直接顔を合わせることもなく、静かに終わった。
この婚姻は建前としては「聖婚」だ。 表向きは、実在しない「女神」を最初の妻に迎えるということになっている。
でも、本当は……。
私のような贄が未成年の王の「最初の王妃」として、あてがわれているのだ。
当然、夫となる亮王、天禄様はこのことを知らない。
だから、婚姻の儀の後、不機嫌そのもので、私を呼び出してきたのだ。
「お前は数年前に滅んだ隣国、莫の王族の公主と聞いているが、そちらの国では、夫の前で黒服を纏って、面布をする習慣があるのか? 失礼ではないか!?」
婚姻の儀が終わり、王太后様の宮に呼ばれた私は、早速、天禄様に叱責されてしまった。
(怒っているわよね。当然だわ)
声変わりをしていない幼い少年の甲高い声は、感情剥き出しで、怒りに満ちている。
天禄様の言い分は、正しい。
結婚相手が全身黒ずくめで、顔まで覆っていたら、薄気味悪くて、腹も立つはずだ。私だってそう思う。……だけど。
王太后様や、大勢の侍女達が見ている前で、そこまで激しく責め立てなくてもいいではないか?
「どうした? 口が利けないのか?」
「……」
――違いますと、否定したくても、王太后様の目がある。話してはならないと、きつく命じられたのは、先程のことだ。
(一言くらいなら?)
しかし、布の隙間かちらりと窺った王太后様は、淡い笑みを浮かべているが、感情は消えていた。
あの酷薄な笑みは、私に対する牽制だろう。
言外に、喋るなと命じている。
(……駄目なのね)
話してしまったら、その後、どんなお叱りを受けるか知れない。
会話は諦めるしかないのだ。
「話す気がないらしいな?」
「……っ」
ふるふる……。私は首を横に振って、意思表示をする。
だが、それはかえって、天禄様を逆上させる結果になってしまった。
「貴様。私を馬鹿にしているのか? 私は花嫁が口を利けないなんて話、聞いていないぞ!?」
「……も」
――申し訳ありません。
陛下を揶揄する意図など、なかったのです。
黒衣も面布も、史書に記されていた通り、第一王妃の婚礼衣装。……理由があるのです。
「……ぅ」
思い余って、話しかけてしまいそうになって、しかし、そんな私を見計らったように……。
「陛下。わたくしも、まさか黒衣で嫁いでくるとは思ってもいなかったのです。この娘を選んだのは、わたくし。何卒、お許しくださいな」
王太后様が、横から口を出してきたのだ。
「……母上」
今までの緊張感が少しだけ和らいだものの、しかし、天禄様はあくまで辛辣だった。
「許すも何も、薄気味悪い。即刻、離縁をしたいのだが?」
「もう、半日で離縁ですか? 困ったお方ですね」
くすくすと、王太后様がわざとらしい笑声を響かせる。
多分、この人は最初から、こうなることが分かっていたのだろう。
わたしが徹底的に、嫌われるのを目の当たりにして、とても楽しそうだ。
「されど、陛下。すぐに離婚とは、誓約した神に悪うございます。とりあえず、害はないようですし、その辺に捨て置けば良いのでは?」
「これを、置き物とでも思え……と?」
いかにも、億劫そうに溜息を吐かれた。
この方は、全力で私のことを嫌がっている。
(私だって……)
……嫌だ。
こんな怪しい風体で、子供の花嫁になんてなりたくなかった。
でも、大切な人を死に追いやってしまった私は、一匹でも多く魔物を狩らねばならない。
――魔物を滅ぼす圧倒的な力を持っているのは、この方しかいないのだから。
「そうですわね」
王太后様が天禄様をあやすように、猫撫で声で言った。
「陛下が成人の儀を迎える頃に、相応しい美妃を、わたくしが選んで差し上げましょう。それまでの辛抱ですよ」
「あと七年も……か」
「気分を害したのでしたら、これから、宴会でも開きますか?」
「あー……。そうだな。太傅が魂の書がどうのとか言っていたが、よく分からんし、宴でも催して、気晴らしでもするか」
(え?)
今、聞き捨てならない言葉を耳にしたような気がしたが?
(聞き違いよね?)
私は黒い面布の下で、一人顔面蒼白になっていた。
――魂の書。
それは、降魔の王として必須の教書のはずだ。もしも、本当に天禄様が「分からない」と口にしていたら、一大事だ。
(まさか、本当に分からないってことはないわよね?)
恐る恐る顔を上げたら、面布の隙間から、緋色の宝座に座っている天禄様の整った顔が確と見えた。
(……確かに)
噂通りの美貌。
可憐な少女のような麗しい御姿。
肩までの艶やかな黒髪に、滑らかな白い肌。薄黄の上着を深衣の上に引っ掛けている。
私とは真逆の光の中にいるような崇高な存在。
亮には数年前から滞在していたので、先代国王とは顔を合わせたことがあったが、天禄様とこうして直に会うのは初めてだった。
(お父上も美しい方だったけれど、天禄様は、人間の域を越えているわ)
王太后様が目に入れても痛くないほど、溺愛しているのも頷ける。
「何だ?」
――っ!?
目が合った。
慌てて、顔の向きを変えたものの、手遅れだった。
「何を見ている? 気色悪い。私の前から、さっさと消えろ!」
天禄様の菫色の瞳は、私に対する嫌悪しかなかった。
――あと七年。
私はこの方から疎まれ、生きていかなければならないのだ。



