贄の公主と降魔の王 ~黒衣を纏う花嫁は、年下王の最愛になる~

◇◇
 沈黙は、躊躇いの証だったのかもしれない。
 ややしてから、玄は小さな声で語り始めた。

『私は……魔物が憎いのです。私の家族は魔物によって壊されました。姉と、姉の夫になるはずだった人は、私を庇って死んだのです。二人は国にとって重要な人でした。役立たずの私なんかより……』
『分からない。どうして、貴方が役立たずなのだ?』
『私は無力です。魔物と対峙しても、貴方のようには斃せません』
『それがどうした? 私が魔物を斃せるのは、貴方のおかげだと思っている。それで良いではないか? どうして、自分を貶める?』

 玄が息を呑む音が伝わってきた。
 じれったい。
 なぜ、顔が見えないのだろう?
 傍にいたら、抱きしめることもできるのに。

『それに、貴方が死んだからといって、贖罪などには決してならないだろう。そんなことを言っていたら、私は毎日死ななければならなくなってしまう』
『天禄様は王ですから。それでいいのです』
『屁理屈。初めて引っくり返ったな。私は今、貴方が急に幼く見える』
『……』

  言葉はなかったが、彼女がくすりと笑ったような気がした。
 しかし、勝気な鎧を脱いでしまった玄は、繊細で脆い女性だった。

『私の負けです。天禄様。貴方はご立派になられた。私からはもう、お伝えすることは何もありません』
『はっ? 私は未熟で何もできない、愚鈍な男だぞ?』
『それが分かっていらっしゃるから、貴方はご立派なのです』

 ああ言えば、こう言う。
 私の心情を理解しているくせして、触れてこない。
 最低だ。なのに、どうしても、離れたくないのだ。

『嫌だからな。私は終わるつもりなどない。むしろ、これから、貴方との関係が始まると思っているのだから』
『何も始まりません。今度こそ、私は呪具(くみひも)を捨てます。天禄様も、必ず処分なさいますよう。新たに迎えるお妃様がいらっしゃる前にですよ。それでは、お幸せに……』
『ま、待て!』 

 それきり。
 交信が途切れた。
 重々しい静寂が、無駄に広い執務室を包み込む。
 再び、繋げようとしても、二度と玄は応えてくれないだろう。

(馬鹿……。新しい妃なんか迎えないって言っただろう)

 嫌味なのか、嫉妬なのか……。
 それこそ、私の自惚れなのか……。

(自惚れだな)

  彼女は、自分から家族を奪った魔物を滅ぼしたかっただけなのだ。

(私のことなんて、何とも思っていない)

 当然だ。

(憎まれて当然のことを、私は彼女にしたのだから……)

 胸を焦がすもどかしい痛みに、私は机上に突っ伏す。
  いっそ、このまま政務を放棄したい。
 そう言ったら、玄に怠け者と謗られるだろう。
  誰がこんな男のことを「生き神」だなんて言うのか?
 たった一人の女性の言葉に揺れて、悶えて……。

(組紐を処分しろ? 絶対に、捨てないからな) 

 側近の目も、母の目も掻い潜って、呪い事を駆使しながら、大切に保管してきた。 彼女に近づくための唯一の手がかりだと思って。
 
(ああ、そうだよ。私は……)

 ――声だけしか繋がりを持てない女に、ずっと恋焦がれている。
 もう、どうしようもないくらいに。

「そこにいるか?」

 鈴を鳴らして呼ぶと、透かし窓の外で、微かに動く影があった。
 最近、私が自ら雇った密偵は使いやすい。
 側近も女官も、母の息がかかった者が多く、私の行動を密告する者、真実を見せないよう小細工する者。そんな連中ばかりで、頭を抱えていたのだ。

(ならば、私も上手く人を動かして、母上の動きを封じるまでのこと)
 
 あの母のせいで、今まで真実が有耶無耶になってきたのだ。成人の儀を強行するというのなら、それを逆手に取ってやる。
 ――急がなければ。

「最重要の仕事だ。後宮内に私が捜している女性がいる。その者について、やってもらいたいことがある」

 こんなやり方を、玄は嫌うだろう。
 だけど、今はもっと早くこうするべきだったと、私は深く後悔していた。