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障子から日が差し込み、鳥のさえずる声が聞こえゆっくりと目を開ける藤乃。
見覚えのない広い和室の中央に敷かれた布団。
上質な布団だという事は、触れただけで一目瞭然。
「っ…ここ、は…?」
布団に入ったまま、上体を起こして辺りを見渡した。
広い和室に、不安そうな藤乃の声はすぐに消えた。
「おはよう。目が覚めたのだな」
「っ…!?」
藤乃が身を起こしたのとほぼ同時に、障子が開いた。
顔には貼り付けたような笑みを浮かべる不気味な男がいた。
「申し訳ない。驚かせようとした訳ではないんだ…といっても、手荒な真似をしてここまで連れてきたからそのような言い訳…聞いてもらえないか」
怯える藤乃に構う事なく、距離を詰めて藤乃が横になっていた布団の近くまで来た。
正座をすれば目線を合わせた。
(この方は…? それに、ここって…?)
男の背後にある障子越しに外へ目を向ける。広い庭と高い塀があることは分かっても、その先の様子はまるで見えない。
「ん? あぁ、僕は財部 上総。ここは僕の屋敷で、キミを花嫁として迎えに来たんだ」
「っ…!?」
男が一人で突飛な話を始め、藤乃は言葉を詰まらせた。
「あ、あの…私は、既に久世家へ嫁いでおります。ですので、貴方の所へ嫁ぐ事はできません」
話を進める男にそう返すが、途端に真顔になった。
その表情に、藤乃の背筋は凍った。
まるで藤乃がおかしなことを言っているようだ。
「あぁ、それは偽り…そうだろう?」
「偽り…?」
男が再び、貼り付けたような笑みを浮かべた。
「キミはあの男に愛されているわけではない。彼はキミを同情して、キミに不憫な思いをさせないよう自分の屋敷で匿っているんだよ」
丁寧な話し口だが、言っている事は残酷。
否定したいのに、胸の奥にしまい込んでいた不安を言い当てられたようで、言葉が続かなかった。
「ち…違います…! 景さんはそんな事…! 髪飾りだって下さって…あれ…」
彼との思い出が詰まった髪飾りに触れようと、髪に手を伸ばした。
しかし、髪飾りを付けた位置には何もない。
「髪飾り? キミはそのようなモノ、最初から付けていない」
「嘘…だって、景さんは…」
忙しそうにしていた彼が、夏祭りでの別れ際に褒めてくれた。
あの時の言葉を、温かくなった気持ちなんて忘れるはずがない。
「それに、夫婦になって愛の証明が髪飾り? それは、とても安い愛情だね」
男の言葉がグサリと胸を突き刺す。
この男と同じ空間にいるのは、異様で男の言葉がまるで真実のように思えた。
(違うーー違う違う違う。この人はおかしな事を言ってる。私には、思い返せばたくさんの思い出がある…)
初めて会って、回転ドアで助けてくれた時。
こんなに優しい方がいるんだって思った。
まさか、その方と夫婦になるなんて思いもしなかった。
事情を聞けば、結婚を申し出てくれた。
たしかに、この男が言うように最初は同情だったかもしれない。
けれど、日々共に過ごすうちーー確実に気持ちは変わった。
毎日、鍛錬している事、笑ってご飯を食べる事。
藤乃が我慢をすれば、それを見破り『甘える』という優しさを教えてくれた事。
それにーー。
頭の中にはいくつも思い出が巡った。
この状況でも、思わず笑みを溢す程に。
そんな藤乃を見透かすように上総は貼り付けた笑みを止めると、奥歯をギリッと噛み締めた。
しかし、すぐに持ち直して笑みを浮かべた。
「久世 景に愛がない一番の根拠を教えてあげよう。彼ーーここに来ないじゃないか。ここは、帝都内。昨夜のうちに迎えに来れたんじゃないかな。本当に心配なら、ね?」
「…景さんは忙しいんです。それが愛でないという根拠は暴論です」
未だ、自分の気持ちを上手く伝える事は出来ない。
けれど、受けた愛情はしっかりと伝わっている。
(景さんは、必ず来て下さる…)
そう信じられないほど、藤乃はもう弱くはなかった。
「昨夜の花火だって、約束をしたのに来てくれないじゃないか。ただ、キミを喜ばせるためだけにその場限りで言った言葉…軽すぎるモノだからだよ」
上総の言葉に、藤乃の表情が強張った。
その約束を知っているのは、約束を取り付けた張本人と近くにいた貴子。
上総が知っている訳がない。
言葉に詰まれば、上総はニヤリと口角を上げた。
「僕はね、人の心が読めるんだ」
「え…? そんなこと、ある訳…」
「キミ、随分と酷い幼少期を過ごしたじゃないか…まさか、八歳で母親に殺されかけるなんて…ねぇ」
「っ…!」
水瀬家の人間でさえ、知る者が少ない情報を口走った。
その瞬間、きちんと保っていたはずの理性に揺らぎが訪れた。
「父親も酷い事をする…実の母親を追い出して、二度とキミとキミの妹に会えないようにするなんて…いや、お母さんの末路の方が酷いな」
「え…? お母様、が…?」
「あぁ…追い出されて一年もしないうちに…自害されたようだ」
「っ…!」
その言葉は藤乃の心をぎゅっと鷲掴みにし、身体はぴくりとも動かなかった。
「あぁ、本当に可哀想な僕の藤乃。大丈夫、キミの過去がどうであれ、僕ならキミの全てを肯定して愛すよ」
怯えて小刻みに震える藤乃の肩を抱いて、耳元で優しく呟いた。
「わ、私は…景さんの妻、です…だから」
「まだそのような事を言うのかい? キミが母を苦しめた過去を隠している事…知ったらどうなると思う?」
「っ…」
(景さんは、私を受け入れてくださった。それなのに私は、一番話すべきことを話せていないーー)
わざと、隠そうととしているわけではないけれど、わざわざ話す事でもないと思い口を閉ざしていた。
まるで自分が、久世家へ嫁ぐために過去を隠した卑しい人間だと言われているようだった。
「まぁ、彼は離縁はしないかもしれないね。キミの異能が素晴らしいから」
「…えっ?」
「彼はね、キミが欲しい訳じゃないんだ。キミの涙が欲しいんだよ。なんでも治すというその異能がね」
異能を発揮したのは、過去に二回。
八歳の時、瀕死の景を助けた時。
そして、景と再開した時。
その事まで知られていると思わず、上総をじっと見つめた。
不敵な笑みを浮かべる彼をただぼんやりと見つめた。
(たしかに…私の異能は、自分でも未だ分からない事があるけれど…異様な力だというのは分かる。景さんも、私に助けられたから…だから、結婚するって…助けた私の為なら、って…あれは、そういうこと…だったのかな)
景との関係を改めて考えると、腑に落ちる部分があった。
藤乃は何も言えなくなり、呆然とした。
(景さん…本当に、私ではなく…)
藤乃が堕ちたと確信し、上総はニヤリと口角を上げた。
次の瞬間ーー。
「藤乃っ! その男の妄言に耳を傾けるな!」
「け…い、さん…?」
高い塀を乗り越え、庭に降り立ったのはーー景。
「…全く。人の家に塀を乗り越えて来るなんて、治安会には常識がないのですか」
上総が呆れたように言うが、景も負けじと言葉を返した。
「屋敷丸ごと、幻術をかけて見えなくしていた貴方に常識を問われる筋合いはない。それと…いつまで人の妻の肩を抱いている」
鞘から刀を抜き、構えた。
その面構えは愛しい妻の肩を抱く男に向けられたその双眸に宿るのは、普段の冷静さではない。
愛しい妻に触れる男へ向けた、鬼神のごとき怒りだった。
「人の妻? 藤乃はキミのモノではない。僕の妻となり、子どもを生むのさ。僕の異能と藤乃の異能が重なれば、これほどに強い力は他に生まれない…僕がこの世界の神になるんだ」
和室から景がいる庭の方へ歩み出した。
「戯けた事を…申すなっ!」
藤乃から離れた瞬間、景が鋭い剣裁きで上総に襲いかかった。
見事な太刀筋、身のこなし。
しかし、上総はギリギリのところで避けていく。
「ほう…流石は無能な剣術集団。太刀筋は悪くない」
「おい、訂正しろ。確かに俺は剣技しかない。けれど、部下を無能と申すのは聞き逃せん」
上総の言葉に、こめかみに青筋を浮かべ、景は射殺さんばかりに上総を睨みつけた。
「いやいや。褒めているのさ。まだまだ世界は異能がある者が優勢にも関わらず、それがほとんどないような集団が街を肩で風を切って歩けるのだから」
ニタニタと笑みを浮かべる上総。
「その減らず口、今に閉ざしてやる」
景がそう告げると、太刀捌きは一層鋭くなった。
次第に、上総の表情に余裕が無くなり庭にある石に足を取られると、尻餅をついて転んだ。
「…覚悟」
「景さん…! やめて…! 景さんが人を殺めるところなんて…見たくありませんっ…!」
「っ、藤乃…!?」
藤乃が止めに入った事で、景は目を見開き剣筋に揺らぎが出た。
その瞬間ーー。
「景さん…! 私は、ここです…!」
「…は?」
和室の方から藤乃の声がし、反射的に視線を向けた。
そちらに本当の藤乃がいる。
そして、再び正面に顔を向けると靄に包まれた何かがいた。
「ダメですよ…! ーー命がかかった真剣勝負で迷いなんてあっては」
藤乃に化けた修が、靄の中から出てきた。
彼の手には短刀を握っていた。
その切っ先が、無防備になった景の左胸へ深々と突き立てられた。
「ぐっ…かはっ…」
どくどくと胸から流れる赤黒い血液。
咳き込むと、口からも血が溢れ滴り落ちた。
そのまま背を後ろにして倒れ込んだ。
立派な日本庭園に敷き詰められた白い玉砂利を赤く染めていった。


