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午後八時を過ぎた頃。
景はまだ、公務に追われていた。
(藤乃に約束したが…きっともう、貴子さんと花火を見に行ってるだろう…)
顔には出さないようにしたが、内心のショックは大きかった。
祭りのために設置された治安会本部で何度目かのため息を吐くと、隣にいた千影が口を開いた。
「奥方様と祭りを回れない事、それほど辛いのですか」
「…俺はやはり、現場に出ている方が性に合っている。現場の奴らも暑い中大変だろう。俺も、隊長としてアイツらのサポートへ参る」
景の心を見透かす千影。
あの手この手で抜け出そうとする景だが、それを何度も千影が止めていた。
「何をおっしゃっているんですか。隊長の仕事は、ここでどっしりと構え、不測の事態に我々へ指示を出すことでしょう」
「だが…」
パトロールをすれば、民を自身の手で守れるだけでなくきちんとした理由で藤乃と会える。
そんな浅はかな気持ちは千影にも気づかれており、しっかり見張られていた。
そんな姿を晒していると、「ククッ」と喉を鳴らして笑う声が聞こえた。
二人が視線を向けると、壁にもたれながら面白そうに眺めている男がいた。
治安会特務隊隊長ーー服部 宗介だ。
「…服部隊長。何か?」
先に怪訝な表情をしたのは、千影だ。
「いやぁ、失礼。あまりにも久世隊長は奥方様にご執心な様子だというのが…ククッ。たしか、十年かけて見つけたお方とか。さぞかし、魅了的な女性なのでしょう」
「えぇ。その通りですよ、服部殿」
景がそう返せば、宗介は上唇をペロッと舐めた。
「ほう…それほど魅力的なら、是非とも私も賞味させてもらいたい」
「まさか。いくら服部殿とはいえ、俺はそのようなお言葉を流せるほど、妻のことに関しては心穏やかにいられない」
景の返しに、宗介は面白そうに片眉を上げた。
バチバチと冷たい火花が二人の間を走った。
攻撃隊は、異能ではなく己の剣技で道を切り開いてきた。
一方で特務隊は異能のスペシャリストの集まり。
この二つの部隊は、対極の位置にあり『治安会の犬猿の仲』と称されている。
二人の間にスッと入ったのは調査隊隊長ーー忍足 親盛。
「服部殿、やめないか。久世殿の言う通りだ。自分の奥方を愚弄されて、平然といられる男などおらん。しかし久世殿。あんな戯言を間に受けるでない」
互いにそう伝えれば親盛の手前、二人は口を閉じた。
「チッ…どう思うよ? 清谷殿」
親盛の指摘に、反対側にいる分厚い書物を黙々と読み進める眼鏡の男の肩を抱きながら尋ねた。
「…触れるな。貴様のような女たらし、どのような菌を持っているか分からん汚物だ。私の研究に支障が出る」
治安会医療隊隊長ーー清谷 護が宗介に冷たく言い放った。
つれない態度を取る彼らに、宗介が露骨に不機嫌になっていると外から慌ただしい足音が聞こえた。
「久世隊長っ…人攫いが広場に出ました…!」
「っ、広場だと…!?」
隊員の言葉に、景の表情は険しくなった。
広場は、藤乃と待ち合わせた石段がある場所だ。
嫌な予感が胸を締め付ける。
景は無意識に拳を握り締めた。
「それと清谷隊長…! こちらのご令嬢の治療を施して頂けませんか…! 現場の医療隊は、祭りの参加者に体調不良者が続出し、対応に追われています…!」
「…なんだと」
護が書物から視線を上げると、眼鏡が光った。
隊員に机をベッド代わりにする為、並べるよう指示をしてその上に抱えていた女性を仰向けにした。
横たわった女性を見て景が口を震わせた。
「貴子…さん!?」
「景、様…申し訳ありません…」
肩で息をし、うっすらと目を開ける貴子。
護が腕まくりをし、貴子の前に立った。
その隣で、瞳を赤く光らせる宗介。
「清谷殿。彼女、異能に制限がかかっている…」
「黙れ汚物。お前に言われなくても分かっている」
助言をしたつもりの宗介を見ることなく口早に告げると、顔の前で手を合わせた。
すると、眩い光の粒子が護の手の周りに集まった。
ある程度集まると、それを貴子の顔と手を中心にかざした。
少しすると、貴子がゆっくりと目を開けた。
「…あれ、私」
「ご令嬢。無理はされるな。治療は施したが、念のため今日はもう異能を使わないようになさって下さい」
宗介と話す時とはまるで違う、柔らかな表情で丁寧に告げると先ほどの席に戻って書物に視線を落とした。
「ところで、貴子さん…藤乃は、どこに…?」
貴子に容体に安心すると、視線は自然と彼女の周りに向けていた。
無意識に、藤乃の姿を探していた。
しかし、いくら見渡しても藤乃の姿はない。
「…申し訳ありません。先ほど、報告があったように…人攫いに拐かされたのは…藤乃様です」
貴子は目に涙を浮かべ、悔しそうに唇を噛み締めた。
貴子の言葉に、景は頭を鈍器で殴られるような衝撃を受けた。
「なぜだ…! 広場は、一番警備を厚くしていたはずだ…!」
「…? いえ…花火が始まって、参加者のほとんどが移動していましたし…警備はそちらへ移動したのでは…?」
普段の景とはまるで違う、優しさも冷静さもない険しい表情になった。
貴子は景の言葉に小首を傾げながら答えた。
すると、この話を聞いていた宗介が何かを感じ、窓の方へ駆け寄った。
窓を全開にし、辺りを見渡した。
瞳が赤く光り、会場中の異様な気配に目を見開いた。
「これは…久世殿の言っていた通り、現場へ出ていた方が良かったかもしれない」
「…どういうことです、服部殿」
「これまでの誘拐事件と同じ、証拠の残らない幻術を使った形跡がある」
宗介の言葉を聞いた景の拳が、音を立てそうなほど強く握り締められた。
「ご令嬢。貴女の身には何も…?」
親盛が貴子に尋ねると、こくりと頷いた。
「えぇ…斑目 修は藤乃様を狙っていたようで、私は何も…」
貴子が修の名を出せば、景、宗介、親盛は目を見開いた。
「斑目 修…? それが、藤乃を攫った者の名か…!?」
景が尋ねると、貴子はこくりと頷いた。
「そうかと…藤乃様がそう呼んでいて…いや、でも…変化を使っていたので偽名…? でも、斑目家から勘当とか…」
あの激戦の中の記憶を辿ると、語尾になるにつれ声が小さくなった。
しかし、貴子の口から次々と新たな情報が語られ、その場の空気が張り詰めた。
「清谷殿。ご令嬢に異能を使うのは、体に支障はないだろうか」
「…えぇ。彼女の許可が得られるなら、問題ありません」
親盛が護に尋ねた。
護は書物から一瞬、貴子と親盛に視線を向けて返事をした。
貴子の前に親盛が跪いた。
「ご令嬢。私は調査隊の忍足と申します。ぜひ、この事件の調査にご尽力頂きたいのですが」
「っ、もちろんです。藤乃様をお守りできなかった…だから、絶対に助けて欲しいです…!」
前のめりに返事をすれば、親盛の大きな右手を貴子の額にかざし、そっと目を閉じた。
親盛の手に白いモヤが集まった。
こめかみに汗がにじみ、呼吸が徐々に荒くなっていく。
やがて、額からはびっしょりと汗が噴き出した。
その様子を見つめている隊員達。
異能を使い始めると、他の隊員達がいそいそと紙と筆を用意した。
「…ご協力、感謝します」
数分すると、親盛は立ち上がり隊員が用意した筆と紙を使い見た情報を絵と文字で記していった。
修の名前、変化した前後の姿、そして今まで謎に包まれていた奇妙な異能の仕組み。
見たものから情報を分析した。
「名は斑目 修。変化や姿を消して自在に現れるという奇妙な幻術。このような稀な異能、申請があればすぐに分かる。そして、久世殿の奥方様を狙った犯行であり、身元を隠すために未登録の幻術を用いている。ここまで周到な犯行は、個人よりも組織的な犯行と見るべき…おそらく、『反国勢力』に属する者である可能性が高い」
紙にまとめた情報を読み上げ、親盛が調べた事から犯人組織まで分かると、景は奥歯をギリッと噛み締めた。
「…どちらへ行かれるのです。隊長」
千影が部屋から出ようとする景に声をかけた。
「決まっている。反国勢力の根城だ。これまで、確実な証拠が無かった…だから、捕まえられなかった。今ならアイツらを捕まえる口実も出来た」
「待て、久世殿。あくまで記憶を辿って斑目という男を見つけただけだ。反国勢力というのも、まだ憶測の段階」
「しかし…!」
いつになく冷静さを欠いている景。
親盛が諭すが、背後から「ククッ…」とまた喉を鳴らして笑う声が聞こえた。
「いいではないですか。面白いモノが見れた礼に、我々特務隊が別の事件で集めた反国勢力の品をくれてやりましょう。それを元手に、久世殿が踏み込めば良い。乗り込むに不足ない証拠を揃えてある。いつ乗り込もうかと考えていたところだ」
「服部殿、久世殿を茶化すのもいい加減に…!」
「茶化してなどいない。治安会には優秀な調査隊の隊長様がいる。今回の件も、決定的な証拠を掴むのも時間の問題。証拠を掴んだら、我々も後から追いかける。先陣を切るのは攻撃隊…得意であろう?」
宗介が異能を使うと、別室に保管されていた資料が音もなく彼の手元へと転移した。
それを景に渡せば、顎でクイと扉の方を指した。
「桐谷、お前も行ってこい」
無言で走り去る景の背中を見ながら、宗介が伝えた。
「…当然です」
刀の鞘をぎゅっと握り、千影も景の後を追いかけた。
「全く…会長や総隊長の指示もなく、勝手な事を…」
「まぁまぁ。会長や総隊長も早急な事件解決を望んでいるではないですか…さて、久世殿にだけ手柄をやるわけにはいきません。情報収集の続きを致しましょう」
世の中を不安で渦巻いてる事件の終焉に、また一歩近づいた。


