☆☆☆
二週間経つと、藤乃も久世家での生活に慣れていた。
教育で身につけた事も増えていき、教育の時間は少しずつゆとりができていた。
空がオレンジ色に染まる頃には、自室で復習する時間ができるほど。
筆を取り文机に向かっていると、玄関が開く音が聞こえた。
「お客様かしら…?」
この時間、使用人たちは夕食の支度で手が離せない。
藤乃は筆を置き、代わりに玄関へ向かった。
そこにいた人に目を丸くした。
「ただいま戻った」
「お…お帰りなさいませ」
いつも夜遅くに帰ってくる景がこの時間に帰ってくるのは珍しかった。
使用人たちも、景がこの時間に帰るとは思っておらず、夕食の支度を続けていた。
「これほど明るいうちに帰れたのは、随分と久しい。おかげで、帰ってから藤乃の顔を見られた」
「っ…そ、そのようなお戯れを…」
「ふざけてなどいない。本心だ」
くすり、と笑い藤乃の反応を愛おしく思うと屋敷へ上がり手招きをした。
「夕飯まで時間があるだろう。少し、部屋で話さないか?」
「は、はい…」
景の後ろをついて歩くと、景は屋敷の奥にある自室の襖を開けた。
初めて見る景の部屋は、仕事に関連する物が多いが、整理整頓されており几帳面さを物語っていた。
「適当に座ってくれ」
「は、はい…」
景にそう言われると、遠慮するように部屋の隅へ正座した。
景の部屋にあるものは、書物、剣の手入れをするための道具、仕事に関する書類。
どれも見慣れず、思わず当たりをキョロキョロと見渡した。
特に、本棚にある書物に興味が惹かれジッと見つめていると、クスッと笑い声が聞こえた。
「それほど気になるか?」
「あっ…も、申し訳ありません…! 人様の部屋をジロジロと…」
「謝らなくていい。どれが気になる?」
本棚に気を取られている隙に、景は隊服から着物へと着替えていた。
本棚の近くへ行けば、手招きをした。
「どれ…と、おっしゃられると…」
本棚を端から端まで眺めていると、一冊だけ色鮮やかな表紙が目に留まった。
「これ…」
「ん? あぁ、藤乃を探している時にどこを探そうかと思って調べていたんだ。若い女性が好む場所や他にもいろいろ書いてあって参考になった」
藤乃がパラパラとページをめくるのは、色々な情報が記載されている女性誌。
帝都にある店やハイカラな服に化粧品など、藤乃が心を掴まれるのが早い内容となっていた。
黙々と雑誌をめくる手が止まらずにいると、景はまた笑みをこぼした。
「明日、帝都へ参ろうか」
「分かりました。みなさんにお伝えしておきますね。お帰りは何時ごろになりますか?」
「…? 藤乃も行くぞ?」
使用人達に情報を共有するものと思っていた藤乃の様子に、景がの首を傾げた。
「えっ…! わ、私も…ですか?」
「この間、街へ行かなかったからな。街よりは遠出だが、久しぶりに俺の非番と藤乃の勉強もない日だ」
景の言葉に目を丸くした。
以前、体調を崩してから今日まで景と藤乃の予定が合う事はなかった。
体調不良だったこともあり、呆れられてもう何処かへ出かける事もないと思っていた。
「で、でも…用事がないのに、行ってもよろしいんですか…?」
まだ、勉強しなくてはならない事もある。
それなのに、帝都へ行くという事に罪悪感があった。
「用事ならあるだろう」
「えっ…?」
「今読んでいる雑誌のモノ。欲しい物ができたのではないか? それを見に行こう」
景にそう言われると、途端に雑誌から目を逸らした。
欲しい物ばかり見ていると思われるのが、恥ずかしかった。
「景様。お食事の用意ができました」
外から声が聞こえると障子の方に目をやり「あぁ、すぐに参る」と答えた。
景の返事を聞き、使用人の足音が遠くなれば藤乃の方を見た。
「どうだ? 一緒に帝都へ行かないか?」
「は、はいっ…よろしくお願いします」
嬉しそうに藤乃が答えれば、景も目を細めて立ち上がった。
二人は茶の間の方へ向かった。
☆☆☆
翌日、朝食を終えると帝都へ出かける準備をした。
着替えを終え、いつも以上に化粧に時間をかけた。
(景さんの隣を歩くんだもの…恥ずかしくない格好をしないと)
鏡の前で最後の確認をすれば部屋を出て玄関へ向かった。
藤乃の足音に気付くと、そちらへ視線を向けた。
いつもより華美になっている藤乃に目を丸くすると、息を飲んだ。
「景さん…?」
あまりにもジッと見る為、藤乃はこてんと小首を傾げた後頬を赤らめた。
「あ、あの…変、ですか…? 私なんかが、こんなの…」
景の隣にいて恥じない女性であろうとした事が、仇となったと思い恥ずかしさから耳まで赤くした。
「いや…すまない。見惚れていた」
「へっ…!?」
今度は、嬉しさと恥ずかしさの感情が相まって茹蛸のようになった。
「まぁ…藤乃様、とてもお綺麗…」
ふと、使用人が口にするほどだった。
「…それでは、参ろう。行って参る」
「行ってきます」
挨拶をして玄関を出るなり、景が藤乃の手を優しく握った。
「景、さん…?」
いつもなら、断りを入れてからする。
それを突然されると、彼の背に向かって声をかけた。
「本当…誰の目にも触れさせたくないほど、綺麗だ」
「っ…」
景の言葉に、藤乃はまた頬を染めた。
ふと前を歩く景を見る。
後ろから見える耳は、ほんのり赤く染まっていた。
前を向いて、藤乃の歩幅に合わせながら階段下に呼んである車まで向かった。
☆☆☆
「それでは、景様、藤乃様。またお迎えにあがります」
車に揺られる事、数十分。
自然豊かな景色から栄えている帝都までやって来た。
運転手に軽く会釈をすれば、車は走り去った。
「わぁ…!」
車から帝都の街並みに目を向けると、自然と藤乃の口からは感動が溢れた。
石畳の大通りには、人々の笑い声と、異能で灯された街灯が並んでいた。
「藤乃」
景色に圧巻され、キラキラと目を輝かせていれば名前を呼ばれて景の方を見た。
彼は優しい表情で手を差し出していた。
「人で賑わっている。はぐれたら大変だ」
そう言われると、彼の手を握り返した。
「藤乃。どこへ参りたい?」
「えっ…場所、ですか…?」
昨日、雑誌を読んだのに行きたい場所については見当がつかなかった。
あまり雑誌を見ては、物欲しそうにしていると思われるのが恥ずかしかった。
考えても思い浮かばないまま、口を開いた。
「私は、まだ帝都の事がよく分からなくて……。景さんがお勧めしてくださる場所へ行ってみたいです」
「…そうか。それなら、行きたいところがあるから着いて来てもらおう。少し歩くから、途中寄りたいところがあればそこへ行こう」
二人は目的地へとゆっくり進み始めた。
景に手を引かれながら、藤乃は帝都の街を歩き始めた。
この日が、忘れられない一日になるとは、まだ知らない。
「隊長。お疲れ様です」
二人で話しながら歩いていると、すれ違う隊服姿の男性達。
部下から慕われる景が伺えた。
「久世様。先日はありがとうございました」
「おっ、隊長さん! 今日はデートかい?」
「後でここも寄って下さいな」
一つの隊を任されていながら、景直々に現場へ出向く事もある。
そして、ホテルで藤乃を助けたように、他の人も助けている為、色々な人が景に話しかけた。
色んな人から慕われる景を、藤乃は自分のことのように思い胸が温かくなった。
「景さんは、本当にすごいお人です」
「ん? そうか?」
色々な人を助け、慕われる人柄にいてもたってもいられず素直に口にした。
しかし、景自身はそれを特別と思っておらずきょとんと不思議そうにした。
「はい…!」
こくりと大きく頷き、笑みを浮かべれば景の口元が緩み誇らしそうにした。
そんな時、ふと視線を店の方に向けるととある物に目を奪われた。
(わ…! 綺麗…)
ガラスのディスプレイに飾られている髪飾り。
淡い紫色の紫陽花を模した髪飾り。
光を受けるたび、きらきらと繊細な輝きを放っていた。
キラキラと輝いており思わず足を止めてじっと見入った。
「…藤乃によく似合いそうな髪飾りだ」
「へっ…!?」
「この店に入るか? 試しに着けさせてもらおう。気に入れば、買おう」
藤乃の足が止まった事で、先に進もうとした景が引っ張られた。
振り返ると、何かをじっと見つめる妻。
その視線の先を見て、目を細めて笑みを浮かべた。
「い、いえっ…そんな…」
「遠慮する事はない」
「や…あの…わ、私はっ…ああいうの、似合いませんからっ…」
店先に飾られる髪飾り。
それは、店を代表しているような物。
外から見える場所に飾られるような立派な代物を身につけられるほどの自信を、藤乃は持ち合わせていなかった。
再び足を進めた少し先で、景はぴたりと足を止めた。
「ここだ」
「洋服…?」
景が行きたがっていたのは、ハイカラな洋服を売っているデパートメント。
店内には、流行の装いをした若い女性たちが楽しそうに洋服を選んでいた。
「藤乃には今後、俺の付き添いで社交会に参加してもらう事が多くなる。だから、ドレスを選んでもらいたくて」
「ドレス…?」
「そうだな…あぁ、ちょうどあちらのご令嬢が着ているものだ」
着物しかもっていない藤乃が、聞きなれない言葉に小首を傾げた。
店から出て来た若い女性を指すと、藤乃は目を見開いた。
派手な濃い桃色を基調としたレースのついたドレス。
身につけているのは、キラキラと輝く石の付いたアクセサリーにヒールの高い靴。
煌びやかで堂々と歩く女性に目を奪われた。
「久世様。本日は当店へのご来店、誠にありがとうございます」
女性に見惚れていると、店内から出て来た洋装の店員に声をかけられた。
景が軽く会釈をした後、口を開いた。
「妻に合うドレスをいくつか見繕ってもらいたいのですが」
「はい。当店が喜んで、ご対応させて頂きます」
店員がニコッと笑って言うと、景は藤乃の背中に軽く手を当てた。
「藤乃。俺がいたらゆっくり決められないだろ?」
「えっ…そ、そんなことは…」
「少し外すから、好きなものを伝えてくれ」
そう言ってから店員へ向き直る。
「あぁ、それと小物も一緒に見繕っていただけますか」
「はい。もちろんでございます。さぁ、奥様。こちらへどうぞ」
藤乃を店員に任せると、景は手を振って見届けた。
藤乃はそのまま、店員と店の奥へ進んだ。
店内へ入ると、鮮やかな洋服に目移りした。
(綺麗…可愛い…。すごい、私がこんな所にいるなんて…)
目を輝かせて自然と笑みが溢れると、前を歩く店員がくるりと振り返った。
「奥様、好きな色はございますか?」
「好きな色…ですか?」
言葉に詰まり、辺りを見渡すと一つのドレスに目を奪われた。
淡い紫色と水面のように透明感のある青を基調としたドレス。
上質な生地で仕上がりも美しい。
(あれ、綺麗…でも、私には…)
視線を落とし口を開いた。
「…特にはございません」
「左様でございますか…では、旦那様のお好きな色に合わせる、というのはいかがでしょうか?」
「景さんの…それはとても素敵です」
店員の名案に目を細めると、店員の表情もぱぁっと明るくなった。
「えぇ! それでは、旦那様のお好きな色を伺えますか?」
「は、はい…景さんの好きな…色…」
景に喜んでもらえるならと前向きな気持ちになれたけれど、言葉が出なかった。
景の好きな色ですら、知らなかった。
(景さんは私のことを気にかけて下さるのに…私は…)
何かを察すると、店員は口を開いた。
「夫婦は、長い時間共に歩むものです。これからたくさん、お互いの事を知っていけばよろしいのです」
「え…?」
「今日は久世様から承った通り、私の見立てで選ばせて頂いてよろしいでしょうか?」
店員の言葉にこくりと頷けば、次々とドレスを運んできて、鏡の前で小さなファッションショーが始まった。
☆☆☆
「隊長。お疲れ様です」
藤乃を洋服屋に任せると、景は近くの店で買い物を済ませた。
店を出たタイミングで声をかけられ、そちらに視線を向けると景も口を開いた。
「千影。異常はないか?」
「隊長、今日は非番です。何かあれば、私が対応します。今日は休む事に専念なさって下さい」
千影がそう返せば、景は
「そうだが…千影と二人だと、やはり街の治安が気になってな…」
「せっかく奥方様と過ごせるよう、非番の調整をしたのに肝心の奥方様はどうしたんです。一人でこの店に…って、何かした代わりに貢物ですか?」
真剣な表情で答える景に、千影はため息をこぼした。
客層の九割以上を若い女性が占める小物屋から出てきた上司。
その手には木箱に入った品物もあり、そう返した。
今日の非番は、以前から決まっていたわけではなく突発的だった。
景は周囲に気を回すばかりで、しばらくまともな休みが取れておらず千影の勤務と代わったのだ。
「そんな事はない。藤乃は、怒るより先に謝ってしまう人だからな」
「…そうですか。とにかく、今日はしっかりとお休み下さい。あの事件、夏祭りまでに解決しないといけません。人混みの中では、騒動が起きても時間を有します。明日からもまた、忙しくなりますから」
「…分かっている」
千影から出た言葉に、途端に表情が厳しくなった。
最近、帝都では若い女性を狙った誘拐が発生している。
攫われた女性達は一日ほどで解放されているが、そのような事があれば心に傷を負ってしまう。
幻術を使った誘拐の為、証拠が残らず警察と治安会は難色を示している。
「それじゃあ、俺は妻を待たせているからそろそろ行く」
「はい。失礼します」
千影が敬礼すれば、景は洋服屋へと戻った。
「まぁ…! 奥様、とてもお似合いです…!」
「そ、そう…ですか…?」
景が洋服屋へと戻ると、藤乃を任せた店員の声がして遠目から二人の姿を見た。
藤乃の姿を確認すると、息を飲み目を見開いた。
彼女は全身を純白のドレスで包まれている。
それは、彼女の溢れる透明感や儚さを象徴するようだった。
彼女への愛おしさが増すと、ゆっくりと近付いた。
「あれも…良さそうだ」
彼女の姿に吸い込まれるように足を動かしていたが、一際存在感を放つドレスに視線が揺らいだ。
淡い紫色と水面のように透明感のある青を基調としたドレス。
飾られているドレスを見て、藤乃が着ている姿が自然と頭に浮かんだ。
「…あれも、きっと似合う」
一言ぼそりと落とした。
「け、景さん…っ」
ドレスの試着をして、たくさん褒めてくれる店員に恥ずかしくなって視線を逸らすと、気になっていたドレスを見ている景。
藤乃が向ける視線の先に気付くと、店員が景の元へ近付いた。
「久世様。いかがです? 奥様、とてもお綺麗ですよ」
「あ、あぁ…とても綺麗です」
店員の言葉を素直に口にすると、藤乃の顔がみるみる赤く染まった。
「あの、此方の試着はもうしましたか?」
店員にそう尋ねると、首を横に振った。
「いえ、あちらはまだ…奥様。旦那様もいらっしゃる事ですし、あちらも試着致しましょう」
「えっ…で、でも…私には、派手すぎませんか…?」
気にはなっていたものの、似合わないであろう自身の姿を勝手に想像すると苦笑いしながら言った。
そんなことはない、と店員が否定する前に景が口を開いた。
「似合う。ぜひ、その姿を見せてくれないか?」
「っ…景さんがそう仰って下さるなら…」
景の期待に応えるべく、こくりと頷けは店員がドレスの準備をした。
カーテンを閉めて着替え終えると、顔だけひょっこりと出した後、ゆっくりとカーテンを開けた。
そこに立っていたのは、まるでそのドレスが藤乃のためだけに仕立てられたかのような姿だった。
恥じらいながら立つと、景は息を飲んだ。
「…綺麗だ」
そう呟けば、しばらくじっと藤乃を目を細めて見つめた。
「ぜひ、そのドレスも購入しよう。…誰にも見せたくないほど綺麗だ」
「そ、そんなこと…!」
慌てて首を横に振るが藤乃は小さく口を開いた。
「でも…景さんにそう思ってもらえる物を身に纏えて光栄です」
頬を赤く染めもじもじと指先を動かすと、その空間は甘く朗らかなものになった。
☆☆☆
「ありがとうございました。後日、ご自宅まで伺います。また、奥様にお似合いの品が入りましたらそちらもご一緒にお待ちします」
「はい。お願いします」
「ありがとうございました…!」
店の出入り口まで見送られると、景と藤乃は店員に頭を下げて店を後にした。
その後も、何点か試着をして全てを購入する運びとなった。
店を出れば、景が自然と藤乃と手を繋いだ。
手を繋げば、彼の大きな背中に藤乃が言葉を投げた。
「あの、景さん」
「どうした?」
振り返るように顔だけ藤乃へ向けながら、そのまま歩みを進めた。
「あの…申し訳ありません。高価な物をあんなにも買って頂いて…」
「謝る事はない。俺が見たくて買ったんだ。藤乃が見事に着こなす姿を想像して、な」
クスッと小さく笑えば、藤乃に目を向けた。
「それでも、まだ悪い気がすると言うのであれば…そうだな。一つ、頼みを聞いてもらおうか」
「は、はい…! 私に出来る事なら、なんでも…!」
景の言葉に心が救われるようだった。
パッと表情が変わると、景の言葉に耳を傾けた。
「届いたら、まずは俺の前で見せてくれ。他の誰でもなく、俺が全部見たい」
真面目な顔でそう告げる景に、頬へ一気に熱が集まる。
「は、はいっ…それは、もちろんでございます」
「うん、それでいい。それさえ聞ければ、藤乃が他に気負うことはない」
(本当にお優しい方…)
心が温かくなると、自然と笑みが溢れた。
「今日はもう帰ろうか。日が傾き始めている」
西日に染まった街並みを眺めながら、藤乃も「はい」と頷いた。
「あっ…」
「藤乃? どうした?」
視線を彼の背中に戻そうとした時、藤乃が気になっていた髪飾りを売っていた店が視界に入った。
しかし、店にはもうあの髪飾りは無くなっていた。
(素敵だったもの…きっと、私なんかより他に似合う方の手元にあるんだわ)
そう自分に言い聞かせれば首を横に振った。
「何でもございません」
未だ、本当の事は言えず彼に着いて歩き、帰り道を歩き始めた。
☆☆☆
運転手と合流し、屋敷に着くと階段を登った。
「お帰りなさいませ。景様、藤乃様」
「ただいま戻った」
「た…ただいま戻りました」
屋敷に入れば、使用人達に迎え入れられた。
「お食事はもうできますので、またお呼びいたします」
「分かりました。お願いします」
景がそう伝えると、二人は各々の部屋へ向かった。
「あの、景さん。今日はありがとうございました。とても楽しい一日を過ごせました」
自室に入ろうとした瞬間、藤乃が景にそう伝えると、その表情は今までに見たことがないくらい朗らかだった。
「俺の方こそ、とても楽しい時間だった。藤乃…これを受け取ってくれないか」
そう言うと、景は手にしていた木箱を藤乃に差し出した。
「これ…私に、ですか?」
「あぁ。今日付き合ってくれた礼に。開けてみてくれ」
両手で木箱を受け取り景を見上げると、彼は優しく目を細めて微笑んだ。
こくりと頷いて開けると、中の品物に目を見開いた。
「景、さん…これ…」
「よく似合うと思ったんだ。藤乃も気になっているようだったから」
中に入っていたのは、淡い紫色の紫陽花を模した髪飾り。
あの時、藤乃が足を止めて見つめていた、淡い紫陽花の髪飾りだった。
「そんな…ドレスをいくつも買っていただいたのに、髪飾りまで…」
今日だけでいくつも貰った贈り物に、気が引けた。
しかし、それを察した景がふっと軽く笑った。
「ドレスは必要なもの。だから、買った。そして髪飾りは、俺に付き合ってくれた礼。何も気にする事はない」
優しく愛情のこもった言葉に、藤乃は自然と笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「ありがとうございます」
木箱をぎゅっと握って伝えると、景が口を開いた。
「付けてみていいか?」
「は、はい…お願いします」
こくりと頷いて木箱を差し出すと、景は壊さないようにそっと持ち上げた。
優しく手に取り、藤乃に付ければ笑みが溢れた。
「うん…やはり、よく似合う」
「ありがとうございます」
細く長い髪をそっと撫でる。
髪飾りを身につけた藤乃は、やはり誰よりも美しかった。
その姿を見つめるたび、彼女への愛おしさは静かに募っていく。


