☆☆☆
あれから十年の時が流れた。
「…よしっ」
午前四時。
陽が登り始め、辺りが照らされ始めた頃。
藤乃にとって、この屋敷で使用人として働くのも、おそらく今日が最後。
だからこそ、誰よりも早く身支度を整えた。
「…あら、藤乃ちゃん。おはよう…随分と早いわね」
「おはようございます、千代さん」
藤乃が一番に台所へ入り作業の準備をしていると、次に入ってきたのは使用人の千代。
千代は、幼い頃から藤乃を実の娘のように可愛がってくれた数少ない存在だった。
「いいのよ、今日くらい。もう一度お休みなさい…お昼から、でしょう?」
「えぇ、そうなんですけど… みなさんには随分とお世話になりましたから。今日くらいは、一緒に過ごす時間を大切にしたくて」
千代の気遣いに首を横に振る藤乃。
藤乃は十八歳になり、縁談の話が舞い込んだ。
相手は、幻術に長けている一族・斑目家。
「藤乃ちゃん。本当にいいの? 貴女まだ十八でしょう?」
千代が心配するのも無理はない。
藤乃がまだ十八歳な事と縁談相手が四十代後半の男だからだ。
「もう十八、ですよ。それに、斑目一族と親戚関係になれるなんて…これ以上に水瀬家に貢献できる事はありません」
味噌汁をよそいながらそう答えた。
「藤乃ちゃん…あなた…」
「私…やっぱり治癒術を使えませんでしたから…せめて、斑目家に嫁ぐ事ができれば…あっ。そろそろ御膳の準備をして参ります」
一通りの作業を終え、他の使用人達が入ってくると千代との話を終えた。
そして、当主と佳乃が過ごしている屋敷へ向かった。
(千代さんが心配してくれるのは有難い…けれど、私にはこの道しか残っていない)
屋敷へ向かう足を一瞬止めると、着物の襟元をぎゅっと握った。
自分に残された最後の道を自覚しているからだ。
屋敷に入り、茶の間へ向かい食事ができる準備を始めていると、襖が開いた。
「お…おはようございます。お父様」
「…あぁ」
茶の間に入ってきた当主に深々と頭を下げて挨拶をした。
特に構う事なく席に座り、しばらく無言の間が続いた。
実の親子といえ、藤乃は当主に対する恐怖心で心の中はいっぱいだった。
☆☆☆
「藤乃ちゃん! 藤乃ちゃーんっ!」
十年前、男性から逃げて走っていた時。
千代の声が遠くに聞こえた。
「千代さん…千代さんっ!」
必死に声を辿って、千代の姿を探して強い力で抱きついた。
藤乃が柵から落ちた事は、屋敷の中ですぐに問題になっていた。
その後、すぐに承認が藤乃を探していたのだ。
「さぁ、屋敷へ戻りましょう」
そう言って、藤乃の手を握り二人は屋敷へ戻った。
屋敷へ繋がる階段を登ると、陽が傾き普段なら閑静としているが使用人の屋敷の方が騒がしかった。
「あれはお前の仕組んだ事か」
当主が華恵に凄んでおり、揉めていた。
「違います…! 私はそのような事…!」
詰め寄る当主に、華恵が必死に答えるが使用人の一人が口を開いた。
「藤乃ちゃんに、前から酷い事をしていたじゃないですか…!」
「実子にあのような事…! 許されません!」
「それに、見てましたよ…! 裏庭で藤乃ちゃんを突き飛ばして柵が壊れて落ちるところを…!」
口々に華恵を責める文言ばかり。
しかも、目撃していた者もいて華恵の逃げ場は無くなってしまった。
だんだんと声が大きくなったところで、当主が片手を上げた。
「もういい。ーー華恵。今晩中に屋敷から出て行け」
「…え?」
華恵が絶望した表情で、ぽかんと当主を見つめた。
「そんな…どうして…」
「どうして? 決まっているだろ、水瀬家の娘に手をかけた。その罪は重い。すぐに能力を開花させられない不便な思いをさせた上に殺そうとするなどーーお前は母親失格で、この屋敷にいるだけで士気を下げている」
冷たく言い放つと、当主は屋敷に戻ってしまった。
藤乃が母に「さようなら」を伝えることすらできなかった。
☆☆☆
「藤乃」
当主と二人でいると、過去の事を思い出してしまう。
過去に母が追い出された事で、藤乃にはいつか自分も同じ事をされるのではという恐怖でいっぱいだった。
「は、はいっ…」
返事をすると、声が震えてしまう。
「今日の縁談、必ず成功させて来なさい。そうすれば、藤乃にとって一番の功績だ」
「…はい」
「やはり、娘で良かった。能力がなかったとしても、良縁の架け橋となるのだから」
当主が藤乃を今日まで水瀬家に残した理由。
それは、水瀬家の利益の為。
父から愛されていると思っていた時もあった。
しかし、そういうわけではない。
七歳を過ぎても能力が開花する極稀な例に望みを託していた。
しかし、その期待は一日、一年と時を重ねるごとに薄れていった。
「…はい。勿論でございます」
「もし破談になっても構わん。水瀬との縁を望む家は他にもある…それなりのところで、落ち着けば問題はない」
「精一杯、務めさせて頂きます」
畳に手をついて深々と頭を下げると、御膳の準備を終えた事もあり部屋を出た。
「あら、お姉様。おはようございます」
「佳乃…様。おはようございます」
部屋から出ると、茶の間へやって来た佳乃に挨拶をした。
佳乃は、十年経って術に磨きがかかった。
早くも当主と互角かそれ以上の能力を身につけたと言われている。
更に、容姿にも恵まれて佳乃の事は帝都中で知らない者はいない。
「嫌だわ、お姉様。妹の私に様だなんて」
クスっと笑う佳乃。
藤乃が恐る恐る目を合わせると、佳乃はそっと耳元に顔を近付けた。
「まぁ…私とお姉様では格が違いますからね? 萎縮するのも分からなくはありません」
「っ…」
佳乃の言葉に、ビクッと肩を振るわせる藤乃。
再度、距離を離すとニコッと笑った。
「そんなに緊張なさるなんて…そうだ、今日はお見合いの日…なんでしょう?」
「え、えぇ…そう、です…」
佳乃がまた耳元に口を近付ければ、一層小声で呟いた。
「お父様と同じくらいのお歳だとか。お姉様って、そんなのにしか相手にされないって…本当、お可哀想」
「っ…!」
佳乃の言葉にぎゅっと唇を噛み締めた。
誰かと物語のような素敵な恋ができる事を望まないわけではなかった。
心が躍るような、そんな情熱的な恋ができるかもという可能性が頭をよぎらなかったわけでもない。
ただ、自分にはーー誰かを選り好みするような権利は、ない。
顔を離すと、また愛想の良い笑顔で口を開けた。
「頑張ってくださいね? お姉様の縁談話がまとまれば、一層水瀬家は地位が高くなりますっ。そしたら私も、もっともーっと術を磨きますね」
「え、えぇ…」
藤乃が歯切れ悪く返事をすると、佳乃はクスッと笑った。
「お姉様、襟元が曲がってます」
「あ、ありがとう…」
襟を正す為に、藤乃に一歩近づいた。
そして、クスりと嘲笑い口を開いた。
「せいぜい、おじさまに気に入られてくださいね」
そう呟くと、直した襟元を掴んで軽く押された。
体制を崩した藤乃に目をくれることもなく、茶の間に入っていった。
この会話、当主に聞かれるかもしれない。
藤乃への嫌がらせは、八歳の頃からずっと変わっていない。
そして、このやり口は他の人には知られていない為、佳乃の評判は鰻登り。
世間が知るのは、出来損ないの無能な姉と、水瀬家始まって以来の天才と称えられる妹。
それだけだった。
「まぁ、藤乃ちゃんっ!? まだ働いてるの!?」
「茶の間の準備をしておりました」
屋敷から出て、使用人の屋敷に戻るといつもより騒がしかった。
そして、藤乃を見つけるなり駆け寄ってくる使用人達。
「そうじゃなくて! 今日は縁談の日でしょう! それなのに、こんな朝早くにせっせと働いてちゃ疲れた顔で会っちゃうじゃない!」
「え…で、でも…」
「今日くらいは休みな! そのために、私ら全員休みを返上してるのさ!」
年配の使用人の圧に負け、自室に押し込まれる藤乃。
藤乃は、この屋敷でみんなと過ごす最後の日になるかもしれないと思っていた。
しかし、それは使用人達も同じ。
藤乃が最高の結果を残せるようにと働いてくれたのだ。
「私、何をすれば…」
七歳を過ぎた時から、家のためにと一生懸命働いてきた藤乃。
そんな彼女にとって、休まなければいけないという状況は酷だった。
「とりあえず…」
ぼそりと一人で呟くと、押し入れに片づけた布団をもう一度取り出した。
布団の中に入っても、そんなすぐに寝れるわけがない。
そう思っていたけれど、十分しないうちに寝息を立てた。
自分では気づいていなかった。
心も身体も、とっくに限界だったことを。
しかも、今日の縁談に緊張していることもあり、よく眠れなかったのだ。
☆☆☆
「っ…私、寝てた…?」
どれくらいの時間眠っていたのか分からないが、布団の中に入るとあっという間に夢の世界へ入っていたようだ。
そして、ハッと目を覚ますと眠ってしまったことに慌てた。
「…藤乃ちゃん」
「は、はいっ…」
襖越しに声を掛けられると、慌てて返事をして布団から飛び起きた。
藤乃の返事に使用人が襖を開けた。
「もう…今日くらい良いの」
藤乃の慌てる様子にくすりと笑う使用人。
「そろそろ準備しましょうか。私達が、とびっきり藤乃ちゃんを可愛くするわね」
そう言うと、襖を全開に開けて他にも二人使用人がいた。
「可愛くなり過ぎて、見合い相手どころか他の人も藤乃ちゃんに釘付けになるかもね?」
「ちょっと。それじゃあダメじゃない」
冗談を交えながら賑わう会話に、藤乃も笑みが溢れた。
「さっ! 始めるわよ」
使用人がそう声をかけると、まずは布団を片付けた。
藤乃を化粧台の前に座らせて、うっすらと化粧をし始めた。
髪を結い、どんどん整えられていく中、使用人達は藤乃の後ろで口々に開いた。
「この髪飾り良いんじゃない?」
「あら、今日初めてお目にかかるのにそれじゃあ地味でしょ」
「うーん。それじゃあこっち? あら、どっちも似合うわね。藤乃ちゃんはどっちが良い?」
「え、えっと…それじゃあ、私は…」
藤乃が指定した髪飾りで仕上げた。
着物を選ぶ時も、また藤乃の後方で盛り上がっていた。
「黄色いいんじゃない? お日様のようだもの」
「それより、赤を基調とした花柄の方がいいわよ。素敵じゃない」
「もう、二人とも。藤乃ちゃんにはこれがぴったりでしょう?」
自分の為に、それほど真剣に選んでくれる使用人に嬉しくなると口元が緩んだ。
使用人が選んだのは、シンプルだけれど高貴な藤色の着物。
「…あら」
「確かに、藤乃ちゃんらしい」
藤乃の名前にも入っている『藤』がピッタリなのと、彼女のイメージによく似合っている事から皆の意見は一致した。
使用人達は、美しく着飾った藤乃の姿を見て、満足そうに何度も頷いた。
「まぁ…! 本当、可愛らしい…」
「ほんとねぇ。でも、寂しいわ…これじゃあ、本当に嫁いで行っちゃうんだもの…」
藤乃を見て、しみじみと思っているとまだ会ってもいない相手の元へ嫁ぐ事を想像し、涙ぐんでいた。
「みなさん…本当にありがとうございます」
胸いっぱいに幸せな気持ちになると、深々と頭を下げる藤乃。
「ちょっと、それじゃあ本当に今日が最後みたいじゃない」
「藤乃ちゃんはそれを望んでいるのよ…水を差すような事、言ってはいけないわ」
「藤乃ちゃん…どんな結果だとしても、私達は大歓迎だから…!」
「辛くなったら、いつでも帰っておいで」
藤乃にそう伝えると、再度藤乃は頭を下げて当主の元へと向かった。
「…お父様。藤乃、用意が整いました」
当主の書斎の襖の前に正座をして外から声をかけると、中から短く返事が聞こえて襖が開いた。
「参ろう。下に車を呼んである」
「ーーはい」
藤乃と目を合わせる事もなく、三歩先を歩く当主。
使用人が褒めてくれた姿に触れる事など勿論ない。
伏し目がちになりながら玄関へ向かえば、向かい側から佳乃が歩いて来た。
「お父様、お姉様。いってらっしゃいませ」
当主の手前、塩らしくそう言っていたが藤乃とすれ違いざまぼそりと呟いた。
「馬子にも衣装、といったところですね。着物が一人歩きしているようですけれど」
意地悪く、にやりと口角を上げる佳乃。
『とても素敵よ』
『すごく可愛らしいわ、藤乃ちゃん』
しかし、その瞬間藤乃の脳裏には自分の為に時間を費やしてくれた使用人、綺麗に仕上げてくれた事、今までお世話になった事ーー色々なことが頭をよぎった。
「あ、あのっ…」
佳乃が通り過ぎようとした瞬間、思わず声が出た。
このような事は初めてで、佳乃は少し目を大きく見開き息を飲んだ。
「…何かしら、お姉様?」
しかし、すぐにいつも通りの笑顔になった。
ただ、藤乃だけに見える佳乃の表情は黒く凄まじいものだった。
その表情に、ビクッと肩を振るわせると藤乃は俯いた。
「い…いえ。なんでも…」
「…そう。お姉様、頑張ってくださいね?」
満足そうに微笑むと、そのまま自室へ戻っていった。
「旦那様、藤乃様。本日はよろしくお願いいたします」
屋敷から出て、階段を降りた先に停まっている黒の高級車。
当主と藤乃が降りてくると、後部座席を開けて一礼をした。
「あぁ」
「よろしくお願いします」
二人が車に乗ると、運転手も乗り込み走り出した。
車に乗って遠くへ行くという経験は、藤乃にとって初めての事。
早く流れていく景色を不思議に呆然と見ていると、当主が口を開いた。
「藤乃。斑目家は大変、お前の事を気に入ってるそうだ。余程の事をしない限り、この縁談は上手くいく」
「…はい」
当主の言葉に、弱々しく返事をした。
車窓から見える景色が、自然豊かな緑から機械的で人口が増えていくと、だんだんと目的地に近づいている事を察した。
街並みを見るのを止めると、重厚で苦しい空気が続いた。
「…お待たせいたしました、当主様、藤乃様。こちらになります」
車が停まり、運転手がそう告げた。
運転手が降り、車のドアを開けると目の前に立ちはだかる大きな建物。
思わず見上げると、その建物は首が痛くなるほど高かった。
「これが…帝都…」
思わず、呟いてしまうほどに。
街には、着物姿の人だけでなく西洋の服を身につけてた者も多数いる。
どこからか漂ってくる珈琲の香り、焼きたての香ばしいパンの匂い。
若者を中心に、ハイカラな身なりをした女性達。
同い年のはずなのに、彼女達は弾けんばかりの笑顔。
藤乃には、自然に出すことのできない表情だ。
「藤乃。斑目家はもう着いているはずだ。参るぞ」
「は、はい…お父様」
藤乃にとって珍しい建物を見ていると、後ろから呆れたように口を開く当主。
建物を見るのを辞めて当主の後ろをついて歩く藤乃。
ホテルの入り口へ近付くと、くるくると回る回転ドア。
当主は難なくドアの流れに沿って、中へ入る事ができた。
「っ…お、お父様っ…ま、待って…」
しかし、回転ドアを初めて見た藤乃は当主の後に続く事ができなかった。
藤乃の声は当主に届かず、振り返る事もない。
藤乃がなかなか中に入る事ができずにいると、後ろにいた者が次々に中へ入って行った。
他の者が滞りなく進む為、ホテルの係の者も藤乃の戸惑いに気付かない。
時折、中は入れない藤乃の事を軽蔑したような目で見る者までいた。
その視線に、罪悪感と無力感で押しつぶされそうになっていた。
その時。
「失礼。何かお困りでしょうか?」
「…え?」
隣から全身を黒で包む制服を着た長身の男に声を掛けられた。
「あ…いえ。その…」
回転ドアを通れない、と初対面の男性に伝えられなかった。
皆が当たり前のように通るドアを通らないと言えば、この男性の笑顔もきっと消えて蔑むような顔になってしまう。
藤乃がちらり、とドアの方を見るだけで口を閉ざしていると男性もドアを見て顎に手を添えた。
「ご令嬢。申し訳ないが、手を貸して頂けないだろうか」
「え…? 手、ですか…?」
男性に言われ、藤乃はじっと自分の手のひらを見つめた。
「このドア、実は二人でないと通れないのです。近代のもので、効率を重視しているとか」
「そ、そう…なのですか…?」
男性がそう言うと、戸惑いながらも信じた。
男性が回転ドアの方を指せば藤乃も釣られてそちらを見た。
「ほら。止めどなく人が出たり入ったりするでしょう?」
「た、たしかに…」
「生憎、俺は一人です。だから、入れなくて困っていたんですよね。ですから、人助けだと思って」
男性の説明は、納得する程のものだった。
藤乃が釣られてこくりと頷くと、男性が手を差し出した。
藤乃は戸惑いながらも手を差し出した。
男性の大きく角ばった手は、藤乃の手を優しく包むように握った。
「ありがとう。それでは、参りますよ…?」
「は、はいっ…」
男性の合図で、同じように足を出すと二人の体は回転ドアに入った。
「わっ…入れた…あっ」
安堵から思わず口に出すと、藤乃は片方の手で口元を押さえて男性を見た。
「ご令嬢のおかげだ。ありがとう…さぁ、出ますよ」
そう言うと、男性は微笑んだ。
藤乃の背を軽く押してタイミングを教えて手を離した。
「あ…ありがとうございま…あれ…?」
ホテルの中に入り、男性に礼を伝えようとした。
しかし、彼はホテルの中へ入る事なくそのまま外へ出てしまった。
外へ出た彼が、藤乃と目が合うと優しく微笑んで会釈をした。
(まさか…私が入れないのが分かって、それであのような事…?)
外へ出て、二度と会わないであろう彼に確認出来ず、彼の背中はどんどん遠くなった。
「藤乃。何をしている、早く来い」
「は、はい…」
当主から声を掛けられると、藤乃は初めて外の人に優しくされ心が温かくなった。
その思いが、これからの縁談も上手くいくことを助長している気もした。
「隊長。丸腰で何をやってるんですか」
一方、外へ出た男性へ近付いたのは腰に刀を携え、手には男性の刀を持った男。
「あぁ、悪い。ちょっとな」
「隊長。この隙に反国側が仕掛けて来たらどうするんです。応戦できないでしょう」
「まぁまぁ。若い女性にこんなもの身につけて声を掛けたら、怯えさせてしまうだろう」
男から受け取った刀を腰に携えながら言った。
「若い女性って…まさか、いつもの人探しですか」
「あぁ…って、あ。名を聞かなかったな…」
男性が残念そうに言うと、もう一人が呆れたように口を開いた。
「きっと違いますから、大丈夫です。それより、早く戻りますよ。会長も報告を待ってますから」
「待て。人の多い中心部だ。もう少し…あ。近くの甘味処へ参ろう。あそこならすぐ食して帰れる」
「…またやるんでしょ、人探し」
隊長が十年間続けてきた”人探し”が、もうすぐ終わりを告げようとしているとは、この時誰も想像していなかった。
☆☆☆
ホテルへ入った当主と藤乃は見合いとして儲けた場所である料亭へと向かった。
そこには、既に斑目家が待っており当主が斑目家当主に挨拶をした。
「お待たせして申し訳ない。斑目様」
「いえいえ。こちらも先程参ったばかりです。気になさらないで下さい」
互いに挨拶をすると、当主は斑目家当主と向き合う形で座った。
藤乃は見合い相手である斑目家次期当主の前に座った。
「斑目様。こちら、娘の藤乃です」
「藤乃と申します。よろしくお願い致します」
挨拶をすると、藤乃は三つ指ついて深く頭を下げた。
次に頭を挙げると、斑目家次期当主の視線に思わず息を飲んだ。
藤乃を頭の先からつま先までねっとりお舐めるようにいやらしい目で見て、じゅるりと唇を一舐めした。
その目に耐えきれず、慌てて視線を逸らした。
「こちらは息子の修です」
「あぁ…どうも」
四十代後半と聞いていたが、修はろくに挨拶もせず、着崩した着物に無精ひげまで生えており、清潔感とは程遠い男だった。
藤乃は何度も、家の為だから仕方ないと心で唱えた。
話を進め食事に舌鼓をしていると、斑目家当主が口を開いた、
「せっかくの中心部ですし、藤乃さん。修と観光してはいかがですか?」
「え…」
「若い者同士、二人で話す時間も必要でしょう」
答えに戸惑っていると、当主が口を開いた。
「ぜひ。あまり此方へ出向くことのない田舎にいるものですから…藤乃、案内してもらいなさい」
「…はい。修様、よろしくお願い致します」
父に逆えるはずもなく、そう答えると修と共に料亭を後にした。
「ふ…藤乃さん…」
料亭を出ると、修から不慣れな感じで名前を呼ばれ、小首を傾げた。
「はい…?」
「に…人気の茶屋があるので、そちらはど…どうですか」
時折言葉に詰まりながら話す彼。
藤乃は、彼のぎこちなさが女性に慣れていないものだと感じると、先程までの嫌悪感が少し和らいだ。
「…はい。ぜひ、教えて頂きたいです」
藤乃がそう答えると、修はにやりと口角を上げた。
ホテルを出た瞬間だった。
修は笑みを浮かべたまま、突然藤乃の手首を強く掴んだ。
ギリッと骨に食い込むような強い力に藤乃の表情は歪んだ。
「い、いたっ…」
苦悶の表情で弱々しく呟けば、修の表情が途端に一変した。
「僕の言う事が聞けないのか?」
「えっ…い、いえ…その…っ」
「僕達は夫婦になる。夫の言う事を聞かない妻が、どこないる」
力が強くなり、藤乃は振り払うことも出来ず騒ぎに人だかりが出来始めていた。
(どうしよう…私っ…どうしたら…っ)
集まる人々、手首に走る鋭い痛み。
けれど、誰一人として止めようとはしなかった。
夫婦の痴話喧嘩に、わざわざ介入しようとする者はいないからだ。
藤乃の心は壊れそうになっていた。
「いだだだだだっ!」
修の苦しそうな声が聞こえたと思えば、手首の痛みからは解放された。
「民の平和の為に参った、治安会攻撃隊だ…貴様、どういうつもりだ」
藤乃を痛みから解放したのはーー先程回転扉を一緒に通ってくれた男性。


