「け…い、さ…ん…?」
藤乃は視界がぼんやりとし、目の前の現実をはっきりと受け止められなかった。
景が横たわる庭に履き物も履かずに駆け寄った。
「藤乃。汚れるからやめなさい」
「っ、貴方に関係ありません…!」
途中、上総に止められたがそれで制止するわけもなく、景の元へ駆け寄った。
横たわり弱々しく浅い息を繰り返す景。
藤乃も息が止まりそうになっていた。
彼の近くで座ると、目には今にも溢れそうな涙を溜めた。
「藤乃…すまない…格好つかないな、はは…」
朦朧とする意識の中、乾いた笑みを浮かべるが首を横に振った。
「そんな…そんなことありません…! 私っ…景さんはもう、来てくれないかも…って…」
「そんな訳ない… 例え、この国の果てにいようとも…助けに、行く…」
語尾になるにつれ、声が小さくなっていく。
彼の死期が近くなると、嫌々と首を横に振った。
(何…やってるのよ、私。景さんを助ける、たった一つの方法があるのに…!)
「景さんっ…私っ…私、あの日のように…景さんを治します。治してみせます、だからっ…!」
しかし、景は首を横に振った。
「その力は…藤乃に、どのような影響があるか…分からない」
「でも…これまで、何も…!」
「それは…たまたまかもしれない…人の命に関わる異能…きっと、大きなエネルギーを使っているはず。どのような代償があるか…」
景は苦しそうな表情を浮かべて言葉を続けた。
涙で人を助ける治癒術というのは、古い文献を探しても同様の事例は見当たらない。
つまり、藤乃がどうなるかというのは誰も分からない。
『彼はね、キミが欲しい訳じゃないんだ。キミの涙が欲しいんだよ。なんでも治すというその異能がね』
弱々しい声音だが、上総に言われた言葉を打ち砕いていく。
「それに…」
「何ですか…?」
「藤乃の泣き顔なんて、愛してる人のそんな顔…見たくない。笑ってくれ…」
そう言って、景は藤乃の頬を優しく撫でた。
二人に流れる最後の時間を惜しんでいると、藤乃の体は後ろにぐいっと引っ張られた。
「きゃっ…」
「藤乃。汚れるからいい加減離れなさい」
上総にそう言われ、引き剥がされそうになった瞬間。
苦しみながらも上総を睨みつける景の表情を見た瞬間、藤乃は上総の手を振りほどこうと必死に抵抗した。
「いやっ…景さん…!」
最後に景を見ると、涙が溢れた。
「来るんだ…!」
抵抗する藤乃の手を引っ張れば、その反動で涙がぽろっと一粒景の頬に流れ落ちた。
その瞬間、景の体は神秘的な光に包まれた。
「お…おぉ…これが涙の治癒…なんと素晴らしい」
初めて見る光景に恍惚とした表情でうっとりとした笑みを浮かべる上総。
まるで、景が息を吹き返す事を最初から期待していたかのよう。
光がだんだんと弱まると、景は申し訳なさそうにボソリと呟いた。
「藤乃…申し訳ない。また、使わせてしまったのか…」
「僕に…僕にもっと、見せてくれ! その力はやはり素晴らしい… 瀕死の者さえ瞬く間に治してしまう! 僕の妻となれば、僕は…不死身じゃないか…!」
ばつの悪そうな顔をする景とは対照的に、気持ちを昂らせる上総。
「さぁ、もっとやろう…! 僕はキミの太刀筋も分かる。今度は…どんな風に刺されたい? キミ達は本当に最高だった…飽きるまで、色々な展開で僕を楽しませてくれ…!」
頬を紅潮させ、息を荒くする上総。
「貴様…!」
再度、剣を握り直す景。
しかし、上総は藤乃の体を捉えている。
万が一、彼女の体を傷つけることがあってはと思うと、動くことができなかった。
間合いを詰めることも出来ず、油断せず構えを続けていた時。
地面が揺らぎ、門の方から轟音が響いた。
「わっ…!」
「藤乃っ…!」
突然の揺れに上総が思わず手を離す。
体勢を崩した藤乃を、景がすかさず抱き止めた。
すぐに藤乃の肩を抱き、上総から一定の距離を保った。
「景さんっ…!」
「もう、絶対に離さない…!」
景の隊服をぎゅっと握り、涙声で弱々しく小さくなる藤乃を安心させると上総の方をギロリと睨みつけた。
「何だ今の音は…?」
上総が音に驚いたのも束の間、門の方からはすぐに物騒な音が聞こえた。
「ぐわっ…!」
「うおっ!?」
男達の苦しそうな声。
そして、ゾロゾロと近付いてくるいくつもの足音。
藤乃は不安でたまらず、景の背中にぎゅっとしがみついた。
けれど、そんな藤乃を振り返った景の表情は、不思議なほど穏やかだった。
まるで、この騒ぎが起こることを知っていたかのように。
「財部 上総。貴様を特務隊の名において、帝都で起きている連続婦女誘拐事件の主犯として貴様の身柄を拘束する」
景の背中からひょっこりと顔を出すと、そこには険しい表情をした宗介が上総に放った。
「連続婦女誘拐事件…? 何のことでしょう。僕は関与していない」
「その言い逃れはできん。これまで被害に遭った女性たちに話を聞いたところ、貴様の名を出して脅している手下もいた」
親盛が女性に事情聴取した書類を片手に、冷静に放った。
「なんと…僕はここで共に暮らす仲間が勝手に攫ってきた女性の心の介抱をしていただけだというのに…何という言われようだ」
「…違います」
「藤乃?」
上総から受けた言葉の数々。
優しい言葉も、穏やかな笑みも、すべて人の弱みに付け入るために作られたものだったのだ。
人の心を見透かし、己の手の内に収めようというのは、藤乃もされた事。
人を肯定しているようで、否定し自分が作り上げた物語に押し込もうとする。
きっと、景が声をかけなければ手の内に堕ちていた。
そんな藤乃が、しっかりと自分の口で言った。
未だ拭えない恐怖心もありながら声を震わせた。
「貴方のしている事は、間違っています…! 心の傷を癒すだなんて…そのような事はなさっていません」
「…キミは未だ、癒されてなかったようだ。その男が止めに入ったから」
「違います…景さんは、私を助けに来て下さったのです」
首を横に振る。
目の前の愛しい彼の背中をじっと見つめ、上総に対する眼差しの中に強い意志があった。
「可哀想に…母の死を乗り越えられないのだ。だから、キミは僕の言葉を受け入れられない。キミが殺した母親のことが、ね」
「っ…!」
母の事を出されれば、藤乃はパッと顔を逸らした。
母の死について触れられた瞬間、その場にいた隊員たちの間にも動揺が走った。
もちろん、上総の言葉だけで事情を知る者などいない。
(どうしてここで…そんな事を言えば、きっと景さんだって…)
景の服をぎゅっと掴む手が緩んだ。
服から完全に手が離れたが、その手をぎゅっと握る景。
「藤乃。奴の妄言に耳を貸すなーー俺は分かっている」
「えっ? …はいっ」
景がそう言えば、目を細めて笑みを浮かべた。
それだけで、藤乃の心はもう揺らぐことがない。
「藤乃…その男に騙されていると、まだ気付かないのか。なら、見せてやる…!」
上総がワナワナと震えれば、瞳が淡い紫色へと変わっていった。
「っ…な、何…?」
瞳孔を開き、辺りに黒いモヤが見えた瞬間。
屋根から風を切る音が聞こえ、人影が降ってきた。
「ーー待っていましたよ。この瞬間を」
「千影っ…!」
異能を使った上総の前に千影が立ちはだかると、千影の瞳は蒼く光った。
上総の体は動かなくなり、一分も経たないうちに「ゔあああああぁっ…!」と頭を抱えその場に蹲った。
「…服部隊長。捕まえて下さい。しばらく精神操作の幻術は使えないはずです」
蹲る上総を見下ろせば、異能を使うのを止めて宗介の方を見た。
一連のことを何事もなかったかのように告げれば、景の方へ歩んだ。
「凄い…さすがは『異能殺し』…」
背後で宗介がぼそりと呟けば、その言葉にピクと反応し足を止めた。
「その物騒な事を言わないよう、何度もお伝えしています…だから、使いたくないんですよ。異能なんて」
「悪い悪い。しかし、相変わらず恐ろしいな。相手の異能をそのまま本人へ返す――『鏡』は」
宗介を怪訝な表情で見て、再び景の元へ歩いた。
「…隊長、奥方様。ご無事で何よりです」
「千影、助かった…が、申し訳ない。異能を使わせるなんて…」
きゅっと唇を噛み締め、千影に頭を下げた。
「隊長の為なら、構いません。例え、私の目が見えなくなったとしても名誉の負傷です」
「そのような事を申すな。すぐに医療隊に診て貰え。今回は全隊で出陣したこともあり、幸い大きな負傷者は出ていない。すぐ診てもらえるだろう」
全体を見渡せば、屋敷内にいた上総率いる反国勢力は隊員達により捕らえられていた。
千影がこくりと頷き、医療隊の所へ行こうとした時、人影が遮った。
「桐谷くん。私が診よう」
「き…清谷隊長…!」
冷静沈着な千影が目を大きく見開き、声を上擦らせた。
遮った人影が、『現場嫌いの隊長』と呼ばれる医療隊長の護だったからだ。
「珍しいですね。清谷殿が現場に出向くなんて」
「疲弊している隊士を連れてくるより、私が一人で治療した方が早い。桐谷くんの異能は類稀なものだから、私の研究材料にもなる。それと、久世くんも後で診る」
夏祭りで酷使された医療隊を慮った護の判断に、景は頷いた。
「いえ、俺は…」
一時は瀕死の状態にまで陥ったが、藤乃の治癒により驚きの回復を果たした。
その為、首を横に振った。
しかし、護は白い砂利石が赤く染まっている箇所を指差した。
「あれ、久世くんのものだろ。あれほどの血が出て、立っているなんて奇妙なことがあってたまるか。後遺症が出たら、医療隊の責任問題になる」
顔の前で手を合わせて、光を集めて千影の治療をしながら告げた。
「…よし。桐谷くん、治療は以上だ。問題ないとは思うが、今日はもう異能を使うな」
「ありがとうございます」
護の施しが終われば、瞬きを数回繰り返し視界がクリアになった。
「さて、次は久世くん…そちらのご令嬢は?」
数分で千影の治療を終えると、次に景の元へ近付けば彼の背中に隠れていた小さな体を見つけた。
首を傾げ覗くと藤乃と目が合い、少し目を見開いた。
「妻です」
景にそう言われると、藤乃は景の隣に立って口を開いた。
「藤乃と申します。主人がいつもお世話になっております」
「主人…は? もしかして、あの…?」
名乗り、丁寧に頭を下げれば顎に手を添えてしばらく考えた後、はっとした。
「ーー十年来聞かされてきた、隊長の想い人です」
千影がこそっと伝えると、護の目が光った。
「桐谷くん。申し訳ないが汚物…いや、服部を呼んで来てもらえないか」
「はい。かしこまりました」
千影にそう伝えると、再び藤乃に視線を落とした。
穴が開きそうなほど藤乃をじっと見つめる護に、藤乃は思わず顔を逸らした。
(ど、どうしてこの方私を…? それより、十年来聞かされたって…景さん、何をおっしゃったの…?)
不安でたまらず自分の着物の袖をぎゅっと掴めば、もう一つ人影が増えた。
「清谷殿が俺を指名とは珍しいな」
ヘラヘラと笑いながらやって来た宗介。
その声に、明らかに不機嫌になる護。
「…そちらのご令嬢の異能を見てくれ」
「え? 異能を…? まぁ、構わないが…」
視線を合わせる事もなく、ぶっきらぼうに伝えると不思議そうに小首を傾げたが、藤乃の方を見る宗介。
瞳を赤く光らせば、じっと藤乃を見つめた。
(今度は…? わ、私…どうなるの…?)
状況が掴めず、不安になりまた体の半分を景の後ろに隠した。
「…二人とも、藤乃は疲れています。控えてもらえませんか?」
藤乃の体を景の背後に隠せば、ギロリと鋭い眼光で宗介と護を見た。
「…たしかに。配慮が欠けていた。しかし、治癒だとすれば彼女の事はもっと知りたい…服部、どうだ?」
「治癒の気配…だが、なんだ…? 体全身を巡る…血液と共に流れているような…?」
言葉では景に謝る護だが、藤乃への興味は拭えない。
景の背後に隠れた事で、宗介もこれ以上干渉することができなくなり、赤い瞳がだんだんと薄れた。
異能者としての母数が少ない『治癒』と知れば、護の目はまた光った。
「体全体に流れる…それはまるで、水瀬が持つ異能。あの家系は我々のように、力を一箇所へ集中させるのではなく自分が持つエネルギーを外へ放出する…が、たしか若い娘は佳乃殿のみ…貴女は…」
後ろに隠れた藤乃を覗こうとすれば景が「…清谷殿?」と最後の牽制をかけた。
「…すまない。だが、後日協力してくれ。これまで、攻撃隊の生傷は何度も治療してきただろう」
クイッと眼鏡を上げながら頼んだ。
「勿論、医療隊にはお世話になってるから協力したいのはやまやまですが…妻次第です」
「あ、あの…景さん。私、景さんのお役に立てるなら…私なんかでも、できることなら…」
景の隊服の袖を控えめに掴んで伝えれば、護はキラキラと目を輝かせた。
「藤乃。無理はしてないか? これは、俺の為というより治安会…藤乃が気にする問題ではない」
「いえ…! 私なんかでも、誰かのお役に立てるなら…」
「…そうか。藤乃がそう言うなら、無茶はするな。それと私なんか、などと申すな」
景がじっと藤乃を見つめた。
指摘されると、はっとして口元を押さえた。
「そうだ。特殊な異能だ。自分を卑下する事はない」
「俺も、特務隊として知っておきたい」
護と宗介も何度も頷いた。
「ご令嬢に怪我はなさそう…だな。そうなれば、次は久世くん」
藤乃から景に視線を移す護。
「いえ、本当に俺は大丈夫です」
「先ほども申しただろう。何かあれば、医療隊の責任問題だ。それに、治療をした張本人もいる事だし…久世くん、服を脱げ。奥方様と確認したい事がある」
「へっ…!?」
護が真面目な顔をしてそう言うと、藤乃がぽっと頬を赤らめた。
その反応に、護は眉間に皺を寄せた。
「…どうした? 奥方様」
「え、いや、あの…その…」
藤乃はかぁっと耳まで赤くした。
(確認のためとはいえ、景さんが脱ぐところを見るだなんて…!)
これまで景の肌など、着物から覗く部分しか見た事がない。
勝手に頭の中でこの先のことを考えると、顔に熱が集まった。
「清谷殿。診察は俺だけで構いません」
「? 私は構う。確認してもらわないと…奥方様から新たな知識を教えてもらえるかもしれない。こんな機会、滅多にない」
顔を茹蛸のように真っ赤にする藤乃に気付き、景が庇った。
けれど、景の言葉に全く納得がいかない様子の護。
「ほう…そういうことか」
二人の様子と藤乃の真っ赤になった顔を見て、宗介は一人口角を上げてぼそりと呟いた。
「清谷殿。奥方様は疲れていると久世殿が申していたではないか。それに、治療は奥方様が施したのであろう? なら、清谷殿は確認をするだけだ」
「貴様まで何を言う。夫婦であれば、確認に臆する事などないだろ」
「まぁまぁ、清谷殿っ」
ポンポン、と軽く護の肩を叩く宗介。
護は身体中がぶるっと震え上がった。
「っ! 何をするこの戯けが…! 汚物が触れるなと、以前からも申しているだろうが…!」
「はいはい。分かりましたよー。久世殿、別所で診てもらえ」
「あ、あぁ…申し訳ない。ありがとうございます」
感情的になる護の話を適度に聞き流し、景と護を別の場所へと促した。
ポン、と景の肩に宗介が手を置くとボソリと呟いた。
「攻撃隊として先陣を切る隊長が、奥方様の事となると随分奥手となるようだ…そりゃあ、俺が賞味したいといえば怒るな?」
くすっと揶揄いながら笑えば、景の視線が鋭くなった。
「…何だと?」
「おっと。清谷殿を上手くかわしたんだから、貸しだろ? そんな態度をするな」
「っ…二度とそのような戯言、申さないでください」
刀の柄へ伸びかけた手を下ろせば宗介から視線を逸らした。
(旦那様とあのお方…何のお話をされていたのでしょう…?)
二人の小声のやり取りは、藤乃の耳には届かなかった。
景と護が屋敷の縁側へ行くと、宗介が藤乃に笑みを浮かべた。
「改めまして、久世殿の同僚の服部 宗介と申します」
「ご丁寧にありがとうございます。久世 藤乃と申します。いつも、主人がお世話になっております」
藤乃が頭を下げ、顔を上げて宗介と目を合わせると、宗介は頭のてっぺんからつま先まで品定めするように藤乃を見た。
(久世殿の奥方様…十年も探したと聞いたからどのような令嬢かと思えば…ただの若い娘か)
藤乃を品定めすると、その視線を不思議に思った藤乃が「服部様…?」と不思議そうに声をかけた。
「あぁ、申し訳ない。あの堅物がようやく身を固めた奥方様と聞いていたので…つい、見入ってしまいました。貴女なら納得できる」
考えていた事とは異なり、軽い笑みを浮かべた。
(堅物…? 景さんが…?)
宗介の言葉に小首を傾げた。
そして、藤乃の頭の中にはこれまでの彼との事が次々に思い浮かび、顔にはかぁっと熱が集まった。
「い…いえ、そんな…滅相もございません…」
「それに、久世殿は人望もある。現場へ出る事から、帝都でも顔が広く、今もなお女性からの人気が絶えていないとか…」
「えっ…?」
宗介の言葉に、目を丸くした。
たしかに景は、綺麗な顔立ちをしており背もスラリと高い。
毎日鍛錬を欠かさない体は、鍛え上がっていて逞しい。
そして、人当たりの良さ。
悪い印象を与えるわけがない。
「たしかに…主人はとても素敵な方ですから。皆様からの評価を私も誇らしく思います」
「不安にはなりませんか? もし、何かあれば俺はいつでも相談に乗りますよ。お話なら、いくらでも聞けますから」
(奥方様には随分とご執心な様子…これは、久世殿を揶揄うには丁度良い)
ニコリと爽やかに浮かべる笑みの裏で、自身の退屈潰しを考えているとは藤乃は露にも考えていなかった。
「そんな…治安会の方がお忙しいのは、主人の働きを見ているから存じ上げているつもりです。服部様のお手を煩わせるわけには参りません」
「…ほう」
宗介の言葉に一瞬も揺らぐ事ない藤乃に少し興味が出た。
(気の弱そうな娘だから少し押せば揺らぐと思ったが…なるほど。久世殿も執心になるわけか)
クスッと小さく笑みを浮かべたが、一瞬宗介の表情が険しくなった。
「服部様?」
「奥方様ーー失礼」
そう言うと、藤乃の手を取り自身の方へ引き寄せた。
「っ、は…服部様…!?」
「まだ、残党がいたとはな」
片手で藤乃を抱え、もう片手は何かにかざしている。
後ろを振り向けばその姿に目を丸くした。
「修様…!?」
「クソがっ…! 貴様ら…! 教祖様に何をした…!」
宗介の異能によって地面へ縫い付けられたように動きを封じられながらも藤乃を鋭く睨みつけた。
「教祖…? 財部 上総は人の精神に干渉ができる異能者だ。あの男は、人が望む言葉をその場しのぎに紡ぐだけ。本心の欠片もない」
宗介が淡々と述べるが、修は体を押さえつけられたままギロリと睨むのを止めなかった。
「違う…そもそも、お前らに何が分かる…! 恵まれた異能で偉そうにふんぞり返っている貴様らに…!」
「…何だと」
宗介の表情がピクリと動いた。
修が持つ異能は、姿を自在に表す事が出来る。
そして、自由自在に姿を変えられる。
宗介は敵でありながらも、見事な異能に口を開いた。
「貴様の能力は、使い方は誤ったものの恵まれていなくはないだろう」
「はぁっ…!? 僕の能力を否定し、試験を落としたくせに…!」
その言葉で、修が過去に治安会への入隊試験を受けた事を知り、宗介は目を見開いた。
「ーーそう。だが、あの時の私の判断は、間違えていなかったわけだ」
「忍足殿…この男を知っているのですか?」
「あぁ。調査隊が欲している力で、今でもたまに夢に見るほどだった。あれほどの異能力者を手放してよかったものか、とな」
宗介が尋ねると、親盛はこくりと頷いた。
親盛は、隊長を勤めて二十五年。
治安会始まって以来、隊長として最長の在籍年数を誇る。
採用試験の際、隊長や副隊長は新隊員候補を見極める。
親森にとって、修の存在はそれほど大きかった。
「何だと…僕以外に、僕以上の能力者など…!」
「調査隊は治安会の中で最も秘匿性の高い情報を扱う。それが漏れれば、治安会が壊滅の危機に陥る可能性もある。その危険性を孕んだお前の可能性をあの日…見てしまったんだ」
親盛の脳裏には、二十五年前ーー親盛が隊長になったばかりの頃。
二十一歳の時に入隊試験を受験し、周りは異能を絶賛。
しかし、親盛だけは違和感を拭えなかった。
修が調査隊への入隊を志望しており、最終的な決定権は親盛に委ねられた。
そして、不採用。
その年も、翌年も、さらに次の年もーー修以上の能力者が採用試験へ来ることはなかった。
それ以降、優秀な異能者を逃したとして親盛の出世の道も閉ざされてしまった。
「そんな…! 僕の能力を認めてくれたら…教祖様のように扱ってくれたら、生涯をかけて…僕は…!」
幻術が使える異能者の仕事で、公にできるものは少ない。
治安会への入隊は、最後の砦だった。
それすらも手に掴むことができず、修は長年定職に就けなかった。
縁談もうまくいかず、心はどんどん荒んだ。
そして、極め付けは藤乃との破談。
これにより、修は五十代を目前に勘当となった。
職もなく、異能も認めてもらえない。
そんな時に上総と出会い、心の隙間を埋めるような、彼の優しい言葉に浸っていった。
「…おい。貴様」
藤乃の肩を抱くのを止め、しゃがむ宗介。
体を押さえつけていた能力を解くと、修の襟元を荒々しく掴んだ。
思わず藤乃が「服部様っ…!?」と声を上げるほど、その行動は荒々しかった。
「入隊試験、何度受けた?」
「は…はぁ!? 一度に決まっているだろ…!」
「一度受けて落ちたくらいなんだ。それで才能がないなど、誰が決める。貴様、調査隊しか受けなかったのか?」
行動は荒々しいけれど、口調は一切崩さない。
修を見る目は氷のように冷たかった。
「あ、あぁ…! 僕のこの力は、調査隊でこそ認められるべきだ」
「それはお前が決める事ではない。異能を使った事件の犯人は、特務隊の監視下に置く。まず法に従って裁く。ただし、処分を終えた後も異能犯罪者として貴様を俺の監視下に置く。一から鍛え直してやる。――いつか特務隊として、前線に立てる男にな…連れて行け」
「は…はいっ」
近くにいる部下に声をかける宗介。
修は、異能を使って逃げる事もなく大人しく連行された。
「…また勝手な事を。どうするつもりだ、服部殿」
「ん? あー、いやぁ…たしかに才能は一級品だし、磨けば輝きそうだなって。それに、心配は無用です。俺は忍足殿のように優しくはないからなぁ…踵を返そうとする前に、そんな事ができないというのは教えておきますよ」
飄々とする宗介の中にある特務隊というエリート集団のトップに立つ男の風格に、親盛は息を飲んだ。
親盛にそう告げ、くるりとまた藤乃の方を向いた。
藤乃の後ろに見える人に、ニヤリと口角を上げれば藤乃に声をかけた。
「おっと…そういえば、奥方様」
声をかけると同時に藤乃の手を両手で優しくぎゅっと握りしめた。
「へっ…!? あ、あの…服部さ…わっ」
宗介の行動に戸惑っていると、藤乃の体はふわっと後ろに引かれて繋いだ手は離れた。
「服部殿…貴様、いい加減にしろ」
「け…景さんっ…」
治療を終えた景が静かに怒りを露わにした。
低い声音に、驚き怯える藤乃。
対照的に、目の前にいる宗介は楽しそうにしていた。
「まぁまぁ、怒るな。忍足殿。我々は先に戻って、報告に参りましょう」
「まったく、お前は…」
親盛が深くため息をつき、景にばつの悪そうな顔をして軽く頭を下げた。
当の本人である宗介は笑顔を崩す事はなかった。
宗介が立ち去るのを険しい顔でじっと見ていれば、下から服の袖をくいくいっと控えめに引っ張られて視線を落とした。
「景さん…何ともありませんでした…?」
「あ…あぁ。俺は何とも。藤乃が治療してくれたから、清谷殿に確認してもらっただけだ」
「そう、ですか…良かった」
藤乃はほっと胸を撫で下ろした。
「俺達は帰ろう。俺と千影はこのまま直帰で良いそうだ」
「はいっ…景さん」
景の言葉にこくりと頷けば、手を繋ぎ愛おしく微笑み合った。
長らく帝都を不安に陥れていた『連続婦女誘拐事件』の幕は閉じた。


