涙の治癒師 〜無能と呼ばれた私を、若き当主だけが信じてくれました〜


この世界には、人口のほとんどが異能という特殊能力を持って生まれる。

今日もまた、新たな命が誕生しようとしていた。

「華恵様…しっかり…! 頭は見えております…!」
「っ…うぅっ…いた…痛いっ…子を産むのが、これほど…っ!」

ここは、帝都に屋敷を構える治癒師の名門・水瀬家。
水瀬家の若き当主は、同じ治癒師一族の娘・華恵を妻に迎えた。
それから一年。
華恵の身体には、新たな命が宿った。
水瀬家一族は、両手を挙げて喜んだ。

なぜなら、水瀬家には代々言い伝えがある。
『水瀬家の第一子には、代々、比類なき治癒の才が宿る』ーーと。
十月十日、華恵の体内で命を育んでいるうち、分かった事がある。
それは、華恵の体に宿った命が双子という事。

「おぎゃあっ! おぎゃあっ!」
「う…生まれました…! 可愛らしい…女の子です!」

一人目を取り上げると、産婆が処置をして華恵に赤子の顔を見せた。
生まれたばかりの子を愛おしそうに見つめ、涙がぽろりと一筋流れた。

その五分後、水瀬家の運命を変える二人目の産声が響いた。

「お、おぉ…! なんという事でしょう…この赤子…」

産婆が二人目を取り上げると、赤子の容態に目をぎょっとさせた。
その声に、お産の手伝いをしていた水瀬家の女中が集まってきた。

「まぁ…この子が才能を受け継いだ子…!?」
「凄い…流石は水瀬家に生まれた子」

口々に、水瀬家の将来が安泰する可能性を秘めた第二子を崇めた。
第二子の体は神々しい光に包まれ、命懸けの出産を終えた母の体も光に包み込むと、みるみる容態を回復させたのだ。

女中達の騒ぎを聞き、水瀬家当主が部屋に入ってくると光に目を奪われた。

「これほどの治癒の力…」
「旦那様。そちらは第二子で御座います」
「第二子でこれほどとは…ならば、姉はどんな力を見せてくれたのだ?」

第一子を抱きしめ、愛おしそうに見つめながら尋ねた。

「いえ…その子は、まだ…」

女中が気まずそうに答えたが、当主は狼狽えることはなかった。

「そうか…まあ、七つになるまでには開花するだろう。華恵、でかしたぞ。こんなに凄い力を持つ子を二人も産んだのだから」
「あなた…」

出産を終え、その事を褒められれば華恵の目には嬉しい涙が浮かんでいた。

誰もが思っていた。
第一子である姉は、それ以上の奇跡を見せてくれるのだと。

しかし、一年。
二年。
三年ーー。

月日が流れても、

第一子・藤乃(ふじの)の異能は目覚めなかった。

☆☆☆

そして、八年の月日が流れた。
藤乃、妹の佳乃(よしの)は八歳になった。

「…お父様。処置は完了致しました。心拍も戻っておりますので、数日もすれば目を覚ますでしょう」

八歳にして、大人のような口ぶりでそう言い、当主である父に報告した。
父はこくりと頷いた後、佳乃と目が合うと柔らかい笑みを浮かべた。

「うむ…よくやった。さすがは佳乃。八歳でこれほど難しい治癒が出来てしまうなんて…お前は水瀬家きっての天才だ」

満足そうに伝えると佳乃も満更ではない顔をして、部屋を出た。
水瀬家の敷地には、生活をする屋敷、治療をする屋敷、使用人が生活する屋敷、離れがある。
佳乃が生活をする屋敷に向かっていると、パァンと乾いた音が聞こえた。

「何をしてるんだい! アンタは毎回毎回…!」

母である華恵が大きく手を振りかざし、乾いた音とともに、藤乃の小さな体は廊下へ弾き飛ばされた。
小さくほっそりとした体は飛び、廊下に叩きつけられた。
金切り声で怒鳴りつける華恵。

「…申し訳、ございません」

よろよろと立ち上がり、ぼそりと呟くが華恵の怒りはまだ収まらない。

「この無能が…っ! アンタのせいで、私までこんな生活になったのよ!!」

この八年で変わった事がある。
まず、藤乃の扱い。
本来、異能は七歳までに開花する。
しかし、七歳を迎えても藤乃には能力が見られなかった。

「朝から洗濯、掃除、炊事…!」

そして、華恵の扱い。
七歳を迎えても藤乃の異能は開花せず、水瀬家には失望が広がっていった。
やがて、その責任は華恵にも向けられ、ついには離縁を言い渡された。

「本来なら、私がすることじゃないのに…アンタのせいで!」

実家に出戻ることも出来ず、行く当てのない華恵は仕方なく使用人として働いている。

「本来なら、私は当主の妻だったのよ……!」
「お母様…また、お姉様をいたぶっていらっしゃるの…?」
「っ…佳乃…様…」

憎たらしそうに藤乃を睨んでいた華恵は、不意に声をかけられて肩を震わせた。
自分が生んだ子どもでさえ、『様』を付けて呼ぶ。

水瀬家の人間と、使用人にはこれ程の差があるのだ。

「お父様が身内の恥が一番嫌いなの…お忘れでしたっけ?」
「っ、も…申し訳ありません…だから、どうか…旦那様には…!」

佳乃がニヤリと口角を上げて尋ねると、華恵の顔は青白くなった。

「あぁ、離縁されたから忘れちゃいました?」

華恵を軽蔑した目で見ながら言うと、悔しそうな顔をしてその場を立ち去った。
未だに廊下で横たわっている藤乃に近付くと、佳乃はニコッと笑みを浮かべしゃがんで視線を合わせた。

「お姉様、大丈夫?」

そう声をかけると、むくりと無言で体を起こすとこくりと頷いた。

「お姉様って、ほんと…愚図でノロマ」
「…申し訳ありません」

目を逸らし、消えそうな程か細い声でそう言うと佳乃はニコニコおしたまま首を横に振った。

「勘違いなさらないで? お姉様は今のままでよろしいんですよ?」
「そう、ですか…」

佳乃の言葉を聞きながら立ち上がると、佳乃はまた口を開いた。

「えぇ、もちろん。だって、お姉様がそういう存在であり続ければ、私の評価は鰻登り。これからも私の引き立て役でいてね?」

嫌味を言うと、襖が開いた。
女中が佳乃の姿を確認すると、深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんが、お姉様を診て頂けませんか? 私は治療を終えて、今日使える能力がもう…」

先程までの態度とは一変、しおらしい態度で言った。
言われた女中は慌てて藤乃に駆け寄った。

「まぁ…! どうしたの、藤乃ちゃん。その頬…! 分かりました、佳乃様…藤乃ちゃん。こちらへいらっしゃい」
「…はい」

女中に手を引かれると、井戸に向かった。
井戸水を汲み上げ、手拭いを水につけて藤乃の頬に優しく当てた。

「っ…!」

痛みにきゅっと目を閉じた。

「ごめんね。痛いだろうけど、我慢して。大事なお顔に傷が残ってしまうから」

痛みに耐えながらこくりと頷く藤乃。

「またあの女かい…まったく、自分の子どもにこんな事をするなんて…信じられない」
「いえ、お母様は…」

女中が険しい顔をして藤乃を慰めようとした。
けれど、藤乃は首を横に振った。

自分の出来が悪いからと内心自分を責めていた。

「おやおや…そうだよね。母親の事、悪くなんて言われたくないわよね…。大丈夫、貴女には心優しい佳乃ちゃんがいる。佳乃ちゃんなら、きっと守ってくれるわ」

佳乃の裏の顔を知らない女中の言葉。
その言葉は、一層藤乃の心を苦しめていた。

「もうしばらく冷やしてなさいね? 夕飯の準備の手伝いは遅れてきていいから」

そう言うと、女中は炊事の為に屋敷へ戻って行った。
藤乃は一人、樽に汲まれた井戸水に映る自分をじっと見ていた。
腫れ上がった頬、水面に映る無能な自分。

「…私が悪いのがいけないの」

悲しくぼそりと呟いた。
そう言ってそっと頬に触れる。
触れた指先が熱く痛んだ。

☆☆☆

「…もう、大丈夫」

井戸水で冷やす事二十分。
腫れが目立たなくなる事を井戸水を鏡代わりにして確認すると夕食の準備に合流する為台所へ向かった。

「藤乃」

屋敷に入ろうとした時、裏口からひょっこりと顔を出している華恵。
先程までの険しい表情ではなく、穏やかな表情で声をかけられきょとんと首を傾げると優しく手招きをされた。
どうしたのかと思い、招かれる方へ近づいて行った。

「さっきはごめんなさいね…ちょっと、裏庭で作業を手伝って欲しいの」
「お手伝い…ですか? でも、夕食の用意はいつもみんなでやってますし…」
「…いいの。ちゃんと許可は貰ってるから。それとも…お母さんの言う事は聞けない?」

華恵にそう言われると、小さく頷き、その後をついて行った。
たとえ酷い事を言われても、殴られたとしても母に優しくしてもらえると引き寄せられてしまう。
華恵の後ろをついて歩くが、裏庭に行っても作業らしいものが見当たらなかった。

「そこの柵、見てくれない? 何だか、壊れかかっているみたいで」
「柵…?」

水瀬家を守っている背丈よりも高い柵を指差されると、不思議そうにしながらも近付いた。
近づくと、確かに腐っており、何か刺激が与えられれば壊れてしまいそうな状況。
しかし、この状況で子どもの藤乃に手伝える事で何があるのか分からない。
きょとんと首を傾げながら華恵の方を再度見ると、ニヤリと口角を上げていた。

「ごめんね」
「え…? っ!」

華恵が力一杯、藤乃を突き飛ばすと背中が柵に当たり腐っている部分からヒビが入り、藤乃の体は空に放り出された。
そのまま重力に逆える訳もなく水瀬家の敷地の下にある森へ真っ逆様に落ちて行った。

「あの子さえいなくなれば…!」

華恵は、落ちていく藤乃をじっと見つめた。
震える唇で何度も呟く。

「これでいい……元に戻れる……」

そう自分に言い聞かせるように。

☆☆☆

「っ…!」

重力に逆らえず真っ逆様に落ちる先。
齢八にして、この先にある『死』は容易く想像できた。
ぎゅっと目を閉じた。

痛みはあるのだろうか。
それとも、すぐに意識がなくなってしまうのだろうか。
恐怖、不安ーー色々なものが入り混じった。

(でも、私が死ねばーーきっと)

世界が悪い方へ行く事はない。
そう思ったが。

ガサガサガサッーー。

恐れていた激しい痛みも、意識が遠のく感覚も訪れなかった。
むしろ、緑の香りに包まれて柔らかな木々がクッション代わりとなり、小さな体は受け止められた。

「たす…かって…しまった…?」

死を望んでいたかのように、つい言ってしまった。

「うわぁっ…!?」

幾重にも重なった枝葉に受け止められた体はものの数秒で地面に落ちた。
ドン、と鈍い音がし、臀部に痛みが走った。

「いたた…」

痛みが走る箇所を撫で、痛みが和らいだタイミングでゆっくりと立ち上がった。
辺りを見渡すと、木、木、木ーー木ばかり。
少し先には、川があり、今となればそこへ落ちなくて良かったと思った。

「早く戻らなければ…でも…」

地面に落ちた際、着物が汚れてしまった。
藤乃の存在は、水瀬家の汚点として隠されたもの。
外へ出る事自体禁じられているというのに、着物まで汚してしまったと当主に知られたら、どのような罰を与えれるか分からない。
川は夕日に照らされ、静かに揺れていた。
藤乃は手拭いを握りしめ、その川へ足を向けた。

「わぁ…綺麗…」

湖に着くと、夕陽が反射する綺麗な水面に思わず見惚れた。
川に近づき、手拭いを水に浸けた。
冷んやりとした水。
透明感があり、夕暮れでも川底が見える。
思わずじっと見つめながら手拭いを揉んでいると、川上の方から赤黒い液体が流れてきた。
その液体は、透明で澄んだ川底が見えなくなるほど。

「なにこ…れっ!?」

赤黒い液体の元を辿ろうと、川上の方に視線を向けると人が横たわっていた。
これは、血だ。
息を飲み、声が出なくなる藤乃。
けれど、彼女の中にも人の命を救う『治癒術』の名門・水瀬家の血が流れており、本能的に横たわる人の元へ駆けた。

「う、っ…」

近付けば、十代から二十代くらいの男性。
腰には刀を携えていることから、軍人か警察官など特定の職業に就いている者。
大きな切り傷が数箇所あり、白い服は傷口から赤黒く染まっている。
口から吐血した様子も見受けられる。
かなり危険な状態ではあるが、息はある。

(まだ、助かる…!)

早く家に戻って、治療を施せば何とかなるかもしれない。
けれどーー落ちたこの場所から屋敷へ戻って、再度ここへ来るには時間がかかりすぎる。

「大丈夫です。私が…何とか致します…!」

細くなっていく息。
彼にそう伝えると、ごくりと生唾を飲んで覚悟を決めた。
七歳になっても、能力が出なかった藤乃。
けれど、当主ーー父は、藤乃に期待するのを辞めたわけではなく、使用人としての仕事をさせながらも術の習得に熱心だった。
ごく稀にある七歳を超えてから能力が開花すると信じていたのだ。

そのため、藤乃にも術の知識はある。

「まず、止血…」

そう言うと、手のひらを切り傷に近付けて力を込めた。

(念じて…血が止まるよう…そうしたら、血を循環させる…血が不足しているところに、造血の術を…そうしたら、この方は…)

頭の中では理解していた。
治療の仕方、最適な方法ーーけれど。

「血が…止まらない…」

川に流れる血は止まらない。
それどころか、彼の顔はどんどん白くなり生気が薄れていく。
彼のように瀕死の状態の人の治療なんてした事がない。
けれど、彼の死がどんどん近付いているのが分かった。
基本である止血すらまともにできない。

(これじゃあ、私が彼を助けるなんて…無理だ…)

止血の為にかざした手を下ろすと、絶望感で胸が押しつぶされそうだった。

たとえ、殴られても、蔑まれてもそれは自分が悪いからただ、自分を責めていた。
泣いたりなんてできなかった。
能力のない自分が悪いのに、おこがましい気がして。

けれど、彼はーー藤乃のせいで死んでしまう。
そう思うと、彼女の頬を一筋の涙が伝った。

「ごめんなさい…出会ったのが、私だったから…っ」

自分でなくて、他の治癒師だったら。
彼の処置を完璧に出来たのに、と自責の気持ちでいっぱいになり涙が止まらずぽろぽろと溢れた。

その涙が一滴、彼に落ちるとその雫からぶわっと光が彼を包み込んだ。

「なっ…!? な、に…?」

初めて見る光景に、藤乃は目を丸くした。
彼の体は光に包まれると、みるみる深手を負った傷が回復していく。
顔色がだんだんと良くなっていくと、青白かった頬に少しずつ赤みが戻っていき、ものの数分で処置が完了した。
血で汚れた顔を拭いていると、彼の瞼がピクッと動いた。

「ん…っ…?」

声を漏らし彼がゆっくりと目を開けると藤乃と目が合った。

「っ…!」

泣き顔を見られたくなくて、思わず顔を逸らした。

「キミ…は…?」
「っ…」

回復し上体を起こした彼の問いに答えず、慌ててその場を立ち去ってしまった。

「あっ、キミ…! …これは」

藤乃の方に手を伸ばすが、立ち上がれるほどまでには回復しておらず、彼女の背中に向かって手を伸ばした。
ただ、手拭いを彼の元に残してしまった。

「藤乃ーーというのか」

手拭いに刺繍された名前を静かに呟く。
その名を胸に刻んだ青年は、まだ知らない。
十年後、再び彼女と巡り会い、生涯を共に歩むことになる未来をーー。