毒婦の嫁入り~妹に騙された姉は、呪われた軍神の契約花嫁として求められる~

「お姉様はお身体が優れないのでしょう? でしたら、今宵はわたくしが、お側についてお慰めいたしましょうか」
「必要ない」

にべもない返事に、花乃の笑みが僅かに揺れる。それでも、なおも言葉を重ねた。

「お姉様ばかり、ずるいですわ」
「……」
「本当は、わたくしが一条様に嫁ぐはずでしたのに」

その一言で、ようやく斎が振り返る。

「わたくしでしたら、もっと献身的に一条様にお仕えしますわ。姉のような……毒婦などより、わたくしの方が、よほどふさわしかったはずですわ」

そう言いながら歩み寄る花乃の目には、うっすらと涙さえ浮かんでいた。まるで、自分こそが奪われた被害者であるかのように。
斎の表情から、すっと温度が消えた。

「俺が娶ったのは深幸だ」

低く、しかし迷いのない声だった。

「それに、代わりなど求めていない」
「ですが、お姉様は安土一の毒婦と言われたのですよ? 前の婚約者である隆弘様と、何もなかったと本当にお思いですか?」
「黙れ」

伸ばした花乃の手は、その場で振り払われ、廊下の空気が凍りつく。
その眼差しには、これまで誰にも向けたことのないような、冷たい怒りが宿っていた。

「俺の妻の代わりなど、この世のどこにもいない。その異名を、俺の前で二度と口にするな」

一言一言、噛みしめるように告げる。
有無を言わせぬ声に、花乃はさっと顔を青ざめさせ言葉を失う。
これまで、その笑みと涙で誰もが自分の思い通りに動いてきたのだろう。だが、目の前の男には、それが一切通用しなかった。

「わたくし、は……」
「下がれ」

短く放たれた言葉に、花乃はもう何も返せなかった。
唇を震わせ、俯いたまま、逃げるようにその場を去っていく。

その後ろ姿を一瞥もせず、斎は深幸の眠る寝所へと、もう一度視線を向けた。

早く戻らなければならない。祝宴の場へ。一条の当主として。

けれどその前に、もう一度だけあの部屋の灯りを見た。
深幸が眠っているはずの部屋の灯り。
その灯りが消えていないことを確かめてから、斎はようやく宴の間へ戻るために歩き出した。