俺にだけ京都弁で話してくる後輩の真意について。

 数日、部室には行かなかった。だからもしかしたらいないかもしれない、とちらっと思った。けれど、作法室の引き戸をからり、と開けると、嗅ぎなれた抹茶の香りがふわり、と漂ってきて俺は扉を半開きのまま動きを止めた。

「はよ、入りはったら?」

 素っ気ない声がこちらに投げつけられる。相変わらずの生意気な口ぶりにいらっとしつつも俺は靴を脱いで畳に上がる。いつも通り通学バッグを部屋の隅に転がす俺のほうを見ぬままに、久我が茶釜から湯を柄杓で掬い、茶碗の中へと注ぐ。

「待ちくたびれたわ」
「お前、敬語どうしたの。俺、先輩なんだけど」
「敵前逃亡するようなの、先輩でもなんでもあらへん」
「……逃げてねえじゃん。ちゃんと来たし」
「遅いわ。僕がどんな気持ちで待っとったか、考えもせんと」

 いつもはんなり柔らかいはずの久我の声が今日は尖っている。このしゃべり方でもこんなつんけんすることあるのか、と思ったらなんだか少しおかしかった。思わず口許を緩めると、なに笑てんの、と睨まれた。

「きしょいわ」
「口悪っ」

 肩をすくめつつ、俺は久我の前に座る。

「お点前は後でいい? 俺、勝負したい、お前と」
「ええ度胸やな」

 言いながら久我は茶碗のお湯を建水に捨てる。座ったまま後ろを向き、襖を開けた。両手でそうっと将棋盤を出し、こちらに向かってつつっと押し出す。

「ぎったんぎったんにしたるわ」
「完全に悪役の台詞だろうが、それ」

 呆れながら俺は駒を振る。盤上にからりと投げ出した五枚の駒は、四枚が表を向いていた。

「俺が先手な」
「運だけはよろしいなあ」

 将棋は先手が有利と言われている。だからこう言われるのもまあ、わかる。けれど運だって実力のうちだ。
 久我の嫌味を聞き流し、お互いに礼をする。
 まずは歩。一歩ずつ着実に、丁寧に布陣を引く。でも久我は用心深いから、手筋が整い過ぎているとすぐに感づかれてしまう。だから気取らせないよう、いつも通り、雑な手筋に見えるように注意深く、敵の陣へと入り込む。
 その間にも久我の攻めは徐々に強固になっていく。盤の右端に玉を置き、金、銀で囲む。ああされると簡単には攻められない。しかもその間に、がんがんこっちの陣に攻め込んでくる。

「ほら、そろそろ危ないですけど? 守り甘いんとちゃいます?」

 飛車がダンプカーみたいにぐいぐい攻め込んでくる。それを必死に受けるふうを装いながら、一方で歩を進める。
 もう少しでと金に成る。そうすれば金銀を引っぺがせる。

「小賢しい」

 さすがにこの段になると、俺の施策も気付かれる。せっかく入り込んだ歩兵も、蹴散らされ始める。
 でもこれはあくまで捨て駒。

「なあ、久我」
「なんです?」

 珍しく険しい顔で、久我は盤を睨んでいる。視線は完全に駒に注がれていて、こちらを見ては、いない。
 そのことにほっとしながら、俺は小さく深呼吸する。

「俺、言っておきたいこと、あんの」
「なんです? 今、考えてるとこですから後で……」
「いいよ考えなくて。もうお前、負けてるから」
「はあ?」

 鋭い目がきっとこちらを見る。が、次の瞬間、あ、と小さく口が開く。
 彼も気付いたのだろう。大勢の歩兵に埋もれ、すっかり忘れられていた桂馬の存在を。
 上空から飛来するように盤を薙いだ桂馬が久我の玉をはじく。
 数秒、沈黙が流れた。
 ややあって、久我がふっと小さく息を吸った。
 負けました、そう久我が口にする、その瞬間に俺は言葉を口から押し出す。

「俺ね、お前のこと好き」