その日、掃除当番が長引いたせいで、作法室に顔を出したのは俺が最後だった。
茶道部の新入部員である久我の紹介も、部員の自己紹介もあらかた終わっていた作法室へ俺が顔を出すと、倉橋先輩がぱっと笑顔になった。
「ああ、萩原くん。よかった。来てくれて。この子、うちの新入部員、久我くん」
部員入らないかも……と数日前肩を落としていたのが嘘のような明るい顔で、倉橋先輩が自分の隣に正座する男子を掌で指し示す。示された方の生徒、久我がこちらを見た。
「久我左京です。どうぞよろしくお願いいたします」
久我はそう言ってすうっと頭を下げた。思わず見とれてしまうくらい、綺麗な座礼だった。
背が高く、手足が長く、姿勢がいい。礼儀正しい一年生。ちょっと水墨画の中の人みたいな静かな佇まいが印象的な、茶道部っぽいといえばぽいこいつのことを、俺はただただ、好意的に受け入れた。
部室に誰もまだ来ていなくて、こいつとふたりきりになったときも積極的に会話をした。
「久我ってなんで茶道部に入ったの?」
「うち、母親が茶道の先生なので」
「え、家元とかそういうの?」
「いえ、そんな大層なものでは。末端も末端ですから、継ぐとかそんな話もないです」
さらさらっと淀みなく返ってくる言葉も、涼しげな眼差しも、俺よりよっぽど大人びていて、話していると少し緊張もしたけれど、それでも居心地よく過ごしてほしくて、俺は久我に話しかけ続けた。
将棋部には後輩が入らなかったけれど、こいつは俺にとって唯一の後輩だし、こいつがやめたりしたら倉橋先輩が悲しむ。
「じゃあ、お茶が好き、とかそういう理由?」
「まあ、そう、かな。香りが好きなので。お茶の」
とってつけたような理由にも聞こえたが、まあわからなくもなかった。俺だって将棋ならまあ好きだし、くらいな軽い気持ちで将棋部に入ったし。
「親が先生だからなんだな。久我の手つき、自然だもんな」
言葉を継ぎたくてそう褒めると、久我はちょっと困ったように視線を落としてから、そっと視線を上げてこちらを見た。
「たてましょうか」
「え」
「一服」
「あ、えと、はい」
かしこまりながら頷くと、久我は小さく息を吸ってから、先輩、と唇を動かした。
「ん?」
「ありがとうございます」
「……なにが?」
「たくさん話しかけてくださって」
まさかそんなことで礼を言われると思っていなくて、俺は却って慌ててしまった。
「おま、お前さ、ちょっと堅苦しすぎ。もっと気楽でいいんだよ。少なくとも俺にはそうだから。な」
「気楽、ですか?」
「そう! こう、馬鹿話してきてもいいし、悩みがあったら言ってきてもいいし、宿題、わかんないとこ訊いてきても、って俺、成績あんまだから力にはなれないかもだけど……とにかく! この後、ふたりきりになっちゃうんだから俺には気、遣わなくていいから」
とはいっても、同じ学年のやつがひとりもいない先輩だらけの部で、気を遣わなくていいと言われても無理だろうなあ、と思ってもいた。
母親が茶道の先生をしているから、というのもあるかもしれないが、久我は先輩に対しての礼の尽くし方が実にしっかりしていた。そんな久我が、先輩、後輩の線を越えてまで気安く接してくるというのはなんとなく久我のキャラではない気がした。
のだけれど。
「あ、萩原先輩」
数日後、教室移動のため、渡り廊下を歩いていたときだった。
聞き覚えのあるそれは、間違いなく久我の声だ。けれど、いつもとは明らかに違う響きがある。怪訝に思って振り向くと、予想通り、久我が長い足を運んでこちらに駆け寄ってくるところだった。
走っているところも初めて見て、二重の意味で驚いた。けれど、驚かされたのはそれだけじゃなかった。
「今日、部活、来はります? 美味い紅茶クッキー持って来たんで、今日、一緒に食べましょ」
「……え?」
来はります?
聞きなれないイントネーションで話しかけられ固まる俺にお構いなく、久我はさらさらと続ける。
「最近、倉橋先輩も将棋部の先輩方も全然来られへんやないですか。寂しいし、萩原先輩は顔、ちゃんと出してくださいね」
「え、あ、うん」
なんだ? こいつどうなっちゃったんだ?
しかもやたらめったらしゃべる。いつもの久我ならこんなにぺらぺらと自分から話しかけてこないのに。
お前、どうしたの、と問いかけようとしたとき、久我―、と声がした。見ると、久我のクラスメートらしいふたりの男がこちらを見ていた。
「行くぞー」
「今行くから」
そう言う久我は、いつも部室で見る笑顔も控えめないつもの久我で、当然、方言もなく、そのあまりにも違う顔に俺は本気でびびった。
が、久我の異常とも思える変化は、部内では至極冷静に受け止められた。
「どしたの、久我。なんで急に京都弁?」
「なんとなくです」
「ってなんで俺には標準語? 急展開過ぎてウケるんだけど」
「単なる気分ですので、気にしないでください」
取りつく島もないとはこのことだ。が、質問した側の山田先輩はただただ面白がるばかりで、それ以上突っ込むことをしなかった。もともと面白いことは面白いとニュートラルに受け止め、細かい理由まで考えるタイプの人ではないから、この反応もまあ、おかしくはないかもしれない。
その山田先輩の恋人でもある倉橋先輩もまた、似たり寄ったりの反応で、
「んー、まあ、ほら、言葉遣いなんて、人それぞれだし。接する人によってトーンが変わるってのもまあ、あることだしねえ」
などと言うばかりで、久我の異常行動は以来、話題に上ることはなくなった。
が、俺としてはめちゃくちゃ気になる。
「なあ、なんで俺にだけ、その言葉遣い?」
「あきまへんか?」
「あきまへんってことではないんだけど……ええと」
「そんなことより先輩、お茶、入れるんで、そこ、座っとくれやす」
……だからなんなんだその話し方! あとそのにこにこ顔!
もう意味がわからない。
「山田先輩、あいつなんなんだと思います?」
久我が委員会でいない日、部室で参考書を開いていた山田先輩に尋ねると、先輩はこちらを見もせずに、あいつー? と尋ね返してきた。
「誰のこと」
「だから! 久我ですよ! なんであいつ俺にだけ……」
「お前、そんなこと気にしてんの? いいじゃん、京都バージョンになってから久我、楽しそうだし」
「それは、まあ……」
確かに、久我はあの話し方になってから笑顔が増えたような気もする。が、部員みんなにその顔をするかというとそうじゃない。それがどうにも引っかかる。
「おちょくられてるってことですかね……」
「あー、かもなあ」
くっくっと肩を震わせて笑ってから、山田先輩は参考書に落としていた視線を上げて俺を流し見て言った。
「久我がお前にだけ心開いてるってことだろ? 喜べよ」
心開いてる?
まあ確かにそうかもしれない。部内の誰にも、そして多分、クラスメートらしき彼らへの対応からしても、久我があんな態度をとるのは俺にだけに見える。
だとするならば、喜ばしいことかもしれない。山田先輩や倉橋先輩が卒業してしまった後、俺はあいつとふたりきりになってしまうのだから。
ただ……よくわからない。なんであいつは急に俺にだけ態度を変えたんだろう。どうせならほかのやつにだってその顔、してやればいいのに。
「笑った顔、あいつ、すごくいいのに。なんで俺にだけ……」
そう、久我は笑顔がいい。それを俺はあいつがはんなりになったことで知った。
だから別にいいといえばいいいのだ。しゃべり方が変わったことなんてどうでも。
とはいえ……それが俺にだけってのがどうも……。
「先輩? どうしはりました?」
思い出にひたっていた俺をやたらめったら整った顔が覗き込んでくる。ちょっと心配そうに眉を寄せたその顔から俺は慌てて視線を逸らす。
「どう、も、してない」
「ほんまに?」
じいっと黒い目が間近く覗き込んでくる。その探るみたいな眼差しにいらっとして俺は目を尖らせた。
「なんでもないっての! さっさと茶飲んで、勝負しろよ!」
「先輩、ほんませっかちですなあ」
くすっと笑いながら、久我はつつっと茶碗を俺の前に差し出す。
「ほな、お手合わせ願いましょか。今日も僕が勝ちそうですけど」
「言っとけ。今日こそぎゃふんと言わせてやる」
「ふふ。ぎゃふんは先輩のほうがお似合いちゃいます?」
くすくすと笑うその顔。意地悪なことを言うその口。
ほんと可愛くない。笑顔がいいなんてちょっとでも思った自分を殴りたくなるくらいむかつく顔だ。
今日こそはこいつに黒星をつけてやる!
憤りながらも俺は正座する。
「お点前頂戴します」
一礼し、茶碗を取り上げる。くるり、くるり、と二回回し、茶をすする。
うん、今日も安定の苦さだ。けどまあ……美味いような気もする。茶道部と活動していることもあってこの味に慣れたってことなんだろう。
「美味しくいただきました」
「お口に合うたようでなによりです」
そう言った久我がぷっと吹き出す。
「先輩が改まった言葉遣いしはると、面白うて、笑てまうわ」
「……お前の練習に付き合ってやってる俺に、その言いぐさはなんだ。大体、俺は抹茶よりコーヒー派だってのに」
……ああ、倉橋先輩、俺はこんなやつとふたりだけでこの先、ちゃんとやっていけるのでしょうか。
げっそりしながら、めったに部室に姿を見せてくれなくなった倉橋先輩に脳内で訴える。その間に、久我が床の間の脇にある収納の襖をすっと開けた。
「ほなら、今度、先輩のために美味いコーヒー、淹れてあげます」
そこから将棋盤を丁寧な手つきで出した久我に言われて、俺はきょとんとする。
「へ? なんで?」
「だって今、コーヒー好きや言わはりましたやん」
仏頂面をする俺を久我はにこにこしながら見ている。
……ほんと、こいつなんなんだろう。これだけ不機嫌な顔をしてやってるってのに、怒ったりいらっとしたりとかなんかないのか。
「別に、いい」
「遠慮いうんは子どもがするもんちゃいますよ」
「誰が子どもだ」
「子どもですやろ。僕より背ぇ、低いですし。すぐぷりぷりしはるし」
「それはお前がんな変な言葉遣いでからかってくるだろうが! ほんとなんなんだってば!」
「気にならはるなら、あれで僕に一勝することですな。そしたら、教えてあげます」
くすっと笑って久我は将棋盤を流し見る。そうされて俺はかっとなった。
「お前、ほんと生意気! 敬えよ、先輩を!」
「手心、加えてほしいんですか? せやったら、そう初めから言うてくださいよ」
「誰が!」
手心なんて加えられてたまるか!
将棋部の俺が茶道部のこいつに負け続けるなんて、あってはならない。
だから俺はここに通っている。倉橋先輩にこいつのことを頼まれたからでもあるけれど、こいつに勝ってぎゃふんと言わせるために!
今日こそは!
茶道部の新入部員である久我の紹介も、部員の自己紹介もあらかた終わっていた作法室へ俺が顔を出すと、倉橋先輩がぱっと笑顔になった。
「ああ、萩原くん。よかった。来てくれて。この子、うちの新入部員、久我くん」
部員入らないかも……と数日前肩を落としていたのが嘘のような明るい顔で、倉橋先輩が自分の隣に正座する男子を掌で指し示す。示された方の生徒、久我がこちらを見た。
「久我左京です。どうぞよろしくお願いいたします」
久我はそう言ってすうっと頭を下げた。思わず見とれてしまうくらい、綺麗な座礼だった。
背が高く、手足が長く、姿勢がいい。礼儀正しい一年生。ちょっと水墨画の中の人みたいな静かな佇まいが印象的な、茶道部っぽいといえばぽいこいつのことを、俺はただただ、好意的に受け入れた。
部室に誰もまだ来ていなくて、こいつとふたりきりになったときも積極的に会話をした。
「久我ってなんで茶道部に入ったの?」
「うち、母親が茶道の先生なので」
「え、家元とかそういうの?」
「いえ、そんな大層なものでは。末端も末端ですから、継ぐとかそんな話もないです」
さらさらっと淀みなく返ってくる言葉も、涼しげな眼差しも、俺よりよっぽど大人びていて、話していると少し緊張もしたけれど、それでも居心地よく過ごしてほしくて、俺は久我に話しかけ続けた。
将棋部には後輩が入らなかったけれど、こいつは俺にとって唯一の後輩だし、こいつがやめたりしたら倉橋先輩が悲しむ。
「じゃあ、お茶が好き、とかそういう理由?」
「まあ、そう、かな。香りが好きなので。お茶の」
とってつけたような理由にも聞こえたが、まあわからなくもなかった。俺だって将棋ならまあ好きだし、くらいな軽い気持ちで将棋部に入ったし。
「親が先生だからなんだな。久我の手つき、自然だもんな」
言葉を継ぎたくてそう褒めると、久我はちょっと困ったように視線を落としてから、そっと視線を上げてこちらを見た。
「たてましょうか」
「え」
「一服」
「あ、えと、はい」
かしこまりながら頷くと、久我は小さく息を吸ってから、先輩、と唇を動かした。
「ん?」
「ありがとうございます」
「……なにが?」
「たくさん話しかけてくださって」
まさかそんなことで礼を言われると思っていなくて、俺は却って慌ててしまった。
「おま、お前さ、ちょっと堅苦しすぎ。もっと気楽でいいんだよ。少なくとも俺にはそうだから。な」
「気楽、ですか?」
「そう! こう、馬鹿話してきてもいいし、悩みがあったら言ってきてもいいし、宿題、わかんないとこ訊いてきても、って俺、成績あんまだから力にはなれないかもだけど……とにかく! この後、ふたりきりになっちゃうんだから俺には気、遣わなくていいから」
とはいっても、同じ学年のやつがひとりもいない先輩だらけの部で、気を遣わなくていいと言われても無理だろうなあ、と思ってもいた。
母親が茶道の先生をしているから、というのもあるかもしれないが、久我は先輩に対しての礼の尽くし方が実にしっかりしていた。そんな久我が、先輩、後輩の線を越えてまで気安く接してくるというのはなんとなく久我のキャラではない気がした。
のだけれど。
「あ、萩原先輩」
数日後、教室移動のため、渡り廊下を歩いていたときだった。
聞き覚えのあるそれは、間違いなく久我の声だ。けれど、いつもとは明らかに違う響きがある。怪訝に思って振り向くと、予想通り、久我が長い足を運んでこちらに駆け寄ってくるところだった。
走っているところも初めて見て、二重の意味で驚いた。けれど、驚かされたのはそれだけじゃなかった。
「今日、部活、来はります? 美味い紅茶クッキー持って来たんで、今日、一緒に食べましょ」
「……え?」
来はります?
聞きなれないイントネーションで話しかけられ固まる俺にお構いなく、久我はさらさらと続ける。
「最近、倉橋先輩も将棋部の先輩方も全然来られへんやないですか。寂しいし、萩原先輩は顔、ちゃんと出してくださいね」
「え、あ、うん」
なんだ? こいつどうなっちゃったんだ?
しかもやたらめったらしゃべる。いつもの久我ならこんなにぺらぺらと自分から話しかけてこないのに。
お前、どうしたの、と問いかけようとしたとき、久我―、と声がした。見ると、久我のクラスメートらしいふたりの男がこちらを見ていた。
「行くぞー」
「今行くから」
そう言う久我は、いつも部室で見る笑顔も控えめないつもの久我で、当然、方言もなく、そのあまりにも違う顔に俺は本気でびびった。
が、久我の異常とも思える変化は、部内では至極冷静に受け止められた。
「どしたの、久我。なんで急に京都弁?」
「なんとなくです」
「ってなんで俺には標準語? 急展開過ぎてウケるんだけど」
「単なる気分ですので、気にしないでください」
取りつく島もないとはこのことだ。が、質問した側の山田先輩はただただ面白がるばかりで、それ以上突っ込むことをしなかった。もともと面白いことは面白いとニュートラルに受け止め、細かい理由まで考えるタイプの人ではないから、この反応もまあ、おかしくはないかもしれない。
その山田先輩の恋人でもある倉橋先輩もまた、似たり寄ったりの反応で、
「んー、まあ、ほら、言葉遣いなんて、人それぞれだし。接する人によってトーンが変わるってのもまあ、あることだしねえ」
などと言うばかりで、久我の異常行動は以来、話題に上ることはなくなった。
が、俺としてはめちゃくちゃ気になる。
「なあ、なんで俺にだけ、その言葉遣い?」
「あきまへんか?」
「あきまへんってことではないんだけど……ええと」
「そんなことより先輩、お茶、入れるんで、そこ、座っとくれやす」
……だからなんなんだその話し方! あとそのにこにこ顔!
もう意味がわからない。
「山田先輩、あいつなんなんだと思います?」
久我が委員会でいない日、部室で参考書を開いていた山田先輩に尋ねると、先輩はこちらを見もせずに、あいつー? と尋ね返してきた。
「誰のこと」
「だから! 久我ですよ! なんであいつ俺にだけ……」
「お前、そんなこと気にしてんの? いいじゃん、京都バージョンになってから久我、楽しそうだし」
「それは、まあ……」
確かに、久我はあの話し方になってから笑顔が増えたような気もする。が、部員みんなにその顔をするかというとそうじゃない。それがどうにも引っかかる。
「おちょくられてるってことですかね……」
「あー、かもなあ」
くっくっと肩を震わせて笑ってから、山田先輩は参考書に落としていた視線を上げて俺を流し見て言った。
「久我がお前にだけ心開いてるってことだろ? 喜べよ」
心開いてる?
まあ確かにそうかもしれない。部内の誰にも、そして多分、クラスメートらしき彼らへの対応からしても、久我があんな態度をとるのは俺にだけに見える。
だとするならば、喜ばしいことかもしれない。山田先輩や倉橋先輩が卒業してしまった後、俺はあいつとふたりきりになってしまうのだから。
ただ……よくわからない。なんであいつは急に俺にだけ態度を変えたんだろう。どうせならほかのやつにだってその顔、してやればいいのに。
「笑った顔、あいつ、すごくいいのに。なんで俺にだけ……」
そう、久我は笑顔がいい。それを俺はあいつがはんなりになったことで知った。
だから別にいいといえばいいいのだ。しゃべり方が変わったことなんてどうでも。
とはいえ……それが俺にだけってのがどうも……。
「先輩? どうしはりました?」
思い出にひたっていた俺をやたらめったら整った顔が覗き込んでくる。ちょっと心配そうに眉を寄せたその顔から俺は慌てて視線を逸らす。
「どう、も、してない」
「ほんまに?」
じいっと黒い目が間近く覗き込んでくる。その探るみたいな眼差しにいらっとして俺は目を尖らせた。
「なんでもないっての! さっさと茶飲んで、勝負しろよ!」
「先輩、ほんませっかちですなあ」
くすっと笑いながら、久我はつつっと茶碗を俺の前に差し出す。
「ほな、お手合わせ願いましょか。今日も僕が勝ちそうですけど」
「言っとけ。今日こそぎゃふんと言わせてやる」
「ふふ。ぎゃふんは先輩のほうがお似合いちゃいます?」
くすくすと笑うその顔。意地悪なことを言うその口。
ほんと可愛くない。笑顔がいいなんてちょっとでも思った自分を殴りたくなるくらいむかつく顔だ。
今日こそはこいつに黒星をつけてやる!
憤りながらも俺は正座する。
「お点前頂戴します」
一礼し、茶碗を取り上げる。くるり、くるり、と二回回し、茶をすする。
うん、今日も安定の苦さだ。けどまあ……美味いような気もする。茶道部と活動していることもあってこの味に慣れたってことなんだろう。
「美味しくいただきました」
「お口に合うたようでなによりです」
そう言った久我がぷっと吹き出す。
「先輩が改まった言葉遣いしはると、面白うて、笑てまうわ」
「……お前の練習に付き合ってやってる俺に、その言いぐさはなんだ。大体、俺は抹茶よりコーヒー派だってのに」
……ああ、倉橋先輩、俺はこんなやつとふたりだけでこの先、ちゃんとやっていけるのでしょうか。
げっそりしながら、めったに部室に姿を見せてくれなくなった倉橋先輩に脳内で訴える。その間に、久我が床の間の脇にある収納の襖をすっと開けた。
「ほなら、今度、先輩のために美味いコーヒー、淹れてあげます」
そこから将棋盤を丁寧な手つきで出した久我に言われて、俺はきょとんとする。
「へ? なんで?」
「だって今、コーヒー好きや言わはりましたやん」
仏頂面をする俺を久我はにこにこしながら見ている。
……ほんと、こいつなんなんだろう。これだけ不機嫌な顔をしてやってるってのに、怒ったりいらっとしたりとかなんかないのか。
「別に、いい」
「遠慮いうんは子どもがするもんちゃいますよ」
「誰が子どもだ」
「子どもですやろ。僕より背ぇ、低いですし。すぐぷりぷりしはるし」
「それはお前がんな変な言葉遣いでからかってくるだろうが! ほんとなんなんだってば!」
「気にならはるなら、あれで僕に一勝することですな。そしたら、教えてあげます」
くすっと笑って久我は将棋盤を流し見る。そうされて俺はかっとなった。
「お前、ほんと生意気! 敬えよ、先輩を!」
「手心、加えてほしいんですか? せやったら、そう初めから言うてくださいよ」
「誰が!」
手心なんて加えられてたまるか!
将棋部の俺が茶道部のこいつに負け続けるなんて、あってはならない。
だから俺はここに通っている。倉橋先輩にこいつのことを頼まれたからでもあるけれど、こいつに勝ってぎゃふんと言わせるために!
今日こそは!



