俺にだけ京都弁で話してくる後輩の真意について。

「萩原くんさ、悪いんだけど、うちの部の久我くんの面倒、見てあげてくれないかな。これからも」

 茶道部の前部長、倉橋先輩にそう言われたのは、三年が部活を引退する九月の始めだった。

「面倒、ですか?」

 作法室で将棋盤を磨いていた俺に、倉橋先輩はおっとりと微笑み、白い手を閃かせて、お茶入ったからどうぞ、と俺を炉のそばへと呼ぶ。
 室内には俺と倉橋先輩しかいなくて、茶釜が湯を沸かす、しゅんしゅんという音だけが響いていた。

「そう。ほら、今年でさ、僕、卒業しちゃうでしょう。まあ君のとこも、山田くんも永澤くんも卒業しちゃって、君一人になっちゃうわけだけど」
「そう、ですね」

 将棋部と茶道部。現在、この両部の部員は、二つ合わせても片手の指で数えられるところまで激減している。というか、将棋部に至っては今年一年が入らなかったので、俺が卒業したら事実上消滅してしまう。そんな弱小クラブだから当然個々の部室なんてもらえなくて、このふたつの部は作法室で長年一緒に活動をしてきた。将棋部の練習に茶道部が付き合うことも日常茶飯事だったし、茶道部がたてたお抹茶を将棋部員がいただくこともまた、普通のことだった。
 というか……先輩達はひた隠しにしていたけれど、うちの部の部長、山田先輩と、茶道部の部長、倉橋先輩が付き合っていることを、両部の部員は全員知っていた。それくらい狭いコミュニティだったのだ。
 なので、こんなふうに倉橋先輩と話すことは珍しいことじゃかったけれど、こんな真剣な目で見られたことはなくて、俺はどきどきしていた。

「面倒って言っても……俺、なにもしてやれないですけど」

 たどたどしく返すと、倉橋先輩はおっとりと笑って細い首を振った。

「なにかしてあげてって言うんじゃないんだ。ただ一緒にこの部室で過ごしてあげてほしくて。こう、僕がお茶をたてたのを将棋部のみんなが飲んでくれるみたいに、久我くんのお点前に付き合ってあげてほしくて」
「俺、作法、わかんない、ですけど」
「そんなの。孝義だってわかってないよ、いまだに」

 さらっと呼ばれたのは山田先輩の下の名前だ。びくっとして顔を上げると、倉橋先輩はちょっとだけ頬を染めてぼそぼそと言った。

「知ってるんだよね、僕と孝義付き合ってるの」
「あー、えと、はい」

 もちろん、知ってる。
 まさかここに来て打ち明けられると思わなくて密かに胸を痛めている俺に、倉橋先輩は迷うように間をおいてから言った。

「まあ、その、付き合ってる云々は別にしてね、僕も孝義もお互いがいて、一緒に活動できて、すごくね、安心だったんだ。僕達の部の場合、一緒に活動をしていること、顧問にも伝えているからこそ、お互い部として存続もさせてもらえているわけだけど、そもそもね、部活って一人でするもんでもないから。わかるでしょう?」
「あ、えと、はい」
「だからね」

 神妙に頷く俺の前に丁寧な仕草で茶碗を置いて、倉橋先輩は静かに頭を下げた。

「変なところも多い子だけど、萩原くん、久我くんのこと、お願いね」

 ……俺はよっぽどのことがない限り、頼まれたら断らないタイプだ。しかも相手がこの人ならなおさら嫌とは言えない。

 ただ、倉橋先輩が言う通り、久我はちょっと……おかしい。

「先輩、どないしはりました?」

 はよ、お座りやす、としなやかな手で手招きされ、俺は顔をしかめる。
 ほんと、なんだかなあと思う。

「なあ、そろそろそれやめない?」
「それってなんです?」

 完全に西寄りの発音で、なんです? と返されて俺は肩を落とす。

「だから……その京都弁? 他の人には標準語で話すよな。なんで俺にだけ方言出してくんの?」

 そうなのだ。こいつがとびきりおかしいところ。

 ……それはなぜか俺にだけ京都弁で話すところ。

「またそれですか。そんな気になります?」
「当たり前だろ! なんで俺だけにそんなことしてくんの? いい加減教えてよ。もしかして嫌がらせ?」
「嫌がらせ」

 ぽつん、と呟いて、久我は茶碗を温めていたお湯を手近の器、(建水というらしい)に捨てながら低い声で言葉を紡いだ。

「言葉遣いちゃうと、嫌がらせになってしまうんですか?」
「え、いや、そうとも、限らない、かもしれないけど、ええと」

 なんでだろう。いつもより声が陰鬱に曇っているような。おろおろしながら俺は久我に向かって身を乗り出した。

「ただ、その、なんか理由があるなら教えてほしかっただけ。やっぱ気になるし」
「ふふ」

 いきなり笑われて俺はぎょっとする。俺の向かいに座った久我は、目を伏せながら茶杓を器の縁にかん、と当て、茶の粉末を器の中へと落としている。淀みのない手つきで、茶釜から柄杓で茶碗にお湯を注ぎながら、久我が言った。

「そんなんどうでもええあらしまへんか。先輩にはこっちがええなあ、思ただけです。気にせんといてください」
「いや! 気になるだろ! なんで山田先輩にも倉橋先輩にも永澤先輩にも標準語なのに俺だけ京都弁?! ほんと、そろそろ教えてよ。意味わかんなすぎて……」
「怖い、ですか?」

 そろっと瞼を持ち上げ、睫毛の陰からこちらを見てくる。その切れ長の目は年下とは思えない妖艶さがあって、ちょっとぞくっとする。

「怖い、とかじゃなくて。なんでなのかって考えちゃうから」
「よかった」

 俺よりも広い肩がふうっと緩む。ゆっくりと顔が上がって、薄い唇の端が上がった。

「怖がらせてるんやったら、どないしよ思てました」
「いや、そういうのはないけど! でも気にはなるから。だってお前、途中から方言出してくるようになったよな」
「そないなこと、忘れてしもたわ」

 涼しい顔で茶碗の中を茶筅で掻き回す。いつも通りのその顔を見ながら、俺は久我と初めて顔を合わせたときのことを思い出していた。