***
「それでは、模擬店優勝を祝いまして――! 乾杯!」
文化祭で掲げていた目標――優勝を勝ち取った俺たちのクラスは、景品の賞金を握りしめて、学園近くのお好み焼き屋になだれ込んでいた。貸切にしてもらった小さな店内は、四十人分のむさ苦しい熱気であっという間に埋め尽くされ、鉄板の焼ける匂いと男たちの汗の匂いが渾然一体となって充満していく。
グラスやおしぼりを一通り配り終え、ようやく息をついたところで、(誕生日でもないのに)お誕生日席に座らされていた伊織が俺を見上げた。
「お疲れ」
柔らかく笑って、コップに水を注いでくれる。その仕草だけで、疲れがすっと引いていくのが分かった。
いつもこいつらの世話係を買って出ているのは俺なのに、そんな自分をちゃんと見てくれているのは伊織だけだ。この地球上で俺以上に俺を気遣ってくれる人間なんて、伊織を除いて存在しないんじゃないか――そう本気で思ってしまうくらいには、俺は伊織のことが好きだと思う。
「いやー、西高の輩を牽制した時の久保の顔はホンマにヤバかったな」
「それな。めっちゃ笑顔やったけど、『俺の伊織に触んなや、ツラ貸せ、ケツから手ぇ突っ込んで目ん玉抉りだすぞ』の丁寧語バージョンやったもん」
「……そこまで言ったつもりはないけど」
「なくても、ほぼ全員そう聞こえてたと思うで」
鉄板越しに飛んでくるからかいの声に、思わず顔がこわばる。皆が話しているのは、模擬店に冷やかし半分で乗り込んできた西高の柄の悪い連中のことだ。他校で毎回トラブルを起こすことで有名で、うちの高校もそれなりに札付きではあるけれど、向こうの評判は輪をかけて悪い。そいつらが、注文をメモしていた伊織のスカートをからかい半分で捲ったのだ。
自分では、なるべく表情に出さず、揉め事の火種にならないよう丁寧に対応したつもりだった。それでも本当に不愉快ではなかったかと自分に問い直せば、返ってくる答えは即座に「ノー」だ。目の前に伊織がいなければ、あのまま椅子に縛りつけて全員プールに沈めようかと思うくらいにはムカついたのだから。
掘りごたつの座布団の下、誰の目にも触れない場所で、伊織の手をそっと握った。あの時飲み込んだ苛立ちのぶんだけ、せめて手のひらから伝えたくて。
(……無防備すぎるんだよ。どんだけ俺に心配させたら気が済むの)
伊織は肩をぴくりと震わせ、火照る顔を手で仰いだ。その反応に一人心の中でほくそ笑みながら、「鉄板熱い?」なんて適当なフォローを入れる。
「久保ー、割りばしそっちから回してくれへん? こっち足りひんから」
「はいはい。お前ら、もうちょい声のトーン落とせよ。貸切とはいえ、さすがにお店の人に迷惑だから」
俺が声を上げると、あんなに騒がしかったクラスメイトたちが「はーい」と幼稚園児のように行儀よく手を挙げて返事をする。その光景に伊織が思わず小さく吹き出した。
割りばしの束を受け取り、それを回している間、伊織の指先が俺の手に絡みついてくる。すり、と手の甲を優しく撫でる感触に、俺は俯いたまま、そこを出来るだけ見ないようにした。動揺しているのを悟られたくはない。
(今のだけで一気に機嫌がよくなる自分も、カッコわる……)
会話は自然と、それぞれの将来の夢や進路の話へと流れていった。
実家のお寺を継ぐと決めている海野、電子専門学校志望の川内、美容学校を目指す田中、そして美容師の夢から一転、トリマーになりたいという山根。それぞれの道が鮮明になっていくのを聞きながら、ふと隣の伊織に目を向ける。
「伊織、お前はどうするん? やっぱり推薦で大学とか?」
海野の問いかけに、伊織は「まだ決めてない」と気負いなく答えた。
「ほんなら、久保は? もう決まってたりするん?」
「親は六大学ならどこでも良いって感じだから、適当にその辺に入る予定」
「いや、適当に入れる大学ちゃうねんで、久保。お前の頭が異常にえぇだけやから」
二枚目の生地を小気味よくひっくり返しながら川内が笑う。焼き上げて切り分けたお好み焼きをふうふうしていた伊織は、なんともいえない複雑そうな表情だ。
「伊織はやっぱ久保とラブラブ同棲生活♡したいから、志望校も同じにするん?」
からかうような田中の言葉に、伊織は苦笑いで誤魔化す。
「えっ、あ……うーん。俺、みんなと違って、全然考えてなくてさ」
その答えに、心の中で言いようのない不快感が広がった。ずっと俺の頭の中では、大学生になっても俺と同じキャンパスに通って、並んで講義を受ける――そんな淡い未来を勝手に思い描いていたのに。伊織の方はまだ、そこまで具体的な「将来」を考えていないのかもしれない。
「伊織も頭良し、久保についてくのがええんとちゃうん」
「そうそう。お前らが東京行っても、俺らが遊び行くから。泊まらせしてや」
もしかして、伊織のなかでは遠距離恋愛のイメージもあったりするんだろうか。そんな不安が頭をよぎり、俺は座布団の下で繋いでいた手をきつく握りしめていた。逃がすつもりなんてさらさらないのに、伊織は呑気な顔をしている。鈍い所が愛おしい反面、こういう時には本当にイライラする。そういう自分の汚い部分は――いまだに出せずにいるのだけれど。
「それでは、模擬店優勝を祝いまして――! 乾杯!」
文化祭で掲げていた目標――優勝を勝ち取った俺たちのクラスは、景品の賞金を握りしめて、学園近くのお好み焼き屋になだれ込んでいた。貸切にしてもらった小さな店内は、四十人分のむさ苦しい熱気であっという間に埋め尽くされ、鉄板の焼ける匂いと男たちの汗の匂いが渾然一体となって充満していく。
グラスやおしぼりを一通り配り終え、ようやく息をついたところで、(誕生日でもないのに)お誕生日席に座らされていた伊織が俺を見上げた。
「お疲れ」
柔らかく笑って、コップに水を注いでくれる。その仕草だけで、疲れがすっと引いていくのが分かった。
いつもこいつらの世話係を買って出ているのは俺なのに、そんな自分をちゃんと見てくれているのは伊織だけだ。この地球上で俺以上に俺を気遣ってくれる人間なんて、伊織を除いて存在しないんじゃないか――そう本気で思ってしまうくらいには、俺は伊織のことが好きだと思う。
「いやー、西高の輩を牽制した時の久保の顔はホンマにヤバかったな」
「それな。めっちゃ笑顔やったけど、『俺の伊織に触んなや、ツラ貸せ、ケツから手ぇ突っ込んで目ん玉抉りだすぞ』の丁寧語バージョンやったもん」
「……そこまで言ったつもりはないけど」
「なくても、ほぼ全員そう聞こえてたと思うで」
鉄板越しに飛んでくるからかいの声に、思わず顔がこわばる。皆が話しているのは、模擬店に冷やかし半分で乗り込んできた西高の柄の悪い連中のことだ。他校で毎回トラブルを起こすことで有名で、うちの高校もそれなりに札付きではあるけれど、向こうの評判は輪をかけて悪い。そいつらが、注文をメモしていた伊織のスカートをからかい半分で捲ったのだ。
自分では、なるべく表情に出さず、揉め事の火種にならないよう丁寧に対応したつもりだった。それでも本当に不愉快ではなかったかと自分に問い直せば、返ってくる答えは即座に「ノー」だ。目の前に伊織がいなければ、あのまま椅子に縛りつけて全員プールに沈めようかと思うくらいにはムカついたのだから。
掘りごたつの座布団の下、誰の目にも触れない場所で、伊織の手をそっと握った。あの時飲み込んだ苛立ちのぶんだけ、せめて手のひらから伝えたくて。
(……無防備すぎるんだよ。どんだけ俺に心配させたら気が済むの)
伊織は肩をぴくりと震わせ、火照る顔を手で仰いだ。その反応に一人心の中でほくそ笑みながら、「鉄板熱い?」なんて適当なフォローを入れる。
「久保ー、割りばしそっちから回してくれへん? こっち足りひんから」
「はいはい。お前ら、もうちょい声のトーン落とせよ。貸切とはいえ、さすがにお店の人に迷惑だから」
俺が声を上げると、あんなに騒がしかったクラスメイトたちが「はーい」と幼稚園児のように行儀よく手を挙げて返事をする。その光景に伊織が思わず小さく吹き出した。
割りばしの束を受け取り、それを回している間、伊織の指先が俺の手に絡みついてくる。すり、と手の甲を優しく撫でる感触に、俺は俯いたまま、そこを出来るだけ見ないようにした。動揺しているのを悟られたくはない。
(今のだけで一気に機嫌がよくなる自分も、カッコわる……)
会話は自然と、それぞれの将来の夢や進路の話へと流れていった。
実家のお寺を継ぐと決めている海野、電子専門学校志望の川内、美容学校を目指す田中、そして美容師の夢から一転、トリマーになりたいという山根。それぞれの道が鮮明になっていくのを聞きながら、ふと隣の伊織に目を向ける。
「伊織、お前はどうするん? やっぱり推薦で大学とか?」
海野の問いかけに、伊織は「まだ決めてない」と気負いなく答えた。
「ほんなら、久保は? もう決まってたりするん?」
「親は六大学ならどこでも良いって感じだから、適当にその辺に入る予定」
「いや、適当に入れる大学ちゃうねんで、久保。お前の頭が異常にえぇだけやから」
二枚目の生地を小気味よくひっくり返しながら川内が笑う。焼き上げて切り分けたお好み焼きをふうふうしていた伊織は、なんともいえない複雑そうな表情だ。
「伊織はやっぱ久保とラブラブ同棲生活♡したいから、志望校も同じにするん?」
からかうような田中の言葉に、伊織は苦笑いで誤魔化す。
「えっ、あ……うーん。俺、みんなと違って、全然考えてなくてさ」
その答えに、心の中で言いようのない不快感が広がった。ずっと俺の頭の中では、大学生になっても俺と同じキャンパスに通って、並んで講義を受ける――そんな淡い未来を勝手に思い描いていたのに。伊織の方はまだ、そこまで具体的な「将来」を考えていないのかもしれない。
「伊織も頭良し、久保についてくのがええんとちゃうん」
「そうそう。お前らが東京行っても、俺らが遊び行くから。泊まらせしてや」
もしかして、伊織のなかでは遠距離恋愛のイメージもあったりするんだろうか。そんな不安が頭をよぎり、俺は座布団の下で繋いでいた手をきつく握りしめていた。逃がすつもりなんてさらさらないのに、伊織は呑気な顔をしている。鈍い所が愛おしい反面、こういう時には本当にイライラする。そういう自分の汚い部分は――いまだに出せずにいるのだけれど。



