スクールカーストの    裏口から

翌日、一ノ瀬の報復はさらに子供じみたものへと発展していた。
朝、教室のドアを開けた瞬間、それまでガヤガヤと騒がしかった空間がピタリと静まり返る。クラス全員の視線が凛に集まり、そしてすぐに、示し合わせたように全員が顔をそむけた。一ノ瀬が裏の手回しで「黒羽を徹底的に無視しろ」というシカトの指示をクラス全体に回したのだ。
だが、元より一匹狼の凛にとって、周囲の沈黙など静かで快適なBGMでしかなかった。
むしろ、うるさい雑音が消えて読書に集中できる。凛はクールな佇まいで、堂々と自分の席に座ると、昨日一ノ瀬に水浸しにされた小説の続きを開いた。その動じない、どこまでも凛とした姿は、いじめを主導した一ノ瀬の焦りをかき立てるには十分だった。

(勝ち誇っていられるのも、今のうちだよ)

凛は文庫本で手元を隠しながら、ブレザーのポケットの中でスマートフォンを操作した。
画面に並ぶのは、昨夜一ノ瀬の端末から抜き取った膨大なログデータ。凛の指先は液晶の上を滑らかに滑り、一ノ瀬の左右を固める忠臣――高橋杏奈と佐藤結衣の端末へ向けて、静かに「罠」のトリガーを引いた。

昼休み。その瞬間は、教室の空気が一番緩み、誰もが油断したタイミングで訪れた。
一ノ瀬のグループのスマホが、同時に短く震える。謎の匿名アカウントから届いたダイレクトメッセージ。それを開いた瞬間、高橋と佐藤の顔から、一滴の血も残らないほどサーッと血の気が引いていくのを、凛は文庫本の陰から冷徹に観察していた。

高橋の画面に映し出されているのは、一ノ瀬が裏アカウントで投稿した、決定的なLINEのスクリーンショットだった。そこには『杏奈の彼氏、マメすぎて重いってさ。私がちょっと色仕掛けで誘ったら簡単に寝取れそう。今度試して、杏奈がどんな顔をして泣くか見てみようかな(笑)』という、悪意に満ちた文字列が刻まれている。高橋はスマホを握る手を小刻みに震わせ、隣に座る一ノ瀬を信じられないといった目で見つめた。

同時に、佐藤の画面には、一本の音声ファイルが再生されていた。イヤホン越しに聞こえるのは、一ノ瀬が過去に他校の生徒と起こした金銭トラブルの際の、生々しい肉声だ。
『もしあの件が警察とかにバレたらさ、全部結衣がやったってことにしとけばよくない?あいつバカだし、私の言うことならなんでも信じるから身代わりにちょうどいいじゃん』。佐藤の瞳から一気に光が消え、深い絶望と激しい怒りがその顔を支配していく。
どちらも、凛が一ノ瀬のスマホの深層からサルベージした、紛れもない「本物の証拠」だった。

「ねえ二人とも、次の休み時間さ、黒羽の上履き隠さない?どんな泣き顔拝めるか楽しみじゃない?」

何も知らない一ノ瀬が、いつも通り傲慢な笑顔で二人に同意を求める。
しかし、いつもなら真っ先に同調し、率先して手を汚すはずの二人の口から返ってきたのは、教室の温度を凍りつかせるような冷ややかな沈黙だった。

「……ちょっと、杏奈?結衣?聞いてるの?」
「……ちょっと、お腹痛いから保健室いく」

高橋は一ノ瀬と一切目を合わせようともせず、突き放すような低い声で席を立った。その足取りは怒りに震えており、一ノ瀬の呼びかけを完全に無視して教室を飛び出していく。

「え、ちょっと待ってよ。なによあいつ。じゃあ、結衣は――」
「私も。売店行ってくる。一ノ瀬、もう私に話しかけないで。顔も見たくない」

佐藤に至っては、怯えを通り越して純粋な拒絶の言葉をぶつけ、一ノ瀬の腕を振り払って足早に教室を去っていってしまった。

「は?何なのあいつら……!意味わかんないんだけど!誰のおかげでこのクラスで大きな顔できてると思ってんのよ!」

一人取り残され、激しい苛立ちと困惑で金切り声を上げる一ノ瀬。周囲のクラスメイト達も、絶対的だった女王のグループに起きた突然の瓦解に動揺し、教室には触れれば切れるような緊張感が走り始める。
その騒音の中心で、一人静かに文庫本を閉じた凛は、フッと口元だけで冷たく笑った。

(まずは二人。砂の城みたいに脆くて、くだらない王国ね)

一ノ瀬の知らないところで、彼女を頂点としたカーストは内側から強烈な疑心暗鬼に包まれ、確実に崩壊へのカウントダウンを始めていた。孤立した一ノ瀬は焦りから、さらに理不尽で、取り返しのつかない暴挙に出るはずだ。それこそが、凛の用意した本番の処刑台だとも知らずに。