ラピスラズリに幸福を

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 あれから、なんとか二時間の残業で仕事を終えて二十時過ぎに帰宅することができた。夫の佳史(よしふみ)はすでに帰っていて、ソファに座ってお酒を飲みながらスマホをいじっていた。

「ただいま」

「お疲れー」

 私より五歳年上の彼は、赤くなった顔で振り向いてから、また手元のスマホに視線を移す。
 そんなに飲んで大丈夫なの? 
 今日の夜のこと、忘れてるわけじゃないよね……。
 胸に不安の影が落ちる。でも、気にしすぎるのは良くない。

「佳史、何時に帰ってきたの?」

「んー、一時間ぐらい前かな」

 こともなげに答える夫に、私はぴりりと痺れるような痛みを覚えた。 
 そんなに前に帰ってきていたのか。
 それならせめて、ご飯の準備を少しでもやってくれたらいいのに——と、夫を責めたくなりそうになってぐっと本音を飲み込む。
 仕事で疲れているのは夫も一緒だ。自分より早く帰ってきたからと言って、全部押し付けて良いわけないじゃない。夫は料理こそしないけれど、部屋の掃除やゴミ捨てなんかはやってくれてるんだし……。
 料理と掃除やゴミ捨てのしんどさの比重は深く考えないようにして、必死に手を動かす。
 絶対、毎日の食事の準備のほうがしんどいって。
 途中、ふとまたそんな考えが浮かんで頭の中で打ち消した。

「いただきます」

 出来上がった鮭の入ったシチューとサラダを前に手を合わせる。夫は「うまい」と言って食べてくれる。それだけでちょっと心が和んだ。

「今日、あの日(・・・)だって覚えてる?」

「ん、そうだったな」

 “あの日”——私たちの間では“仲良しデー”と呼んでいる日は、つまるところ妊活でタイミングをとる日のことだ。
 私たち夫婦は結婚して今年で四年目を迎える。
 最初の二年は夫婦二人の生活を楽しんでいたのだが、二人の時間も十分に堪能して、二年前からお互いに「そろそろ……」と子どもを望むようになった。
 当時二十六歳。周囲ではぽろぽろと結婚をする学生時代の友達が出てきていたものの、まだ未婚の友達が多かった。だから、焦りなんて微塵もなくて、ただゆるく妊活をして子どもができればいいかな、なんて余裕ぶっていた。
 でも、現実は全然違っていた。
 できない。
 できない。
 できない……。
 私たち夫婦の間に、子どもはできなかった。
 最初の半年ぐらいは、「まあそんなに簡単にはいかないよね」とまだ余裕があったが、一年、一年半……と時間が経つにつれて、焦りが生じるようになった。
 自分が三十代後半とか、四十代前半とかだったら、できにくいのもまだ分かる。
 まだ、二十六歳なのに……?
 それが、生物学的に本当に“まだ”と言えるのかどうか、詳しいところまで調べられていない。けれど、晩婚化が進む世間一般的に見て、二十六歳の自分が不妊症であることを、認められなかった。

 不安な気持ちを夫に話すと、病院に行こうという話になった。
 夫は協力的で、自ら不妊症の検査だってしてくれた。結果、夫のほうに問題はなし。でもだからといって、私に致命的な問題があるのかと言われれば、そういうことでもなかった。
 ただただ子どもができにくい体質で、原因も分からない。
 それが、こんなにも胸に暗い影を落とすなんて、妊活を始める前まで考えもしなかった。

 妊活の基本ははず、タイミング法だ。
 いわゆる排卵日に合わせて夫婦で行為すること。
 病院で定期的に卵胞の大きさを調べてもらい、排卵日を割り出す。自分でも基礎体温を記録して、排卵日を予測する。完全な特定は難しいけれど、病院での結果と併せると大体の排卵日を把握することができた。
 タイミングを測って行為をする。それでも、妊娠する確率は私の年齢で30%程度だ。年齢を経るごとにこの確率はどんどん下がっていく。ダメだったらまた一からやり直し。二週間ほど待って、また排卵日の付近でタイミングをとって……を繰り返すのだ。

 そんなことをしているうちに、だんだん行為自体、なんだか機械的な感じがしてくるのは仕方のないこと。夫もそう感じているに違いない。タイミングをとる日に仕事で疲れていることだってある。今日だってそうだ。でも、やらなければ授からない——だんだんと蝕まれていく精神が、私を、私たちを追い詰めていた。

 夜。約束通りにベッドに入り、無事に事を終えた。
 充足感とは別の、疲労感がじわりと身体に広がる。
 タイミングは、できれば排卵日の二、三日前から二、三日後ぐらいまで二日置きぐらいに行うのがベストだ。タイミングを取ればとるほど、確率が上がる。そんなことは分かっている。でも……。

「そろそろ、ステップアップも考えたほうがいいのかな……人工授精とか」

 私がぽろりとそうこぼすと、暗闇の中でも夫がわずかに眉を顰めたのが分かった。
 ステップアップ。妊活でそう呼んでいるのは、もう一段階上の、たとえば人工授精や体外受精を行うことだ。費用や身体への負担がかかることなのでまずはタイミング法から始めて、その先の治療として後々選択する人が多い。
 私たちの場合、次に考えるのは人工授精だけれど……

「……なんか、人工授精ってさ」

 夫の声がくすんでいるように感じる。先ほどまで愛し合っていた相手の声とは思えない。胸がじくじくと痛み出すのを感じながらも、彼の言葉を聞かずにはいられない。

「機械的だよな」

 ずくり、と大きな刃を心臓に突き立てられたような気がした。 
 機械的——そんなの、分かってるよ。
 でもだからと言って、人工授精が自然妊娠に比べて劣っているわけでもないし、夫だってそんなふうに言いたいわけじゃないのだろう。どんな方法でだって、授かりものは一様に尊いし、喜ばしいことだ。
 試験管ベイビー。
 いつからかそんな言葉をよく耳にするようになった。体外受精によって誕生した赤ちゃんのことを指すのだそう。
 だから、なんなんだ。それっていけないことなの? よくないことなの? 歪められた認知に、世間の人たちが「そうなんだ」と自然に納得していくことが私には苦痛だった。

「それでも私は、やれることはなんでもやりたいと、思うよ」

 力なく答えた。夫も「そうだな」と言ってくれたけれど、どこまで本気で考えてくれているのか分からない。背中から滲む「疲れた」という声を聞こえないふりをして眠った。