1.アタシたちが織姫と彦星に⁉
なんや、七夕の話やて?
え、マジで織姫と彦星のストーリー知らんの? ヤバいやろ(笑)。
しゃあない、自分がめっちゃ分かりやすく教えたるわ。よー聞いとけや!
まず、主な登場人物な。
織姫。
天の神様の娘や。めっちゃ働くバリキャリ、はた織り娘やから、ハタキャリか。え、おもろない?
彦星。
川の向こう岸の牛飼い。こっちもガチの真面目くんやで。
天帝。
織姫のオトンのことな。ちょっと娘にベタ甘なおっさんなんや。
で、物語は運命の出会いから始まる……ちゅうか、この二人速攻でつき合い始めよったんやけど。
昔々、天の川の近くに織姫っていう女子がおってん。この子がもう引くほど働き者でさ、毎日ずーーーっと着物を織ってたわけ。それ見たオトンが、「うちの娘、マジで仕事しかしてへんやん…青春スカスカでかわいそすぎる」って心配になってな……いや普通の父親やったら、その方が安心するやろ? え、そうでもあらへん?
……でオトン、「あ、検索したら、向こう岸にめっちゃ真面目ないい奴おったわ」ってことで、牛の世話してた彦星を紹介したんよ。今でいう親専用のマッチングアプリみたいなもんやろか?
そしたらもう、これが大ヒット。
お互いひと目惚れで、
「いや、タイプすぎる!」
「俺も!」
ってなって、秒でつき合うて、そのまま結婚してもたんや。
で次。
問題はこっからや。
恋は盲目、ガチで仕事も部活も勉強もサボりだすっちゅう話や。
この二人、つき合いだした途端に四六時中ずーーーっとイチャイチャコラコラしだしてん。
もう、周りが見えてへん状態。
織姫、「彦星くん、すきー!」って言って、機織りを完全放置。
彦星、 牛の世話サボりすぎて、牛がガリガリにやせ細ってしもうた。
オトンが
「おいお前ら、ええ加減にせえ。ちゃんとやることやれ!」ってガチギレしても、「はーい、すんませーん」とか言いながら、裏でまだスマホでLINEしまくってる感じ。なめ腐っとるやろ?
そんでオトン、ついに大爆発。
「お前ら調子乗りすぎや! もう別れろ!!」ってなって、織姫を天の川の東、彦星を西へ、強制的に引き離してもうたんよ。スマホも没収、完全に出禁監禁状態やで。
引き離された二人は、もう大号泣よ。
織姫は「彦星くんに会いたい…無理…」って毎日泣いて病みツイート連発(笑)。
結局仕事にならんし、彦星も部屋の隅で体育座りして引きこもっとったらしいわ。
二人はガチ病み期突入、そしてオトンが妥協案を出すんやな。
さすがに「ちょっとやりすぎたか…?」って、ちいとは罪悪感湧いたんやろな。
で、一つの条件を出しはった。
「お前らが毎日ちゃんと真面目に勉強も仕事もするんやったら、年イチ、七月七日その夜だけはデートしてもかめへん」
……これが七夕の始まりやな。
これ聞いた二人は態度急変、むちゃゲンキンやで?
「マジ!? やるわ! 俺めっちゃ牛育てる!」
「うちも爆速で着物織る!」
ってなって、そっから急にまた真面目に働きだしたんや。あきれた奴らやろ?(笑)
年に一回の遠距離恋愛やな。
それからというもの、二人は七夕のためだけに必死に生きとるわけや。
ただ、これまだ話の続きがあんやけどな……
七月七日になってもな、なんせ天の川やろ? 川幅がデカすぎて橋がないから渡られへんねん。
「会われへんやん!」って二人が川の端っこでまたワンワン泣いてたら、どこからともなくカササギっていう鳥の群れがブワーーーって飛んできて、
「しゃあないな、うちらが並んで橋になったるから、背中の上歩いていき!」
って、チャリならオッケーみたいな端っこの道を作ってくれるんよ。
それでやっと二人はギュッと抱き合って、一年分溜まったラブラブを爆発させるわけや。
で、ここからがツッコミどころな!
これさ、もし七夕の夜に雨が降ったら、天の川が氾濫してカササギが橋を作れんようになるらしいねん。そうなったらその年は「はい、デート中止ー。また来年な!」やで?
いや、厳しすぎん!?
雨で中止とか、どこの野外フェスやねんって話やろ?
……まぁ、そういう切ない話やから、今年の『七夕ライブ』もきばっておくれやす(笑)。
〇
六月、梅雨入りしたある日の放課後。
ここ生徒会室――正確に言うと、生徒会&軽音部&ダンス部が合併した『S.E.X.Y.』の部屋――の真ん中には、会議用のテーブルがある。
今、それを囲んでいるのは、合計六人。
この話をしてくれた三年生の倭丈瑠(ヤマトタケル)先輩と桜羽夏鈴先輩の生徒会アドバイザーコンビに、二年生でこの間、晴れて生徒会長に選ばれたばかりの月城冴先輩、副会長の瀬戸陽向先輩、同級生で会計の一条怜、そして書記のアタシ、京野波瑠(通称ハル)だ。
あ、補足しておくと、『S.E.X.Y.』のメンバーは、合併のときに校長先生が交換条件を出してくれた通り、ちゃんと便宜を図ってくれて、この生徒会室以外に、第二体育館の一部を改装したダンススタジオや、完全防音の音楽スタジオを自由に使うことができる。
サポートスタッフは、生徒会の作業がないときは、そこでダンスや軽音の練習に励んでいて、生徒会役員の四人も時間を見つけては利用させてもらっているのだ。
「あー、なにが『切ない話やから』よ! うーん……ごめん、タケルに七夕の由来の説明を頼んだ私が悪かった」
そう言って机に突っ伏して嘆いているのは夏鈴先輩だ。アタシたち生徒会役員の一、二年生はリアクションに困って、お互いの顔を見合わせるしかできなかった。
「え?結構わかりやすく、ええ感じに説明できたと思ったんやけど」
タケル先輩は、納得がいかない様子だ。
「まー、話の筋はよくわかった……だけど、七夕のロマンチックな雰囲気がブチ壊しじゃん」
「夏鈴はん、ひょっとして大阪弁をディスってるとちゃいます?」
「いや、そんなことはない。大阪弁にだって風情があることは十分わかっている。問題は、あんたのその喋り口だ」
「よーわからなんなあ」
「……もういい」
夏鈴先輩、どうもタケル先輩には容赦ないところがある。というかこの元生徒会長さん、ぱっと見、小っちゃくて可愛くて、学校の創業者の家系で育ちがいいせいか、上品な喋り方をするんだけど、どうも『裏の顔』があるような気がしてならない……なんとなくのアタシの勘なんだけど。
「桜羽先輩……それから、月城会長、瀬戸副会長。ロマンチックかどうかは置いといて、七夕の由来についてはよくわかりました。でも、今日、僕とハルがここに呼ばれた理由、つまり『お願いごとがある』っていうのと、どういう関係があるんですか?」
怜はフチなしメガネの位置を直しながら尋ねる。会長も副会長も「サエさん、ヒナタさん呼びでいいよ」と言ってくれてるんだけど、どうも怜は堅苦しい……というかコイツ、ちょっと機嫌が悪いときに、わざとこんな呼び方をしたりする。
確かに、今日は生徒会の仕事はない日なんだけど、なぜ怜とアタシが先輩方に呼ばれたか、ちゃんと説明してもらっていない。
「それについては、私から説明した方がいいだろう」
そう言って、冴先輩が手もとにあるノートパソコンのキーボードを叩くと、壁に架けてある大型モニター画面に映像が現れた。
その動画は――時間的には夕暮れどきだろうか――この学校、愛求学園の中庭にある小さなステージを映し出している。その上には冴先輩と陽向先輩の姿があり、二人とも、ゆったりとした着物を身にまとっている。
そして、去年の文化祭で観たようなビート感があって切れのいいライブとは違って、二人でスローテンポなメロディーを歌いあげていた。
「これは?」
怜が怪訝そうに会長に尋ねる。
「『七夕イブニングライブ』の記録だ。
「「七夕イブニングライブ?」」
アタシと怜が声をそろえた。
「確かこのイベントについては、入学式のときに夏鈴先輩から年間スケジュールの中で触れていたはずだ。もっとも、内容についての説明はなかったと思うが……去年は、私と陽向がメインでステージに上がったが、今年はハル君、怜君、二人にぜひお願いしたい」
え? アタシと怜は顔を見合わせる。
冴会長は説明を続けた。
「七夕ライブの目的は二つある。わが愛求学園は、その名の通り、『愛とは何か』を探し求めることをモットーとしている。だから、目的の一つは、生徒会……いや『S.E.X.Y.』として、それを具体的にどう考えているかを生徒たちに示すこと」
「えーっと、確か、文化祭のライブも、同じような目的でやってるんじゃありませんでしたっけ?」
アタシは、文化祭のパンフレットに書いてあったことをうろ覚えながら思い出した。
「その通りだが、そっちの方は生徒も含め、対外的にアピールする意味合いが強い」
確かに。それでアタシは愛求学園を第一志望に決めたんだった。
「もう一つの目的は、ハル君、怜君……君たちをわが校の理想のカップルとしてデビューさせることだ」
「「え⁉」」
アタシと怜の声がまたシンクロした。
冴会長は構わず続ける。
「わが校では、男女の節度を持った交際は認められている……というよりむしろ推奨されている。なぜなら、『愛とは何か』を探し求める学校だからな。君たち二人にそのお手本となってもらうわけだ」
「なあーに、あんまり身構えなくてもいいよ、冴と俺も去年、その洗礼を受けたんだから」
陽向副会長が冗談混じりにそう言った。
「い、いや、だからこそ不安なんです! お二人とも、ほんとうに理想のカップルだと思うし、歌もダンスも、曲作りもうまいし……それに比べれば」
正直アタシ、ビビっている。
「ハル君、心配には及ばん。生徒会総選挙の演説ライブ、二人ともあれは堂に入ったものだったぞ。歌詞もメロディーもなかなかのもんだ。あんな感じで、自分たちの思いを音楽に乗せて欲しい」
冴先輩がそう言ってくれるのはありがたいけど……
「それにさ、『二人はお似合いのカップルだ』って生徒たちの間からもチラホラ聞くようになったし、なにも問題ないよ」と陽向先輩。
……そうだ、そこだ。
アタシは夢の一つとして『恋のデビュー』を掲げている……その相手は、幼なじみの怜。それなりに意思表示をしているつもりなんだけど、どうも怜の態度が煮え切らない。ほんとうに彼、アタシのことをどう思っているんだろうか。
怜の顔を凝視する。
しばらくして彼は口を開いた。
「わかりました。引き受けます……いいだろう? ハル」
そ、それってアタシのこと、彼女だって認めたってこと?
「うん、怜がいいんなら、いいよ」
アタシはちょっとウキウキしてそう返事した。
「生徒会の仕事だから、ビジネス・カップルでも構わないんだろうし」
え! それって、どういうこと?
冴先輩と陽向先輩が顔を見合わせた。
「でも、こんなイベント、誰が考えて、いつからやってるんですか?」
アタシの疑問をよそに、怜は別の話題を振った。
「なんとなく、生徒会と軽音・ダンス部の合併話が持ち上がった去年からだけど――つまり私たちが初代ね――構想は前からあったらしいな」と冴さん。
「遥ねえさま……じゃなくて校長先生の発案でね。なんでも、ゾッコンだった榊原元生徒会長とペアでやろうと目論んでいたという説もある」と、校長先生の従妹でもある夏鈴さんが苦笑いしながらつけ加えた。
「うわ、それヤバくない? 生徒と教師……よりによって校長先生……教育委員会やPTAからグサッと刺されるでしょ?」
陽向先輩も初耳だったらしい。
その後、七夕イブニングライブの当日までの準備や、当日の段取りなどの説明を受け、打ち合わせは終わった。
〇
帰り道。
夕陽を背に受けながら、いつものように、アタシと怜は並んで歩く。二人とも、無言のまま。
「ねえ、怜」
「?」
アタシはどうしても聞いておきたかった。
「さっき、『生徒会の仕事だから、ビジネス・カップルでも構わないだろうし』って言ったでしょ。あれ、どういうこと?」
彼は数歩進んでから口を開いた。
「いやだって、陽向さんや冴さんの二人でもできるんだから、いいんじゃないかって」
「……こないだも、二人のことビジネス・カップルだって言ってたよね? アタシには、ほんと理想のカップルにしか見えないけど」
「どうだろうね」
それだけ言ってまた黙ってしまった。
少し長くなったアタシたちの影が、アスファルトの上で並んで伸びている。
距離はいつもと同じはずなのに、怜が言った『ビジネス』っていう冷たい響きが、夕陽の熱を奪っていくみたいで、アタシはただ、自分のローファーの音だけを聞いていた。
「ねえ、怜」
「なに?」
「あ……アタシたちのことは、どう思っているの?」
彼は歩きながらアタシの顔を見つめたけど、また前を向いた。
「うーん……今は保留」
「……ずるい」
アタシは消え入りそうな声でつぶやき、少し歩く速度を速めた怜の後を追う。
感情曲線は今、ジェットコースターみたいに急に上がったり下がったりしている。
このままだと、ぐるり一回転してしまいそうだ。
2.生徒会で踊ってみた
七夕イブニングライブの日が近づいた六月の下旬。
アタシは生徒会室でパソコンとにらめっこしていた。大テーブルの隣の席では会長の冴さんもキーボードをパチパチ叩いている。
アタシは書記として生徒会からのお知らせの原稿をまとめていた。七月の頭に配布されるこの記事には、七夕のライブの詳報が入っている。
自分で原稿を書いといて言うのもナンだけど、このイベントへの出演、どうも気が重い。ライブで披露する曲については、今回めずらしく怜が「作詞の方は任せてくれ」と言ってくれたのでアタシは曲作りに専念でき、負担は減ったけれども……。
怜が発した『ビジネスカップル』と『今は保留』という二つの言葉が頭の中をぐるぐると駆けめぐっている。アタシたち二人の関係はなにも進展しないまま、ライブを迎えることになりそうだ。
朝からの雨が、強くなったり弱くなったりしながら、今も部屋を暗くし、空気をジトッと重くしている。七夕のライブの場所は学校の中庭。屋外なので、いっそのこと雨天中止になってくれればいいのにと、アタシは両手を組んで窓の外に向かって祈った。
でも、残念ながら、アタシも怜も晴れ女・晴れ男らしくで、小学校からの外の行事で中止になったためしがない。
「ハル、なにやってるのだ? 手など組んで」
「あっ、いや……生徒会のお知らせ原稿、一発でクリアできるといいなと思って」
最近、会長の冴先輩はアタシのことを名前呼びしてくれる。先輩は「私のことはサエさんでいいから」と言ってくれるけど、まだどうも呼びなれない。
「どれ、見せてくれ」
「あ、はい。ドキュメントファイルで生徒会……『S.E.X.Y.』のフォルダで共有しました」
「ありがとう」
冴先輩からOKをもらったタイミングで、生徒会室のドアがノックされた。
「ごめんくださーい! 広報部です」
元気よく入ってきたのは、広報部の宝田部長さん、二年生だ。校内の印刷物やネットなんかでの発信情報も一手に引き受けている。生徒会とは密接な関係なので、部室も隣にある。宝田さんは、もう一人、ビデオカメラらしきものを持った女子生徒も連れていた。
「あ、こんにちは……生徒会の原稿、たった今会長からOKをもらったので、メールで送ろうと思ってたところです……だからわざわざ来ていただかなくても」
「ああ、そっちもありがとう、っていうか隣の部屋じゃない! いつでも呼んでね……そうそう、今日はね、撮影のお願いがあって来たの」
「撮影とは、動画かなにかか?」
冴先輩がパソコンの画面から顔を上げて尋ねた。
「そうよ。ウチの学校、公式でインスタのコラボコレクションがあるでしょ? OBの先輩が苦労して生徒みんなが見られるようにしてくれたやつね。あそこで紹介できたらなって思って」
「広報の顧問の先生の許可をもらっているなら構わんが……こんな事務的で殺風景な部屋を撮ってもつまらんだろう?」
そう言って先輩は部屋を見回した。あいにくの雨でいつもより雰囲気が暗い。
「生徒会……というか『S.E.X.Y.』の日常の様子を写真や動画で紹介したいの。まずは、会長さんと書記のハルちゃん『二人の美人ちゃん』のツーショットを撮らせてもらって……」
「びびび、びじんちゃん⁉」
驚いた。冴先輩は誰もが認める美人さんだけど、アタシは中学高校を通じて今まで美人って言われたことはない。たまーに、カワイイねって言われたことはある……まあだから、アタシは先輩のおまけみたいなもんだろうけど。
「うんうん、キュート系で十分『絵になる・映える』から大丈夫よ……それから、イケメンのダンス男子も撮らせてもらいたいの。せっかくだから、動画で!」
宝田さんの言葉に合わせて、一緒に来た女子がビデオカメラを持ち上げてニッコリとした。
「まあそうだな、そっちの方が被写体としては数段いいだろう。幸い、陽向も怜も第二体育館のダンススタジオで稽古中のはずだから、スマホで連絡をとってみてもいいぞ」
「ぜひ♡」
アタシは二人の広報部員の瞳がハート形になった瞬間を目の当たりにした。
……そうか。彼女らの本命は、ダンス男子の方だったんだな。
〇
そのあと、冴先輩とアタシは、宝田さんの言われるがままにポーズをとった。
二人でピタっとくっついて並んだり、パソコンで作業しているアタシの肩に先輩がそっと手を置いたり。そうされると、自分でもビックリするくらい胸がドキドキした。
そういえば、あまりダンススタジオに行ったことがなかったなということで、冴先輩とアタシは広報部員の二人と一緒に撮影現場を見学することにした。
スタジオに入ると、ヒップポップ系の音楽が重低音を響かせて鳴っていて、空調は効いているはずなのに熱気がすごい。まるでどこかのクラブみたいだ……って行ったことないけど。
他のダンス部員――正確には『S.E.X.Y.』部員――は帰ったようで、陽向先輩と怜が鏡に向かって体を動かしていた。鏡越しにチラッとこっちを見た同級生の眼差しは真剣そのものだった。
最初、冴先輩やアタシも含め、四人で並んで、『アイソレーション』とかいう、ダンスのウォーミングアップの動画を撮られたけど、制服のまま踊ったアタシも生徒会長もダメダメで、超カッコ悪い!
インスタには上げないでと二人で頼み込んだけど、「こういうのがいいんだよ!」と言って宝田さんはニヤニヤした。後日インスタを見たら、ほぼ生徒全員分の再生数になっていて、『ロボットダンスでラジオ体操ww』『ウケる!』『ギャップ萌え!』という恥ずかしいコメントがたくさんついて、『ロボットラジオ体操』のミーム動画も投稿された……
一方、イケメンペアのダンス動画は、ホントすごかった! ほんのサワリだけど、ソロと、ユニゾン(二人で動きを合わせるパート)を披露し、二人で不敵な笑みを浮かべあい、楽しそうに踊ってみせた。最後に二人でピタっと同じポーズで止まり、ハイタッチして背中をポンポンと叩き合った。その流れで陽向は怜君の少しずれたメガネのツルにそっと触れ位置を直した。後輩君は一瞬だけ体を硬直させたが、すぐにいつものクールな表情に戻って「……ありがとうございます」と呟いた。そのやりとりの自然さに驚いていたのは私だけではなかった。
ハルは二人をこそっと指さし「なんですか……あれ?」と私に聞いてきたが、苦笑いするしかなかった。
「怜君は、ダンス歴は長いのか?」
大音響の中、一緒に壁際に並んで立って見ていた冴先輩がアタシの耳に手をあてて聞いてきた。
「はい、確か小一のときからずっと近所のダンス教室で習ってたと思います……ガリ勉のくせに」
「そうか……彼、ずいぶん楽しそうだな」
「そうですね、陽向先輩も楽しそう。怜、周りでダンスをやっている友達はいないので、一緒に踊る仲間がいてよかったって、こないだ言ってました」
「仲間か……」
生徒会長さんは、少し淋しそうにそう言った。
〇
広報部の二人と別れ生徒会室に戻り、アタシも冴先輩も「ああ、踊らされて疲れた」と言ってくずれるようにどかっと椅子に座った。
しばらくすると先輩は椅子に座り直し、雨が降り続く窓の外を眺めていた。と言ってもメガネのレンズごしに見えるライトブラウンの瞳は、焦点が定まっていない。
「あの、陽向先輩もダンス歴は長いんですよね?」
間がもたないので、当たり障りのない質問をした。
「ああ、彼も小学校に上がってすぐ習い始めたと聞いている」
「その、冴先輩……冴さんと陽向先輩のおつき合いも長いんですか?」
ちょっと踏み込み過ぎたかな。
「いや……この学校に入って、軽音部とダンス部の合併話が出たころからのつき合いだ」
先輩は表情を変えずに淡々と答えた。
しばらく二人で雨の音を聞いていた。
「ああ……あんなに楽しそうな顔をしていた陽向を見るのは初めてかもしれない」
「そ、そうなんですか?」
と言いつつ、アタシも同じことを考えていた。
怜ってあんな顔するんだっけって。
それからまた沈黙と雨音が続いた。
「あの……こないだ、怜が『ビジネスカップル』って言ったこと、気にしてます? もしそうでしたらごめんなさい」
冴さんは急にアタシに視線を合わせた。
「別にハルが謝ることはないだろうに……それに、その言葉に思い当たるフシもあるしな」
彼女は椅子に置いてあった通学カバンから学生手帳を取り出した。
「入学式のとき、前の会長の夏鈴さんが言ってたのをおぼえているかな?」
「え?」
「……『愛の種類』について」
「あ、ああ、その生徒手帳に書いてありますよね……確か『ルダス、プラグマ、ストルゲ、アガペー、エロス、マニア』とか」
「おお、君は優秀だな」
「いえ、一応生徒会役員になったので暗記だけでもと思って……でも、内容までは正直、うろ覚えです」
「……まあ、だいたいみんなそんなものだろう。ルダス・遊びの愛。プラグマ・実利的な愛。ストルゲ・友情の愛。アガペー・無償の愛。エロス・情熱的な愛。そしてマニア・狂気の愛……か」
会長は独り言のようにそうつぶやいて、また窓の外に視線を戻した。
「私は陽向に対して、プラグマ・実利的な愛と、ほんの少しのストルゲ・友情の愛しか持ち合わせていないのかも知れない」
「え! ……それはないのでは?」
「おそらく、陽向の私に対する感情もそんなものではないかと思う……そういう意味では、怜君の『ビジネス・カップル』という指摘は実に的を射ている」
「そ、そんな……」
と言いつつも、その言葉にアタシもドキリとした。怜とアタシの関係はどうなんだろう? 冴先輩が言うのと大して変わんないんじゃないかって。
「すまなかったな……私のネガティブな感情につき合わせてしまったようで」
冴先輩が、アタシの肩にそっと手を置いた。さっき、広報部のカメラの前でポーズをとらされたときと同じように。
だけど、カメラのフラッシュが消えた今、先輩の手は驚くほど冷たくて、かすかに震えていた。
アタシは、その細い指先の上に、自分の温い右手をそっと重ねた。
窓ガラスを叩く雨の音が、アタシたちの間にある頼りない沈黙を優しく塗りつぶしていく。
「いえ、いいんです。アタシも真剣に考えなくちゃいけないことだから。……S.E.X.Y.の書記として。それから、アタシ自身が『保留』していることのために」
先輩の瞳が、メガネのレンズの奥で、雨を反射して静かに揺れ、口元が動いた。
「君と私は、同じような孤独を共有している」
学校中の生徒が『完璧な理想のカップル、理想のカノジョ』としてインスタで眺めている生徒会長。だけど、誰も知らない――アタシだけが触れている――心の奥にしまってある孤独。
その冷たさが、アタシの体温に溶け込んでいくみたいで、なんだかどうしようもなく愛おしかった。
3.七夕ライブの作曲と選曲
怜からLINEのメッセで送られてきた、七夕イブニングコンサート用の歌詞は二番までのシンプルなものだった。
これは……
怜から送られてきた詩を見たときに、戸惑いと寂しさを感じた。年に一度、織姫と彦星が再会し、幸せなひとときを過ごす二人の心情。それにアタシたち生徒会が『愛』をどう考えているか、その思いが乗せられている。これは、このイベントの趣旨に沿ったものだ。
しかし。
言葉の連なりには、それ以上のメッセージが隠れていた。ひょっとしたら、聞いている人は気づかないかもしれない。でも、わかってしまう。高校での恋愛デビュー、怜とのデビューを夢見ていたアタシには。
今回は、彼が歌詞を考えたいと積極的だったので、これにアタシが二日かけてメロディーをつけた。アカペラの歌い出しに短いイントロ → Aメロ → Bメロ → サビという構成にし、その音源のデータをLINEで送り返した。怜からは、最後の歌詞は、Cメロにして終わりたいとのリクエストが返ってきた。
〇
本番の前の週の金曜、場所は音楽スタジオ、怜と歌合わせと振り付けの練習をした。
今回のイベントの性質上、曲はバラード調だし、降り付けといっても、怜が考えてくれたのは、天の川の両端から歩いてきた二人が近づき、手をたずさえ、歌に合わせてジェスチャーのように身振り手振りをする程度だ。ミュージカルのエモいシーン、といったらイメージしてもらえるだろうか。
伴奏はアタシのキーボードだけなので、今、スタジオには二人しかいない。
今まで、ずっと一緒だったのに、このよそよそしさはなんなのだろう。
アタシが意識しすぎているだけ?……いや、そうじゃないと思う。怜も言葉少なだし。視線がなかなか合わない。
「オーケー、歌も振りつけも大丈夫そうだな。あとは本番前のリハでいけるだろう」
「そうだね。今回は振りつけも覚えやすかったし。生徒会立候補ステージのときのはムッチャ難しかったけど」
「そうかな、あれでもだいぶ覚えやすくしたつもりだったんだけどな」
そう。怜のダンスの技術も創作する力も、アタシが知らないうちにどんどん上達していったんだ。
「じゃあ、本番よろしく」
「あ、ちょっと待って、そういえば冴先輩から、アンコールも用意しといてって言われてたんだ……絶対コールがかかるからって」
「えっ、今から?」
「うーん、なんか、やったことがあるやつでいいって言ってたけど。プロのアーティストのカバーものとか」
二人で、有名なアーティストのバラード曲をいろいろ出し合ったけど、いまいちピンと来なかった。
「そうだ、あれでいいじゃん!」
「え?」
「ほら、中学の音楽の授業のときに、ハルが作ってみんなに聴かせてくれたやつ」
「あ、ああ……あれか……でも、あの曲は……」
「雰囲気も合ってると思うよ。」
「でもソロの曲だから、ハモりとか、これから考えなきゃだし……」
「いいよ、ハルのソロで。僕は、歌に合わせてアドリブで踊る。それで行こう」
楽器やマイクアンプなんかを片づけ、スタジオの外に出て二人で玄関に向かう。
外は相変わらず雨が降り続いていてる。ああ、このままずっと止まなければいいのに。
二人で別々に傘を差し、帰り道を歩く。
そういえば、小六のときに怜はちょっとふざけ気味に、照れ気味に、相合傘をしてくれたことがあった。クラスの友だちに冷やかされたけど、嬉しかった。でもそのとき、怜はどう思っていたのだろうか。
相合傘は、あの一回だけ。
ヤマトタケル先輩の話によると、引き離される前は「四六時中ずーーーっとイチャイチャコラコラ」してたという織姫と彦星。
そんな二人とは、ほど遠いアタシたちが、七夕の恋のメロディーを歌う。
4.星空は涙で滲んで
「みなさま、こんな遅い時間まで学校に残ってくださり、七夕イブニングライブにお集まりいただき、ありがとうございます」
ライブ当日、ステージ脇でMCを務めるのは、生徒会長である冴先輩。陽向先輩もその隣に立っている。
アタシの願いも虚しく、昼過ぎまで降っていた雨は上がり、校舎に囲まれた中からは、四角い夕焼け空が見える。さすがに天の川とまではいかないけど、もう少ししたらお星さまも見えるはずだ。
ステージといっても、そこは幅七・八メートルくらいのウッドデッキで、普段はそこに木のベンチが置いてあって、お弁当を食べたりお喋りしたりする、『憩いのスペース』だ。
今日は、『S.E.X.Y.』のサポートスタッフが、楽器やアンプをセットし、スタンド型の照明まで用意してくれた。
あのインスタの『踊ってみた』効果なのか、中庭の人が立ち入れる場所には生徒たちがズラリと立っていて、この庭を囲む四方の校舎の窓も顔、顔、顔……で鈴ナリだ。
二階の窓からは、この雰囲気に場違いな真っ赤なサイリウムライトが振られている。その主は、桜羽遥校長先生……隣では、従妹にあたる夏鈴先輩が控えめに手を振っていた。
「それでは、このあとは余計なお喋りは、はさみません。どうぞ織姫と彦星からの素敵なメッセージをお楽しみください」
冴先輩はそう言うと、アタシと怜を見遣り、微笑んだ。いつでもいいよ、という意味なのだろう。
ステージ両端にスタンバったアタシたち。
スマホで音程を確かめ、アタシはイントロ前のワンフレーズをインカムマイクを通して歌い出す。
アーティスト:京野波瑠 一条怜
「星巡りへの旅立ち」
作詞・振付:一条怜 作曲:京野波瑠
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♪♪♪~ (バラード調のイントロ)
(ハル)
星屑の川を ひたひたと渡る足音
わたしの指先は 今夜あなたの音を探している
~♪♪♪
自然と拍手が湧き起こり、それを合図に、ステージ中央にゆっくりと歩く、織姫のアタシと、彦星の怜。
天の川や星のきらめきを連想させる、淡いピンクの上衣とスカート。 両肩からふわりと同系色の羽衣を垂らしている。アップの髪には、白い花びらの髪飾り。
片や怜は、淡い紫の着物と袴。もちろんメガネは、はずしている。牛飼いらしい麻のような素材。太い帯を締め、腕にはやはり紫色の小手をつけている。
二人はウッドデッキの真ん中で出会い、向き合い、軽く手を合わせた。
アタシは目の前のキーボードを弾き始め、パッド(ストリングス)系のハーモニーを流す。
♪♪♪~ (シネマティック・アコースティックバラード調)
【Aメロ】
(怜)
天の川を挟んだ 東と西の岸辺
はるか離れた場所から きみを見つめてる
雲の切れ間を祈り よい天気を待ち望む
一年に一度だけ許された 秘密のランデブー
(ハル・怜)
とくん ふわり 胸を焦がす 約束の夜
【Bメロ)】
(ハル)
いつのまにかアタシたち となり同士にいたね
たくさん喧嘩もしたけれど 手は離さなかった
(ハル・怜)
こうして今夜も 七月の夜空を
一緒に見上げている
(ハル)
きらり ほろり 視線を上げて 無限のそらへ
【サビ】
(ハル・怜)
響きあえるよ まだ出会えていない星々よ
どんな漆黒の空も ボクらの声で 満たしていくんだ
きっといつか巡り会い おたがいに光を放つから
その奇跡を胸に 無限の旅に でかけよう
【Cメロ】
(怜)
見上げていた夜空から そっと目線を下げたら
誰も知らない 別の世界が広がっていた
それは 静かに胸を突く 新しい輝き
僕が本当に 探し求めていた なにか
来年の天の川 きみと一緒に
この場所で見上げていて欲しい
大切な 愛しいきみへ
~♪♪♪
静かに湧き起こり、次第に夜空に響く拍手。
二人で手と手をとり合い、深く一礼する。
それから、四方の校舎の二階、三階の窓に向かって手を振った。
ここに集まってくれた生徒たちは、この歌をどう聞いたのだろうか。どう理解したのだろうか。
怜は、決して織姫と彦星の逢瀬を表現しただけではない。
そこには、この学校が求めている愛とはなにかを伝えるだけのものでもない。
怜が最後に声に出した『きみ』とは誰か?
わかる人にはわかる。
自分の誰かへの思いをこのメロディーに乗せたんだ。
アタシには、それがわかる。
きっと冴先輩にも。
……そして、陽向先輩にも。
当然のようにアンコールの声がかかった。
アタシは怜に目くばせし、キーボードをアコースティックピアノの音色に変えイントロを弾き始める。
彼は曲調にあわせ、少しコミカルなゼスチャーで踊るはずだ。
アーティスト:京野波瑠
「おしえて、ガリ勉くん」
作詞・作曲:京野波瑠
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♪♪♪~ (ピアノ・ポップ・バラード調)
【Aメロ】
音楽室の窓の外 木枯らしが葉っぱを集めてる
キミの名前をひらがなで ノートの余白に小さく書いた
居眠りする君の横顔を 見つめてたあの放課後
カチカチ鳴るペンの音 ずっと追いかけてたんだ
【Bメロ】
急に立ち止まる君に ぶつかっちゃって
慌ててごめんねって言ったとき
大丈夫?って照れたように笑ったね
鈍感なキミに この胸のドキドキが
ずっと思ってた バレてしまえばいいのにって
【サビ】
ねえ おしえて ガリ勉くん
キミのメガネのレンズ越し アタシのこと どう見える?
おしえて ガリ勉くん
幼なじみの境界線を ぴょんと飛び越えて
変わってしまった好きの意味
さすがのキミにも わかるよね?
ねえ おしえてよ アタシの初恋の答えを
【Aメロ】
音楽室の窓の外 木枯らしが葉っぱを集めてる
キミの名前をひらがなで ノートの余白に小さく書いた
居眠りする君の横顔を 見つめてたあの放課後
カチカチ鳴るペンの音 ずっと追いかけてたんだ
~♪♪♪
これは、アタシの初恋の歌だ。
幼なじみへの感情が恋に変わり、それを気づいて欲しいという気持ちを込めて作った歌。
中学校の音楽室でピアノの弾きながら、声を乗せた。歌い終わるとクラスメイトからは「ハルちゃん、すてき!」という声も「さては怜君のことね」っていう冷やかしの声もいっぱいもらったけど、同じクラスにいた『当の本人』はそのとき、どんな顔をしていただろうか。気づいてもらえただろうか。実はよく覚えていない。でも、確かなのは、今日までずっと、一緒にいてくれたこと。
そして、その『当の本人』が、かたわらで曲に合わせて優しくしなやかに体を動かしている。彼は今、どんな気持ちで踊っているのだろう。
ワンコーラスだけを歌い、弾き終わり、アタシは鍵盤から手を離した。
脇を見ると、怜が手を上げ、星を指さすような姿勢のまま静止していた。
拍手と歓声が沸き起こるなか、アタシはそれに釣られて夜空を見上げた。
いつの間にか夜空には、弱く輝く星々の姿があった。
その輝きが、涙でにじむ。
怜がつぶやく。
「ハル、ごめん……本当にごめん」
彼の瞳からも涙がこぼれていた。
中学時代の怜は。
アタシの恋心のすべてを理解し、受けとめてくれてたんだと今さら気づく。
でも。
初恋のメロディーをもう一度歌いあげた瞬間、アタシの恋は終わってしまった。
彼は足早にステージを降りた。
向かうその先には、優しく微笑む陽向先輩の姿があった。
5.やっぱ、そうだったんだよね。
冴先輩が告げたライブ終了のMCで、中庭にいた生徒たちは三々五々、その場を離れていった。なかには、「ハルちゃん、ステキだったよ」「二人の息がぴったりだったね!」と声をかけてくれるクラスメイトもいた。アタシは涙をこらえ、愛想笑いをしながら、ありがとうと言うことくらいしかできなかった。
「おつかれだったな。いいステージだった」
ステージを降りると、冴先輩が声をかけてくれた。怜と陽向先輩の姿は、もうそこにはなかった。
「ありがとうございます……でも、七夕ライブとして、あんな演奏でよかったのか……」
「ああ、十分だ……聴いている生徒たちなりに、色々と考えさせるものがあった……私もそうだ」
先輩がどういう思いでそう言ったのか、よくわからなかった。
「片づけ、手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です、キーボードはキャスターに載っけて転がしていくだけだし……着替えなくちゃだし」
「そうか……じゃあ、ここで」
にこりと微笑むと先輩は暗い中庭の通路を歩いて、校舎の入口に向かった。
ケーブル類を取り外し、キーボードをケースにしまってキャスターに載せた。
ひと作業すると何だか疲れて、ウッドデッキ脇に置かれたベンチに腰かけ、サポートスタッフが機材を撤去する様子を眺めた。
「独りになった」
そんな言葉が思わず口をついて出た。そして、それがまた涙を誘った。
人に泣いているところなんか見られたくないので、仕方なく立ち上がり、キャスターを押してノロノロと音楽スタジオに向かう。
第二体育館に入ると、薄暗い照明の中、ダンススタジオの前で誰かが立っていた。陽向先輩だ。なんとなく声をかけられるのが嫌で、思わず立ち止まって、楽器ごと体育館の扉の陰に隠れてしまった。
やがて、ダンススタジオのドアが開く音がして、そこから光が漏れた。現れたのは怜。もう制服に着替えていた。スタジオの電気が消され、再びドアがしまった。
待っていた陽向先輩のそばに寄ると、怜は先輩の胸に飛び込んだ。
別に見たいわけじゃないけど、アタシは扉の陰からその様子を見守ることしかできなかった。
「……ごめん。陽向先輩、ごめんなさい」
怜はメガネをかけたまま先輩の胸に顔をうずめ、かすれた声で何度も繰り返した。
「ごめんって、誰に謝っているんだ? あんな素晴らしいパフォーマンスを見せておいて」
「わかってます……謝る相手は先輩じゃない……ハルなんだって……傷つけた。あいつの思いをずっと前から僕は知ってたのに。……知ってて、それでも僕は自分の気持ちから、逃げられなかった」
陽向先輩はなにも言わず、ただ怜の細い背中に大きな手のひらをあてた。それが怜の硬直した罪悪感をすこしずつ、すこしずつほぐしているのが、扉の陰にいるアタシにまで伝わってくる。
「いいんだ、怜」
先輩の、低くて心地よい声が、静まり返った体育館の暗闇に響いた。
「……わかってました。やっぱり先輩は僕と同類ですね」
「同類?」
「すみません、生意気言いました。先輩……陽向さんも、僕のことを思ってくれると嬉しいです」
「……しっかりと心の整理がついたら、ハルに素直に話してやれ」
「心の整理……ですか?」
怜は顔を上げ、陽向先輩を見上げる。
「もう、ついてます……とっくに」
「嘘だろ」
「はい……『とっくに』は嘘でした……。でも、さっきハルが僕と一緒に歌ってくれ、やっと心の整理がつきました。覚悟もしています。先輩と二人っきりになってもいいって。あとはもう、なにもいらない」
「……覚悟か。それは俺の方に必要そうだな。どうか力を分けてくれ」
そう言って陽向先輩は怜の華奢な体を抱きしめた。
「よくがんばったな、俺の織姫」
「……あの、男なんですけど……彦星役」
「ハハハ、冗談だ」
先輩は、怜の黒髪を優しく撫でた。
ち、ちょっと陽向先輩、こんな場面でそんなボケ方はないでしょう⁉
アタシは泣き笑いを必死でこらえた。
二人の顔の輪郭が月明かりの下で重なった。
アタシは、自分の初恋の物語が書かれた本が完全に閉じられるその音を、ただ沈黙の中で聴いているしかできなかった。驚きとともに、「やっぱそうだったんだ」という思い。「ひょっとして」がまざまざと見せつけられ立証されてしまうことの残酷さ。
ルダス・遊びの愛。プラグマ・実利的な愛。ストルゲ・友情の愛。アガペー・無償の愛。エロス・情熱的な愛。そしてマニア・狂気の愛……アタシは冴先輩と話した、愛の六つの要素を思い出した。
そして、思った。あの二人には、どれもかなわない……負けた。
二人の愛は、絵になりすぎる……映えるよ。かっこよすぎるよ……あのインスタのダンス動画以上に。
〇
どれくらいの時間がたったのか、よくわからない。やがて、陽向先輩は怜のバッグを床から持ち上げ彼の肩を抱いて、第二体育館の出口に向かってきた。
アタシは身を固くして、息を潜める。気配を完全に消せるように。
体育館が完全に静まりかえった。
アタシは、その静寂を打ち消したくて、キーボードの載ったキャスターを乱暴に押してガラガラを言わせた。
この楽器を片づけたら、しっかり泣いてやろう。誰にも邪魔させないで。
そう思って、音楽スタジオのドアを押したら。
明かりはついていて、その光を浴びながら部屋の真ん中に腰かけてる女子生徒がいた。
冴先輩⁉
彼女はなぜか、アコースティックギターを抱え微笑んでいた。



