お狐様は運命の赤い糸を望まない


綾乃「龍之介……さん」

龍之介「綾乃、僕と帰ろう。君のご両親も心配している」

綾乃「……っ」

龍之介が一歩踏み出すと同時に、綾乃は一歩後ずさる。

綾乃「い、嫌です」

龍之介「なっ──」

龍之介、驚きの表情になり、顔を紅潮させる。

龍之介「何を言っているんだ! 君は僕の妻なんだぞ! わけのわからないわがままを言うんじゃない!」

龍之介の大声にビクッとなる綾乃だが、何とか気圧されないようにと前を見る。
そこで白嵐が綾乃を隠すように立ち塞がる。

白嵐「……おい、それが仮にも婚約者だった女へ向ける顔か?」

龍之介「! お前、あの時の……ああ、そうか。やはり綾乃がおかしくなったのはお前のせいなんだな……!」

綾乃「……! 龍之介さん、違います! 白嵐さんは私を──」

龍之介「綾乃、こっちに来るんだ! 今、僕がこいつを倒して、君をあやかしの魔の手から解放してみせるから!」

白嵐、大きなため息をつく。

白嵐「お前……退魔の軍人が刀も持たずにどうするつもりだ。俺が折ってやったのを忘れたか?」

龍之介「はっ、あやかしを滅する方法は刀だけじゃない! これを見ろ!」

バッとふところから札を取り出す龍之介。

龍之介「こいつは輪堂家謹製の術札だ! これで貴様の力を──」

白嵐はパチンと指を鳴らす。すると、術札に火が付き、瞬く間に焼き尽くされていく。

龍之介「なっ……熱っつっ!」

白嵐「術札は、術士が使ってこそ効果を発揮する。術士が刀を使いこなせるわけではないように、その逆もまた然り。やはり阿呆か」

龍之介「ぐっ……綾乃!」

龍之介、苦し紛れに話す相手を綾乃に変更する。
名を呼ばれ、再び身をわななかせる綾乃。

龍之介「僕のところに戻って来い! こんな化け物に騙されるな!」

白嵐「綾乃」

静かだが通る声で白嵐が語り掛ける。

白嵐「いくら元婚約者とはいえ、大声で男に怒鳴られて冷静でいられる女はそういない。恐怖を覚えるのはむしろ正常だ。気にするな」

白嵐は綾乃の手に、自らの手を重ねる。
震えていた綾乃はそこで落ち着きを取り戻し、白嵐を見上げる。

龍之介「貴様……一体、何なんだ!? どうして僕と綾乃を引き裂こうとする!?」

白嵐「お前のことなんか知ったこっちゃない。俺は綾乃に興味があるだけだ」

龍之介「何ぃ……!?」

龍之介は白嵐の言葉を受け、強く彼をにらみつける。

龍之介「あやかし風情が思い上がるなよ! 僕と綾乃は運命の赤い糸で結ばれているんだ!」

白嵐「……すでに俺が切った糸を拠り所にしてどうする。それに、赤い糸の言い伝えはあくまでも逸話だ。それは単なる自然現象、波長の合う霊力がつながるだけのことと俺は思っているんだが……お前の愚かな言動を見ていると、ますますそう思えてくるな」

龍之介「ふっ、ふざけるな! お前こそ、綾乃の何を知っているというんだ! 後からしゃしゃり出てきて、勝手なことをごちゃごちゃ言うんじゃない!」

白嵐「……何を知ってるかだと?」

白嵐の脳裏に、過去のとある出来事がフラッシュバックする。
それは、輪堂の屋敷に迷い込んだ、小さなカワウソのあやかしを綾乃が助けた場面。
結界に捕らわれていたそのカワウソを、綾乃はこっそりと助け出し、治療して解放してあげている。
虎徹(白嵐)はそれを陰から見守り、解放した様子を見届けて満足そうにその場を離れる。

白嵐「……ほんの些細な出来事でも、人の本質はわかるものなんだよ」

龍之介「……何だと?」

白嵐「一つ教えといてやろう。人間の評論家の言うことには、良い夫婦になれるかの指標は、そいつとともに飯を食って楽しいと思えるかどうかだそうだ。お前はその光景を想像できるか? 綾乃と食事をして、お互いの笑顔を思い浮かべられるのか?」

龍之介「何をわけのわからないことを……!」

白嵐の言葉に、綾乃は自らを顧みる。
自分の笑顔も、龍之介の笑顔も想像できない。
代わりに浮かんでくるのは白嵐の笑顔。稲荷寿司を食べ、プリンを食べて笑いあう白嵐と自分。
その光景がありありと浮かんでくる。

綾乃(……!)

龍之介「彼女を幸せにできるのは僕だけだ! 僕こそが彼女の夫なんだ!」

綾乃「……嫌です」

龍之介「なっ!?」

綾乃「わ、私は……戻りません。私は、あなたといても……幸せになれない……!」

龍之介「綾乃!?」

綾乃「龍之介さん、私は、あなたのことを信じられません。父や母のことも同じです。恩はあるけど……それでも、祝言の時のことを思い返せば、どんな言葉も嘘としか思えない。もう帰ってください!」

龍之介「おっ、お前……!」

愕然とした後で、突然の離反に怒りの炎を燃やす龍之介。
一方、白嵐はその言葉を聞き、感心したようにうなずくと、「よく言った」と綾乃に微笑みかける。

白嵐「聞いての通りだ。この女は俺が預かる。こいつが自分の道を見つけられるまで……いや、そうだな。もういっそのこと、俺自身の思いも遂げてしまえばいいのか」

綾乃「えっ……?」

一度思い直し、白嵐は龍之介に向き直る。そして、自分が着ていた外套を綾乃の肩に掛けて宣言する。

白嵐「こいつは俺の嫁にする。綾乃を幸せにするのは──この俺だ」

<5話終わり>