「隼人先輩は……好きな人は、いますか?」
突然の質問だった。
空気感からして、そんな問いが暦の口から出てこないでもない、とは感じていた。
でも、隼人にとっては不意打ちだったようで、「え?」と暦に顔を向けて目を丸くした。
「……いきなり、なんだよ」
「いきなりじゃないですよ。前から気になってたんです。隼人先輩、モテそうじゃないですか」
「モテねえよ。今まで一度も彼女だってできたことねえし」
自虐めいたセリフを吐く。「ふっ」とため息をこぼして笑いながらも、隼人の目はどこか憂いを帯びていた。
「それは、隼人先輩が他者からの好意に気づいてないからですよ、きっと」
「そんなこと、ないと思うけど」
そんなことない。
だって隼人は、暦からの好意に気づいているから——。
なんて、紬の口から伝えることはできない。
暦の瞳が何かを決意したように、緩く光った。
「それで、どうなんですか? 好きな人はいないんですか?」
うまく質問の答えから逃れようとしている隼人の気持ちに気づいたのか、獲物をとらえて離さない虎のような心意気を、彼女から感じた。
暦が隼人の目をじっと見つめる。
沈黙が長くなるほど、紬の心臓の鼓動がトクトクトクトクとどんどん加速していく。
もうこれ以上、耐えられそうにない——紬がぎゅっと目を瞑ったのと、隼人が息を吸う音が耳を掠めたのが同時だった。
「好きな人なんか、いねえよ」
心の澱を吐き出すような、苦しげな声だった。
暦が弾かれたようにはっと顔をこわばらせる。でもそれも一瞬のことで、すぐにつくり笑いを浮かべた。
「そうなんですね! じゃあ……あたしにも、チャンスがあるってことかな」
恋する乙女の表情をする暦を見て、紬は居た堪れなくなった。
敵わない。
この人には一生、敵わないんだ。
紬にはもう「一生」なんてないのだが、今この瞬間、この可愛い後輩に紬は何一つ勝てるところがない。
その美しい瞳も、眉を顰めてちょっとショックを受けているような青春の痛みも、隼人に気づかれまいと必死に笑顔を浮かべるしおらしさも、全部、彼女だけのものだ。
紬にはもう、ない。
全部全部、手に入らない。
そのことをひしひしと痛感して——隼人が「好きな人はいない」と断言したのを聞いてしまった苦しさもあり、紬は咄嗟に四本足で立ち上がり、さっとその場から逃げ出した。
「わ、おもち!」
隼人が、扉のほうへと向かっていく紬の背中にそう呼びかける。だが紬は振り返らない。振り返れなかった。
部室の扉が少しだけ開いていた。暦がきちんと最後まで閉めていなかったのだ。結構ズボラなところがあるな——と無意識のうちに彼女の小さな欠点を見つけている自分に嫌気が差した。
部室から飛び出すと、秋の気配が紬の全身をさあっと包み込むように感じられた。
猫だから、人間よりも嗅覚や触覚が研ぎ澄まされているのだろうか。秋ってこんなに淋しくて綺麗な匂いがするんだ。知らなかった。
近くの木が風に揺れてひらひらと葉っぱが地面に舞い落ちる。
枯れ落ちた亜麻色の葉が、病に臥せって死んでしまった自分の姿と重なる。
「おもち!」
後ろから隼人の声が響いた。わざわざ自分を追いかけてきたのだ。
おもちじゃなくて〝紬〟だったら良かったのに。
今は隼人からどんな言葉をかけられても、泣いてしまいそうだ。心がしゅくしゅくと痛んで、悲しみの海に沈んでいきそう。
「おもち、どうした? 外に出たくなったのか」
隼人がおそるおそる近づいてくるのを察知した紬は、後ろ足に力を込めて、近くの草むらに飛び込んだ。
「おもち、待て!」
隼人が再びおもち、と呼んだ。けれど、そのすぐ後に「隼人先輩」と暦の声が聞こえて、草むらのなかではっと身をこわばらせる。
「先輩、もういいじゃないですか。おもちだって外で散歩したくなる時もありますよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど。俺さ、おもちが……」
「おもちが? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
隼人が何かを言いかけたのを、暦がつっこんで聞いたが、隼人はすぐに口をとざしてしまった。
彼が何を言おうとしたのか——紬にはまったく見当がつかない。でも、おもちを探している時の隼人の目が、迷子の子どもみたいに心細げに揺れていたのが、紬の脳裏に焼きついた。
(ハルサカさん)
暦に連れられて隼人が部室に戻るのを確認してから、紬は心の中で声を上げた。
(ハルサカさん、私を『言の葉書房』に帰してください)
紬がそう願った瞬間、目の前が明るい白色に弾け飛んだ。
どこからともなく、鈴の音が聞こえたような気がした。
突然の質問だった。
空気感からして、そんな問いが暦の口から出てこないでもない、とは感じていた。
でも、隼人にとっては不意打ちだったようで、「え?」と暦に顔を向けて目を丸くした。
「……いきなり、なんだよ」
「いきなりじゃないですよ。前から気になってたんです。隼人先輩、モテそうじゃないですか」
「モテねえよ。今まで一度も彼女だってできたことねえし」
自虐めいたセリフを吐く。「ふっ」とため息をこぼして笑いながらも、隼人の目はどこか憂いを帯びていた。
「それは、隼人先輩が他者からの好意に気づいてないからですよ、きっと」
「そんなこと、ないと思うけど」
そんなことない。
だって隼人は、暦からの好意に気づいているから——。
なんて、紬の口から伝えることはできない。
暦の瞳が何かを決意したように、緩く光った。
「それで、どうなんですか? 好きな人はいないんですか?」
うまく質問の答えから逃れようとしている隼人の気持ちに気づいたのか、獲物をとらえて離さない虎のような心意気を、彼女から感じた。
暦が隼人の目をじっと見つめる。
沈黙が長くなるほど、紬の心臓の鼓動がトクトクトクトクとどんどん加速していく。
もうこれ以上、耐えられそうにない——紬がぎゅっと目を瞑ったのと、隼人が息を吸う音が耳を掠めたのが同時だった。
「好きな人なんか、いねえよ」
心の澱を吐き出すような、苦しげな声だった。
暦が弾かれたようにはっと顔をこわばらせる。でもそれも一瞬のことで、すぐにつくり笑いを浮かべた。
「そうなんですね! じゃあ……あたしにも、チャンスがあるってことかな」
恋する乙女の表情をする暦を見て、紬は居た堪れなくなった。
敵わない。
この人には一生、敵わないんだ。
紬にはもう「一生」なんてないのだが、今この瞬間、この可愛い後輩に紬は何一つ勝てるところがない。
その美しい瞳も、眉を顰めてちょっとショックを受けているような青春の痛みも、隼人に気づかれまいと必死に笑顔を浮かべるしおらしさも、全部、彼女だけのものだ。
紬にはもう、ない。
全部全部、手に入らない。
そのことをひしひしと痛感して——隼人が「好きな人はいない」と断言したのを聞いてしまった苦しさもあり、紬は咄嗟に四本足で立ち上がり、さっとその場から逃げ出した。
「わ、おもち!」
隼人が、扉のほうへと向かっていく紬の背中にそう呼びかける。だが紬は振り返らない。振り返れなかった。
部室の扉が少しだけ開いていた。暦がきちんと最後まで閉めていなかったのだ。結構ズボラなところがあるな——と無意識のうちに彼女の小さな欠点を見つけている自分に嫌気が差した。
部室から飛び出すと、秋の気配が紬の全身をさあっと包み込むように感じられた。
猫だから、人間よりも嗅覚や触覚が研ぎ澄まされているのだろうか。秋ってこんなに淋しくて綺麗な匂いがするんだ。知らなかった。
近くの木が風に揺れてひらひらと葉っぱが地面に舞い落ちる。
枯れ落ちた亜麻色の葉が、病に臥せって死んでしまった自分の姿と重なる。
「おもち!」
後ろから隼人の声が響いた。わざわざ自分を追いかけてきたのだ。
おもちじゃなくて〝紬〟だったら良かったのに。
今は隼人からどんな言葉をかけられても、泣いてしまいそうだ。心がしゅくしゅくと痛んで、悲しみの海に沈んでいきそう。
「おもち、どうした? 外に出たくなったのか」
隼人がおそるおそる近づいてくるのを察知した紬は、後ろ足に力を込めて、近くの草むらに飛び込んだ。
「おもち、待て!」
隼人が再びおもち、と呼んだ。けれど、そのすぐ後に「隼人先輩」と暦の声が聞こえて、草むらのなかではっと身をこわばらせる。
「先輩、もういいじゃないですか。おもちだって外で散歩したくなる時もありますよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど。俺さ、おもちが……」
「おもちが? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
隼人が何かを言いかけたのを、暦がつっこんで聞いたが、隼人はすぐに口をとざしてしまった。
彼が何を言おうとしたのか——紬にはまったく見当がつかない。でも、おもちを探している時の隼人の目が、迷子の子どもみたいに心細げに揺れていたのが、紬の脳裏に焼きついた。
(ハルサカさん)
暦に連れられて隼人が部室に戻るのを確認してから、紬は心の中で声を上げた。
(ハルサカさん、私を『言の葉書房』に帰してください)
紬がそう願った瞬間、目の前が明るい白色に弾け飛んだ。
どこからともなく、鈴の音が聞こえたような気がした。



