新しい朝が来た、とすぐに気づいた。
部室の窓から差し込む光が白くやわらかだったから。
昨日はあの後、しばらく紬を抱きしめていた隼人が部室から出ていくまで、紬はとても不思議な心地にさせられていた。
隼人が誰もいない部室に留まっているのは自分のせいのような気もするし、そうでないのかもしれないというどっちつかずな思考が行ったり来たりしていた。
隼人は、「ごめん、そろそろ帰るな。今日はありがと」とニカッと歯を見せてから、「おもちはどうする? 外出るか?」と聞いた。
紬はしばらく考えた後、首を横に振る。
なんとなくだが、今はまだ部室の外に出たくはなかった。
それに、外に出たとして他に行くあてもないから。
自分の家族の様子も気にならないことはないが、心の準備ができていない。
隼人が部室を出て行った後、丸くなって部室で眠っていた。
まぶしい朝日に目を覚ますと、まだ現世に戻ってきてから半日ほどしか経っていないというのに、残りの時間でちゃんと隼人と向き合えるのか、不安になった。
隼人は紬のことで心に傷を負っているのかもしれない。そうでないのかもしれない。
だけど今のところ、隼人はたぶん、他人の前で弱っている姿を見せないのだろうな、となんとなく分かった。
紬は、このまままた夜になるまで何もせずにここでぼうっとしていようかと思っていたのだが、お昼頃に部室の扉が開かれた。
(え、誰?)
部活は放課後から始まるはず。だから、この時間に部室に来るとしたらそれは——。
「よう、おもち」
隼人だった。
「にゃおん」
紬が生きていた頃も、昼休みになるとこうして部室に二人でやってきていた。同じクラスだから普通に教室で会話
をすればいいのだけれど、教室よりも部室のほうが落ち着くのだ。何より、教室であんまり仲良さげにしているとクラスメイトたちが勝手にあらぬ噂を立て始めるから。誤解を招かないためにも、ゆっくり話せる部室で隼人と過ごすことが多かった。
「お、歓迎してくれんのな。さんきゅ」
隼人が紬の頭を撫でる。昨日からそればかりだ。撫でられたり抱きしめられたり。でもよく考えてみたら、紬も生前、隼人と一緒になっておもちを可愛がっていた。おもちは鬱陶しいと思っていたかもしれないけれど、おもちに擬態した紬は嬉しかった。
「お腹空いてんじゃねえかなって思って。ほれ、チュール」
隼人は部室のロッカーにストックしてあるチュールを、紬に差し出した。
(隼人、わざわざそのために来てくれたの?)
優しさが身に染みる。香ばしくてとろっとする食感のチュールの栄養が全身に浸透していくようだった。
隼人は、「おうおう、よく食べろよー」と孫娘を見つめるおじいちゃんのような優しいまなざしで、チュールにかぶりつく紬を見つめていた。
「紬がいなくなってしばらく経ったけど、お前は元気か?」
一本のチュールを食べ終えてから、まだ口の中に広がるチュールの香りを楽しんでいた最中、突然隼人が「紬」という名前を口にした。
「仲良しだっただろ、お前と紬。どっちかっていうと、俺より紬のほうに懐いてたもんな、おもち」
紬の顎を指先で撫でながら、細い目をして隼人が呟く。
そんな自覚はなかったのだけれど……と、紬は隼人と二人でおもちを可愛がっていた時のことを思い出した。
「おもちは知らないと思うけどな。紬はすげえやつなんだぜ。病気でも決してへこたれずに頑張ってた。余命三ヶ月って言われたのに六ヶ月も生きたんだぜ? 俺ならたぶん……余命宣告された時点で心折れてただろうな」
「……っ」
隼人の口から紡がれる自分の姿は、紬が自覚している生前の自分とはまるで違っているように感じられた。
全然へこたれなかったわけじゃない。
自分の余命を知った時は、絶望するよりも現実感がなくて、ただ感情が追いついていなかっただけだ。夜、お見舞いに来てくれていた隼人や友人たちが去って行った後の病室では、どうしようもない不安と絶望に押しつぶされそうだった。
横になると勝手に瞳から涙があふれてきたし、嫌な夢だって毎日のように見た。
眠りに落ちる寸前には、「このまま目を覚まさなかったらどうしよう」と恐怖したし、朝、目が覚めて世界がまだ続いていることを知って、どっと安堵もした。
それでももし、隼人の目に自分が〝すげえやつ〟と映っていたのだとしたら。
「にゃぁ……にゃああぉん」
そう。隼人のおかげなのだ。
いつ何時でも病室で笑顔を絶やさなかった隼人のおかげだ。
紬がどれだけつっけんどんな態度をとっても、どうってことないというように、教室や部室で話すのと同じように日常を続けてくれたから。
だから紬は、絶望の中でも光を見つめることができたんだ——。
この気持ちが、伝わるはずがない。
「そっか。お前も、そう思うよな」
ふっと微笑んだ隼人は、紬の気持ちとは別の解釈をしているようだけれど。
それでも良かった。隼人が、少しでもおもちに擬態した紬と接することで癒されてくれるなら。
自惚れでも自意識過剰でもいい。
紬は隼人に心から笑顔でいてほしいんだ——。
部室の窓から差し込む光が白くやわらかだったから。
昨日はあの後、しばらく紬を抱きしめていた隼人が部室から出ていくまで、紬はとても不思議な心地にさせられていた。
隼人が誰もいない部室に留まっているのは自分のせいのような気もするし、そうでないのかもしれないというどっちつかずな思考が行ったり来たりしていた。
隼人は、「ごめん、そろそろ帰るな。今日はありがと」とニカッと歯を見せてから、「おもちはどうする? 外出るか?」と聞いた。
紬はしばらく考えた後、首を横に振る。
なんとなくだが、今はまだ部室の外に出たくはなかった。
それに、外に出たとして他に行くあてもないから。
自分の家族の様子も気にならないことはないが、心の準備ができていない。
隼人が部室を出て行った後、丸くなって部室で眠っていた。
まぶしい朝日に目を覚ますと、まだ現世に戻ってきてから半日ほどしか経っていないというのに、残りの時間でちゃんと隼人と向き合えるのか、不安になった。
隼人は紬のことで心に傷を負っているのかもしれない。そうでないのかもしれない。
だけど今のところ、隼人はたぶん、他人の前で弱っている姿を見せないのだろうな、となんとなく分かった。
紬は、このまままた夜になるまで何もせずにここでぼうっとしていようかと思っていたのだが、お昼頃に部室の扉が開かれた。
(え、誰?)
部活は放課後から始まるはず。だから、この時間に部室に来るとしたらそれは——。
「よう、おもち」
隼人だった。
「にゃおん」
紬が生きていた頃も、昼休みになるとこうして部室に二人でやってきていた。同じクラスだから普通に教室で会話
をすればいいのだけれど、教室よりも部室のほうが落ち着くのだ。何より、教室であんまり仲良さげにしているとクラスメイトたちが勝手にあらぬ噂を立て始めるから。誤解を招かないためにも、ゆっくり話せる部室で隼人と過ごすことが多かった。
「お、歓迎してくれんのな。さんきゅ」
隼人が紬の頭を撫でる。昨日からそればかりだ。撫でられたり抱きしめられたり。でもよく考えてみたら、紬も生前、隼人と一緒になっておもちを可愛がっていた。おもちは鬱陶しいと思っていたかもしれないけれど、おもちに擬態した紬は嬉しかった。
「お腹空いてんじゃねえかなって思って。ほれ、チュール」
隼人は部室のロッカーにストックしてあるチュールを、紬に差し出した。
(隼人、わざわざそのために来てくれたの?)
優しさが身に染みる。香ばしくてとろっとする食感のチュールの栄養が全身に浸透していくようだった。
隼人は、「おうおう、よく食べろよー」と孫娘を見つめるおじいちゃんのような優しいまなざしで、チュールにかぶりつく紬を見つめていた。
「紬がいなくなってしばらく経ったけど、お前は元気か?」
一本のチュールを食べ終えてから、まだ口の中に広がるチュールの香りを楽しんでいた最中、突然隼人が「紬」という名前を口にした。
「仲良しだっただろ、お前と紬。どっちかっていうと、俺より紬のほうに懐いてたもんな、おもち」
紬の顎を指先で撫でながら、細い目をして隼人が呟く。
そんな自覚はなかったのだけれど……と、紬は隼人と二人でおもちを可愛がっていた時のことを思い出した。
「おもちは知らないと思うけどな。紬はすげえやつなんだぜ。病気でも決してへこたれずに頑張ってた。余命三ヶ月って言われたのに六ヶ月も生きたんだぜ? 俺ならたぶん……余命宣告された時点で心折れてただろうな」
「……っ」
隼人の口から紡がれる自分の姿は、紬が自覚している生前の自分とはまるで違っているように感じられた。
全然へこたれなかったわけじゃない。
自分の余命を知った時は、絶望するよりも現実感がなくて、ただ感情が追いついていなかっただけだ。夜、お見舞いに来てくれていた隼人や友人たちが去って行った後の病室では、どうしようもない不安と絶望に押しつぶされそうだった。
横になると勝手に瞳から涙があふれてきたし、嫌な夢だって毎日のように見た。
眠りに落ちる寸前には、「このまま目を覚まさなかったらどうしよう」と恐怖したし、朝、目が覚めて世界がまだ続いていることを知って、どっと安堵もした。
それでももし、隼人の目に自分が〝すげえやつ〟と映っていたのだとしたら。
「にゃぁ……にゃああぉん」
そう。隼人のおかげなのだ。
いつ何時でも病室で笑顔を絶やさなかった隼人のおかげだ。
紬がどれだけつっけんどんな態度をとっても、どうってことないというように、教室や部室で話すのと同じように日常を続けてくれたから。
だから紬は、絶望の中でも光を見つめることができたんだ——。
この気持ちが、伝わるはずがない。
「そっか。お前も、そう思うよな」
ふっと微笑んだ隼人は、紬の気持ちとは別の解釈をしているようだけれど。
それでも良かった。隼人が、少しでもおもちに擬態した紬と接することで癒されてくれるなら。
自惚れでも自意識過剰でもいい。
紬は隼人に心から笑顔でいてほしいんだ——。



