言の葉はさよならまでの栞

 隼人とバスケ部に入った時のことを思い出しているうちに、男子部員が一人、また一人と入ってきて、総勢二十二人の部員たちが部室で着替え始めた。

「お! おもちいるじゃん」

 部長の木山(きやま)が紬の存在に——否、おもちの存在に気づいて近づいてくる。みんなを観察していた紬は
木山のゴツゴツした手に頭を撫でられながら、複雑な気分に浸っていた。

(まさかおもちとしてみんなと再会することになるなんて)

 中学生の頃、足を怪我した後に、何気なく「生まれ変わったら猫になりたい」と友達に話したことがある。猫って毎日退屈そうで、生きるのが楽そう。寝て起きて人間に可愛がられて、興味がないことからはすっと目を逸らして、嫌なやつからは距離を置いて。それが自然なんだよ、自然体で生きられるじゃん、と主張した記憶がある。
 紬の話を聞いた友達は「なんか嫌なことでもあんの?」と揶揄うように言った。
 その子はバスケ部の友達ではなく、クラスの友達だった。紬が足を怪我したことは知っていたはずだが、バスケができなくなるほどの大怪我だとは知らなかったようだ。その子に怪我の程度のことを打ち明けようとは思っていなかったので、「べつに、ふと思っただけだよ」と返した。
 生まれ変わったら猫になりたい。 
 本気かどうかも分からないその時の願いが、今こうして半分実現している。
 正確には、生まれ変わったわけではないけれど、猫として生きる時間を手に入れた。

「おもち、今日ご飯食べたー?」

 木山が紬にそう問うてくる。今日、自分がご飯を食べたかどうか、それは紬にもよく分からなかったので、首をころんと傾げる。

「昼休みにやったぞ。でもそろそろまたお腹が空く頃だな」

 不意に後ろから、隼人の声が飛んできた。紬の心臓がぴょんと跳ねる。

「そっか。じゃあまたやってあげなよ」

「言われなくてもあげるって」

 Tシャツとバスパンから制服に着替えを済ませた隼人が、木山の後ろからやってきて、紬にペットフードであるチュールを渡してくれる。

「ほらおもち、ごはんだぞ〜」

 鼻先にチュールを見せられてごくりと喉が鳴った。
 チュールなんて食べられないと最初は思ったけれど、猫としての本能がそれを欲していた。
 一度チュールにかぶりつくと、思った以上に味がしっかりとしていておいしいことに気づく。そのままパクパクとチュールを貪るようにして食べた。

「はは、今日のおもちは食欲旺盛だな」

 隼人が豪快に笑う。紬のすぐ近くで、紬の目線に合わせてしゃがんで待ってくれていた。

(隼人、やっぱり前と変わらないなぁ)

 ちょっぴり寂しくもあったが、隼人が塞ぎ込んでいなくてほっとしている自分もいた。
 というか、この部室にいるみんな、もう紬のことなんて最初からいなかったかのように自然な会話を繰り広げている。

(まあ……そりゃそうだよね)

 入院期間も含めると、もう七ヶ月以上も部活には顔を出していなかった。
 一年生の頃は当たり前のようにみんなの輪の中にいたのに。
 マネージャーと選手だから、もちろん選手同士のように密な絆はなかったかもしれない。でも、みんなと同じ時間を部活動に費やしていたのは事実だ。
 それ以外の時間も、昼休みは頻繁にこの部室で隼人とおしゃべりをして——。

「お疲れ様ですっ。みなさん、もう着替え終わりました?」

 部室の扉がガラガラと開かれて、見覚えのないポニーテールの女の子が颯爽と入ってきた。
紬の顎の下を撫でていた隼人が振り返り、「お疲れ」と片手を挙げる。
 隼人の姿を捉えた女の子が、にっこりと弾けるような笑みを浮かべた。

(この子はもしかして……)

 二年生になったばかりの春、進級して一度も二年生の教室に足を踏み入れることができなかった紬だが、クラスは隼人と同じだと知っていた。隼人は部活帰りにお見舞いに来てくれて、その日の教室での出来事や部活の様子を逐一報告してくれた。
 その中で、「一年生の女の子が一人、マネージャーとして入ってくれた」と言っていたのを思い出す。

(名前は確か——秋山暦(あきやまこよみ)さん、だっけ)

 バスケ部のマネージャーは毎年一学年に一人、いるかどうかだ。紬が一年生の頃は三年の先輩が二人マネージャーをしていたが、二年生は一人もいなかった。だから、三年生の先輩が引退して、紬は一人でマネージャー業を担っていた。
 そして二年生になり紬が休部状態となると、男子バスケ部にはマネージャーがいなくなったわけだが。
 隼人の口から、一年生の女の子が一人マネージャーになったと聞いて、ほっとするようなもやもやするような気持ちになったのを思い出す。
 後輩ができたのは嬉しい。でも、紬はその後輩と一緒に仕事をすることができない。そうと分かると、まるで自分の居場所を奪われていくような心地がしたのだ。
 馬鹿みたいだと自分の妄想を振り切った。隼人に「どうかした?」と聞かれた時も、「マネが入って良かったじゃん」とつくり笑いを浮かべた。

『ああ、そうだな。でも俺にとって男バスのマネージャーは紬だけだけどな』

 瞳を伏せながら照れくさそうに呟く隼人の声には、いつものような張りがなかった。

『……それってどう意味?』

『秘密だよバカ』

 その言葉の真意を、紬はいまだに知らないままだ。
 もう決して知り得ない、隼人の気持ち。
 悶々としていた気持ちは、ついに消えることなく、紬は引き続き入院生活を余儀なくされた。

(それで死んじゃったんだもんな)

 後輩のマネージャーに会うことも、一緒に仕事をすることもできなかった。
 部室に入ってきた暦は、くりっとした瞳が特徴の、華やかな子だった。
 彼女を目にした瞬間、誰もが目を奪われる。可愛いとか綺麗とか、そういうありふれた言葉で言い表すことができない。特別美人というわけではないのに、彼女が放つオーラは虹色に輝いていて、圧倒的は光属性(・・・)という第一印象だった。