言の葉はさよならまでの栞

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 千絵が勇と出会ったのは、通っていた地元の高校一年生の教室だった。
 今からもう、六十年近く前の話だ。
 千絵が高校生だったその時代、まだまだ男子校、女子校が多かったが、千絵が通っていた高校は共学だった。
 千絵の高校では五月に文化祭が行われていた。体育祭よりも文化祭のほうに力を入れていた学校だったので、一年生とはいえ、文化祭は準備から本番まで大盛り上がりだった。
 千絵のクラスはみんなで話し合った結果、古本屋を開くことになった。
 千絵は本が大好きな子どもだったので、古本屋を開くことには大賛成。一方、クラスの派手なメンバーなんかは本に興味のない人が多く、千絵は率先して、古本屋を成功に導こうと声を上げた。
 そして、そんな千絵と一緒に手を挙げてくれたのが、勇だったのだ。
 勇は野球部だったので、放課後にあまり準備の時間はとれないはずなのに、「俺も(さくら)さんと一緒に準備と宣伝頑張らせて」と言ってきたのだ。
 勇とはそれまで、席が近いこともあり楽しく会話をする仲だったが、これをきっかけにぐっと距離が縮まった。

「俺、本が好きなんよ。桜さんも好きなんだろ?」

「う、うん。近所に書店があって、毎日のように通ってる」

「そりゃめちゃくちゃ好きだな。俺はそこまでじゃないけど、毎日絶対本を読んでる」

「それ、田畑くんも十分本の虫だよ」

 周りに本好きな友達があまりいなかったこともあって、千絵は本が好きだという勇に対して、ほんのり好意を抱き始めた。とはいえ、この時の好意というのは、恋愛的なものではなく、友愛だった。
 勇との関係が変わったのは、文化祭が終わってすぐのこと。
 文化祭で千絵のクラスは大盛況だった。喫茶店やお化け屋敷なんかに比べたら古本屋なんて地味な企画だと思っていたが、勇と一緒にビラを作って宣伝して回ったおかげか、古本を持ってきてくれた人たちや、外部のお客さんがたくさん来てくれた。千絵と勇で、ジャンルごとに本を分けて、「スタッフおすすめ本コーナー」や、「一年二組が選ぶベスト10」など、いろんな工夫を凝らして展示したのが功を奏したらしい。お店を出ていくお客さんから「面白かったね」「スタッフさんが本好きなのが伝わってきて良かった」と語らう声が聞こえると、胸がくすぐったくなった。
 そして、文化祭が終わった日の夜。
 勇に連れられて、千絵は高校から最寄りの書店に立ち寄った。

「この本、プレゼント」

「え、いいの?」

 勇がある本を買って千絵に手渡してきた。その本のタイトルは『この空に焦がれて』。装丁とタイトルから、青春小説だと分かった。

「ああ。これ、俺からの気持ち。俺、桜さんのこと好きなんだ」

 本をプレゼントされたことだけでも驚いたのに、その場で告白されるとは思っておらず、千絵の顔が真っ赤に染まっていく。
 お店の前での出来事だったので、単純に誰かに聞かれてないかと恥ずかしかった。でもそれ以上に、勇から好きと言われたことが嬉しくて、千絵は思わずもらった本を抱きしめる。

「ありがとう。私も田畑くんが好き」

 千絵が返事をすると、緊張していた勇の表情がふわりとほどけ、にんまりと頬が緩むのが見てとれた。
 その表情の変化がなんとも可愛らしく、思わず抱きしめたい衝動に駆られた。
 それぐらい、自分も勇のことを愛しいと思っていたことに、初めて気づいたのだ。

「じゃあ、これから俺たち彼氏と彼女だな」

「う、うん。よろしくお願いします」

 彼氏と彼女。 
 言葉にするととても照れくさくて、千絵は耳まで熱が上っていくのを感じた。
 まだ高校一年生の五月のことで、自分に恋人ができるなんて思ってもみなかった。
 でも、人生ってそんなものなのかもしれない。
 〝思ってもみなかった〟がたくさん積もって、一つの人生のストーリーができあがる。まさかこの時、勇とその後何年も付き合い続け、結婚するとまでは思っていなかったのが、その最たる例だ。
 この時の千絵は、ただ勇と恋人になれたことが嬉しくて、その日家に帰ってから夢中になって『この空に焦がれて』を読み耽った。

 『この空に焦がれて』は、病気で亡くなってしまった恋人を思う、二十歳の男の子の話だった。作品全体に切なさがずっと漂っていて、何度胸が詰まったか分からない。「空に焦がれる」というのが、お空に昇ってしまった恋人を恋しく思う気持ちだなんて。なんて悲しくて尊い。あまりに感銘を受けて、終盤はずっと涙を啜っていた。

「勇くん、『この空に焦がれて』をプレゼントしてくれてありがとう」

 一週間後に勇にお礼を伝えると、勇は「どうだった?」と早速感想を求めてきた。

「とっても切ないお話だった……。勇くんってこういう感動系のお話が好きなんだね」

「そう、そうなんだ! 実は俺、泣ける本が好きで。……て、女々しいよな」

「女々しいだなんて、そんなことないよ。私も感動できるお話は大好きだから。だからありがとう」

 千絵がそう言うと、勇は照れたように笑った。彼のほっとした表情も可愛らしいなと思ってしまうから始末に負えない。

「あ、そうそう。勇くん、私、この本をプレゼントしてくれたお礼をしたいと思って……はい、これ」

 千絵は通学鞄からあるものを取り出して、勇の前に差し出す。
 勇は一瞬、何事かと目を丸くしていたが、千絵の手のひらの中にあるものを見てすぐに「栞だ」と呟いた。
 そう。千絵が勇に渡そうとしているものは本に挟む栞だった。
 しかも千絵の手作りで、パンジーやカスミソウを押し花にしてラミネート加工をしたものだ。

「これ、千絵が作ったのか?」

「う、うん。下手だけど……本が好きなら使えるかなと思って」

 勇はしばらくじっと千絵の手作りの栞を見つめていた。その間ずっと、千絵の心臓はドキドキと鳴り響いていて、気に入ってくれなかったらどうしようと不安だった。
 でも、勇がすぐに表情を明るくして、ニカッと歯を見せて笑うのを見て、ひどく安堵した。

「ありがとう! うわ、すごいなぁ。めちゃくちゃ綺麗だな、これ」

 千絵から栞を受け取って大はしゃぎする勇を見て、千絵は最初ぽかんと呆気に取られてしまったが、純粋に褒められているのだと分かって、胸がぴょんと弾んだ。

「良かった~。気に入ってくれなかったらどうしようかと思ってたから」

「気に入る気に入る! すごくいい、これ。これからの読書生活が楽しくなるぞ」

 無邪気に笑ってくれる勇を見ていると、不思議とどんどん元気があふれてくる。手づくり栞なんてダサいと思われるかも、と不安だった千絵の心は瞬時に晴れ渡った。

「ありがとう、千絵。これからもよろしくな」

 勇がありったけの笑顔で千絵を見つめてくれる。素直に気持ちを伝えてくれる勇と一緒にいられることに感謝しつつ、千絵は「うん!」と元気に頷いた。
 それから勇は、千絵がプレゼントした栞を肌身離さず持ってくれているようだった。
 一年が経ち、二年が経ち、五年が経ち、千絵が勇と結婚してからもずっと。
 勇が本を開く時には、少し色褪せた押し花の栞がいつも彼のそばにあった。
 千絵はその栞を見るたびに、勇が自分を大切にしてくれていると感じて、胸がほっこりと温もっていくのだった。