言の葉はさよならまでの栞

 ××は、自分の命がとうとう尽きてしまったことを知っていた。


 死に際、××の心に浮かんだのは「そこそこ幸せな人生だった」という思いだ。
 「最高の人生だった」と感じられたら、一番良かったんだろう。
 それでも、子ども時代から学生時代まで、素敵な友達に恵まれて、楽しい時間を過ごした。
 恋愛だって人並みに経験した。
 同年代の人たちと同じような年齢で、この人なら、という相手と結婚をし、遅まきながら子どもだって授かった。子どもは一人だけだったが、一端の大人に育てることはできたと思う。
 途中で専業主婦になったものの、やりたかった職業に就いて、自分でちゃんと、自分が歩む道を選んできた。
 だから、この人生に悔いはない。
 悔いはないはず——だった。
 
(どうして……だろうね)
 
 胸に一つ、何かがつっかえていた。
 気づかないふりをしていただけで。
 〝最高に幸せ〟なふりをしていただけで。
 ××の中には確かにまだ、長い年月の間燻り続ける気持ちがあった。
 心残り——それが、××の胸のつかえを言い表す一番の言葉だった。

 記憶の中の大切な人が、一生懸命、××に向かって何かを語りかけている。
 唇を震わせて、言葉を紡ぎ出そうとしていた。
 だけど、その人の口からは小さな音の粒さえ、何も出てこない。
 ××は心の中で、「待って」と言う。
 行かないで。
 まだあなたに、伝えたいことがたくさんあるから——。
 
 ××の命はか細く消えて、これから天に昇るだけだ。
 もう伝えられないし、心残りを解消することだってできない。
 彷徨う魂は、いつかちゃんと浮かばれるのだろうか。
 真昼間の白い光に包まれたようなまぶしさに、××はぎゅっと目を眇めた。