十四人の卒業アルバム  ~君がついた優しい嘘は、七つのきら星になって~


 あの日以来、ウチはちょくちょく図書室を覗きに行っている。
 今まではそこ、ガチで縁遠き場所だったけど、やっぱ気になる。ひょっとしたらワンチャン、ミミカがピンクのノートに、なにか書いてくれるんじゃないかと思って。
 あの夜、彼女は星空に消えてしまったけれど、絶対どこかにいてくれるって信じてる。だって『ズッ友』だって誓い合ったんだし。

 しばらく、『琥珀ヶ丘女子高等学校の歴史』コーナーの『資料集』ボックスからピンクのノートは消えていた。多分、ウチみたいな子が、『ノート、絶賛キープ中!』なんだろうなと想像し、ワクワクする。
 この間、しょうがないのでその棚に立ててあった『琥珀ヶ丘女子高等学校四十周年・令和五年版』というのをペラペラめくっていたら、マジでヤバすぎる記録を見つけてしまった!

 そのページのタイトルは、
"令和元年、制服刷新。セーラー服からブレザーへ"

 新旧・夏と冬の制服の写真も載っている。

 えっ、まじ⁉
 『旧』の方はセーラー服で、確かこれ、ミミカが着てたヤツと完全一致やん!
 もっとも、彼女の場合は、超ミニで、短めのルーズソックスを履いてて、胸には七つ星のアクセをつけて随分アレンジしてたけど、間違いない。ということは彼女、ガチモンの平成ギャルだったってコト?

 図書室通いを始めて一か月。いっそのこと、ここの自習コーナーでガチで受験勉強でもしよっかなーとか思い始めたころ、資料集のボックスに『七つのきら星日記』が戻っていた。ウチが書いた先のページを見ると、きれいな文字でびっしり埋まっていた。ミミカが書いたもんじゃないと一目でわかったけど、じっくり読んでみたくなった。

 お腹もすいてたので、ウチはそのノートを持って学食に向かった。


「これ、おなしゃす!」
 黄色いプラスチックの食券をカウンターにパチンと置く。

「はーい、いつものタレカツ丼ですね」
 学食スタッフの制服で、三角巾姿の女性がにこやかに食券を受け取った。ひょっとしていつもこれ注文してるの覚えられてた⁉ ちょっとはずぅ。タレカツ丼とは、卵でとじないカツ丼で、揚げたてのカツを甘辛い醤油ダレにくぐらせたもので、その香りが食欲をそそる。丁寧に千切りされたキャベツとも相性バツグンの運命共同体で、ウチの高校でも人気メニューのひとつ。うら若きJKがそんなものガッツリいくの?って思うかもだけど、うら若きJKだからこそ、この香りの誘惑に完全ひれ伏するのだ!

 丼ぶりとみそ汁とが載ったトレーを受け取ると、空いてる奥の窓側のテーブル席に座った。
 まずはお腹を満たしてから、ゆっくりとノートを読もう。あ、表紙にソースをつけないように気をつけないとね。味もビジュも神。

 秒で完食し、サーバーで麦茶をコップに汲んで席に戻り、ノートを開く。

 は? なにこれ、まじヤバでエモいんだけど!

 六番目に描かれた日記は、美術部の子の話で、なんと肖像画を描いてあげてた子がそのまま絵の中に入ってしまったって……これマジ? インスタの『卒業アルバム、七つのきら星』を見たら、エミちゃんって子と一緒に、『トウコ』さんがちゃんと絵の中に収まって写ってる。マジで喋ったり笑ったりすんの? 幻覚じゃね? とも思ったけど、それがホントなら羨ましい。同じアルバムにウチとミミカの写真も乗っけてるけど、残念ながら、ミミカはピクリとも動かない。

 ウチは、他の子たちが描いたページをパラパラを見直し、最後に先頭のページを開いた。

 そこに書かれた名前。

一のきら星 マイア : 高峯 円花

二のきら星 アステローペ: 天音 響

三のきら星 アルキオネ: 水瀬 帆波

四のきら星 タイゲタ: 浦野 武美

五のきら星 エレクトラ: 星野 瑠奈(ウチのこと)

六のきら星 ケラエノ : 白瀬 絵美

七のきら星 メローペ: 日向 実里

 今だからわかるけど、ここに書かれている『七つのきら星』とは、ミミカが教えてくれたプレアデス星団(すばる)のことだ。そして最後の星。メローペ。彼女が言うには、なかなか見つけにくくて、『失われた星』とも呼ばれてるらしい。その下に書いてある『日向 実里』という名前。以前、気になって、玄関の下駄箱やら学年のLINEグループで、この子の名前を確かめたことがある。他の子たちはみんな同学年だってわかったけど、実里ちゃんだけがヒットしない。七番目の星が見つけにくいのは、空も地上もデフォなわけ?

 ミミカたちも十分ナゾだけど、ラストバッターのこの子もナゾな存在だ。
 ウチは頭の中、『???』のまま席を立ち、空いた丼ぶりやなんかを食器返却口に持っていった。

「ありがとうございました」

 そう言ってにこやかにトレーを受け取ってくれたのは、さっきタレカツ丼を用意してくれた女性で、まだ若く、 ほぼウチらの同い年で草。琥珀ヶ丘の制服着てても、違和感なさすぎ。

 そのときウチは、その子のスタッフ制服の胸についているネームプレートを見落としていた。
 想定外すぎ! 彼女こそが、『七つのきら星』の最後の話を紡ぐヒロインだったなんて。




 食券のプラスチックの札がカウンターに置かれる「パチッ」という音。寸胴鍋の中で麺が茹で上がる「ボコボコ」という低い音。唐揚げが油から引き上げられるときの「チュワァァッ」というジューシーで香ばしい音。甘辛い醤油と出汁が混ざった関東風のうどんつゆの匂い。カレーのスパイスの刺激的な香り。そして、炊きたての白米から立ち上る、ふんわりと甘くて温かい湯気の匂い。出汁と揚げ油が混ざったような食堂全体に漂う空気。そして、お昼のチャイムと同時に駆け込んでくる生徒たちの足音……

 思わず描写に力が入ってしまった。それだけわたしはこの場所、この時間の雰囲気が好きだ。朝からの仕込みや準備は大変だけど、注文カウンターに並ぶ生徒たちの笑顔を眺めているだけで嬉しくなってくる……できれば、わたしも『そっち側』に居続けたかったのだけれど。

「これ、おなしゃす!」

 今風のギャルファッションの子が黄色いプラスチックの食券をパチンとカウンターの上に置いた。今日も彼女の元気な声が聞けた。それが嬉しくて「いつものタレカツ丼ですね」だなんて余計なことを言ってしまった。でも彼女、ここのところ注文するのはタレカツ丼一択だし、見ていると本当においしそうに食べてくれる。わたしはまだまだアルバイトの身だけど、学食で働いていてやりがいを感じる一瞬だ。

 でも最近、ちょっと気になる子がいる。

 午後の始業前ベルが鳴り、お昼時間のピークを超えて椅子やテーブルの掃除や整頓を始める頃。
 厨房の換気扇の「ヴォォォ」という低い唸り声だけが残る、少し寂しい静寂の時間。

 今日もその子は、学食の隅のテーブル席にちょこんと座っている。昼ご飯も食べずに。ここではお弁当を持参したり、購買で買ったパンなどを食べるのも自由なんだけど、そんな様子もない。だいたいこの学校の制服はブレザーなのに、その子はセーラー服を着ている。最近何人かセーラー服姿の生徒を見かけるので、学校で認められている制服なのかも知れないけど。
 午後の授業は大丈夫なのだろうか? でも一番気になるのは、その子の顔色とほっそりとした体つき。もう秋もだいぶ深まっているのに、夏服のセーラーを着ていて、半袖から伸びている腕は、わたしが手で掴むと親指と中指がついてしまいそうに細く、白く透き通っている。

「あなた、お昼ごはんはもう食べた?」
 彼女にそう声をかけたのは、わたしじゃない。この学食の管理栄養士を担当している多田さんだ。彼女はわたしの師匠。その日の日替わりランチの栄養価やカロリーなど丁寧に教えてくれる。わたしはその受け売りで生徒たちに説明する。そして、彼女が考案するメニューは本当にどれも美味しい。

「はい……いえ、大丈夫です」
 セーラー服の子は多田さんの問いかけに、力なく曖昧に答えて席を立ち、食堂から出て行ってしまった。このやりとりはもう何度も目にしている。

「あの子、大丈夫かしらねえ」
 多田さんはテーブルを拭いているわたしのそばに寄り、心配そうに呟いた。

「多田さんはあの生徒さん、ご存知なんですか?」
「ううん、私も知らないんだよね。あの子、ここにときどき来るんだけど、一度も食事してるところ見たことがなくってね。ちょっと気になるのよね」
 多田さんのその気持ち、よくわかる。ちょっと前、ここで働き始めたころは、多分わたしもあんな感じだったから。

「ああごめん! ミノリちゃん、掃除はあとでいいから、賄い、食べちゃって。今用意するから」
 そう言って多田さんは慌てて厨房に向かった。

 おまたせ、と言って(全然待たせてないけど)多田さんはトレーを二つ持って来てテーブルに置いた。
「たまには一緒に食べよう」
「はい」

「いただきます」
「いただきます!」

 トレーの上には、丼ぶりとスープのカップが載っている。
 丼ぶりの中身は三色丼。鳥そぼろと炒り卵と、小松菜をさっと炒めたもののようだ。彩りも綺麗で見るからに美味しそう。学食のスタッフの食事は、その日の売れ行きや余った食材によって、その内容が決まる。多田さんいわく、フードロス対策と原価管理のためのバランス調整だそうだ。それにしても短時間でパッパッと美味しいものを作ってくれる。管理栄養士さんってほんとにすごいなあって思う。

 そして、わたしの賄いには、サービスで必ずスープをつけてくれる。

「今日は、名づけて『太陽のミネストローネ』というところかな」
 わたしの視線に気づいてか、向かい合って座っている多田さんがスープの名前を教えてくれた。
「どうやって作るんですか?」
「簡単よ、玉ねぎ、人参、茹でた大豆をオリーブオイルで炒めてホールトマトとコンソメスープでコトコト煮込むだけ」
 ひと口、スプーンで口に含む。じんわりと体中に染み渡る。

「わたしは多田さんのスープで生きて来られました」
「まあ、大げさね!……でも、スープって簡単に栄養がとれて、体が温まるし、いいよね」

 多田さんは、大げさだっていうけど、そんなことはない。ここに入って間もない頃、スープは大切な栄養摂取の手段だった。

 わたしは、小学校のときに父を亡くし、母親の手ひとつで育てられてきた。母は、過労から病気がちで、働きながら体調が悪くなると休み、少し良くなるとまた働く、を繰り返していた。とにかく私を育てることを優先して、自分の体調管理なんか後回しにしていた。
 わたしが高校に入ってもそんな状態が続き、それが我慢できなくなった。わたしは母を無理やり説得させて、高校を中退し、働き始めた。食べ物に困って育ってきたので、食に関わる仕事がしたいと思い、学校給食を手がける会社を訪ねた。そこの仕事がやっていけるか、まずはアルバイトとして試してみたら、ということで、この琥珀ヶ丘女子高の学食で働いている。

 アルバイト初日。仕事のピークが過ぎ、あと片づけも一段落すると、思惑通り?期待通り? 賄いご飯を出してくれた。でも、いざ目の前のトレーに置かれたカツカレーを見たら、スプーンが持てなかった。そんな自分に驚き、動揺した。見かねた多田さんが、さっとスープのカップを出してくれた。
「ふんわり卵と生姜のポカポカスープよ。これなら食べられるかな」
 栄養士さんは、さあどうぞと小さなスプーンを渡してくれた。
 そっと口に入れる。昆布と鰹の優しい和風出汁は、生姜が効いていてとろみがついている。ひと口、ふた口……そのまま全部平らげてしまった。

「よかった。きっと胃袋が恐がっちゃったのかもね……お腹って、心とつながってるからね」
 多田さんはそう言って微笑んだ。

 確かにそうかもしれない。食材を節約しながらも母が作ってくれた食事。今は調子がよくないからと母自身はろくに食べていなかった。そんな中で、大きなカツの載ったカレーライスを見て、驚きとか遠慮とか、複雑な気持ちがあったんだと思う。
幸い、母の健康状態は上向きになり、収入も安定してきたので、「また高校に戻ったらどう?」と母は勧めてくれた。
 でも、多田先生が出してくれた一杯のスープで、わたしの決心は固まった。お腹をすかせている人、心と体の栄養を必要としている人に、わたしも食べ物を出してあげたい。だから、来年から、給食会社に契約社員として雇ってもらうことにした。

「あの子にもスープ、飲んで欲しいな」

 知らずに口に出していた。
 わたしのその言葉を聞いて、向かいに座って食事をしていた多田さんが丼ぶりから顔を上げた。

「ああ、さっきの子?」
「はい」
「……そうね。ちょっと食べてなさそうな感じだもんね……でも、もうちょっと彼女のこと、知らないとね」
「そうですか……あの、そうしたら、あの子にスープを出してあげてもいいですか?」

 多田さんは箸を置いて少し考えたあと、
「わかった。学食のマネージャーさんには、一応話しておくから」
 そう言ってくれた。



 数日後の昼休みが終わるころ、学食の隅に彼女の姿があった。

 わたしはスープをこぼさないようにトレーを持って、彼女の右四十五度から接近する。
 この感覚、なにかに似ている。そうだ、道端に座っている猫を撫でたいときに、その子と視線を合わせつつ、ゆっくりゆっくりとそばに寄るやり方だ。どんなに慎重に近づいても、片手を上げて撫でようとした瞬間に逃げられることの方が多いけど。
 幸い、セーラー服の子は逃げずにわたしと視線を合わせてテーブルに座ったままだ。でも、最後が肝心。

「ここ、いい?」
「え? うん」

 わたしは音をたてないようにトレーを起き、彼女の右隣に座った。
「わたしね、日向 実里(ひなた みのり)。この学食で働いている……て言っても、アルバイトだけどね」

 彼女の返事を待つ。その気配を察してか、
「私は、佐竹 小春(さたけ こはる)」と答えてくれた。

「コハルさんか……この学校の生徒だよね? 何年生?」
 彼女はその質問には答えなかった。代わりに、目の前で湯気が立ち昇らせている、丸くて白いスープのカップをじーっと見つめている。

「あ、そうそう。これ、賄いなんだけど、よかったら飲まない?」
 チャンスとばかりに、カップをトレーから彼女の手前に移そうとしたが。

 ガシャーン

 彼女はそれを手で払った。
 カップは床に転がり、多田さん特製の豆乳とさつまいものポタージュスープが床に飛び散った。プラスチックの容器は無事だ。

「ごめんなさい」
 震える声でそう言うとコハルさんは席を立って学食から走り去ってしまった。

「なかなか懐いてくれない子猫ちゃんね」
 呆然と立ちすくむわたしに後ろから声をかけたのは多田さん。片手にモップ、片手にペーパータオルを持っている。わたしが床に散乱している具を手ですくうと多田さんは紙製のタオルを広げて受け取ってくれた。

「すみませんでした……あの子のこと、ちゃんと知ってからって多田さんに言われていたのに」
 モップで床を拭っている栄養士さんに謝る。
「いいの。あなたが彼女に声をかけなかったら、私がやってたかもしれないし」

 床に置いたトレーにカップを載せ、立ち上がろうとするわたしに多田さんは再び声をかけてきた・
「いきなり食べろって言われても、その気が無かったらそっぽ向いちゃうし、彼女なりにプライドもあるだろうし」
「でもコハルさん、スープの入ったカップを見つめ、食べたそうな顔をしていたと思うんです」

「そうなの?……これはあれだね。『その道のプロ』にご登場いただくのが正解かな」
「?」
 あの子がまた学食に来たら、そっと教えてねと多田さんに言われたけど、果たしてまた来てくれるだろうか。



 二週間ほど彼女は学食に現れなかったけど、少し肌寒い薄曇りの日、いつものように、昼休みの終了前ベルが鳴る頃。学食のガラス製のドアをそっと開け、あの子が入ってきた。その姿を多田さんも確認している。栄養士さんはわたしに「なにも持たないで彼女のそばに行ってみて」とささやくと、スマホを取り出しながら、カウンターの隅に移動した。

 またこの間のように逃げられてしまうではないかと、テーブル席に座った彼女に恐るおそる近づく。やっぱりわたしをガン見している。

「ここ、いい?」
 彼女はコクっとうなずいた。

 前と同じようにコハルさんの右隣の椅子に座り、わたしは頭を下げる。

「この間はごめんなさい」
「この間はごめんなさい」

「え!」
「え?」

 彼女はわたしと同時に頭を下げ、謝ってきたので戸惑った。

「いやだって、あなたの気持ちを無視してスープを飲めなんて言っちゃって」
「その、せっかく勧めてくれたのに、あんなひどいことしちゃって」
 またダブった……

 今度は言葉が重ならないようにと一呼吸置いたら、彼女がぽつりとこぼす。
「なかなか勇気が出せなくて遅くなっちゃったけど、今日はあなた……ミノリさんに謝りに来たの」
「……そうなんだ。ありがとう」
 彼女がそう言ってくれたので少しほっとしたけど、このあとどうすればいいか、わからなかった。またスープを勧めてみる?

 人の気配がし、二人で顔を上げる。そこに立っていた女性……一人は多田さん、もう一人は白衣の女性……この学校の保健室の先生だろうか?
 コハルさんはガタンと音をたてて席を立った。
「行かないで!」
 わたしは慌てて引き止めようとしたが、その必要はなかった。彼女は逃げずにその場に立ちすくんだままだ。

「コハルちゃん、久しぶり」

 そう声をかけたのは白衣の先生だ。彼女はかけていた細い銀フレームのメガネを外した。
「あ、あなたは……瀬川さん?」
「憶えていてくれたのね。嬉しいよ」

 この会話を呆然と聞いていたのはわたしだけではない。多田さんも「いったいなにが起きている?」と顔に疑問符を浮かべている……が、はっと正気を取り戻したようにコハルさんに向かって話し始めた。
「紹介するわね、あ、忘れてた! 私は、この学食で管理栄養士をやっている多田と言います……それから、お知り合いみたいだけど一応。こちらは、この学校の養護の瀬川先生です。食事と体と心の健康は切っても切り離せない関係なので、ときどき情報交換させてもらってるの」

 コハルさんは瀬川先生を凝視したまんまだ。

 わたしたち四人はテーブル席に座り直した。
 瀬川先生はコハルさんとわたしの顔を見比べた。
「どうやらあなたたち、少し打ち解け合ったみたいね」
 コハルさんの表情を確かめたら、彼女は小さく二度うなずいた。

 それを見て瀬川先生はメガネをかけ直し、ちょと冗談っぽく栄養士さんに問いかけた。
「多田さん、特に私から聞いたり言ったりすることはなさそうなんだけど、もういい?」
「い、いやなにか言ってあげられることがあればぜひ!」
「そうねえ……じゃあ、コハルちゃんに。もし困ったことがあったら、遠慮せずにいつでも保健室に来て」
「え? 私なんかが行ってもいいの……いいんですか?」
「もちろんよ。あなたはこの学校の生徒だし。その制服を着てるんだから……それに、積もる話もあるし」
 そう言って白衣の先生は悪戯っぽく微笑んだ。わたしと多田さんはなんのことやらと顔を見合わせ、首をかしげる。

「それから日向さんだっけ?」
「はい?」
 急に名前を呼ばれてびっくりした。
「これからもコハルちゃんの話し相手になってあげてね」
「え? あ、はい、わかりました」
「でも、決して食べ物を勧めたりしなくていいからね」
「……わかりました」
 そう返事したものの、本当にそれでいいんだろうか?

「あ、それからコハルちゃん、あなた、百円玉とか持ってるの?……別にスマホ決済でもいいけど」
「え?……うん、持ってる」
「じゃあ、今度ここに来るとき、持って来てね」
 瀬川先生とコハルさんの謎の問答を最後に、四人の会話はそれであっさり終わってしまった。

〇 

「ここ、座ってもいいかな」

翌週、学食の後片づけを終えて、多田さん特製の賄いご飯を食べていると、コハルさんがそう声をかけてきた。

「え?……うん、今、昼ご飯を食べてるところだけど、構わなければ」
「ごゆっくり、どうぞ」
 そう言ってわたしの隣に座ると、彼女はわたしの食事風景をじっと見つめた。人に見られながら食べるのは恥ずかしい。プレッシャーを感じる……中華丼が喉に詰まりそうだ。

「美味しそうだね」
 彼女はぽつりと言った。

 じゃあ、と言いかけたが、「決して食べ物を勧めたりしなくていいからね」という瀬川先生の言葉を思い出し、なんとかその言葉を飲み込む。

 不意にテーブルの上にパラリと紙が置かれた。この学食のメニューだ。
「管理栄養士の多田からのお勧め、というか新メニューお試しキャンペーンのお知らせです! 今度から日替わりスープというのを始めました。お値段は税込み百円!」
 確かに、メニューの一番下に、湯気が立ち昇るカップのイラストと一緒に、日替わりスープが紹介されている。

「今日は、なんのスープですか?」
 意外にもコハルさんが質問した。多田さんはわたしを見て優しく微笑み、「ミノリちゃんから説明してあげて」と促した。
「あ、えっと……すりおろし人参とリンゴの、名づけて『陽だまりのポタージュ』。お砂糖も生クリームも一切使ってない、人参とリンゴの自然の甘さだけで作ったスープだよ。……昔、わたしが体調を崩したとき、母さんがよく作ってくれたんだ。あ、今わたしが飲んでいるのが、それ」
 コハルさんのためにスープを作りたいと相談したら、「いいね! ぜひ」と監修してくれたメニューだ。

 コハルさんはトレーに置いてあるスープを見つめる。
「あの、私も貰えますか?」
「ハイ! でも、恐縮ですが、当学食がセルフサービスとなっておりまして、入口の券売機で食券をお買い求めいただけますでしょうか?」
 多田さんがちょっとおどけて言った。
「わかりました」
 そう返事をするとセーラー服の少女は財布を持って立ち上がり、食券を買い、配膳カウンターで多田さんからスープとスプーンを受け取って戻ってきた。

 席に座ると彼女はスープが入ったカップを両手で抱えた。まるでその熱を自分の体に移すように。それからスプーンを手に持ち、ひと口、ふた口……そのまま全部平らげてしまった。

 その様子をじっと見ていたわたしの視線に彼女は気づき、照れ笑いした。
 きっと、あのときのわたしもこんな感じだったのだろう。



 それから彼女はちょくちょく学食に来ては券売機でスープだけを注文し、わたしの『賄い飯タイム』に同席するようになった。
 このとき、多田さんは重大なミスを犯していた。日替わりスープのお試しキャンペーンは、コハルさんが来る時間以外は『売り切れ』にして、公式な学食のメニューにするつもりではなかったらしいけど、ある日、売り切れ表示にするのを忘れ、お昼時に注文する生徒も続出し、急遽厨房に頼み込んで作ってもらったらしい。それが特に女子の間で評判になり、インスタにも投稿され、今では『学食メニューやお弁当、購買のパンに、もう一品!』の定番のサイドメニューになっている……

「これは、ご飯が食べられなくなるきっかけのアルアルなんだけどね」
 一緒に食事をしているとき、コハルさんはそう切り出して、ぽつりぽつりと話してくれた。体型に関してのクラスメイトの悪気のない一言。それが気になってSNSで痩せる方法を探し、スリムなスタイルを維持しているインフルエンサーがやっていることを真似して体重を落とす。努力をすれば結果が出ることがわかると、ますます過激なダイエットにのめり込んでしまう。こうなると、この悪循環から、抜け出せない。
 家族ともクラスメイトとも一緒に食事をすることがなくなり、彼女はいつの間にか独りになってしまっていた。

「そんなとき、ミノリちゃんが声をかけてくれた……それで救われた」
「救われた、だなんて。わたしはただ瀬川先生に言われた通り、コハルさんが来たら一緒におしゃべりして食べてるだけだよ」

「そう! 一緒に食べてくれる人がいるのが、どれだけ大切か、やっとわかった」
 そう言われると、すごく照れる。でもそのうち、スープだけじゃなくて、他の学食メニューも注文してくれたらいいなと思う。
 あ、そうだ思い出した。
「ねえコハルさん、あのノートに書いてあったこと、やってもいいかな?」
「ノート? なにやるの?」
 わたしたちは空っぽになったスープのカップを挟んで、スマホの写真を撮った。はにかむコハルさんの隣で、わたしも少し照れくさそうに笑っていた。




 ある日、いつものように、コハルさんと一緒に賄いランチの時間を愉しんでいたら、多田さんが女性の方を連れてきた。

「初めまして。私はこの学校で国語科目を教えている山村と言います」
 わたしとコハルさんのどちらへというわけでもなく、そう自己紹介した。

「日向 実里さん、でしたよね?」
「はい?」
「あなたはこの学食で働いているって多田さんから聞きましたけど、将来の夢とかあるのかな?」
「え、夢ですか?」
 そんなこと、考えたことも……いや……わたしは多田さんの顔をちらっと見てその質問に答えた。
「できれば、管理栄養士になりたいです……みんなの心と体を元気にしてくれる、多田さんみたいに」
 栄養士さんは照れて下を向いた。
「でも……」
 そう。そのためには、管理栄養士養成課程がある大学や専門学校に行く必要がある。そのためには高校の卒業が前提だ。高校を中退したわたしにとっては、遠い夢だ。

「そこであなたに案内しておきたいの」
 山村先生が穏やかな笑顔でそう言った。
「実はこの琥珀ヶ丘女子高もね、来年度から『通信制課程』を開設します。少子化の影響でね、なんでも、『学校経営基盤を安定させるために』ということらしくて。たまたま私は、通信課程の設立準備メンバーに入っていてね」
「?」
「あなたはこの学食で働きながら、高卒の資格がとれるの」
「そうなんですか⁉」
「ええ、日向さんの場合、高二の二学期まで通学していたって多田さんから聞いたから、『大検』を受ける勉強をするよりも、レポート提出などで楽に単位がとれると思う……もちろん、そのあと管理栄養士の養成課程がある学校に通う必要はあるけど、そのときも、この学食での実務経験が有効になるはずよ」

「ミノリちゃん、ごめんね、勝手に瀬川先生や山村先生に相談しちゃって」
「いいえ、ありがとうございます。考えてみます」
 わたしは多田さんに直接管理栄養士になりたいって言ったことはないけど、わかっていてくれてたんだ。

「あの、その通信課程って、私でも受けられますか?……その、年齢制限とかもあるんですか」

 今まで黙って話を聞いていたコハルさんが不意に山村先生に尋ねた。わたしにはその質問の意図がわからなかった。多田さんも不思議そうな顔をしている。だって彼女、すでにこの学校で学んでいるのでは?

「ええ、もちろん大丈夫よ」
 山村先生はにこやかにそう返答した。

 しかし、佐竹 小春さんと一緒に食事をしたのは、その日が最後になってしまった。




 四月になり、琥珀ヶ丘女子高の通信課程が始まった。
 入学ガイダンス当日。

 基本的に、スクーリングという年間に何日か決められた登校日や体育の授業以外は、レポートの提出だけとなるため、通信課程の生徒と会う機会はめったにない。ガイダンスに集まったのは、女子、いや女性が二十名ほど。高校生くらいから二-三十代くらいと思われる方まで、年齢層は幅広そうだ。
 年間のカリキュラムやレポートの提出などの説明が終わり、最後に出席者同士で名前だけの簡単な自己紹介をした。

「初めまして、佐竹 小春と言います」

 え⁉

 社会人らしき紺のスーツ姿の女性がそう名乗った。
 よくよくその人を見ると、似ている……コハルさんに。学食に来ていたセーラー服の少女に。


「コハル……さん」
 ガイダンスが終わり、勇気を振り絞ってその女性に声をかけた。

「はい……あなたは?」
「あ、あの……わたしは、日向 実里と言います」
「日向さん、初めまして、これからよろしくね」

 同姓同名なのだろうか? それにしても顔がそっくりだ。違うとすれば、顔色がよく、コハルさんほど痩せていない。
「あの、わたし、この高校の学食で働いています」
 ダメ元でそうつけ加えた。

「あら、そうなの? インスタを見たら、最近ここの学食、随分評判がいいみたいね」
「そうですか……ありがとうございます」
「なんでも、ワンコインのスープとか」
「え?……ああ、そうみたいです」
「今日もやっているかしら? できれば行ってみたいんだけど」
 ガイダンスは午前中で終わったので、ちょうどお昼時だ。今日は学食の仕事はお休みをもらっている。
「少し混んでる時間かもしれませんが、やっています」
「じゃあ、一緒に行かない?」
「……はい、構いませんけど」

 佐竹さんは唐揚げ定食にスープ、わたしはポークカレーにスープを注文し、トレーを持ってたまたま空いていた四人がけのテーブル席に腰かけた。


「懐かしいな」
「え?」
「実はね、私、この学校に通っていたんだけど、事情があって中退してしまってね。最近、通信課程ができたって聞いたから、入ってみたの。もう一度チャレンジしたいと思って」
「……そうだったんですか」
「だから、ここの学食もほとんど利用したことがなかったけど……なぜだか、すごく懐かしい」

 そう言いながら、佐竹さんはスープを口にした。
 スプーンを持つ彼女の手が止まった。

 その姿勢のまま、大人のコハルさんはわたしを見つめ、涙をひと筋、流した。

「リンゴと、人参の甘さ……この味、憶えてる」