十四人の卒業アルバム  ~君がついた優しい嘘は、七つのきら星になって~

 大学に無事入学できたものの、この先一人でやっていけるか、正直不安もあった。四月は特別にそういう時期なのか、キャンパスは学生たちでごった返している。
 母は入学祝いを兼ねて、ノイズキャンセリング機能つきのイヤフォンをプレゼントしてくれた。でも、またあの頃のように、強い不安やストレスを感じてしまうのではないか。

 しかし、いざ入学式を終えると、自分で判断して動かなければならないイベントが目白押しで、そんな心配をしている余裕はなかった。新入生ガイダンスの一環として行われる学部説明会、単位取得のガイダンス、履修登録、図書館など学内の施設の利用説明会、そして健康診断など。あおっれから、スクールカウンセラーが常駐しているというキャンパス相談室もチェックしておいた。

 アサヒの影響を受けたわけではないと思うけど、―いや、多分に受けていると思う―学部は文学部を選び、一年間の一般教養課程が終わったら、文芸部に進みたいと思っている。アサヒの影響を受けて小説の真似ごとみたいなのも始めたけど、まだまだだ。

 怒涛のガイダンスと手続きが終わり、ようやく授業が始まった。いざ受けてみると、教室は静かで、どの科目も興味深く、面白く感じられた。まだ始まったばかりだからかもしれないけど、入学当時の不安感は和らぎ、「やっていけるかもしれない」という気持ちも芽生えてきた。キャンパスのあちらこちらに自習スペースがあるからか、春先の図書館は人が少なく、ひんやりとして、バニラの香りが漂い、私の心を落ち着かせる。残念ながらラノベや漫画はそれほど充実してなさそうだけど、広告の図書室では置いてないような未知の書物も豊富にあり、ここでも図書館は私の大切な拠点となりそうだ。



 四月下旬。
 諸々の手続きが終わり、講義も一巡し、キャンパス内の雰囲気も落ち着いたころ、一泊だけ実家に帰ることにした。独り暮らしを初めて約一ヶ月、母親に会いたかったというのもあるけど、もう一つ大切な目的があった。
 実家の最寄駅から二駅ほど先に、水明高等学校という男女共学の高校がある。そこに転任していった瀬川夕香先生を訪ねるのだ。本当はもっと早く訪ねたかった。でも、その前に自分が大学の生活にちゃんと馴染めるかを見極めておきたかった。

 二つの路線が交わるターミナル駅を降り、グーグルマップを頼りに駅の北口を進む。
やがて道路の脇には小さな川が流れ、鮮やかな色彩の鯉が何匹も泳いでいるのが水面に見えた。
水明高校という名前の由来はここから来ているのかもしれない。男女のグループが何組か駅に向かって歩いてくる。どうやら瀬川先生の勤務先は私服の高校のようだ。大学生が高校の敷地に入ると目立ってしまうかと思ったけど、そんな心配はなさそうだ。私もつい先月までは、高校生だったし。

 一応、玄関でスリッパに履き替え、職員室に寄る。入口近くの事務職員の方らしい若い女性に瀬川先生に会いに来たことを伝えると、今、一階の保健室にいるはずなので、直接行ってみてくださいと言われ、口頭で場所を案内された。
 完全にノーアポだ。廊下を歩き、保健室と書かれたプレートが見えたとき、急にドキドキしてきた。
 瀬川先生は、私の急な訪問を喜んでくれるだろうか?

 先生と最後に会ったのは、確か、三年の三学期が始まった頃。入試も始まり、幸か不幸か保健室にお世話になる回数はめっきり減ったので、それがいつだったか、はっきりと覚えていない。
 そして、アサヒに会ったのは、あの卒業式の日。楽しく食事をしているうちに、目の前で消えてしまった。

 少しためらって、ドアをノックする。

「どうぞ、入って」
 私が名乗る前に返事があった。

 開き戸を手で引くと、瀬川先生が応接用のソファに座っているのが見えた。なにかの原稿を読んでいる。

 視線を上げて、私を見たけど、驚いた様子は無かった。
 読んでいた原稿用紙を置き、微笑んだ。


「いらっしゃい。そろそろ来ると思ってたわ」

「お、お久しぶりです」
「さあどうぞ、座って」

 先生は座ったまま少し横に移動し、空いたスペースに座るよう私に勧めた。

「ちょうどね。原稿のチェックをしているところ」
 先生が読んでいた分厚い原稿用紙の隣には、ピンク色のキャンパスノートがあった。

「ひょっとして、あの物語の原稿ですか?」
「その通り。時間がかかってごめんなさい。もうちょっとでできるから、楽しみにしてて」

 ああ、アサヒと瀬川先生の合作(?)、早く読んでみたい。

「ところで先生、眼鏡はやめたんですか?」
 久しぶりに会ったのに、変な質問をしてしまった。

「そうなの、せっかく学校を変わるんだからって、気分転換も兼ねてね。イメージチェンジって言った方がいいかな」

 そう言ってにっこりと笑った顔は……

「あ……アサヒ」

「やあ、マドカ」

 会えた。
 ほんとうに会えた。

 瀬川先生、いやアサヒは私の肩を抱いた。

 ダメだ、もう我慢できない。
 私は両腕で白衣の女性を抱き締めた。

「本当に消えないでいてくれたんだね」
「そうだよ、だって卒業式の日に約束したじゃないか……というか、マドカがボクを消えないようにしてくれたんだ」

「……ごめんね」
「え?」

「ずっとそばに居てくれたのに、全然気づけなかった……瀬川先生がアサヒだったなんて」
「あはは、ヒントは出してたんだけどね」
「?」
「名前を思い出してごらんよ。瀬川『夕香』に『朝陽』だよ?」
「そんなの気づくわけないよ」
「えー、そうかな?」

 私はテーブルの上の原稿の束を見つめる。
「こういう質問って意味があるのかどうかわからないけど、この原稿、実際は瀬川先生が書いたの? それともアサヒ?」
「うーん、それは難しい質問だな……本を読むだけじゃなくて書きたいって思ったのは『アサヒ』だし、養護教諭になるために文学の道を諦めて、未練タラタラだったのは『瀬川ちゃん』だし……」

 この質問はやっぱり意味がないらしい。
 だから、私は質問を『これから』に切り替える。

「アサヒ……瀬川先生は、これから小説を書いたりしないんですか?」
「そうね、やっぱり書きたいなっていう気持ちもあるし……そしてなによりも、『アサヒが私に戻ってきちゃった』から、書かないわけにはいかないでしょうね」

 それを聞いて「しめた!」と思った。

「じゃあ、これからお互い小説を書いたら見せ合いっこしませんか? あ、私はまだダメダメですけど……」

「そうか、確かマドカは文学部に入ったんだよね? いいね、やろうよ! ボクがときには甘口、ときには辛口で講評してあげるからさ」

「……お手柔らかにお願いします」

 いったい、アサヒと会話をしているのか、瀬川先生と会話をしているのか訳がわからなくなってきたけど、とにかくここに来てよかったと思う。これで五月病にかからずにゴールデンウィークを乗り切れるかもしれない。



 水明高校を後にする頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。道路に沿った水の音を頼りに、駅に向かって歩く。

 あの卒業式に参加した子たちは、また出会えるんだと思う。大切な親友に。いつか、どこかで、アサヒと私のように。

 消えたんじゃない。
 あの肖像画の中にいた子も、きっとどこかで絵を描いているはず。『少し大人になった自分』の体に帰って。



 やがて、街並みは明るく賑やかになり、そこを抜けて駅のコンコースに入る。

 改札口前の広場には、ここに来た時間には見られなかった人だかりができていた。人垣の間から音が漏れ聴こえてくる。確かそこにはストリートピアノが置かれていたはずだ。

 人垣に私も加わる。

 その音色はピアノとクラリネット。

 流れてくるのは、私でも知っているジャズのスタンダードナンバー。

 人だかりに紛れ、しばらく足をとめて聴き入る。演奏しているのは、二人の若い女性。息がぴったりだ。彼女たちは私に気づき、楽器を鳴らしながら微笑んだ。それに私も手を振り返す。

 演奏が終わり、暖かい拍手でアンコールを促されると、デュオは再び演奏を始めた。

 コンコースの吹き抜けに響く、少し大人びたクラリネットの深い音色と、それに寄り添いながらも、聴く人々の体を動かす弾むピアノ。

 この曲は確か、『星に願いを』。

 それを聴いていたら、二人の少女がギャル―ピースをしている卒業アルバムの写真を思い出し、可笑しくなった。

 思い出は、リフレインする。

 七つの星に、願いを。


 私は二人が奏でる音楽を背に受けながら、改札口に向かった。



 後日、卒業式の日にアサヒが予告していた本が自宅に送られてきた。
 差出人は、瀬川先生。

 みんなにも届いているだろうか。

 ハードカバーのデザインは、淡いブルーの夜空に輝く、七つの星。

 ページをめくると、あの日インスタのアルバムにアップした、それぞれのエピソードごとに二人ずつのスナップ写真、それから最後のページには卒業式の日に十四人全員で撮った集合写真が挿入されていた。一人は額縁の中に収まっていて、欠席の生徒の写真みたいだったけど。

 物語のタイトルは、

 十四人の卒業アルバム
 ~君がついた優しい嘘は、七つのきら星になって~