三月六日、琥珀ヶ丘女子高等学校のオフィシャルな(?)卒業式。私にとって、それはどちらかと言えば、母親のための卒業式だった。
卒業証書の授与は、各クラスの代表者が受け取ったので、拍子抜けするほど早く終わった。校長先生の式辞は長いと覚悟していたけど、ユーモアを交えて暖かい言葉を贈ってくれたので、それほど長さを感じなかった。
「生徒と教師が共に学びあう。それを当校の理想の一つとして掲げてきましたが、今日ここを旅立たれるみなさん、さらに一歩踏み込んだおつきあいを始めましょう。さあ、これから私たちは友達です!」
と、強く言い切ってくださったのは例え挨拶文句だとしても、心強かったし嬉しかった。
先生方の席を見ると、校長先生を始め、みんな色とりどりの袴姿で、これが、伝統のある女子高の卒業式なんだと思わぬ所で感動してしまった。
卒業生退場のとき、先生方は立って拍手を送ってくれた。その中に瀬川先生の姿もあった。ひょっとしたら、白衣を着ていない先生を見たのは初めてかもしれない。少し寂しそうな笑顔に見えたけど、その理由がわかったのは、あとになってからだった。
クラスに戻り、みすず先生から一人一人卒業証書を受けとる。「クラスのみんなで卒業式が迎えられたことが、なによりも嬉しく、感動しています。ありがとう」という担任の先生の締めくくりの言葉は、私のことを言われているようで、ちょっとくすぐったかった。先生は三年間ずっと私のことを支えてくれたので、心からのコメントなんだろうと思う。
「マドカ、これからみんなで打ち上げに行くんだけど、一緒にどう?」
そう誘ってくれたのは、図書室によく来てくれたクラスメイトたちだ。私がクラスに戻ることができたのは、彼女たちのおかげだ。だから、断るのはちょっと心苦しかった。
「ありがとう……でもごめんなさい。今日はこれから母と一緒に帰ることになっていて」
「わかった。じゃあその分、十秒ハグ!」そう言って私を中心に、しばらく抱き合った。
平日はいつも仕事で朝から晩まで出かけっぱなしの母が、なんとか苦労して、今日をまる一日空けてくれた。これから写真館で母娘の卒業写真を撮り、この街で一番と評判のイタリアンの店を母が予約してくれていて、一緒に昼食を食べる。私が憶えている限り、外食は父が出ていってから初めてのことだ。
正門の前でスーツ・スカート姿で待っていた母は、私の姿を認めた瞬間にハンカチで目元を押さえた。ひょっとしたら、卒業式のときから泣いていたのかもしれない。写真館で記念撮影をするときも、化粧をし直して顔の赤身を抑えるのに苦労していた。
レストランでは、「今まで母親らしいことをしてあげられなくて、ごめんなさい」という主旨のお詫びを何度も何度も繰り返すので、そのたびに「お母さん、もう十分わかったから、食べようよ」と食事を促すことになってしまった。
私からもずいぶん心配をかけてしまったことを謝ろうとしたけど、そうさせてくれなかった。
「いいのいいの。今日こうやって卒業式に出ているマドカの姿を見られて、もうなにも言うことないし、マドカが謝ることなんて、なにもないのよ」そう言ってくれた。
母娘でなんとか卒業式に辻つまを合わせたかたちになってしまったけど『いろいろと間に合ってよかった』とつくづく思う。
そして私は家から少し離れた大学に通うために、あと一週間もしたら母とは別れて暮らすことになる。
その日はランチでごちそうを食べ過ぎたので夜になってもお腹はすかず、お風呂に入ったあと髪を乾かし、ベッドに潜るとすぐに睡魔が襲ってきた。きっと疲れていたんだと思う。
◯
朝起きると、「あ、今日も卒業式なんだな」と思い、なんだかおかしな気分になった。
朝食のとき、母には「みすず先生とか学校でお世話になった人に、友達とお礼の会を開く」
と、合ってるんだか違ってるんだかわからない理由で学校に行くと説明しておいた。
もう着なくていいはずの制服を着て学校に出かける私を母は不思議そうに見送った。
午前中に家を出てしまったけど、集合時間は十五時。
卒業してしまった学校の制服を着てフラフラ歩いているのは気が引けたけど、行く当てもなく、ショッピングモールにある書店や衣料店をゆっくりと見て回った。高校に通っている間は、ほとんど出かけることはなかったので、制服とスエットやフリースなどの部屋着くらいしかない。この春休み中に買いそろえるもの、引っ越しの準備など、やるべきことが次々と頭に浮かび、動揺してしまった。
いやいや、それは明日にあと回し。今日はとにかく『もうひとつの卒業式』のことだけを考えていよう。
招待状には、『準備の都合により、十五時丁度にお越しください』と書いてある。アサヒから当日の進行はみすず先生が担当してくれると聞いていたので、昨日、先生になにかお手伝いすることはないか聞いてみたけど、「あなたたちが主役だから心配しなくていいのよ。準備と後片づけは、学食のスタッフの方々にお願いしてるから、早く来ちゃだめよ」と念を押されてしまった。
それでも学校に早く着いてしまったので、玄関でスリッパを履いて、図書室に寄った。そこにはもちろんアサヒはいなかったが、彼女と過ごしたひんやりと透明な時間が流れているような気がした。
三時五分前、学食の入り口まで来ると、中は暗く、入り口にはスタンド型の案内板が出ていて、『学食の献立の計画づくりと調理の研修会』と書いてある。
本当にここでいいのだろうかと不安になったけど、ガラスドアの向こうにみすず先生の姿が見え、私と目が合うと手招きした。
中からは、BGMが漏れ聴こえてくる。
「うわっ!」
そっとドアを開けると、BGMの音量が急激に大きくなった。いや、BGMじゃない。ピアノとクラリネットの生演奏。……ということは、電子ピアノを弾いているのは、カナデ? その隣で体を揺らしながらクラリネットを吹いているのはヒビキ?
卒業式というと、堅苦しいイメージがあるけど(実際昨日もそうだった)、カーテンが閉められた部屋にオレンジ色の間接照明が灯っていて、まるでパーティー会場みたいだ。
四人がけのテーブルには、すでに生徒たちの姿があった。ほとんどの生徒がブレザーの制服またはセーラー服を着ている。
いや、正確にいうと、一つのテーブルは、ブレザー制服の子だけが座っていて、隣の席にはシンプルな額縁の肖像画が置いてあり、そこに描かれているのは、セーラー服姿で微笑んでいる女の子。
私はその子たちの顔と名前を知っている。
もちろん、『在校生組』には招待状を直接手渡ししている、というのもあるけど、『交換日記を読み、インスタのアルバムでその日記に登場した子たちを写真を眺める』ことを何度も繰り返してきたからだ。
別のテーブルに座っていた女の子が立ち上がり、私に向かって拍手した。アサヒだ。それに合わせてみんなも拍手する。なんと厨房の方からも拍手が聞こえた。エプロン姿。調理スタッフさんたちが笑い、口々におめでとうと言ってくれている。
アサヒは空いている隣の席を指して私に座るよう促した。
「ねえアサヒ、いったいどうなってるの⁉ 私、遅刻なんかしてないよね?」
座りながら疑問を口にする。
「アハハ、ちょっとしたいたずら心でね。あ、ボクじゃないよ。瀬川ちゃんの仕業だよ。マドカ以外のみんなの集合時間はちょっと早くしてあったんだ」
「え、どうして?」
「やっぱ、主役は最後に登場してもらわないとね」
「え! 私全然主役なんかじゃないわよ?」
「だって交換日記の第一走者はマドカだよ、君が主役に決まってんじゃん」
「それを言うのなら、アサヒじゃないの? だいたいあなたがこの卒業式の言い出しっぺなんだから」
「まあまあ、二人ってことでいいじゃん? この計画があったから、アタイはルナとつるんでられるんだしさー、マジ感謝だわ」
「それな! あんたらマジで神」
同じテーブルの子が会話に入ってきた。二人のファッションセンスは微妙に、いや露骨に違うけど、明らかにギャル。どうみてもギャル。ルナとミカ(ミミカ)に違いない。
演奏してくれていた二人が席に戻る。
その席には、ほっそりとしたセーラー服の子とエプロンと三角巾――この食堂の制服――を着けた子が同席している。ということは、最後に日記を書いてくれた、コハルさんとミノリさんだ。
残るもう一つのテーブルは、見るからにアスリートっぽいスタイルの生徒達が四人そろって座っている。スイミングのホナミさんとイズミさん、ソフトテニスのタケミさんとマツノさんの二組のペアだ。
図書室の周年誌コーナーの資料ボックスから何度も引っ張り出して読んだ日記。
それを書いた生徒、そこに書かれた不思議な女の子たちが、この学食に一同に会している。
私たち、本当に揃ってしまったのだ。
肖像画の隣に座っていたブレザー制服の生徒、エミさんがゆっくりと立ち上がり、壁側に進んだ。彼女はガラガラとホワイトボードを引っ張ってきて、四つのテーブル席の前で盤面をぐるりと回した。
「わあ、すごい!」
「マジかわちいんだけど!」
席から歓声があがる。
そこには、多彩な色合いのカラーペンで、イラストと文字が書かれていた。
ーーーーーーーーーーーーー
♡みんな、卒業おめでとう!♡
式次第
開会の辞
卒業証書の授与
卒業生代表の挨拶
記念品の贈呈
記念撮影と食事会
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そして十四人の女の子の顔。インスタのアルバムを見て描いてくれたのか、みんな可愛く、しかも特徴をとらえている。
「ねえアサヒ、これどうなってるの?」
不思議に思って隣に座っている子に尋ねる。
「え、なんのこと?」
「だって、ジャズの演奏とか、イラスト入りの式次第とか、なんでみんな準備してるのかな?」
「なーに簡単だよ、マドカが渡してくれた招待状に、それぞれお願いごとを書いてあっただけ」
「そういうことか」
生徒たち以外にも二人の顔があった。みすず先生と瀬川先生の似顔絵だ。
それを眺めながら、嬉しそうにみすず先生がホワイトボードの前に立った。
昨日は袴姿だったけど、今日はいくぶんカジュアルなベージュのスーツスカート姿だ。
席が静まり返る。
「みんな、今日はここに集まってくれて、ありがとう。それから、卒業おめでとう。これから私たちだけの卒業式を始めますが、校長先生や来賓の方の、ながーい挨拶はないから安心してね。あ、言うまでもないと思うけど、このホワイトボードの作品は、白瀬絵美さんの力作です……あと、式のおしまいには、管理栄養士の多田さんと日向実里さんの共同プロデュース、学食の調理スタッフさんが心を込めて作ってくれた、ごちそうもあるから、楽しみにしてて」
そう言って厨房からこちらを見物しているスタッフさんを指して紹介した。
「あと、これはあまり保証できないかもだけど……学食のスタッフのみなさん、今日のイベントのことは、みんな内緒にしていてくれるはずよ……そうよねー?」
と厨房の方々に声をかけると、「オーケーよ」と返事が帰ってきた。
「さあ、では始めましょうか」
そう言って先生はホワイトボードに向き直った。
「あの、みすず先生」
私は聞かずにはいられなかった。
「瀬川先生は来られますよね?」
三年間私の担任を受け持ってくれた先生は、笑顔を消して私を見つめ、口を開いた。
「そうか。あなたたちは、在校生の終業式に出ていないから離任式にも出てないし、知らされてないんだよね。瀬川先生は、異動になり、四月から共学の水明高校に赴任されます」
「え!」
驚いたのは私だけではない。テーブル席がざわつく。瀬川先生にお世話になったのは私だけではないはずだ。隣に座るアサヒの表情をうかがう。驚いている様子はない。もしかして瀬川先生から聞いていた?
みすず先生が続ける。
「みんなも知っての通り、あなたたちが卒業できるように尽力された、一番の立役者は瀬川先生ですものね。この場にいて当然なんだけど、新しい学校の引継ぎやらなんやらで、残念ながら、今日は欠席となります……でも、この会場の手配やもろもろの準備、それにポケットマネーでお食事の費用とか必要なものを揃えてくれたので、それに感謝しながら卒業式を楽しんでくれたら、先生も喜ぶと思うわ」
「でも、瀬川先生にきちんとお礼を言いたかったし、ここで一緒に祝って欲しかったです」
スイマーのホナミが私の気持ちを言葉にしてくれた。
「そうね……きっと、この場・この時間であったことを誰かが瀬川先生と共有してくれるはず。みんなの感謝の気持ちも含めてね」
そう謎めいたことを言って先生は表情に笑みを戻したが、私は心のどこかで納得できていなかった。異動のことをなんで事前に知らせてくれなかったの? 色々と忙しいだろうけど、土曜の午後の時間をちょっとだけでも、なんで都合がつけられないの? って。
それが言いたくて立ち上がろうとしたら、隣のアサヒが私の肩をポンと叩き、「大丈夫だから」と声をかけてきた。なにが大丈夫なのかわからないけど、アサヒの笑顔が私の言葉を押しとどめた。
「さあ、私から『開会の辞』みたいなのは終わったから、さっそく卒業証書の授与に移りましょう。ちなみにこの証書の文案も瀬川先生が考えてくれて私が清書したものです」
テーブル席のざわめきをよそに、そう言ってみすず先生は先に進める。
先生は壁側に置いてあった小さなテーブルをヨイショと言って運んで来た。その上には、卒業証書らしきものが載っている。
「みなさんご承知の通り、ここには十四人、七組のペアに集まってもらっています。卒業証書には、このペアごとに言葉が添えてありますので、名前を呼ばれたらお二人一緒に前に出てきてください」
みんな、それぞれの相手と顔を見合わせた。
先生は、脇に置いたテーブルから卒業証書を二枚、手に取った。
「では最初に、カナデさんと、ヒビキさん」
「はい」
「はい」
返事をした二人は前に出て、みすず先生と向き合う。
「さっきは素敵な演奏をありがとう。ほんと、息がぴったりね」
そう前置きして、先生は卒業証書を読み上げる。
「滝田奏 天音響 あなたたちは、『音楽課程』を修めましたので、これを証します。技術面だけでなく、音楽の本来の楽しさを分かち合い、お互いを高めあってきました。見えない音の糸で、心を繋ぎ、素晴らしいハーモニーを響かせてくれました。奏さんは、ジャズの腕を上げ、響さんは吹奏楽部でのクラリネットの演奏で部員にもよい影響を与え、三年生になって部長として見事、全国大会で金賞獲得に貢献しました。これからも自ら音楽を楽しみ、その楽しさを伝えていってください」
先生は、おめでとうとつけ加え、卒業証書を二人に手渡した。
二人は私たちに向き直り、笑顔を見せ、礼をした。私たちは、力を込めて拍手する。
「次に、イズミさんと、ホナミさん」
「はい」
「はい」
「恩田泉 水瀬帆波 あなたたちは、『スイミング課程』を修めましたので、これを証します。冷たい水底の恐怖を打ち破り、再び光に向かって飛び込む強さを見つけました。ともにインターハイで優秀な成績を収めただけでなく、後進の育成にも尽力し、水泳の十分な練習環境がない中でもトレーニングに励み、水泳部の復活に貢献しました。水の妖精のように泳ぐ二人の姿が見られることを期待しています……おめでとう」
証書を受け取った二人はポンポンとお互いの肩を叩き合った。
「次に、マツノさんと、タケミさん」
「はい」
「はい」
「早川松乃 浦野武美 あなたたちは、『信じること、そのために、たくさん話をし、たくさん話を聞く大切さ』を学び、『マイタケペア、マツタケペア』と言う最強のペアを創り上げました。その成果としてインターハイでも優秀な成績を残し、学業面でも、ともに助け合って将来の道を切り拓きました。これからもテニスボールの素敵な音とリズムを響かせてください」
証書を受け取ると、マツノさんはタケミさんの頭を撫で「ほんと、よかった」とつぶやいた。タケミさんの瞳から涙がこぼれ出した。
「次ね。ミミカさんに、ルナさん」
「ハーイ」
「うぃ 」
「天海美嘉 星野瑠奈 あなたたちは、『天文課程』を修めましたので、これを証します。時代を越えてギャルマインドを共有し、自分たちだけの星を追い求め、七つ目の星の発見にも貢献しました。そのブレない強さと友情をいつもでも大切に輝かせていってください」
テーブル席からの拍手を受け二人はその場で抱き合う。
「ミミカ、ガチでいなくならないでくれてて草!……まじ感謝なんだが」
「当たり前っしょ! アタイら、ズッ友だよって言ったじゃん。約束はゼッタイだし」
そのまま泣きながら席に戻った。
「トウコさんに、エミさん」
「ハイ」
「はい」
微かだけれど、間違いなく肖像画から返事が聞こえた。エミさんは、額縁を抱えて前に出た。
「藍川透子 白瀬絵美 あなたたちは、『絵画課程』を修めましたので、これを証します。自らの悩み、呪縛に向き合い、キャンバスの中に本当の笑顔と物語を描き出しました。文化祭では出展した絵美さんの人物画の前で多くの人々が足を止め、見入っていました。これからも描かれた人々の『人生のストーリー』を感じさせる作品を拝見できることを楽しみにしています」
エミさんが二人分の証書を受け取り、私たちにお辞儀をした。彼女に両手で抱えられた絵の中でトウコさんは少し恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「コハルさんに、ミノリさん」
「はい」
「はい」
「佐竹小春 日向実里 あなたたちは、『調理課程・通信課程』を修めましたので、これを証します。『一緒に食べる』こと、その大切さを学び、実践を重ね、二人はみごと通信課程を修了しました。凍てついた心を一杯の温かいスープで溶かし、食べる喜びと生きる希望を分かち合いました。『ワンコイン・日替わりスープ』という学食の人気メニューの開発にも貢献しました」
二人は卒業証書を受け取ると、高く掲げて厨房のスタッフさんに見せ大きな声で「ありがとう!」とお礼を言った。管理栄養士の多田さんをはじめ、調理スタッフのおばさんたちが大きな拍手を送った。
「さて、最後になりましたね。アサヒさんと、マドカさん」
いよいよ私たちの番だ。「主役は最後」だなんて言われたけど、主役だなんて思ってないのでちょっと気が引ける。アサヒは私の手をとって引っ張り、みすず先生の前に出た。
先生は優しい笑顔で私たちを見つめたあと、卒業証書に視線を落とす。
「瀬川夕香 高峯円花 あなたたちは、『文芸課程』を修めましたので、これを証します」
え⁉
今なんて?
瀬川?
夕香?
座席がざわつく。
思わず私は横にいるアサヒに顔を向けた。
「詳しくは、このあとボクから話すから、まず、卒業証書をもらおう」
アサヒは前を向いたまま小声でそう言った。
頭の中が真っ白だ。
山村先生は軽くうなずき、再び卒業証書を続み始めた。
「あなたたちの図書室での出会いは、ここにいる生徒たちにとって、また琥珀ヶ丘女子高にとって運命的な出会いでした。二人が紡ぎ始めた言葉が、過去に囚われた少女たちの心を溶かし、友情のリレーに繋がっていったのです。この奇跡的な出会いで繋がった十四人との絆を大切にし、これからも数多くの物語を生み出していってください」
元担任の先生は顔を上げ、私とアサヒの顔を交互に見て微笑んだ。
「アサヒさんもマドカさんも、ほんと、よかったね。それからほんと、ありがとう」
順番に卒業証書を受け取り、テーブル席に向き直ると、ざわめきと拍手が私たちを迎えた。戸惑いながらもアサヒに倣って一礼する。
「さあ、めでたく卒業証書の授与が終わりました。代表してアサヒさん……瀬川夕香さんから卒業生の言葉を貰いましょう」
みすず先生がそう言うと、アサヒは卒業証書を小脇に抱え、もう一方の手で私の手を掴んだ。
「マドカも一緒にいて」
アサヒの動きに合わせ、そのまま二人で先生の方に向き直る。
「えーと、まずは、山村先生、ありがとう。ボクと瀬川ちゃんのわがままと無茶振りにつきあってくれて……こんなに立派な式にしてくれて……こんなに素敵な卒業証書を作ってくれて……それから、ボクと瀬川ちゃんのことをずっと黙って見守ってくれて」
アサヒが深々と頭を下げる。私もそれを真似る。
顔を上げると、昨日の卒業式では終始にこやかにしていたみすず先生がハンカチを取り出して目頭を押さえていた。そして、口元に笑みをうかべ、「さあ、みんなに」と促す。
再びテーブル席の方を向くなり、アサヒは口を開いた。
「在校生のみんなには、ボクたち七人、それから瀬川ちゃんのことを話しておかなくちゃいけないね……と言ってもウスウス感じてると思うけど」
そう言って、彼女は私の手をギュッと握った。
「ボクは、色々な事情があって、学校に行けなくなりました。いわゆる不登校ってやつです。で、そのときの保健室の先生が本好きのボクに『調子がいいときに、図書室に来てみたら』と提案してくれて。試しにそうさせてもらったら、わりと学校に来れるようになったんで、ちょくちょく使わせてもらって……それが、『図書委員長、アサヒ』の始まりです。残念だけど、教室に戻れずにボク……瀬川夕香はこの学校を卒業したけど、おかげで本をいっぱい読んで、もっと読みたい、いや、自分で物語を書いてみたいって気持ちが強くなったんだ。なにが言いたいかっていうと、この『ちゃんと教室に戻りたかった、もっとここで本を読みたい、書きたい』という『後悔とか、未練とか、やり残した感』がボクの正体なんです」
アサヒの話に驚きながらも、私は小声で口を挟む。
「じゃあ、学校に来れなくなった私を図書室に誘ってくれたのは……」
「そう。ボクと同じような未練とか残して欲しくないな、と思って『瀬川ちゃん』がマドカを図書室に誘ったんだ」
そうだ、あの日。教室に入るのをためらっていたら瀬川先生が図書室に連れて行ってくれたんだ……そこにアサヒがいた。彼女が本を読む楽しさを教えてくれた。自分でも物語を書いてみたいっていう気持ちにさせてくれた……それから私を教室に戻してくれた。
アサヒは、みんなに向けて話を続ける。
「ここにいるセーラー服姿の子たちは、だいたいボクと同学年の仲間。そしてみんな、ボクと同じように、後悔、未練、やり残したことなんかを抱えていた」
「じゃあ、マツノは、自分にもそういう苦い経験があったから、マイと喧嘩別れして逃げてしまった私を助けるために、そばにいてくれたってことなの?」
テーブル席から声を上げたのは、ソフトテニスのタケミだ。彼女に見つめられたマツノは照れた様子で微笑んでいる。
アサヒは続けた。
「そうなんだけど、マツノ自身も、君に救われたんだ。この子もテニスの相棒と喧嘩別れしちゃったんだけど、君と出会い、君と『最強のペア』を組むことができたんだから……他の子たちもそう。この学校の在校生たちと出会って、一緒に過ごしてくれたので、なにも思い残すことなく、卒業できるんだ」
そう言ってアサヒは私を見つめた。その言葉を聞いて、疑問が生まれた。聞くのが恐い疑問が。
「ねえアサヒ、『思い残すことがなく卒業できる』ってどういうことなの?」
「そうだね……」
アサヒが言いよどんだ。
「ボクたちは、消えることになる……この学校にもう未練はないわけだからね」
「そ、そんな……消えるだなんて……もう逃げないって言ったじゃない!」
私は強くアサヒの手を引っ張り、握り返した。どこにも行かせてはいけない。
その手の甲に涙が落ちる。
テーブル席の子たちも、口々に消えちゃだめと言って相手の手をしっかり握っている。
「成仏とか、マでムリなんだけど!」
そう言ってルナがミミカに抱きついた。
「あはは、成仏とはちょっと違うかな」
その様子を見てアサヒが苦笑いした。
「さっきも言った通り、ボクたちは『後悔、未練、やり残した』という思いが生んだもの。それが無くなったので、『本人のもとへ帰る』っていう感じかな……ボクもまだ経験してないから、それがどういうもんか、実際のところよくわかんないんだけどね」
「本人って、ひょっとして……」
クラリネット吹きのヒビキがつぶやいた。アサヒはそれに反応する。
「そう。君は会ったことがあるよね? ジャズのライブハウスで。それから、ミノリも会ってるはず。通信制のクラスで」
「でも、佐竹小春さんは、わたしのことを覚えていてくれなかった……」
隣に座っているセーラー服姿のコハルさんをチラリと見てミノリさんがつぶやいた。
アサヒはそれには応えずに、みんなに向かって言った。
「信じて欲しいんだ。二人は、ボクたちは、また会えるんだって。約束する……マドカにもね」
私は、アサヒの肩に頭をぶつける。きっとここで泣いちゃいけないんだ、もう泣いちゃってるけど、彼女に涙を見せちゃいけないんだ。
「へんな挨拶になっちゃったけど、最後にみんなにお礼を言います。みんな、ボクと出会ってくれてありがとう! ボクといっしょに過ごしてくれてありがとう! ボクを卒業させてくれてありがとう!」
アサヒは私の頭を抱えたまま、強くそう言い切った。
そして雫がポタポタと私の頬に落ちてきた。今までずっと涙を見せなかったアサヒが声をあげて泣き始めた。
もういいんだ……泣いても。
一緒に泣こう。
今日卒業するみんなも、一緒に泣こう。
小さな卒業式の会場は、それからしばらく、泣き声しか聞こえなかった。
〇
「ごめんね。先に進めるね」
ハンカチで目頭を押さえて山村先生が申し訳なさそうに言った。
「瀬川夕香さん……うーん、やっぱりアサヒさんかな。立派なお礼の言葉、ありがとう……ところで記念品はどうなってるんだっけ?」
そう言って、ホワイトボードの式次第をチラッと見た。
「あ、忘れてた!……みんなに謝らなくちゃいけないね。ホントはね、今日ここで記念品として本を渡すはずだったんだ」
「えっ、本って?」
いつもの声のトーンに戻ったアサヒに私は尋ねた。
彼女は私から離れ、さっきまで座っていたテーブル席に戻ってノートを取って来た。それを高く上げて示す。
「マドカから始まって、七人のリレーで交換日記を書いてくれたよね? それをね、ボクと瀬川ちゃんの共同執筆で一つの物語に仕上げ、本にしてみんなに渡すはずだったんだけど……まだ完成してなくてね。今日のことも書いておきたかったし。だから、もうちょっと待ってて。後で瀬川ちゃんが送ってくれると思うから」
「素敵なプレゼントね、私も読みたいな」
「山村先生にも、もちろん! 瀬川ちゃんから、ちゃんと送ってもらうから」
「ありがとう、楽しみにしてるわ」
そう言ってみすず先生は、私たちに向き直った。
「なんだか、おいしそうな匂いがしてきましたね。どうやらご馳走の用意ができたみたい。でもその前に、集合の記念写真を撮りましょう。後で、インスタのアルバムに上げておくから。みんな、前に出てきて」
先生に手招きされ、私たちはホワイトボードを囲んで並んだ。それぞれのペアが隣同士になって。エミさんは自分の隣にトウコさんの絵を並べて。
「お祝いの会なんだから、そんな湿っぽい顔してないで笑って」
この卒業式を取り仕切ってくれた先生はそう催促するけど、アサヒの話を聞いたあとで、あんな大泣きしたあとで元気に笑えない。きっとみんな、顔がぐちゃぐちゃだ。
「みんなー、『ぎゃるぴ』しよ!」
そう大声を張り上げたのは、平成ギャルのミミカさんだ。
「それなー」
令和ギャルのルナさんが賛成したので、みんなで笑いながら、逆さピースサインを突き出した。
みすず先生も釣られて笑いながら、スマホで写真を撮った。
〇
写真を撮っている間に学食のスタッフさんたちが料理を運んできてくれた。
「さあ、召し上がれ!」
栄養士の多田さんの声がかかり、みんな取り皿を持ってビュッフェ形式で用意された料理を囲む。
「ちょっとこれ、不条理を感じるわ」
そんな不満の声が聞こえた。椅子に立てかけてある額縁の中からだ。
「あ、トウコさん、ごめんなさい。これじゃ食べられないよね。今、取り皿に取って持って来てあげるから」
そう言って美術部のエミが取り皿を二つ持った。
「それ、故人にお供えするみたいだから、やめて欲しい」
絵の中のトウコさんが文句を言う。
「じゃあ、食レポしてあげるから」
「それもなんか、悔しい」
エミさんは苦笑いした。
ビュッフェのメニューは、交換日記の各エピソードにちなんだ『七つ星』の特別メニューだ。
スープは、コハルさんの心を溶かしてくれた、あの人参とリンゴの『陽だまりのポタージュ』。
夕陽色ドレッシングのパレットの絵具のようなカラフルなサラダ。
図書室を思わせる、本が並んだような四角いサンドイッチ。
ピアノの鍵盤ような形で飾られたチーズとトマトのカプレーゼ。
蒼く透き通った海を思わせるブルーゼリー。
七つの星型チーズが乗ったハンバーグ。
デザートは、テニスボール型のレモンクリームケーキ。
育ち盛りの私たちは歓声をあげ、料理に群がる。スマホで写真を撮っている子もいる。
今までペアで行動していた私たちは、バラバラになって、混ざり合い、料理を楽しみながら、交換日記で読んだお互いのエピソードについて感想を言いあった。もっと詳しく聞きたいと突っ込んで質問している子もいる。
楽しい時間が過ぎていったが、みんな少しずつ気づく。
料理を囲む生徒の人数が減ってきたことを。
最後に残ったのは、七人の卒業生と、一枚の絵画。
アサヒもいつの間にか消えていた。
「トウコに話しかけても、答えてくれない……あのとき、ずっと一緒にいてくれるって言ったのに……また嘘をついたの?」
エミさんがそう言ってトウコさんの肖像画を抱えて泣き始めた。
私は彼女の肩を抱く。
「エミさん、大丈夫。アサヒが『約束する』って言ってくれた……『信じて』って言った。だからきっと、トウコさんと、どこかで会える」
エミと私の周りに集まって来た子、みんなの頭を軽くぽんぽんと叩いて回りながら、ルナが元気よく言葉を放った。
「それな! ミミカと再会する世界線しか勝たん。楽しみすぎてモチベ爆上がりだし。だからずっと待ってるし」
そう言ってルナは笑った。が、すぐに表情を崩し、大泣きし始めた。
彼女に釣られて、七人は身を寄せ合って泣いた。
こうして私たち十四人の卒業式は幕を閉じた。



