十四人の卒業アルバム  ~君がついた優しい嘘は、七つのきら星になって~


「瀬川先生、今入ってもいいかしら?」
「どうぞ、山村先生」

 養護教師であり、メンタルケアでも頼りがいがある白衣の先生は、いつものように保健室の事務デスクに座っていた。
 特に保健室の様子も普段と変わらない。
 変わった点があるとすれば、デスクの脇に台車が置いてあって、その上に段ボールが一箱載っているくらいだ。

「悪いわね、引継ぎやら、なにやらで、今すごく忙しいでしょうけど」
「あら、もう聞いたの?」
「ついさっきね。もうびっくりしたっていうか、これからが不安だっていうか……」

「まあ、みすず先生がいてくれるから問題ないでしょ?」
 そう言って私をソファ席に進め、瀬川先生も向かいに座り直した。

「とんでもない、私はただの古文と書道の教師だし」
「でも、みすず先生が色々とフォローしてくれているから随分助かってるわ……それに養護の後任の先生も経験豊富な方だから、安心してお任せできる。あ、それから、カウンセリングの方は、教育委員会から校長先生にさっき連絡があって、ようやく週二回、スクールカウンセラーさんの定期勤務が決まったらしいわ」

「それはよかったわ……でも、瀬川先生がいなくなると、寂しがる子は多いと思うわ。その辺、ちゃんとケアしてからここを離れてほしいな……もちろん私も協力するけどね」

「ありがとう……でも私は養護教師であって、正式なカウンセラーじゃないので、ようやく正常な状態になったっていうことよ。あ、それで早速だけど、お願いがあるの。みすず先生が書道の達人であることも見込んで。いいタイミングでここに来てくれて助かったわ」

「……達人ってほどではないけど、それがなにか関係あるのかしら?」
「ざっくり言うとね、卒業証書を書いて、卒業式をやってほしいの」
「え、どういうこと? だって卒業式は、もう来週の三月六日、来週の金曜よ?」
「ほら、このノートの十四人」

 瀬川先生はローテーブルにピンク色のキャンパスノートを置いた。
 表紙には『七つのきら星のアルバム』と書かれている。このノートは、図書室の隅っこで私も何度か拝読させてもらっている。
「あ、そういうことか……でも、在校生の七人は、みんな、めでたく卒業するじゃない?」

「そうなんだけどね、私は一緒に卒業させてあげたいの。ここをまだ卒業できずにいる子どもたちをね」
 瀬川先生の細銀フレームのメガネが光った。
 交換日記に綴られた文章を思い出す。偶然か必然か、出会った二人がお互いの悩みを分かち合い、ちょっと不思議な体験を通じて絆を深め合う様子が手に取るようにわかった。確かに彼女らが手を携えて卒業できたら、どんなに素敵だろう。

 それに。
 瀬川先生には特別な思い入れもあるだろう。

「その望み、ぜひ叶えてあげたい。あなたのためにもね」
「ありがとう」
 そう礼を言って保健室の先生は意味深に微笑んだ。

「それから、思うんだ」
 私は話を続ける。
「なに?」
「アサヒちゃんがさ、このノートの隠し場所を学校の周年誌のコーナーにしたでしょ?」
「確かにそうね」
「……多分だけど、伝えたかったんじゃないかな?」
「なにを?」
「それは、あなたが一番わかっていると思うんだけど?」
「え?」
「……もういいわ。あの子があえて琥珀ヶ丘女子高の歴史コーナーを隠し場所に選んだのは、無言の主張なのかもしれない。この学校の関係者が書き残す『正しい歴史』の中に、自分たちのような『いなかったことになっている少女たち』の声をこっそり紛れ込ませたかったんじゃないかって……それは、彼女なりの小さな反抗だったのかもしれないって」
 ちょっと踏み込み過ぎた気もするけど、正直、これを聞いた瀬川先生の反応も見てみたかった。

 しかし、彼女はそれに対して、フフッと笑うだけだった。
 仕方がないので話を先に進める。
「……で、いつ決行するの? 卒業式」
「来週の土曜の午後」
「正式な卒業式の翌日か……また随分と急ね!」
「ごめん、彼女たちが次に進むには、そこがギリギリなの」
「そういうものなのね……まあ、あなたも次に向けて、いろいろ準備があるだろうし」
「ごめん、残念だけど、私は出られないの。次の学校の引き継ぎが早まってしまって」
「ええっ、それはないでしょう! しかも土曜なのに。みんな絶対残念がるわよ。なんとかならないの?」
 彼女はノートを手に取り、少しの時間、言葉を発するのをためらった。
「その方がいいと思うの。アサヒのためにもね」
 ああ、そういうことか。二人の関係について、私がどうこう言えるものではない。これは瀬川先生とあの子の問題だから。

「いいわ、わかったわ。でも、そうすると、大人は私一人? 心細いなあ」
「ああ、それなら心強い助っ人を頼んでおいたから。あ、それから卒業式の会場は、学食ね」

「ということは、管理栄養士の多田さんが手伝ってくれるの?」
「当たり! あと学食のおばちゃんたちも何人か協力してくれる」
「それは頼もしいわ……ということは、ごちそう付きだったりして?」
「ごちそうっていうほどでもないけど、私からのささやかなお祝いということで」
「それは楽しみだわ……でも、学食をこんな風に『秘密のイベント』に使っても大丈夫なの?」
「問題ないわ。多田さんと相談して『学食の献立の計画づくりと調理の研修会』という名目で学校から許可をもらってるから」
「相変わらず策士ねえ、瀬川先生は!」
「いえ、こういうことは、みすず先生から教えていただいたのよ」
 思わず二人で笑ってしまった。
 教育機関というものは、根回し、手続き、許可、承認という厄介ごとが多い。確かに私は、この辺の処世術には長けているかもしれない。

 瀬川先生がイメージしている『秘密の卒業式』の段取りはだいたいこうだ。

  開会の辞(山村)
  卒業証書の授与(山村)
  卒業生代表の挨拶(アサヒ)
  記念品の贈呈
  記念撮影と食事会

 いたってシンプル。校長先生や来賓の長い話がないのがいい。
「卒業証書は私が用意するとして、この『記念品の贈呈』って誰がなにを贈るの?」
「それはね、当日のお楽しみってことにしておいて」
「まあ、わかった……卒業生の挨拶はやっぱりアサヒちゃんか」
「まあ、この卒業式、彼女が言い出しっぺだしね」
「そうよね……みんな彼女に救われた」

 それを聞いて瀬川先生はフフッと笑う。
「それはちょっと大げさかもだけど、少なくともマドカにはいい影響があったと思う。少しずつ学校にも来られるようにもなったし、授業にも出られるようになったし、受験もしてこの春からは晴れて大学生……あ、でもやっぱり、三年間彼女の担任として、みすず先生が寄り添ってくれたのが大きいわ」
「それは私の役割として当然なことだからね……でも、マドカ本人がよく頑張ってくれたと思う。クラスの子たちも支えてくれたし」

 それでもやはり、マドカにとって、アサヒの存在は大きかっただろう。彼女は一度姿を消してしまったが、いつかきっと会える、そう信じ続けられたことが力になったことは間違いがない。

 だからこそ、いい卒業式にして、この二人を、そして七つのきら星を輝かせてあげたい。





 卒業も差し迫った春の放課後。
 図書室の扉を開ける。

 多分、ここで本や図書カードを整理をするのも、自分で借りた本を返却するのも、小説を書く真似ごとをするのも、今日が最後だろう。そして、あの『交換日記』をチェックするのも……それが置いてあるはずの『琥珀ヶ丘女子高等学校周年誌』のコーナーの資料ボックスを覗いてみたが、残念ながら今日は空っぽだった。

 あの日以来、アサヒとは会えずじまいだったけれど、私は正式に(?)図書委員長になって二年間ここに通い続けた。

 それが自分にとって良かったことは十分にわかっている。
「あの子は気まぐれだから、会えるかもしれないし、会えないかもしれない」
 瀬川先生はそう言っていた。それなら、気まぐれで、一回くらい会いに来てくれたっていいんじゃないかと思う。今さらながらにそう思う。


 少しだけ開けられた窓から春風が入り込んできて、花びらがひとひら舞い降りた。桜にしてはまだ早いような。その行方を目で追っていくと、書架の並びの奥にある、四人がけの木のテーブルの上に舞い降りた。そこに座っているのは、セーラー服姿でショートヘアの女の子。

 アサヒ⁉

 私は本とカバンをカウンターの上に放り投げ、彼女めがけて走り寄った。

 間違いない!

 少し照れた顔をして立ち上がった彼女にタックルする。

 二人で床に倒れこんだ。

「ちょっ、ちょっと乱暴すぎない? それにそんなに締めつけられたら苦しいし」

 構うもんか!
 今までずっと会いに来てくれなかった罰だ。
 私はアサヒを抱きかかえた腕に一層力をこめた。
 人の温かさ、柔らかさ。それが彼女からちゃんと感じられた。

「イテテテ、まじ肋骨が折れる!」

「じゃあ、逃げない?」
「ウン。逃げない」

「消えない?」
「うん……すぐには」

 私は腕の力をゆるめ、立ち上がると彼女の手をとって立ち上がらせた。彼女を真っ直ぐ見つめる。
「『すぐには』ってどういうこと?」
 少し目を逸らし気味のアサヒ。
「いやだってそれは、ボクの思う通りにはならないからさ」
「そうなの?」
「うん、でも今は消えないと思う……瀬川ちゃんから頼まれごとがあって来たからさ」
「瀬川先生からなにか頼まれないと来てくれないの?」
「もう、いちいちつっかかるなあ……でも、元気そうでよかった」
アサヒはそう言って私の肩をポンポン叩いたが、それがどういう感情表現だかよくわからなかった。
「アサヒもぜんぜん変わってないね……また会えて本当によかった……っていうかもっと早く会いたかった」

 彼女はいつものテーブルに私を座らせ、私の隣に座った。さっき舞い降りた花びらの横には、封筒が置かれている。
「それが瀬川ちゃんからの頼まれごと。先生がこれ作ってくれたんだ」

 薄いブルーの紙色に、金色の星が七つ。その封筒も七つ。
 私は、あの交換日記に書いてあった、二人の天文ギャルのやりとりを思い出した。

「交換日記、読んだでしょ?」
「うん、たまに読んでる」
 嘘だ。あの日記になにかアサヒの手がかりになることはないかと、あるいは彼女が直接なにかを書いてくれるんじゃないかと、ちょくちょく棚を覗いていた。ときどき日記が無くなり、それが帰ってくると、わくわくしながら読んだものだ。

「その招待状を君と同学年の六人に渡して欲しいんだ」
「招待状?」
「そう。『ボクたち十四人の卒業式』のね」
「卒業式⁉ 十四人⁉」
「そう。一番最初にあの日記に書いた通り、ボクたち十四人は、一緒に卒業するんだ」
 同学年の六人は、なんとなく顔と名前が一致している、何人かとは一言二言会話を交わしたこともある。でも、他の七人(アサヒを含む)は……
「ああ、それ以外の六人は、ボクの方から招待するから、心配しないでオーケーだよ」
「そうなんだ。ありがとう」
 どうやって彼女らを招待するのかは聞かなかった。

 私はさっそく『高峯 円花様』と宛名が書いてある封筒を取り、封を開けた。

 日時は、三月七日土曜日の十六時から。
 場所は、学食。

「ほんとうに十四人が集まるの?」
 にわかには信じられなかった。

「うん、きっと楽しい日になると思うよ……じゃあ、みんなに渡しておいてね! よろしく」
 そう言ってアサヒは席を立った。

「え、ちょっと! さっき逃げないって言ったばかりじゃない!」
「いやあ、今日はこれから瀬川ちゃんの手伝いをしなきゃだからさ。ちゃんと卒業式には来るから大丈夫だよ。じゃあね!」

「ちょっと待ってよ!」
 私の呼びかけには応じず、アサヒは風のように去ってしまった……

 なんと慌ただしい再会だったことか。