大学二年の春休み、春菜は久しぶりに平日の朝を地元で迎えた。
帰省したのは三日ほど前だったが、ずっと家にいて、昔みたいに朝早く外へ出ることはなかった。大学のある街では、朝は電車の時間で動くものになっていて、坂道を上る感覚はもう少し遠いものになっている。なのにその朝だけ、春菜は目が覚めた瞬間に、あの坂を思い出した。
理由は、自分でもよくわからなかった。
窓の外にやわらかい光が差していたせいかもしれない。母が台所で味噌汁を温める音を聞いて、なぜか制服の袖の感触まで思い出したせいかもしれない。あるいはただ、春という季節が、忘れたふりをしていたものを静かに表へ連れ戻すのかもしれなかった。
朝食のあと、春菜は「ちょっと散歩してくる」とだけ言って家を出た。
風はまだ少しひんやりしていたが、冬の終わりのそれではなかった。頬に触れても痛くない。道端の植え込みには新しい葉がのぞき、角の家の庭先には沈丁花が咲いていた。知っている街なのに、少しずつよそよそしくなって、また少しずつ馴染み直していくような感じがする。
坂の下に立つと、春菜は思わず足を止めた。
あのころは毎朝見上げていたはずの坂が、思っていたより低く見えた。もちろん長いことに変わりはない。まっすぐ上へ伸びる道も、途中の花壇も、電柱の影の落ち方も、ほとんど昔のままだ。それなのに、当時ほどの圧迫感がない。
「こんなだったんだ」
小さく呟く。
もっと大きくて、もっと果てしなかった気がしていた。毎朝、ここを上るだけで一日分の勇気がいるように思えた日もあったのに、今の春菜には、その“長さ”の正体が少し違って見えた。
坂が変わったのではなく、自分の方が少しだけ遠くまで歩けるようになったのだろう。
春菜はゆっくり上りはじめた。
制服ではなく、白いニットに薄いコート、歩きやすいスニーカー。肩にかかる鞄の重さも、あのころとは違う。足元を見なくても上れるのに、それでも途中まで来ると、自然と歩幅がゆるむ。
ここだ、と思う場所があった。
毎朝、早瀬と「じゃ、また」と別れていた場所。その少し手前で、卒業式の日には立ち止まって、春菜はやっと言葉を渡したのだった。
春菜はそこで足を止めた。
朝の光が斜めに差して、道の端の花壇を明るくしている。たぶん、写真部の展示で見たあの一枚とよく似た時間だ。人の姿はまだ少ない。坂の上も下も静かで、今ならこの道のかたちがよく見える気がした。
上っている途中なのか、下っている途中なのか。
どこへ向かう途中なのか。
あのとき早瀬が言った言葉を、春菜は今でもはっきり覚えている。
――上りきらなくても、途中まで一緒なら覚えてるよ。
あれから何度も思い出した。大学の入学式の朝、慣れない街で一人きりだと感じたとき。初めてのアルバイトで失敗して落ち込んだ帰り道。友達との距離感に迷って、何が正解かわからなくなった夜。そういう小さなつまずきのたびに、なぜか坂の途中の光と、あの声が戻ってきた。
そして、卒業式の日にもらったもう一つの言葉も。
――春菜ちゃんは、ちゃんと上まで行ける人だよ。
最初は、その意味がよくわからなかった。ただ、うれしくて、苦しくて、泣きそうになっただけだった。自分はそういう人間ではないと思っていたからだ。迷って、考えすぎて、言えなくて、踏み出す前に立ち止まる。そういう自分しか知らなかった。
でも、大学に入ってからの二年間で、春菜は少しずつ知った。立ち止まることと、前に進めないことは違うのだと。迷いながらでも、遠回りしながらでも、結局は自分で選んで歩いてきたのだと。
あの日、あの場所で、早瀬はたぶん春菜の未来を言い当てたわけではない。ただ、そのときの春菜が自分で信じられなかったものを、先に信じてくれただけなのだ。
それがどれだけ救いになったかを、春菜は今ならわかる。
高校生のころ、春菜は恋というものは叶うか叶わないかで形が決まるのだと思っていた。付き合えたら本物で、そうでなければ途中で途切れた何か。けれど大人に少し近づいた今は、そうではないと知っている。
終わらなかったから大事なのではなく、終わったあとにも残り続けるものがあるから、大事なのだ。
早瀬とは、卒業以来、結局一度も会っていない。連絡先も知らないし、どこの街で何をしているのかもわからない。たまに、元気でいるのだろうかと思うことはある。でも、その“わからなさ”を、昔ほどつらいとは感じなかった。
知らないままでも、残るものは残る。
返事のない手紙みたいに、届いたことだけは確かな言葉がある。
春菜はもう一歩、坂の上の方へ進んだ。春休みの街はまだ眠たくて、遠くで犬の鳴く声がする。高校の校門の前には、制服姿の生徒がぽつぽつと集まりはじめていた。もう自分がその中に混じることはないのだと思うと、少しだけさびしい。けれど、それは失くした痛みというより、ちゃんと通り過ぎた季節へのやさしい距離感に近かった。
上りきれなかった恋だった、と思う。
満開にもならなかった。告白と呼ぶには静かすぎて、失恋と呼ぶには少しあたたかい。始まりきる前に終わって、名前をつけるころにはもう手の届かないところへ行っていた。
でも、だから悪かったわけじゃない。
むしろ、あの恋は途中だったからこそ、いちばんきれいな場所のまま春菜の中に残ったのかもしれない。朝の光が差す角度も、並んだ歩幅も、交わした短い会話も、最後に名前を呼ばれた瞬間も、何ひとつ完成しなかったからこそ、傷むことなくしまっておけたのだ。
春菜は校門の少し手前で振り返った。
坂の下まで、春の光がなだらかに落ちている。昔の自分がそこから上ってくる気がした。少し眠そうで、少し臆病で、それでも毎朝ちゃんとここまで来ていた自分。あのころの春菜に、今なら言ってあげられることがある。
ちゃんと上まで行けるよ。
あなたが思っているより、ずっと遠くまで行ける。
そして、上りきれなかったものが一つあるからって、それは無駄にはならない。むしろ、その途中の景色が、何年もあとであなたを支えることもあるのだと。
春菜は小さく息を吸い、吐いた。
その吐息はもう白くならなかった。
あれは、坂の途中の春みたいな恋だった。
上りきれなかったのに、私の中では今もちゃんと咲いている。
帰省したのは三日ほど前だったが、ずっと家にいて、昔みたいに朝早く外へ出ることはなかった。大学のある街では、朝は電車の時間で動くものになっていて、坂道を上る感覚はもう少し遠いものになっている。なのにその朝だけ、春菜は目が覚めた瞬間に、あの坂を思い出した。
理由は、自分でもよくわからなかった。
窓の外にやわらかい光が差していたせいかもしれない。母が台所で味噌汁を温める音を聞いて、なぜか制服の袖の感触まで思い出したせいかもしれない。あるいはただ、春という季節が、忘れたふりをしていたものを静かに表へ連れ戻すのかもしれなかった。
朝食のあと、春菜は「ちょっと散歩してくる」とだけ言って家を出た。
風はまだ少しひんやりしていたが、冬の終わりのそれではなかった。頬に触れても痛くない。道端の植え込みには新しい葉がのぞき、角の家の庭先には沈丁花が咲いていた。知っている街なのに、少しずつよそよそしくなって、また少しずつ馴染み直していくような感じがする。
坂の下に立つと、春菜は思わず足を止めた。
あのころは毎朝見上げていたはずの坂が、思っていたより低く見えた。もちろん長いことに変わりはない。まっすぐ上へ伸びる道も、途中の花壇も、電柱の影の落ち方も、ほとんど昔のままだ。それなのに、当時ほどの圧迫感がない。
「こんなだったんだ」
小さく呟く。
もっと大きくて、もっと果てしなかった気がしていた。毎朝、ここを上るだけで一日分の勇気がいるように思えた日もあったのに、今の春菜には、その“長さ”の正体が少し違って見えた。
坂が変わったのではなく、自分の方が少しだけ遠くまで歩けるようになったのだろう。
春菜はゆっくり上りはじめた。
制服ではなく、白いニットに薄いコート、歩きやすいスニーカー。肩にかかる鞄の重さも、あのころとは違う。足元を見なくても上れるのに、それでも途中まで来ると、自然と歩幅がゆるむ。
ここだ、と思う場所があった。
毎朝、早瀬と「じゃ、また」と別れていた場所。その少し手前で、卒業式の日には立ち止まって、春菜はやっと言葉を渡したのだった。
春菜はそこで足を止めた。
朝の光が斜めに差して、道の端の花壇を明るくしている。たぶん、写真部の展示で見たあの一枚とよく似た時間だ。人の姿はまだ少ない。坂の上も下も静かで、今ならこの道のかたちがよく見える気がした。
上っている途中なのか、下っている途中なのか。
どこへ向かう途中なのか。
あのとき早瀬が言った言葉を、春菜は今でもはっきり覚えている。
――上りきらなくても、途中まで一緒なら覚えてるよ。
あれから何度も思い出した。大学の入学式の朝、慣れない街で一人きりだと感じたとき。初めてのアルバイトで失敗して落ち込んだ帰り道。友達との距離感に迷って、何が正解かわからなくなった夜。そういう小さなつまずきのたびに、なぜか坂の途中の光と、あの声が戻ってきた。
そして、卒業式の日にもらったもう一つの言葉も。
――春菜ちゃんは、ちゃんと上まで行ける人だよ。
最初は、その意味がよくわからなかった。ただ、うれしくて、苦しくて、泣きそうになっただけだった。自分はそういう人間ではないと思っていたからだ。迷って、考えすぎて、言えなくて、踏み出す前に立ち止まる。そういう自分しか知らなかった。
でも、大学に入ってからの二年間で、春菜は少しずつ知った。立ち止まることと、前に進めないことは違うのだと。迷いながらでも、遠回りしながらでも、結局は自分で選んで歩いてきたのだと。
あの日、あの場所で、早瀬はたぶん春菜の未来を言い当てたわけではない。ただ、そのときの春菜が自分で信じられなかったものを、先に信じてくれただけなのだ。
それがどれだけ救いになったかを、春菜は今ならわかる。
高校生のころ、春菜は恋というものは叶うか叶わないかで形が決まるのだと思っていた。付き合えたら本物で、そうでなければ途中で途切れた何か。けれど大人に少し近づいた今は、そうではないと知っている。
終わらなかったから大事なのではなく、終わったあとにも残り続けるものがあるから、大事なのだ。
早瀬とは、卒業以来、結局一度も会っていない。連絡先も知らないし、どこの街で何をしているのかもわからない。たまに、元気でいるのだろうかと思うことはある。でも、その“わからなさ”を、昔ほどつらいとは感じなかった。
知らないままでも、残るものは残る。
返事のない手紙みたいに、届いたことだけは確かな言葉がある。
春菜はもう一歩、坂の上の方へ進んだ。春休みの街はまだ眠たくて、遠くで犬の鳴く声がする。高校の校門の前には、制服姿の生徒がぽつぽつと集まりはじめていた。もう自分がその中に混じることはないのだと思うと、少しだけさびしい。けれど、それは失くした痛みというより、ちゃんと通り過ぎた季節へのやさしい距離感に近かった。
上りきれなかった恋だった、と思う。
満開にもならなかった。告白と呼ぶには静かすぎて、失恋と呼ぶには少しあたたかい。始まりきる前に終わって、名前をつけるころにはもう手の届かないところへ行っていた。
でも、だから悪かったわけじゃない。
むしろ、あの恋は途中だったからこそ、いちばんきれいな場所のまま春菜の中に残ったのかもしれない。朝の光が差す角度も、並んだ歩幅も、交わした短い会話も、最後に名前を呼ばれた瞬間も、何ひとつ完成しなかったからこそ、傷むことなくしまっておけたのだ。
春菜は校門の少し手前で振り返った。
坂の下まで、春の光がなだらかに落ちている。昔の自分がそこから上ってくる気がした。少し眠そうで、少し臆病で、それでも毎朝ちゃんとここまで来ていた自分。あのころの春菜に、今なら言ってあげられることがある。
ちゃんと上まで行けるよ。
あなたが思っているより、ずっと遠くまで行ける。
そして、上りきれなかったものが一つあるからって、それは無駄にはならない。むしろ、その途中の景色が、何年もあとであなたを支えることもあるのだと。
春菜は小さく息を吸い、吐いた。
その吐息はもう白くならなかった。
あれは、坂の途中の春みたいな恋だった。
上りきれなかったのに、私の中では今もちゃんと咲いている。



