クラスのみんなの間では、いつの間にか私と周くんは付き合っているということになっていた。
けれど、当の本人である私たちは、彼氏と彼女という肩書きの枠にはまるよりも、もっとシンプルに「周」「杏奈」という個としての繋がりを大切にしていたように思う。
外はあいにくの土砂降り。雨が止むまでの間、私たちは図書委員の仕事として頼まれたブックレビューの作成に没頭していた。
おすすめの作品を紹介するコメントカードをデコレーションして、小さなイーゼルに載せて窓際に飾る。そんな作業を、二人きりで進めていた時のこと。
「どれにする? 二人とも北見作品にしちゃうと、ちょっと推しすぎかな」
「あはは、確かに。じゃあ、もう一人は別の作家さんにしようか」
そう言って、周くんが「これとかどう?」と携帯の画面を見せてくれた。
その時、彼が何気なく画面を上にスクロールして閉じた瞬間に、一瞬だけ映り込んだ文字。
(青空高等学校……って何だろう?)
うちの高校の名前じゃない。しかも、そんな学校名、聞いたこともない。どうしてそんな学校のホームページを見ていたんだろう。
少しだけ上の空になっていると、名前を呼ばれた。私は「んー、良いと思う」と生返事をして手元の作業に戻る。
名刺サイズのカードに水性マジックを走らせていると、隣からじっと手元を覗き込まれた。
「おお、さすが女子。そういう細かいの、俺には絶対無理だわ」
「周くんの分もやってあげる。貸して」
無味乾燥だった彼のカードを受け取り、ハートや星、それに小さな花を書き足していくと、さっきまで素っ気なかった彼のレビューが、私の手によって一気に華やかになった。
「……なんか、俺の書いた文章と見た目が合ってない気がするんだけど」
「いいの。こういうのは目を引くデザインっていうかさ。見た目が大事なんだから」
冗談めかして笑い合う。ふいに顔の距離が近くなって、私はたまらず斜め下へと視線を逸らした。すると、周くんが距離を詰めるように少しだけ肘を動かす。
(なんか、この空気……ちょっとだけカレカノっぽいな)
でも、ここは学校だし、そもそも私はキスなんてどんな風にするかもいまいち分かっていない。
私は周くんが好きで、彼も私が好き。それ以上でも以下でもない。
周くんは、私のそんな落ち着かない心を見透かしたように名前を呼んだ。
「杏奈」
「うん?」
「……いや。好きだなって思って、呼んだだけ」
「ええっ!? なにそれ、照れるんだけど……」
「好きだよ。初めて話したときから、わりとすぐに」
「うそ、本当に? ……でも、私もそうだよ。ハンカチもらったときとか、すっごく嬉しかったんだから」
結局、ブックレビューの作業は全然進まなかった。あの時実はこう思っていたんだよ、という「答え合わせ」と「間違い探し」が楽しすぎて、時間はあっという間に溶けていく。
「周がテスト前に怒って怒鳴りつけたの、びっくりしたけど、カッコいいってちょっと思ってた」
「それを言うなら杏奈もだろ。俺、すげーびっくりしたもん。大人しそうなのに、この子こんなデケェ声出んの? って」
「恥ずかしいなぁ。あの後、こてんぱんに言い返されちゃったし。ブスって言われたの、すごい恥ずかしかった」
もう、あれから男子たちに悪口は言われなくなった。けれど、心の奥に棘が刺さったまま抜けないのは、きっと初めて面と向かって男の子に「ブス」とか「死ね」と言われたからだ。
周くんは私のその一言に、間を置いてからからかいもふざけも一つも含まない声で言った。
「杏奈は可愛いよ。すごく」
「いやいやいや。そんなことない。何言ってるの」
「髪、切った時言えなかったけど。似合ってるし、他の男子も何回も見てたよ。杏奈がブスなわけないだろ」
真剣なトーンで言われた。周くんは冗談めかしても、照れてもいない。本当に怒っているような言い方だ。
けれど、胸の内側には「マドンナって呼ばれてる、優美子ちゃんの方が可愛いのに」とか「メイクもしてないのに」とか。自分の気持ちを落とす言葉ばかりが浮かんでいた。
「顔とか、そういうことじゃないから」
彼はそれだけ言って、少し間を置いてから続けた。
「……優しいし、真面目だし。ちょっとネガティブなところも含めて」
最後まで言わずに、照れたように視線を逸らした。
「えっ、急に何!? やめて、もういい、十分だよ!」
「俺のこと意識して、リップ何回も塗り直してんのも。素直だなって思ったし」
あけすけに自分の心のうちを教えてくれる周くんに、私はたじたじになった。自分が思う以上に、彼は私のことを見ていたらしい。過去の自分が全く気付いていない時に彼が私を見ていたのだと知って、その時の自分が変じゃなかったか、不安になる。
「……そろそろ出ないと。校門まで、一緒に帰ろ」
周くんが私の右手をとって、ぎゅっと指を絡めた。
そのまま、少し窮屈そうなスラックスのポケットの中に、重なった二人の手を強引に押し込む。
「パンパンに膨らんでるね」と笑って照れを誤魔化す私に、彼ははにかんで笑い返してくれた。
「こういうの、したことないから。ぎこちなくてごめん」
「ううん、私もだよ。恥ずかしいね」
北見司の小説に出てくる一場面のような、甘い空気。私は男の子ってこんな匂いがするんだと思った。
ほんの少し、汗の匂い。それから、香水とかじゃない、制服の柔軟剤か、シャンプーみたいな香り。
初めての相合傘だった。周くんは手を繋いだまま、反対の手で、大きな黒い傘を私に傾け続けている。
校門の前で、私は名残惜しさを隠して彼に言った。
「じゃあ、また明日ね」
その言葉に周くんはただ微笑んで、小さく手を振る。
(これから、こういうの当たり前になるのかな。また一緒に帰る時、手を繋いで帰るのかな……)
そんなことばかり考えて、私はまだ浮かれっぱなしだった。雨がローファーの中に染み込んできても、冷たいはずの指先は熱を持っていた。
恋をしている十六歳の私にとっては、ぐしょ濡れの靴下なんてどうでもいいことだった。
けれど、当の本人である私たちは、彼氏と彼女という肩書きの枠にはまるよりも、もっとシンプルに「周」「杏奈」という個としての繋がりを大切にしていたように思う。
外はあいにくの土砂降り。雨が止むまでの間、私たちは図書委員の仕事として頼まれたブックレビューの作成に没頭していた。
おすすめの作品を紹介するコメントカードをデコレーションして、小さなイーゼルに載せて窓際に飾る。そんな作業を、二人きりで進めていた時のこと。
「どれにする? 二人とも北見作品にしちゃうと、ちょっと推しすぎかな」
「あはは、確かに。じゃあ、もう一人は別の作家さんにしようか」
そう言って、周くんが「これとかどう?」と携帯の画面を見せてくれた。
その時、彼が何気なく画面を上にスクロールして閉じた瞬間に、一瞬だけ映り込んだ文字。
(青空高等学校……って何だろう?)
うちの高校の名前じゃない。しかも、そんな学校名、聞いたこともない。どうしてそんな学校のホームページを見ていたんだろう。
少しだけ上の空になっていると、名前を呼ばれた。私は「んー、良いと思う」と生返事をして手元の作業に戻る。
名刺サイズのカードに水性マジックを走らせていると、隣からじっと手元を覗き込まれた。
「おお、さすが女子。そういう細かいの、俺には絶対無理だわ」
「周くんの分もやってあげる。貸して」
無味乾燥だった彼のカードを受け取り、ハートや星、それに小さな花を書き足していくと、さっきまで素っ気なかった彼のレビューが、私の手によって一気に華やかになった。
「……なんか、俺の書いた文章と見た目が合ってない気がするんだけど」
「いいの。こういうのは目を引くデザインっていうかさ。見た目が大事なんだから」
冗談めかして笑い合う。ふいに顔の距離が近くなって、私はたまらず斜め下へと視線を逸らした。すると、周くんが距離を詰めるように少しだけ肘を動かす。
(なんか、この空気……ちょっとだけカレカノっぽいな)
でも、ここは学校だし、そもそも私はキスなんてどんな風にするかもいまいち分かっていない。
私は周くんが好きで、彼も私が好き。それ以上でも以下でもない。
周くんは、私のそんな落ち着かない心を見透かしたように名前を呼んだ。
「杏奈」
「うん?」
「……いや。好きだなって思って、呼んだだけ」
「ええっ!? なにそれ、照れるんだけど……」
「好きだよ。初めて話したときから、わりとすぐに」
「うそ、本当に? ……でも、私もそうだよ。ハンカチもらったときとか、すっごく嬉しかったんだから」
結局、ブックレビューの作業は全然進まなかった。あの時実はこう思っていたんだよ、という「答え合わせ」と「間違い探し」が楽しすぎて、時間はあっという間に溶けていく。
「周がテスト前に怒って怒鳴りつけたの、びっくりしたけど、カッコいいってちょっと思ってた」
「それを言うなら杏奈もだろ。俺、すげーびっくりしたもん。大人しそうなのに、この子こんなデケェ声出んの? って」
「恥ずかしいなぁ。あの後、こてんぱんに言い返されちゃったし。ブスって言われたの、すごい恥ずかしかった」
もう、あれから男子たちに悪口は言われなくなった。けれど、心の奥に棘が刺さったまま抜けないのは、きっと初めて面と向かって男の子に「ブス」とか「死ね」と言われたからだ。
周くんは私のその一言に、間を置いてからからかいもふざけも一つも含まない声で言った。
「杏奈は可愛いよ。すごく」
「いやいやいや。そんなことない。何言ってるの」
「髪、切った時言えなかったけど。似合ってるし、他の男子も何回も見てたよ。杏奈がブスなわけないだろ」
真剣なトーンで言われた。周くんは冗談めかしても、照れてもいない。本当に怒っているような言い方だ。
けれど、胸の内側には「マドンナって呼ばれてる、優美子ちゃんの方が可愛いのに」とか「メイクもしてないのに」とか。自分の気持ちを落とす言葉ばかりが浮かんでいた。
「顔とか、そういうことじゃないから」
彼はそれだけ言って、少し間を置いてから続けた。
「……優しいし、真面目だし。ちょっとネガティブなところも含めて」
最後まで言わずに、照れたように視線を逸らした。
「えっ、急に何!? やめて、もういい、十分だよ!」
「俺のこと意識して、リップ何回も塗り直してんのも。素直だなって思ったし」
あけすけに自分の心のうちを教えてくれる周くんに、私はたじたじになった。自分が思う以上に、彼は私のことを見ていたらしい。過去の自分が全く気付いていない時に彼が私を見ていたのだと知って、その時の自分が変じゃなかったか、不安になる。
「……そろそろ出ないと。校門まで、一緒に帰ろ」
周くんが私の右手をとって、ぎゅっと指を絡めた。
そのまま、少し窮屈そうなスラックスのポケットの中に、重なった二人の手を強引に押し込む。
「パンパンに膨らんでるね」と笑って照れを誤魔化す私に、彼ははにかんで笑い返してくれた。
「こういうの、したことないから。ぎこちなくてごめん」
「ううん、私もだよ。恥ずかしいね」
北見司の小説に出てくる一場面のような、甘い空気。私は男の子ってこんな匂いがするんだと思った。
ほんの少し、汗の匂い。それから、香水とかじゃない、制服の柔軟剤か、シャンプーみたいな香り。
初めての相合傘だった。周くんは手を繋いだまま、反対の手で、大きな黒い傘を私に傾け続けている。
校門の前で、私は名残惜しさを隠して彼に言った。
「じゃあ、また明日ね」
その言葉に周くんはただ微笑んで、小さく手を振る。
(これから、こういうの当たり前になるのかな。また一緒に帰る時、手を繋いで帰るのかな……)
そんなことばかり考えて、私はまだ浮かれっぱなしだった。雨がローファーの中に染み込んできても、冷たいはずの指先は熱を持っていた。
恋をしている十六歳の私にとっては、ぐしょ濡れの靴下なんてどうでもいいことだった。



