「えっと、終わりって、どういうこと?」
疑問がそのまま言葉になってこぼれ落ちた。部屋の中の温度が一気に二度ほど下がったような気がして、肌が粟立つ。
碧はぎりぎりと苦しそうに唇を噛み締めて、俯いた。
そんな彼の姿に、抗えない現実がぶわりと大きな波になって私をのみ込んでいく。
「……言葉通りだよ。俺たち別れよう。俺はもう、なごみと一緒にいられない」
静寂をぶち壊すのは、彼の絶望の滲む声だった。
ねえ、どうして?
どうしてあなたがそんなに辛そうな顔をするの。
どうして魂が抜けたみたいにそんなことが言えるの。
私のほうが泣きたいよ。
私のほうが叫びたいよ。
私のほうがっ……。
「苦しい……」
「どうして?」と、彼に詰め寄るはずだったのに、口から漏れ出たのは今の率直な気持ちだった。
苦しい。息ができない。口の中に水が傾れ込んできたかのような圧迫感で死んでしまいそうだった。最愛の人を前に、ゴボゴボと溺れていく。
もう愛してはいけない人を前に。
「なんでって、思ってるんだろ」
私が彼を問い詰める前に、彼は自らそっと口を開いた。眉を顰めて、彼も溺れる寸前のような顔をしている。それがもし演技なら、彼は名役者だと、呑気なことを頭の片隅で思った。
「……きっと何年同じ時を過ごしても、なごみの未来に俺はいられない。なごみの心の渇きを、俺は癒してあげられないから」
「……渇きって」
理解できるようで、できないセリフだった。
急に、「あなたに何が分かるの」と反発したくなる気持ちが生まれる。冷静にならなければ。
「自分で気づいてなかったのか? なごみ、すごく結婚したいって思ってるだろ。結婚に憧れがあるんだよな」
「憧れ?」
碧の言葉に、私は頭の中で三度ほど「憧れ」と唱えてみた。
心を惹かれるもの。手に入れたいと強く願うこと。自分もそうなりたいと思うこと。
私は結婚に対して、そんなふうに思っていたんだろうか。
碧はどうして、そう思ったんだろうか。
「分かるよ、七年も一緒にいたんだから。なごみは心の底から結婚に憧れを抱いてる。それを悪いことだとはまったく思わない。むしろ悪いのは、俺のほうなんだ。結婚したいと思えない、俺のほうだ」
また悔しそうに顔を歪める碧。
ああ、そうか。
言われてみればそうかもしれない。
私は結婚することを切望していた。シングル家庭で育ち、家族というものに幻想のような理想を思い描いていた。母を早く安心させたいという気持ちも相まって、友達から結婚報告を受けるたび、憧れはどんどん膨らんでいった。
それを今、気づかされた。よりにもよって、碧に別れを告げられた時に。
「悪いのは碧のほうって、どういうこと? なんで碧が悪いの? 私への気持ちが冷めたから……?」
苦し紛れに出た言葉が、予想以上に平たく潰れていて、自分でも惨めだと思った。
碧ははっと俯きかけていた顔を上げる。口を閉じたり開いたり、を繰り返す。碧が息を吐き出すたび、碧の中から私への愛が消えていくような気がした。いや、もうとっくに愛なんて冷めていたのかもしれない。
「ねえ、どうして? もしかして、他に好きな人でもできた? 最近忙しいって言ってたのも嘘だったの? もしかして、女の人と会ってた?」
止まらない。ようやく出てきた「どうして」という言葉が止まらない。彼を責めたいという気持ちが止まらない。絶望を突きつけられて海の底へと沈んでいく自分と同じように、彼の気持ちも大波に攫われてしまえばいいと思った。
碧が反射的に「違う!」と叫んだ。
その開き直ったような叫びに、怒りすら湧いてきた。
しかし、次の瞬間、碧の顔がくしゃりと泣いた。瞳に一気に涙が溜まり、それがこぼれ落ちないように顔にぎゅっと力を込めるようなしぐさをして、私を見つめた。碧が何かを訴えようとしている。目を逸らしたいのに、彼に釘付けになった。
「俺だって頑張ったんだ……。結婚したいって思えるように。結婚したいって、そういう気持ちになろうとした」
結婚したいって思えるように。
ぐわらんと、彼の言葉が頭の中で一回転する。その真意を読み取ろうと、同じセリフを唱えた。だけど、脳が言葉の意味を理解するのを拒んでいるように、私の胸の前で弾け飛ぶ。
「俺さ……両親が不仲で、結婚って本当に良いものなのか、昔から全然分からなかった。結婚なんて、正直しないほうが良いんじゃないかとも思ってた。だからそもそも、恋愛するのもやめておこうって、思春期の時から決意してた。それでも俺は……なごみと出会って、なごみのことを、好きになったんだ」
じり、と灼けるような痛みが心を覆い尽くす。炎が全身を回り、焼けこげてのたうち回る。
碧は私が炎に喘ぐ声を素通りして、続けた。
「なごみとだったら、結婚したいっていつかは思えるんじゃないかって、思ったんだ……。なごみのことが心の底から好きだった。俺が結婚したいと思えるのはきっとこの子しかいない。そう思って、なごみと一緒にいた」
碧がどんな気持ちで私のそばにいたのか。どんな気持ちで付き合ってくれていたのか。どんな気持ちで、結婚に憧れを抱いている私を許してくれていたか。どんな気持ちで、どんな気持ちで……。
ポケットの中のハンドクリームを握りしめる。
ずっと、肌身離さず持っていた
ハレルヤのサクラクリームを塗れば、私は碧の一番近くにいられる気がしたから。
このハンドクリームは、私の心の渇きを癒してくれる存在だった。
「学生の頃はまだ余裕があった。でも……時を重ねるにつれて、まだ“結婚したい”と思えない自分に焦りを覚えるようになった。どうしてだ? 俺はこんなになごみのことが好きなのに。どうして結婚したいって思えないんだ」
彼は怒っていた。
自分自身に、怒りの火を焚べる。
両手の拳をぎゅっと握りしめて、血が噴き出そうなほど唇を噛んだ。
ままならない気持ちに、うまくいかない現実に、彼は今も苦しみ、もがいていた。
「結局、今日までずっと……変わらなかった。こんなになごみのことが好きなのに、どうしてっ……」
碧が膝から崩れ落ちる。拳で何度も床を叩きつける。「どうして」と繰り返しながら。本来ならその言葉は私のものであったはずなのに、彼にあげてしまおうと反射的に思った。
「七年も、一緒にいた。一緒にいればいつかは結婚したいって思えるんだと思った。でも違った……。俺がやったことは、なごみの時間を奪い続けただけだ。もうこれ以上、奪えない。なごみから大切なものを、俺は奪っちゃいけない」
一つ一つの言葉を紡ぎ出すたび、彼の背中が咆哮するように震えた。
私は、いたたまれなくなって、彼の丸くなっている背中に手を伸ばす。
「結婚情報誌を、読んでくれてたんだよね。それは、どうして?」
聞きたいと思っていたことはまだたくさんあったはずなのに、どういうわけか、彼の部屋にあったあの分厚い雑誌のことが頭をよぎった。
「ああいう本を読んだら、気持ちが変わるかもしれないって思ったんだ。俺が結婚したいって思えないのは、結婚に対する解像度が低いからだって。だから、勉強したら前向きな気持ちになれるかもしれないって、考えた」
でも、意味なかったけどな——と、絞り出すように続けた。
私は、たまらなくなって碧の背中を撫でる。責める気持ちにはなれなかった。そういう気持ちはとっくに吹き飛んでいた。
「……あお」
碧、と何度も彼の名前を呼んだ。
碧は背中を丸くしたまま顔を上げない。全身が震えている。彼の口からこれまでの葛藤を聞かなければ、きっと「被害者ヅラするな」と憤っただろう。
でも、彼は加害者ではない。被害者でもなかった。
思い返せば碧は、ずっと頑張ってくれていたのだ。
初めてのホワイトデーでくれたハンドクリームのプレゼントも、その後のリクエストに応え続けてくれたことも。
毎週のようにデートに連れ出してくれたことも、講義室で私を気遣ってくれたことも、楽しい話題で私を笑わせてくれたことも。
私の誕生日をお祝いし、遠距離恋愛中にお金と時間をかけて頻繁に会いにきてくれたことも。
全部、私のためだ。
私を愛してくれたから。私と結婚したいと思えるように努力してくれた結果だ。
そんな彼の頑張りを知らずに、私はただ碧を好きでいただけだ。碧みたいに努力していない。碧みたいに震えるほど葛藤していない。 碧みたいに、碧みたいに……。
「……うっ……」
気がつけば、嗚咽が止まらなかった。
碧みたいに、私は相手のことを気遣えていなかったかもしれない。
でも、碧を好きだという気持ちは間違いなく本物だった。
私は、碧が隣にいてくれれば、心の渇きなんて感じなかったんだよ。
このハンドクリームだって、本当はなくても、良かったんだ。
余っちゃったよ。碧からもらったハンドクーム。もう使えないよ。碧の近くにいる時しか、使えないよ。
「碧……お別れ、しよう」
許すのではない。諦めるのではない。ただ静かに、受け入れるしかなかった。
碧が精一杯頑張って、その結果私と結婚したいと思えなかったのなら。
それは私たちが、結ばれるべき人間じゃなかったということだ。
碧が、ようやく顔を上げた。
濡れた目で私を見つめる。その瞳の奥に、どれだけの気持ちが隠れているだろう。どれだけ今まで我慢してきただろう。
気づけなくて、ごめん。
「お別れしよう」
私はもう一度、壊れるように囁いた。けれどしっかりと、瞳は碧を捉えていた。碧はもう、私から視線を離さない。それが肯定の意だと分かった。碧が、ゆっくりと私を抱きしめる。私は震えながら、碧の背中に手を添えた。
碧の背中を撫でた。
淋しさの波が、未だ私たちをのみ込み続けていた。
疑問がそのまま言葉になってこぼれ落ちた。部屋の中の温度が一気に二度ほど下がったような気がして、肌が粟立つ。
碧はぎりぎりと苦しそうに唇を噛み締めて、俯いた。
そんな彼の姿に、抗えない現実がぶわりと大きな波になって私をのみ込んでいく。
「……言葉通りだよ。俺たち別れよう。俺はもう、なごみと一緒にいられない」
静寂をぶち壊すのは、彼の絶望の滲む声だった。
ねえ、どうして?
どうしてあなたがそんなに辛そうな顔をするの。
どうして魂が抜けたみたいにそんなことが言えるの。
私のほうが泣きたいよ。
私のほうが叫びたいよ。
私のほうがっ……。
「苦しい……」
「どうして?」と、彼に詰め寄るはずだったのに、口から漏れ出たのは今の率直な気持ちだった。
苦しい。息ができない。口の中に水が傾れ込んできたかのような圧迫感で死んでしまいそうだった。最愛の人を前に、ゴボゴボと溺れていく。
もう愛してはいけない人を前に。
「なんでって、思ってるんだろ」
私が彼を問い詰める前に、彼は自らそっと口を開いた。眉を顰めて、彼も溺れる寸前のような顔をしている。それがもし演技なら、彼は名役者だと、呑気なことを頭の片隅で思った。
「……きっと何年同じ時を過ごしても、なごみの未来に俺はいられない。なごみの心の渇きを、俺は癒してあげられないから」
「……渇きって」
理解できるようで、できないセリフだった。
急に、「あなたに何が分かるの」と反発したくなる気持ちが生まれる。冷静にならなければ。
「自分で気づいてなかったのか? なごみ、すごく結婚したいって思ってるだろ。結婚に憧れがあるんだよな」
「憧れ?」
碧の言葉に、私は頭の中で三度ほど「憧れ」と唱えてみた。
心を惹かれるもの。手に入れたいと強く願うこと。自分もそうなりたいと思うこと。
私は結婚に対して、そんなふうに思っていたんだろうか。
碧はどうして、そう思ったんだろうか。
「分かるよ、七年も一緒にいたんだから。なごみは心の底から結婚に憧れを抱いてる。それを悪いことだとはまったく思わない。むしろ悪いのは、俺のほうなんだ。結婚したいと思えない、俺のほうだ」
また悔しそうに顔を歪める碧。
ああ、そうか。
言われてみればそうかもしれない。
私は結婚することを切望していた。シングル家庭で育ち、家族というものに幻想のような理想を思い描いていた。母を早く安心させたいという気持ちも相まって、友達から結婚報告を受けるたび、憧れはどんどん膨らんでいった。
それを今、気づかされた。よりにもよって、碧に別れを告げられた時に。
「悪いのは碧のほうって、どういうこと? なんで碧が悪いの? 私への気持ちが冷めたから……?」
苦し紛れに出た言葉が、予想以上に平たく潰れていて、自分でも惨めだと思った。
碧ははっと俯きかけていた顔を上げる。口を閉じたり開いたり、を繰り返す。碧が息を吐き出すたび、碧の中から私への愛が消えていくような気がした。いや、もうとっくに愛なんて冷めていたのかもしれない。
「ねえ、どうして? もしかして、他に好きな人でもできた? 最近忙しいって言ってたのも嘘だったの? もしかして、女の人と会ってた?」
止まらない。ようやく出てきた「どうして」という言葉が止まらない。彼を責めたいという気持ちが止まらない。絶望を突きつけられて海の底へと沈んでいく自分と同じように、彼の気持ちも大波に攫われてしまえばいいと思った。
碧が反射的に「違う!」と叫んだ。
その開き直ったような叫びに、怒りすら湧いてきた。
しかし、次の瞬間、碧の顔がくしゃりと泣いた。瞳に一気に涙が溜まり、それがこぼれ落ちないように顔にぎゅっと力を込めるようなしぐさをして、私を見つめた。碧が何かを訴えようとしている。目を逸らしたいのに、彼に釘付けになった。
「俺だって頑張ったんだ……。結婚したいって思えるように。結婚したいって、そういう気持ちになろうとした」
結婚したいって思えるように。
ぐわらんと、彼の言葉が頭の中で一回転する。その真意を読み取ろうと、同じセリフを唱えた。だけど、脳が言葉の意味を理解するのを拒んでいるように、私の胸の前で弾け飛ぶ。
「俺さ……両親が不仲で、結婚って本当に良いものなのか、昔から全然分からなかった。結婚なんて、正直しないほうが良いんじゃないかとも思ってた。だからそもそも、恋愛するのもやめておこうって、思春期の時から決意してた。それでも俺は……なごみと出会って、なごみのことを、好きになったんだ」
じり、と灼けるような痛みが心を覆い尽くす。炎が全身を回り、焼けこげてのたうち回る。
碧は私が炎に喘ぐ声を素通りして、続けた。
「なごみとだったら、結婚したいっていつかは思えるんじゃないかって、思ったんだ……。なごみのことが心の底から好きだった。俺が結婚したいと思えるのはきっとこの子しかいない。そう思って、なごみと一緒にいた」
碧がどんな気持ちで私のそばにいたのか。どんな気持ちで付き合ってくれていたのか。どんな気持ちで、結婚に憧れを抱いている私を許してくれていたか。どんな気持ちで、どんな気持ちで……。
ポケットの中のハンドクリームを握りしめる。
ずっと、肌身離さず持っていた
ハレルヤのサクラクリームを塗れば、私は碧の一番近くにいられる気がしたから。
このハンドクリームは、私の心の渇きを癒してくれる存在だった。
「学生の頃はまだ余裕があった。でも……時を重ねるにつれて、まだ“結婚したい”と思えない自分に焦りを覚えるようになった。どうしてだ? 俺はこんなになごみのことが好きなのに。どうして結婚したいって思えないんだ」
彼は怒っていた。
自分自身に、怒りの火を焚べる。
両手の拳をぎゅっと握りしめて、血が噴き出そうなほど唇を噛んだ。
ままならない気持ちに、うまくいかない現実に、彼は今も苦しみ、もがいていた。
「結局、今日までずっと……変わらなかった。こんなになごみのことが好きなのに、どうしてっ……」
碧が膝から崩れ落ちる。拳で何度も床を叩きつける。「どうして」と繰り返しながら。本来ならその言葉は私のものであったはずなのに、彼にあげてしまおうと反射的に思った。
「七年も、一緒にいた。一緒にいればいつかは結婚したいって思えるんだと思った。でも違った……。俺がやったことは、なごみの時間を奪い続けただけだ。もうこれ以上、奪えない。なごみから大切なものを、俺は奪っちゃいけない」
一つ一つの言葉を紡ぎ出すたび、彼の背中が咆哮するように震えた。
私は、いたたまれなくなって、彼の丸くなっている背中に手を伸ばす。
「結婚情報誌を、読んでくれてたんだよね。それは、どうして?」
聞きたいと思っていたことはまだたくさんあったはずなのに、どういうわけか、彼の部屋にあったあの分厚い雑誌のことが頭をよぎった。
「ああいう本を読んだら、気持ちが変わるかもしれないって思ったんだ。俺が結婚したいって思えないのは、結婚に対する解像度が低いからだって。だから、勉強したら前向きな気持ちになれるかもしれないって、考えた」
でも、意味なかったけどな——と、絞り出すように続けた。
私は、たまらなくなって碧の背中を撫でる。責める気持ちにはなれなかった。そういう気持ちはとっくに吹き飛んでいた。
「……あお」
碧、と何度も彼の名前を呼んだ。
碧は背中を丸くしたまま顔を上げない。全身が震えている。彼の口からこれまでの葛藤を聞かなければ、きっと「被害者ヅラするな」と憤っただろう。
でも、彼は加害者ではない。被害者でもなかった。
思い返せば碧は、ずっと頑張ってくれていたのだ。
初めてのホワイトデーでくれたハンドクリームのプレゼントも、その後のリクエストに応え続けてくれたことも。
毎週のようにデートに連れ出してくれたことも、講義室で私を気遣ってくれたことも、楽しい話題で私を笑わせてくれたことも。
私の誕生日をお祝いし、遠距離恋愛中にお金と時間をかけて頻繁に会いにきてくれたことも。
全部、私のためだ。
私を愛してくれたから。私と結婚したいと思えるように努力してくれた結果だ。
そんな彼の頑張りを知らずに、私はただ碧を好きでいただけだ。碧みたいに努力していない。碧みたいに震えるほど葛藤していない。 碧みたいに、碧みたいに……。
「……うっ……」
気がつけば、嗚咽が止まらなかった。
碧みたいに、私は相手のことを気遣えていなかったかもしれない。
でも、碧を好きだという気持ちは間違いなく本物だった。
私は、碧が隣にいてくれれば、心の渇きなんて感じなかったんだよ。
このハンドクリームだって、本当はなくても、良かったんだ。
余っちゃったよ。碧からもらったハンドクーム。もう使えないよ。碧の近くにいる時しか、使えないよ。
「碧……お別れ、しよう」
許すのではない。諦めるのではない。ただ静かに、受け入れるしかなかった。
碧が精一杯頑張って、その結果私と結婚したいと思えなかったのなら。
それは私たちが、結ばれるべき人間じゃなかったということだ。
碧が、ようやく顔を上げた。
濡れた目で私を見つめる。その瞳の奥に、どれだけの気持ちが隠れているだろう。どれだけ今まで我慢してきただろう。
気づけなくて、ごめん。
「お別れしよう」
私はもう一度、壊れるように囁いた。けれどしっかりと、瞳は碧を捉えていた。碧はもう、私から視線を離さない。それが肯定の意だと分かった。碧が、ゆっくりと私を抱きしめる。私は震えながら、碧の背中に手を添えた。
碧の背中を撫でた。
淋しさの波が、未だ私たちをのみ込み続けていた。



