「今すぐ出て行け!」
王宮内に作られた冷たい石の聖堂に、第一王子アルバーノの声が響いた。
いつものように床に跪き、祈りを捧げていたフィオラはゆっくりと目を開ける。
内臓が焼かれるような痛みを我慢しながら立ち上がり、亀のような動作で振り返ると、白く霞んだ目でも婚約者であるアルバーノの隣に女性がいることに気づくことができた。
「おまえとは婚約破棄だ! マリアを新しい聖女に任命し、俺の婚約者とする!」
「今までご苦労様」
くすくすと笑う真っ赤なドレスのマリアが聖女の仕事を引き継いでくれるなら、心置きなくここから出て行ける。
「承知しました」
フィオラはゆっくりとお辞儀をし、ふらつく足で一歩踏み出した。
10歳になると必ず受けなくてはならない神託で、平民のフィオラが聖女と認定されてから6年間。
国の結界を維持するためにその身を削り、ずっと魔力を捧げ続けてきた。
だが、もう身体は限界。
教皇に余命3ヶ月だと宣告されたのは、つい先週のことだ。
「そのチョーカーは聖女の証! それをマリアに渡せ!」
アルバーノが新しい聖女を連れてきてくれたから、もう結界維持はしなくていい。
逃げられないように約束させられた王子の婚約者なんて何の価値もない。
水浴びも寝るときも常に身に着けているように命じられたこのチョーカーも全部いらないとフィオラは乾いた笑いをした。
たったの数歩。
まだ聖堂の出口までだいぶあるというのに、膝の力が抜けたフィオラはその場に崩れ落ちる。
思った以上に蝕まれた身体に、フィオラは起き上がることもできず、冷たい床に頬をつけた。
「は? 出て行きたくないからって変な演技するなよ」
「そんなことしたってアルバーノ様はもう私のものよ」
二人の蔑むような声が、遠くの方で聞こえる。
だが、言い返す気力どころか、フィオラの意識は薄れていくようだった。
「……っ、そこをどけ!!」
怒号と共に、扉が叩きつけられるような音と、金属鎧の音が聞こえる。
それは、この静かな聖堂にはあまりに不釣り合いな音だった。
「カルロス。貴様、許可なくここへ入ることは――」
アルバーノのうわずった声を無視し、真っ直ぐにフィオラのもとへ駆け寄る影。
「フィオラ!」
硬い石畳の感触が消えた瞬間、フィオラは暖かな腕の中へと引き上げられた。
「フィオラ! しっかりしろ!」
白く濁ってよく見えない視界にぼんやりと映ったのは、銀の髪に緑の眼。
この声と容姿はかつて同じ森を駆け回った幼なじみのカルロスだ。
今ではもう第三騎士団長という立派な職業に就いているけれど。
「お前、こんな身体になるまで……」
カルロスの腕が、折れそうなほど細くなったフィオラの身体を強く抱きしめる。
この王宮で唯一心を許せる存在であるカルロスが駆けつけてくれたことが、フィオラはなによりも嬉しかった。
「……帰りたい。森に」
「あぁ、帰ろう。俺たちの家に」
カルロスはフィオラの華奢な身体を軽々と横抱きにする。
「カルロス、その女から離れろ! それは聖女でもないただの汚い平民だ」
「……汚いだと?」
顔を上げたカルロスの瞳に、かつて戦場で「狂獅子」と呼ばれた狂気が宿る。
「この6年、フィオラがその命を削って維持してきた結界のおかげで、どれほど安泰に暮らしてきたと思っているんだ」
「なっ、貴様、騎士団長のくせに俺に文句を言うのか!」
「たった今を以って、騎士を辞する」
カルロスの言葉に一番驚いたのはフィオラだ。
この6年。彼がどんなに努力し、騎士団長まで上り詰めたのか。
並大抵の努力ではなかったことくらい、フィオラにだってわかる。
「お前はもう祈らなくていい」
カルロスはフィオラから聖女のチョーカーを取り上げ、無造作に床に放り投げる。
「あとのことは俺にまかせろ」
フィオラは「守られている」という安心感の中で、ゆっくりと瞳を閉じた。
◇
木漏れ日が優しく差し込む小さな丸太小屋。
そこはかつて二人が秘密基地にしていた、森の奥深くにある隠れ家だった。
フィオラがゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは白く濁った王宮の天井ではなく、使い込まれた木の梁。
いつもなら霞んでよく見えないはずなのに、なぜか太い梁が見えるような気がした。
「気が付いたか、フィオラ」
低いけれど穏やかな声に驚いたフィオラが首を動かす。
重苦しい鎧を脱ぎ捨て、簡素なシャツ姿でフィオラの手を握っているカルロスの姿に、フィオラは驚いた。
「カルロス……?」
「遅くなってすまない」
カルロスはフィオラの細くなった指先にそっと唇を寄せる。
隣国との小競り合いを鎮めるために、半年も王都を離れなくてはならなかったとカルロスは謝罪をした。
フィオラの結界は魔獣をこの国に入れないためのもの。
人同士の争いだけはどうにもならないとカルロスは悔しそうに顔を歪めた。
「俺たちの故郷に戻ってきた。ここで静かに暮らそう」
騎士団長という肩書きも、王家への忠誠もすべて捨ててきたとカルロスが笑う。
「体調はどうだ?」
そう言われれば、あんなに痛んでいた身体から不思議と苦しみが消えている。
聖女という任務から解放されたから?
それともこの温かい日差しのおかげだろうか?
「ありがとう、カルロス」
痛くないと答えると、カルロスはよかったと微笑んでくれた。
王宮内に作られた冷たい石の聖堂に、第一王子アルバーノの声が響いた。
いつものように床に跪き、祈りを捧げていたフィオラはゆっくりと目を開ける。
内臓が焼かれるような痛みを我慢しながら立ち上がり、亀のような動作で振り返ると、白く霞んだ目でも婚約者であるアルバーノの隣に女性がいることに気づくことができた。
「おまえとは婚約破棄だ! マリアを新しい聖女に任命し、俺の婚約者とする!」
「今までご苦労様」
くすくすと笑う真っ赤なドレスのマリアが聖女の仕事を引き継いでくれるなら、心置きなくここから出て行ける。
「承知しました」
フィオラはゆっくりとお辞儀をし、ふらつく足で一歩踏み出した。
10歳になると必ず受けなくてはならない神託で、平民のフィオラが聖女と認定されてから6年間。
国の結界を維持するためにその身を削り、ずっと魔力を捧げ続けてきた。
だが、もう身体は限界。
教皇に余命3ヶ月だと宣告されたのは、つい先週のことだ。
「そのチョーカーは聖女の証! それをマリアに渡せ!」
アルバーノが新しい聖女を連れてきてくれたから、もう結界維持はしなくていい。
逃げられないように約束させられた王子の婚約者なんて何の価値もない。
水浴びも寝るときも常に身に着けているように命じられたこのチョーカーも全部いらないとフィオラは乾いた笑いをした。
たったの数歩。
まだ聖堂の出口までだいぶあるというのに、膝の力が抜けたフィオラはその場に崩れ落ちる。
思った以上に蝕まれた身体に、フィオラは起き上がることもできず、冷たい床に頬をつけた。
「は? 出て行きたくないからって変な演技するなよ」
「そんなことしたってアルバーノ様はもう私のものよ」
二人の蔑むような声が、遠くの方で聞こえる。
だが、言い返す気力どころか、フィオラの意識は薄れていくようだった。
「……っ、そこをどけ!!」
怒号と共に、扉が叩きつけられるような音と、金属鎧の音が聞こえる。
それは、この静かな聖堂にはあまりに不釣り合いな音だった。
「カルロス。貴様、許可なくここへ入ることは――」
アルバーノのうわずった声を無視し、真っ直ぐにフィオラのもとへ駆け寄る影。
「フィオラ!」
硬い石畳の感触が消えた瞬間、フィオラは暖かな腕の中へと引き上げられた。
「フィオラ! しっかりしろ!」
白く濁ってよく見えない視界にぼんやりと映ったのは、銀の髪に緑の眼。
この声と容姿はかつて同じ森を駆け回った幼なじみのカルロスだ。
今ではもう第三騎士団長という立派な職業に就いているけれど。
「お前、こんな身体になるまで……」
カルロスの腕が、折れそうなほど細くなったフィオラの身体を強く抱きしめる。
この王宮で唯一心を許せる存在であるカルロスが駆けつけてくれたことが、フィオラはなによりも嬉しかった。
「……帰りたい。森に」
「あぁ、帰ろう。俺たちの家に」
カルロスはフィオラの華奢な身体を軽々と横抱きにする。
「カルロス、その女から離れろ! それは聖女でもないただの汚い平民だ」
「……汚いだと?」
顔を上げたカルロスの瞳に、かつて戦場で「狂獅子」と呼ばれた狂気が宿る。
「この6年、フィオラがその命を削って維持してきた結界のおかげで、どれほど安泰に暮らしてきたと思っているんだ」
「なっ、貴様、騎士団長のくせに俺に文句を言うのか!」
「たった今を以って、騎士を辞する」
カルロスの言葉に一番驚いたのはフィオラだ。
この6年。彼がどんなに努力し、騎士団長まで上り詰めたのか。
並大抵の努力ではなかったことくらい、フィオラにだってわかる。
「お前はもう祈らなくていい」
カルロスはフィオラから聖女のチョーカーを取り上げ、無造作に床に放り投げる。
「あとのことは俺にまかせろ」
フィオラは「守られている」という安心感の中で、ゆっくりと瞳を閉じた。
◇
木漏れ日が優しく差し込む小さな丸太小屋。
そこはかつて二人が秘密基地にしていた、森の奥深くにある隠れ家だった。
フィオラがゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは白く濁った王宮の天井ではなく、使い込まれた木の梁。
いつもなら霞んでよく見えないはずなのに、なぜか太い梁が見えるような気がした。
「気が付いたか、フィオラ」
低いけれど穏やかな声に驚いたフィオラが首を動かす。
重苦しい鎧を脱ぎ捨て、簡素なシャツ姿でフィオラの手を握っているカルロスの姿に、フィオラは驚いた。
「カルロス……?」
「遅くなってすまない」
カルロスはフィオラの細くなった指先にそっと唇を寄せる。
隣国との小競り合いを鎮めるために、半年も王都を離れなくてはならなかったとカルロスは謝罪をした。
フィオラの結界は魔獣をこの国に入れないためのもの。
人同士の争いだけはどうにもならないとカルロスは悔しそうに顔を歪めた。
「俺たちの故郷に戻ってきた。ここで静かに暮らそう」
騎士団長という肩書きも、王家への忠誠もすべて捨ててきたとカルロスが笑う。
「体調はどうだ?」
そう言われれば、あんなに痛んでいた身体から不思議と苦しみが消えている。
聖女という任務から解放されたから?
それともこの温かい日差しのおかげだろうか?
「ありがとう、カルロス」
痛くないと答えると、カルロスはよかったと微笑んでくれた。



