◆
夜半に正妃のもとに、陛下のお渡りがあることは分かっていたので、多少、騒がしくなることは想定していたが、私の想像以上に、宮城全体がざわついていた。
(何かあったのかしら?)
そんな中でも、下級女官はやるべきことが多数ある。
幻季殿に戻った私は、休む間もなく仕事に取り掛かろうとしたものの……。
――駄目だった。
咳が止まらなくなってしまい、周囲の女官から嫌がられ、落ち着くまで邪魔だから外に出て来いと放り出されてしまった。
ある意味、助かったが、伝染性の病と疑われたかもしれない。
逆に、早く死んでしまえと言わんばかりに、仕置きがきつくなるかもしれないが、もう何だって良かった。
楽にして欲しいと願っている割に、自害も出来やしない。
(何で、私は生きているのだろう?)
『はじめまして。流々』
初めて結婚相手の朱 志遠に会った日も、月夜だった。
この国に輿入れした日。
道が悪かったため、到着が遅れて、すっかり深夜になってしまった。
眠っていてもいい時間だったのに、志遠は私の到着を待っていてくれた。
照れながら、ぎこちなく手を差し出してきた少年。
『私は志遠。貴方とは同年だし、気安く接して欲しい。これから、末永く頼むよ』
髪色と同じ、怜悧な漆黒の瞳。
身長は私と変わらなくて、華奢だったけれど、顔立ちは綺麗だった。
あの時。
志遠が差し出してくれた手に触れた瞬間。
――私は視たのだ。
真っ白な空間と、大勢の人の歓声と熱気。胸が熱くなる光景を……。
(莫迦よね。私)
そんな幻覚に、気を良くしてしまったのだから。
まさか、三カ月で結婚自体が破綻してしまうなんて、思ってもいなかった。
――龍崙のことを、叔父上に訊いてくる。
龍崙滅亡の報を耳にした志遠は、そう言い残して、阿南宮に行ったきり、二度と戻って来なかった。
噂によると、彼は西の晏寧州の州公に任じられたらしい。婚姻はまだとの話だが、華々しい武功を立てているようなので、そろそろだろう。
遠い土地で暮らしている彼が宮城にやってくる機会など、年に一度あるかないかだ。
分かっている。
私は、二度と志遠と会うことはないのだ。
(戻ろう)
志遠のことを考えると、気持ちが暗くなってしまう。
(少し休んだところで、私の不調は治るものではないのだから……)
真っ暗な池の畔に佇んでいた私は、手燭を地面に翳して、夜道を照らした。
そうして、踵を返して、来た道を戻ろうとした瞬間……。
どすん。
鈍い音と共に、私の背後に何かが落ちてきた。
「えっ?」
驚いて、振り返ると……。
「……何で?」
宦官ではない。
男性が二人、落ちていた。
(嘘でしょ? 今の今まで、誰もいなかったわよ)
そもそも、後宮は男子禁制だ。
明らかな男性がここにいる時点で、色々とおかしい。
(何かの罠? いいえ。罠だとしても、もう少し説得力があるわ)
「あの……」
おそるおそる、手前の大柄な男性の肩を揺すってみた。
しかし、その行為がすぐに間違っていたこと気づいた。
掌に生温かい感触。
「あっ」
血だ。
黒い袍を着ていたので、今まで気づかなかったのだ。
「大丈夫ですか?」
見捨てることも出来ず、周囲を警戒しながら声を掛けた。
返ってきたのは、呻き声だけだった。
(重傷だわ)
大柄の男性は腕や肩。小柄の男性は背中と足。
二人共、矢で射られたような傷がある。
しかし、厄介なのは矢傷だけではないことだ。
(臓腑の方が悪い。おそらく毒)
「一体、どうしたら?」
癒しの手を使うしか、彼らを助ける手立てがないが、瀕死の二人に能力を解放したら、今度こそ、私が死んでしまうかもしれない。
(いっそ、見捨ててしまった方が……)
助けられる確証もないのに、人を助けることが良くないことを、私はよく知っている。
――けど。
私は見つけてしまったのだ。
大柄の男性の腰で、きらりと光る翡翠の佩玉。
これは、私が昔、志遠に贈ったものだった。
夜半に正妃のもとに、陛下のお渡りがあることは分かっていたので、多少、騒がしくなることは想定していたが、私の想像以上に、宮城全体がざわついていた。
(何かあったのかしら?)
そんな中でも、下級女官はやるべきことが多数ある。
幻季殿に戻った私は、休む間もなく仕事に取り掛かろうとしたものの……。
――駄目だった。
咳が止まらなくなってしまい、周囲の女官から嫌がられ、落ち着くまで邪魔だから外に出て来いと放り出されてしまった。
ある意味、助かったが、伝染性の病と疑われたかもしれない。
逆に、早く死んでしまえと言わんばかりに、仕置きがきつくなるかもしれないが、もう何だって良かった。
楽にして欲しいと願っている割に、自害も出来やしない。
(何で、私は生きているのだろう?)
『はじめまして。流々』
初めて結婚相手の朱 志遠に会った日も、月夜だった。
この国に輿入れした日。
道が悪かったため、到着が遅れて、すっかり深夜になってしまった。
眠っていてもいい時間だったのに、志遠は私の到着を待っていてくれた。
照れながら、ぎこちなく手を差し出してきた少年。
『私は志遠。貴方とは同年だし、気安く接して欲しい。これから、末永く頼むよ』
髪色と同じ、怜悧な漆黒の瞳。
身長は私と変わらなくて、華奢だったけれど、顔立ちは綺麗だった。
あの時。
志遠が差し出してくれた手に触れた瞬間。
――私は視たのだ。
真っ白な空間と、大勢の人の歓声と熱気。胸が熱くなる光景を……。
(莫迦よね。私)
そんな幻覚に、気を良くしてしまったのだから。
まさか、三カ月で結婚自体が破綻してしまうなんて、思ってもいなかった。
――龍崙のことを、叔父上に訊いてくる。
龍崙滅亡の報を耳にした志遠は、そう言い残して、阿南宮に行ったきり、二度と戻って来なかった。
噂によると、彼は西の晏寧州の州公に任じられたらしい。婚姻はまだとの話だが、華々しい武功を立てているようなので、そろそろだろう。
遠い土地で暮らしている彼が宮城にやってくる機会など、年に一度あるかないかだ。
分かっている。
私は、二度と志遠と会うことはないのだ。
(戻ろう)
志遠のことを考えると、気持ちが暗くなってしまう。
(少し休んだところで、私の不調は治るものではないのだから……)
真っ暗な池の畔に佇んでいた私は、手燭を地面に翳して、夜道を照らした。
そうして、踵を返して、来た道を戻ろうとした瞬間……。
どすん。
鈍い音と共に、私の背後に何かが落ちてきた。
「えっ?」
驚いて、振り返ると……。
「……何で?」
宦官ではない。
男性が二人、落ちていた。
(嘘でしょ? 今の今まで、誰もいなかったわよ)
そもそも、後宮は男子禁制だ。
明らかな男性がここにいる時点で、色々とおかしい。
(何かの罠? いいえ。罠だとしても、もう少し説得力があるわ)
「あの……」
おそるおそる、手前の大柄な男性の肩を揺すってみた。
しかし、その行為がすぐに間違っていたこと気づいた。
掌に生温かい感触。
「あっ」
血だ。
黒い袍を着ていたので、今まで気づかなかったのだ。
「大丈夫ですか?」
見捨てることも出来ず、周囲を警戒しながら声を掛けた。
返ってきたのは、呻き声だけだった。
(重傷だわ)
大柄の男性は腕や肩。小柄の男性は背中と足。
二人共、矢で射られたような傷がある。
しかし、厄介なのは矢傷だけではないことだ。
(臓腑の方が悪い。おそらく毒)
「一体、どうしたら?」
癒しの手を使うしか、彼らを助ける手立てがないが、瀕死の二人に能力を解放したら、今度こそ、私が死んでしまうかもしれない。
(いっそ、見捨ててしまった方が……)
助けられる確証もないのに、人を助けることが良くないことを、私はよく知っている。
――けど。
私は見つけてしまったのだ。
大柄の男性の腰で、きらりと光る翡翠の佩玉。
これは、私が昔、志遠に贈ったものだった。



