堕ちた公主は救国の后になる


 夜半に正妃のもとに、陛下のお渡りがあることは分かっていたので、多少、騒がしくなることは想定していたが、私の想像以上に、宮城全体がざわついていた。

(何かあったのかしら?)

 そんな中でも、下級女官はやるべきことが多数ある。
 幻季殿に戻った私は、休む間もなく仕事に取り掛かろうとしたものの……。
 ――駄目だった。
 咳が止まらなくなってしまい、周囲の女官から嫌がられ、落ち着くまで邪魔だから外に出て来いと放り出されてしまった。
 ある意味、助かったが、伝染性の病と疑われたかもしれない。
 逆に、早く死んでしまえと言わんばかりに、仕置きがきつくなるかもしれないが、もう何だって良かった。
 楽にして欲しいと願っている割に、自害も出来やしない。

(何で、私は生きているのだろう?)

『はじめまして。流々』

 初めて結婚相手の朱 志遠に会った日も、月夜だった。
 この国に輿入れした日。
 道が悪かったため、到着が遅れて、すっかり深夜になってしまった。
 眠っていてもいい時間だったのに、志遠は私の到着を待っていてくれた。
 照れながら、ぎこちなく手を差し出してきた少年。

『私は志遠。貴方とは同年だし、気安く接して欲しい。これから、末永く頼むよ』

 髪色と同じ、怜悧な漆黒の瞳。
 身長は私と変わらなくて、華奢だったけれど、顔立ちは綺麗だった。
 あの時。
 志遠が差し出してくれた手に触れた瞬間。

 ――私は視たのだ。

 真っ白な空間と、大勢の人の歓声と熱気。胸が熱くなる光景を……。

(莫迦よね。私)

 そんな幻覚に、気を良くしてしまったのだから。
 まさか、三カ月で結婚自体が破綻してしまうなんて、思ってもいなかった。 
 
 ――龍崙のことを、叔父上に訊いてくる。

 龍崙滅亡の報を耳にした志遠は、そう言い残して、阿南宮に行ったきり、二度と戻って来なかった。
 噂によると、彼は西の晏寧州の州公に任じられたらしい。婚姻はまだとの話だが、華々しい武功を立てているようなので、そろそろだろう。
 遠い土地で暮らしている彼が宮城にやってくる機会など、年に一度あるかないかだ。
 分かっている。
 私は、二度と志遠と会うことはないのだ。

(戻ろう)

 志遠のことを考えると、気持ちが暗くなってしまう。

(少し休んだところで、私の不調は治るものではないのだから……)

 真っ暗な池の畔に佇んでいた私は、手燭を地面に翳して、夜道を照らした。
 そうして、踵を返して、来た道を戻ろうとした瞬間……。

 どすん。

 鈍い音と共に、私の背後に何かが落ちてきた。

「えっ?」

 驚いて、振り返ると……。

「……何で?」

 宦官ではない。
 男性が二人、落ちていた。

(嘘でしょ? 今の今まで、誰もいなかったわよ)

 そもそも、後宮は男子禁制だ。
 明らかな男性がここにいる時点で、色々とおかしい。

(何かの罠? いいえ。罠だとしても、もう少し説得力があるわ)

「あの……」

 おそるおそる、手前の大柄な男性の肩を揺すってみた。
 しかし、その行為がすぐに間違っていたこと気づいた。
 掌に生温かい感触。

「あっ」

 血だ。
 黒い袍を着ていたので、今まで気づかなかったのだ。

「大丈夫ですか?」

 見捨てることも出来ず、周囲を警戒しながら声を掛けた。
 返ってきたのは、呻き声だけだった。

(重傷だわ)

 大柄の男性は腕や肩。小柄の男性は背中と足。
 二人共、矢で射られたような傷がある。
 しかし、厄介なのは矢傷だけではないことだ。
 
(臓腑の方が悪い。おそらく毒)

「一体、どうしたら?」 

 癒しの手を使うしか、彼らを助ける手立てがないが、瀕死の二人に能力を解放したら、今度こそ、私が死んでしまうかもしれない。

(いっそ、見捨ててしまった方が……)

 助けられる確証もないのに、人を助けることが良くないことを、私はよく知っている。
 ――けど。
 私は見つけてしまったのだ。
 大柄の男性の腰で、きらりと光る翡翠の佩玉。

 これは、私が昔、志遠に贈ったものだった。