堕ちた公主は救国の后になる

「……え?」

 目を見開くより早く、その人は私の目の前にいた。
 黒い長袍姿の長身男性を、私は一人しか知らない。

「逃がすかよ」

 それは正妃に向けた言葉だったが、私の胸にすとんと落ちてきた。

「志遠……様」

 彼が足を使って、正妃を地面に転がしてしまったのだ。

「どうして?」
「妻の危機に、夫が駆け付けるのは変か?」

 ――変……ではない。
 ……でも。
 この場に、志遠が来るなんて、私は聞いてなかったのだ。

(だって、私は……)

 狼狽している私をよそに、志遠は正妃の方に怒りをぶつけていた。

「墨と交渉? 莫迦にするな。私はお前を逃す気なんてない。それに、玉明様が亡くなったのは天命だ。誰のせいでもないのに、お前の方が他責ばかりして、自分の行動に責任を取っていないだろう? 放蕩に耽る王を諌めることなく、かえって助長させて、国を傾けた。何より、今も私の妻を傷つけ、心身共に傷を負わせている。重罪以外ありえないだろう。努々、生きて、墨に戻れると思うなよ」

 そうして、失神してしまった正妃を見届けてから、涼しい顔で私と向き合ったのだった。

「流々。話したいことがある」

 淡々としているのが怖かった。

「何でしょう?」
「貴方は少し、私を見くびりすぎだ」
「え?」

 意味が分からず、私の手を握る志遠を見上げていたら……。

「流々様!」

 雪崩れのように、武装した数十人の兵士たちが駆け付けてきて、志遠の足元で一斉に跪拝した。

「殿下!」

 どこかで見覚えがあると思ったら、私が医局で手当てした兵士達ばかりだった。

「正妃に与していた女官、宦官を、すべて捕縛いたしました」
「ああ、よくやった」
「はい! 他でもない貴方様とお妃様のためですから」

 逞しい武人の集団が、私と志遠をにやけながら、見比べている。

「いえ、私は」
「妃だろう。私の妻なのだから」

 憮然と言うや否や、志遠は私を軽々と横抱きにしてしまった。

「流々。私はこの世で一番、貴方が大切だ。だから、おもいっきり甘やかして、貴方が望むものなら、何でも差し出したいと思っている」
「……いえ、そんな」
「だが、駄目なことが一つだけある。いいか? これから二度と私に無断で私から離れるな」

 語尾にいくにつれて、苛立ちが増していった。
 つまり、これは……。

(完全にバレている)

 遅れてやって来た雨露が、私に向かってバツが悪そうに、舌を出していた。