堕ちた公主は救国の后になる

「志遠様?」
「その……。流々、すまない。こいつが変なことを言ったよな?」

 今のやりとりは、志遠には聞かれていなかったようだが、主人のために動いた雨露が酷い言われようだった。

「いえ。雨露様は何も……」
「それならいいが……。何だかな。そもそも、ここは環境が悪いような気がしてな」

 志遠は医局内を埋め尽くす怪我人を見渡し、なぜか威嚇していた。

「志遠様。男の嫉妬は可愛くないですよ」

 雨露が呆れている。
 こういうことが、彼にとって迷惑なのかもしれない。

「こんな荒くれ連中の中に、天女がいるんだぞ。どんな間違いが起こるか分からないじゃないか」
「ありえませんって」

 間髪入れずに、否定する。

(疲労困憊で、目が変になってしまったのでは?)

 私は本気で心配になってしまった。

「しかし、流々。俺は貴方には静かな場所でゆっくり療養してもらいたいのだ。今日、視察に来てみて、益々、そう思っている」
「志遠様。私に療養は必要ありません。体調が悪かったのは、きっと力の使いすぎです。使わないでいれば、戻るでしょうから」 
「……流々のご家族は、安静にすれば治ったのか?」

 志遠が憂い顔で、私に尋ねた。

(てっきり、知っていると思っていたけれど……)

 周囲を警戒しつつ、私は小声で答えた。

「癒しの手は、一族で私しか使えません」
「えっ?」
「どういうことだ。流々?」

 志遠と雨露、二人して唖然としていた。

「龍崙の王族、全員が癒しの力を継承しているわけではないのです。父は自分は無能と口にはしていましたが先視(さきみ)の力を持っていたのではないかと、私は疑っています」
「先視……。予知能力ですか?」

 雨露の問いに、私は頷いた。

「じゃあ、なぜ……?」

 そう、志遠は言って、その先を口にすることを憚った。
 おそらく、彼はこう言いたかったのだ。

 ――予知能力があったのたに、龍崙を護ることができなかったのか……と。

 それは私も怪訝に思っていた。
 しかし、八年前、私を手放すときの父の言動は、どう考えても、龍崙の未来を知っていたようだった。

(志遠様に初めて会った時に私が視た景色を、父様も視ていたのでは?)

 私も少しだけ、その能力を受け継いだのなら?

「……あの、志遠様」
「どうした? 流々」

 志遠の纏う空気が過去に視た景色に繋がるような気がした。
 ――彼こそ、王になるべき人なのだと……。

「なぜ、志遠様は王を名乗らないのですか? 諸侯も概ね貴方を支持しているとも聞きました。それならば……」
「流々?」

 訝しげに問われて、私は我に返った。

(やってしまった)

 出過ぎた真似もいいところだ。
 しかも、衆目があるところで、迂闊すぎる。

「失礼しました」
「いや、構わない」

 志遠は驚いたようだが、苦笑で許してくれた。

「そうだな。色々あって……。続きは二人の時に話そう。その時にでも……」

 ――と、彼が口を開こうとした瞬間。
 慌ただしく、駆け付けてきた兵士が、志遠の耳元で何事か囁き、申し訳なさそうにその場に平伏した。

「分かった」

 頷いた志遠の顔つきは一変してしまい、私に「すまない」とだけ言い残して、そのまま、雨露と共に、去って行ってしまった。
 何か大きな事件が発生しただろうことは、一目瞭然だった。

(心配だわ。今夜、戻ってきた時にでも、伺ってみよう)

 だが、その日を境に、志遠は多忙を極め、私と気安く話す機会もなくなってしまった。

 ……そして、それから三日後。

 いつものように医局に向かう途中、すれ違いざま、灰色の深衣姿の女官が私に信を託してきた。

 ――墨は志遠を王とは認めない。血を流さずに解決をしたいのなら、宮城を出るべし。

 薄紙に、殴り書きでそう書かれていた。

(この筆跡……?)

 血の気が失せて、固まってしまった私に、女官がこっそり耳打ちをした。

「正妃様がお待ちです。流々様」

 罠であることは、明白だった。