堕ちた公主は救国の后になる


「……々……流々」

 きつく手を握りしめたまま、心配そうに呼ぶ声。

「貴方……は」

 泣きながら、目を開けると、美しい男性が私の前にいた。

「……あ」

 志遠がいる。

(いまだに慣れないけど)

 あの小柄だった少年が、どうやって、こんなに大柄で逞しい男性に成長したのだろうか。
 ――でも。

「良かった。目覚めたか。流々」

 にこり。
 目を細めて笑う柔和な表情は、昔のままだった。

「私、また?」
「ああ」
「そうですか。また魘されていたのですね」

 私は上体を起こすと、羞恥に耐えられず、視線を逸らした。
 周囲を見渡すと、寝牀の横の花几には可憐な赤い花が活けてあった。
 志遠が活けてくれたのだろう。

(大変な時なのに、この方は……)

 正妃の叱責に気絶してしまった私は、そのまま眠り続けてしまい、次に目覚めた時には、すべてが終わっていた。

 結局、志遠は駆け付けてきた雨露に止められて、陛下と正妃を生け捕りにしたらしい。

 大体、宮城に突入すること自体が前代未聞で、無謀だったとか……。

 後宮に陛下が潜んでいることを知った志遠は、周囲が止めるのもお構いなしに、潜伏していた宮城の居住地から、隠し通路を駆使して、少数で比華宮に乗り込んだそうだ。

 雨露が渋い顔で、そのことを話してくれたのは昨日のことだ。

 陛下を人質にして、宮城内の国王側の勢力と交渉しなければ、大変な展開になっていたと聞いた私は、寒気を覚えたのだった。

(この人は、何という無茶を……)

 志遠は、未だ国内外に自分が王になると宣言すらしていないので、現状、宮城を住処にしているというより、兵を集めて占拠しているという不安定な状態だ。

 混乱を極めている宮城の中で、私の房間(へや)を確保するために、使われてなかった殿舎の貴賓の間を、急ごしらえで作りかえる……なんてことをしている。

 質素で申し訳ないと頭を下げていたが、彼がここに私を置いたのは、隣の房間を自分の臥間(しんしつ)に変えてしまったからだ。

 私が魘された時、すぐに飛んで来ることができるように……との配慮らしいが。

(申し訳なくて仕方ないのよね)

「悪夢も毎晩だと辛いだろう? 薬師をここに呼ぼうか?」
「とんでもない。私は平気ですから」
「本当に?」
「はい」

 それは事実だ。
 心の傷はともかく、外傷は治りつつある。
 
「しかし、流々は私を見てはくれないから」
「恥ずかしいのですよ」

 どうしても、志遠と目を合わすことが出来ない。 
 ……羞恥心。
 それもあるけれど、本音は……。

(恐いのよ)

 痩せてしまい、骨と皮だけになっている手の甲を見て、私はきつく目をつむる。
 凛々しく成長した志遠と違い、私はすっかり変わり果ててしまった。
 日が経つにつれて、彼との違いが辛くなっていた。
 それなのに、志遠は私の手を壊れ物のように優しく触れてくるのだ。

「なあ、流々。国が落ち着いたら、婚姻の儀をしよう。子供の時は、輿入れしただけで、披露目の儀式もすることなく別れてしまっただろう。今度は盛大にやろう」
「そんな、私は……」

 無理だ。

(こんな私が志遠様の隣に立つなんて)

 それに、そんな話、今するものでもない。
 深く俯くと、志遠が私の目を追いかけて、覗きこんでいた。

「やはり、流々は私を恨んでいる? そもそも、朱宇は貴方にとって敵国だし」
「いえ! そんな……。龍崙が滅んだのは、貴方のせいじゃありません。私は貴方を絶対に恨んだりしません」 
「だったら、好きか?」
「す……き……です」

 頬を赤らめながら言うと、志遠が私の肩に、額を乗っけてきた。
 さらさらの前髪が私の首筋に落ちて、くすぐったかった。

「流々。私は今度こそ、ちゃんとした夫婦に貴方となりたいのだ。貴方が今まで味わってきた辛さや苦しみが簡単に癒えることはないと分かっている。むしろ、私といることで、かえって痛みが増すかもしれない。それでも、私は離れていた時間を取り戻したい。それじゃ、駄目か?」 
「駄目じゃない……です」

 勿体ないくらいの言葉。

(私は、志遠様のことが好き)

 捨てられたと、正妃には繰り返し言われてきたけれど、ずっと、この人は私の中にいた。
 どんなことがあっても、この気持ちが揺らぐことはない。

 ……でも。

 志遠は私を愛しているわけではない。
 正妃の言葉は呪いでもあるけれど、事実でもあるのだ。

(同情……?)

 多分、一番近い感情はそれではないだろうか?