◇
かつて、同盟を結んだにも関わらず、わずか三カ月でそれを反故にして、龍崙に攻め入った朱宇王、叔父のことを、志遠は許してはいなかった。
だが、墨が裏で主導したことならば、従わざるを得なかったことは、心の何処かで理解していた。
(だから、私は……)
叔父を弑逆しようなんて、考えたこともなかった。
国が傾いていることに、心を痛めていても、それを正すのは、自分ではないと言い聞かせていた。
(流々が健やかでいてくれたら……)
王位継承権一位の志遠の妻だ。
いくら彼女の国が滅び、敵国となってしまっても、志遠が国のために武功を立てれば、少女の一人くらい、丁重に扱ってくれると信じていた。
「……私が悪かったのだ」
定期的に、叔父に窺いを立てたり、流々の暮らしている離宮にも人を遣って調べさせたりはしていたが、元気そうだという報告を鵜呑みにして、自分で調べようとはしなかった。
(怖かったのだ)
流々が故郷を滅ぼした朱宇国に怒り、志遠を恨んでいるのではないか……と。
(私から流々の心が離れていく。そんなこと知りたくなかったから)
思い出の中で、いつも彼女が笑ってくれていたら、それで良かった。
――それだけで、何もいらなかったのに。
でも、現実は裏切りなんて言葉で表現できないほど、残酷だった。
「今夜も眠らないんですか?」
潜伏先の屋敷の露台から、外を眺めていた志遠に、袍服のままの雨露が気安く問いかけてくる。
「眠れないんだ。腹が立ってな。このままだと、一人で後宮まで行ってしまいそうだ」
「やめてください。拾った命で無駄死にするのは」
「お前の支度が遅いからだ」
「それを仰います?」
殺気を漲らせ、振り返ると、そういう雨露もまた眠れていないことに気付いてしまった。
お互い様なのだ。
「そもそも、貴方……。少し前まで、墨王の病が重いという話をしても、西域の異民族が貴方と同盟を結びたがっていると話をしても、全部、面倒とか言って、聞かないふりをしていましたよね?」
「よく言うよ。お前だって、私に無断で反撃の準備をしていたじゃないか?」
雨露は志遠の目を盗んで、いざとなったら、叔父に反旗を翻せるよう、下準備をしていたのだ。
とんでもない策士だ。
(こいつをちゃんと見張っていなかったから、目をつけられたんじゃないのか?)
しかし、今となっては、それで良かったのかもしれない。
あの日、阿南宮で死にかけなければ、流々のことを知ることもなかったのだから。
「こうしている間にも、流々に何かあったら……」
後悔と自責ばかりだ。
こんなことなら、流々を攫って、何処か遠くに逃げていれば良かったなんて……。
そんなことばかり考えては、苦しんでいた。
「まあ、焦っても仕方ありませんし、八年間あそこで生き抜いてきたのですから、流々様は強い方でしょう。きっと、ご無事ですよ」
「強いか……?」
そうは見えなかった。
志遠には、流々が諦めきって、自分の死に場所を探しているように見えた。
(あんなに痩せ細って、血まで吐いて……。他の女官にまで蔑まれるなんて、ひどすぎる。何で、彼女があんな目に遭わなければならないんだ?)
「……飛雲め」
憎い叔父の名を呼んで、決意を固める。
あんな奴に、今まで諾々と従っていた自分が情けなかった。
「明日にでも、兵を挙げて都に向かう。急ぐぞ。雨露」
流々から貰った佩玉を撫でていたら、中央の翡翠が輝いているように見えた。
かつて、同盟を結んだにも関わらず、わずか三カ月でそれを反故にして、龍崙に攻め入った朱宇王、叔父のことを、志遠は許してはいなかった。
だが、墨が裏で主導したことならば、従わざるを得なかったことは、心の何処かで理解していた。
(だから、私は……)
叔父を弑逆しようなんて、考えたこともなかった。
国が傾いていることに、心を痛めていても、それを正すのは、自分ではないと言い聞かせていた。
(流々が健やかでいてくれたら……)
王位継承権一位の志遠の妻だ。
いくら彼女の国が滅び、敵国となってしまっても、志遠が国のために武功を立てれば、少女の一人くらい、丁重に扱ってくれると信じていた。
「……私が悪かったのだ」
定期的に、叔父に窺いを立てたり、流々の暮らしている離宮にも人を遣って調べさせたりはしていたが、元気そうだという報告を鵜呑みにして、自分で調べようとはしなかった。
(怖かったのだ)
流々が故郷を滅ぼした朱宇国に怒り、志遠を恨んでいるのではないか……と。
(私から流々の心が離れていく。そんなこと知りたくなかったから)
思い出の中で、いつも彼女が笑ってくれていたら、それで良かった。
――それだけで、何もいらなかったのに。
でも、現実は裏切りなんて言葉で表現できないほど、残酷だった。
「今夜も眠らないんですか?」
潜伏先の屋敷の露台から、外を眺めていた志遠に、袍服のままの雨露が気安く問いかけてくる。
「眠れないんだ。腹が立ってな。このままだと、一人で後宮まで行ってしまいそうだ」
「やめてください。拾った命で無駄死にするのは」
「お前の支度が遅いからだ」
「それを仰います?」
殺気を漲らせ、振り返ると、そういう雨露もまた眠れていないことに気付いてしまった。
お互い様なのだ。
「そもそも、貴方……。少し前まで、墨王の病が重いという話をしても、西域の異民族が貴方と同盟を結びたがっていると話をしても、全部、面倒とか言って、聞かないふりをしていましたよね?」
「よく言うよ。お前だって、私に無断で反撃の準備をしていたじゃないか?」
雨露は志遠の目を盗んで、いざとなったら、叔父に反旗を翻せるよう、下準備をしていたのだ。
とんでもない策士だ。
(こいつをちゃんと見張っていなかったから、目をつけられたんじゃないのか?)
しかし、今となっては、それで良かったのかもしれない。
あの日、阿南宮で死にかけなければ、流々のことを知ることもなかったのだから。
「こうしている間にも、流々に何かあったら……」
後悔と自責ばかりだ。
こんなことなら、流々を攫って、何処か遠くに逃げていれば良かったなんて……。
そんなことばかり考えては、苦しんでいた。
「まあ、焦っても仕方ありませんし、八年間あそこで生き抜いてきたのですから、流々様は強い方でしょう。きっと、ご無事ですよ」
「強いか……?」
そうは見えなかった。
志遠には、流々が諦めきって、自分の死に場所を探しているように見えた。
(あんなに痩せ細って、血まで吐いて……。他の女官にまで蔑まれるなんて、ひどすぎる。何で、彼女があんな目に遭わなければならないんだ?)
「……飛雲め」
憎い叔父の名を呼んで、決意を固める。
あんな奴に、今まで諾々と従っていた自分が情けなかった。
「明日にでも、兵を挙げて都に向かう。急ぐぞ。雨露」
流々から貰った佩玉を撫でていたら、中央の翡翠が輝いているように見えた。



