「人、魚……? ……わたしが?」
古い神話曰く、国生みの山の男神は天翔ける天狗を束ね、同じく海の女神は鰭翻す人魚を率いる。……呪われた蛇女と忌み嫌われ続けた自分が、目の前の鳥神と、ある意味、対になる存在だと?
「正確には人魚の末裔、先祖返りだ。海に触れて古い血が目覚めた。……母君は残念ながら、その激変に耐え切れず身罷られたが、今の蘭殿は間違いなく人魚として覚醒している」
まだ理解の追いつかない蘭に噛んで含めるように説明したあと、陽炎は些か決まり悪そうに語尾を濁らせる。
「不躾に思われたら申し訳ないが……蘭殿の脚には、鱗のような紋様が顕れているだろう? 私たちの翼も同じだ、普段は背中に刺青のようになっている」
敢えて蘭の目をまっすぐに見据えて……つまりは着物に隠された脚に視線を向けないようにして、陽炎は自覚を促した。そこでようやく、蘭もすべてが腑に落ちる。────この鱗は、蛇ではなく人魚のものだったのだ。
「人魚は海の至宝。涙は真珠に、血は万能薬に、肉は不老不死をもたらす。……解るだろう、あなたは不用意に陸にいるべきではないんだ」
「……それであのとき、薄氷さんは陽炎さまにわたしの血を飲ませたのですね」
蘭は秋の終わりの出来事を思い出す。あのときは無我夢中で、こんな結末が待っているとは考えもしなかった。
「では、わたしをここに連れてきて、世話してくださったのは」
「山に海の匂いを感じたから、蘭殿のことはすぐに判った。だが失礼ながら、当時の荒んだ心身のまま輝く月宮様の御前に参らせるには差し障りがあろうと思い、しばらくはここで養生してもらおうと考えたのだ」
人界からの生贄ではなく、海界からの賓客として。手厚く遇し、心身を癒し……いずれ海に帰すために。
あなたは大切な客人だ、という陽炎の台詞が、当時は宝物のように感じられた一言が、蘭の耳の奥で虚しくこだまする。
「しかしもう、充分だろう。日宮様と月宮様との間で調整がついた、明日にも海から迎えが来る。ただこの屋敷ではなく別の場所で落ち合うことになっているから、朝餉のあと、出掛ける心積もりでいてくれ」
朝食を終えた陽炎は、抑揚少なくそう告げて離れを辞去した。蘭の膳にはまだ蕪の味噌汁も水菓子の柑子も残っていたが、再び箸に手をつける気力もないまま項垂れる。
やがて、その眦ではなく唇から、ぽろりと自虐が転がり落ちた。
(勘違いして、浮かれて)
「ばかみたい、わたし……」
自分は陽炎にとって、あくまでも客人────即ち、どこまでも他人。生贄にすらなれなかった。
くしゃりと顔が歪む。血が滲むほどに唇を噛み締めても、涙の一滴もこぼれない。
泣きたいときに泣けない。そんな自分が今、倉敷家の座敷に放置されていたとき以上に、ひたすらに惨めだった。
古い神話曰く、国生みの山の男神は天翔ける天狗を束ね、同じく海の女神は鰭翻す人魚を率いる。……呪われた蛇女と忌み嫌われ続けた自分が、目の前の鳥神と、ある意味、対になる存在だと?
「正確には人魚の末裔、先祖返りだ。海に触れて古い血が目覚めた。……母君は残念ながら、その激変に耐え切れず身罷られたが、今の蘭殿は間違いなく人魚として覚醒している」
まだ理解の追いつかない蘭に噛んで含めるように説明したあと、陽炎は些か決まり悪そうに語尾を濁らせる。
「不躾に思われたら申し訳ないが……蘭殿の脚には、鱗のような紋様が顕れているだろう? 私たちの翼も同じだ、普段は背中に刺青のようになっている」
敢えて蘭の目をまっすぐに見据えて……つまりは着物に隠された脚に視線を向けないようにして、陽炎は自覚を促した。そこでようやく、蘭もすべてが腑に落ちる。────この鱗は、蛇ではなく人魚のものだったのだ。
「人魚は海の至宝。涙は真珠に、血は万能薬に、肉は不老不死をもたらす。……解るだろう、あなたは不用意に陸にいるべきではないんだ」
「……それであのとき、薄氷さんは陽炎さまにわたしの血を飲ませたのですね」
蘭は秋の終わりの出来事を思い出す。あのときは無我夢中で、こんな結末が待っているとは考えもしなかった。
「では、わたしをここに連れてきて、世話してくださったのは」
「山に海の匂いを感じたから、蘭殿のことはすぐに判った。だが失礼ながら、当時の荒んだ心身のまま輝く月宮様の御前に参らせるには差し障りがあろうと思い、しばらくはここで養生してもらおうと考えたのだ」
人界からの生贄ではなく、海界からの賓客として。手厚く遇し、心身を癒し……いずれ海に帰すために。
あなたは大切な客人だ、という陽炎の台詞が、当時は宝物のように感じられた一言が、蘭の耳の奥で虚しくこだまする。
「しかしもう、充分だろう。日宮様と月宮様との間で調整がついた、明日にも海から迎えが来る。ただこの屋敷ではなく別の場所で落ち合うことになっているから、朝餉のあと、出掛ける心積もりでいてくれ」
朝食を終えた陽炎は、抑揚少なくそう告げて離れを辞去した。蘭の膳にはまだ蕪の味噌汁も水菓子の柑子も残っていたが、再び箸に手をつける気力もないまま項垂れる。
やがて、その眦ではなく唇から、ぽろりと自虐が転がり落ちた。
(勘違いして、浮かれて)
「ばかみたい、わたし……」
自分は陽炎にとって、あくまでも客人────即ち、どこまでも他人。生贄にすらなれなかった。
くしゃりと顔が歪む。血が滲むほどに唇を噛み締めても、涙の一滴もこぼれない。
泣きたいときに泣けない。そんな自分が今、倉敷家の座敷に放置されていたとき以上に、ひたすらに惨めだった。



