花嫁(はな)に翼神(つばさ) ~地を這う蛇と冷遇されたわたしが、天翔ける星とつがいになるまで

 そうして天狗と人魚のつがいが白狐と共に去ったあと、山神と海神、日神と月神、火神と水神のつがいもまた、若干の温度差で別れを惜しんでいた。

「では名残惜しいが、わしらも退散するか」
「うむ。再見の日まで息災での」
「もう少し、後ろ髪引かれてくれてもよいのではないか? わしはおぬしに会いにきたというに」
「ふふふ、そうたやすく靡いてはありがたみが薄れるであろ?」

 衆目を余所にくちづけを交わすと、黄金の狼を従えた勇ましき男神が一足先に高い空へと飛び立つ。昼中の流星と化した夫を見送り、女神は所謂「目が笑っていない」笑顔で倉敷家の人々を振り返った。銀の眼光が、まずは愛し子の最初の夫に突き刺さる。

(ぎょく)を捨てて石を拾うとは、大した目利きじゃのう」

 痛烈な皮肉に腰の抜けた治雅の顎を閉じた扇でくいと持ち上げ、蠱惑的な笑みをたたえたまま水影は容赦なく畳み掛けた。

「愚かなものよ。妻として大事に慈しんでおれば、あの子は(うぬ)のために惜別の涙を流したやもしれぬのに」
「……ッ」

 誤った選択を悔いても、もう遅い。海の至宝は山の覇者と共に去った。

 無造作にいくつも転がったままの真珠に、人々は懸命に手を伸ばそうとする。しかし火神が立ち去っても、今度は切り裂くような水圧に弾かれ、どうしても届かない。

 そんな彼らの眼前で水影は真珠を拾い上げ、すべて銀の龍の口へと放り投げる。龍は旨そうに咀嚼して嚥下した。落胆と憤慨の声が人々の間から漏れる。

「それと、そこな小娘」

 次いで女神の視線を向けられたなずなは、一瞬尻込みながらも、開き直って喚き散らした。

「なっ、何よ、あたしは横領とか漏洩とか、法に触れるようなことはしてないわよ! 確かに、お姉様にきつく当たったこともあったかもしれないけど、そんなの姉妹喧嘩の延長みたいなもんじゃない! 妾腹のあたしを先に見下してきたのはお姉様のほうよ、あたしは何も悪くない!!」

 自らの行いを正当化する醜い足掻きに、水影は眉をひそめて嘆息する。

「あの子も既に母ではなく夫に甘える年頃、いつまでも姉妹の喧嘩に口を差し挟むほど、わらわも過保護ではないわ」
「だったら」
「しかしのう」

 かぶせた台詞をわざとらしく一度区切り、水影はとびっきりの、しかし魂が底冷えするような微笑みを浮かべる。

「目の前で夫を誑かした害虫を見過ごすほど、わらわが虫も殺せぬか弱い女に見えるかえ?」
「ッ!」

 水の結界を越えて伸ばされた水影の左手が、なずなの首を鷲掴む。女の細腕とは思えない剛力に喉を圧迫され、なずなは息も絶え絶えに呻いた。周囲の者も、蛇に睨まれた蛙のように威圧されて動けない。

「ぐぅっ、っふ……ッ!」

 そのまま首をへし折られるかと思ったが、女神はあっさりと害虫を解放した。なずなは蹲って激しく噎せ、必死に肺に酸素を取り込もうとする。

 乱れた髪の下、首の異変に気づき、治雅が引き攣った声を上げた。

「なずな、おまえ、その首……!」

 白い首には、蛇に締め上げられたような鱗の痕がくっきりと青黒く刻まれていた。

「……! ……ッ!?」

 悲鳴を上げようとして、なずなは再び苦悶に顔を歪め、喉を押さえる。結局、掠れた喘鳴と糸を引く涎しか唇からは出てこなかった。

 苦痛と混乱に喘ぐ姿を扇の陰から見下ろし、人魚の長はホホと淑やかに笑う。かと思えば一瞬で真顔に戻ると、絶対零度の声で斬り捨てた。

「声を出そうとすれば首が絞まる。わらわの夫に色目を使った報いじゃ。────癇に障るその声、二度と聞かせるでない」
「……! ……ッッ、っ…………!!」

 男神に歯牙にもかけられず、しかし女神の悋気だけはきっちりと買って、かつて蔑んだ異母姉と同じ「呪われた鱗の娘」となったなずなは、声にならない声と共に滂沱の涙を流した。

「ではごきげんよう」

 紺碧のドレスの裾をつまみ、半壊した広間をきらびやかな舞踏会場と錯覚させるほど典雅に一礼すると、麗しの女神は白銀の龍に乗って遥かな海を目指す。

 嵐が去り、あとにはただ、この先転がり落ちる運命に怯える人々が残されるのみであった。