身体が悲鳴を上げている。
もう限界だから休め、と。
だけど、僕はそんなことを無視して、キッチンに立った。
「秋希、なにしてるんだ?」
お菓子作りの道具を用意していたら、兄の一颯が慌てた様子でやって来た。
なにをしているのかなんて、見ればわかる。
それなのに聞いてきたのは、僕が余命わずかで立っているのもやっとなのに、キッチンに立ってなにをしているんだ、ということだろう。
「もうすぐホワイトデーでしょ? だから、お返しにバームクーヘンを作ろうと思って」
僕の答えを聞いて、兄さんはますます怪訝そうな顔をした。
そんな反応をさせてしまうくらい、僕の顔色は悪いのかもしれない。
だけど、これが最後だから。
無理をしてでも、最愛の人に作りたかった。
「……俺に手伝えること、ある?」
すると、僕の思っていることが伝わったのか、兄さんが腕まくりをしながら、キッチンに入ってきた。
普段は絶対にキッチンには足を踏み入れないから、違和感しかないけれど、それよりも兄さんの気持ちが嬉しかった。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと、兄さんは照れ臭そうに視線を逸らし、手を洗い始める。
「それにしても、なんでバームクーヘンなんだ? クッキーとか、簡単なものにすればいいのに」
「あれ、兄さん、知らないの? クッキーは『友達でいよう』って意味なんだよ。でも、バームクーヘンには『幸せが続きますように』って意味があるんだ」
「……へえ」
兄さんは随分と興味なさそうに相槌を打った。
ホワイトデーは、兄さんにも関係あることだろうに、どうしてそんなに無関心でいられるのか、少し不思議だ。
そんなことを思いながら生地を混ぜていると、兄さんはスマホを操作し始めた。
手伝うと言った傍からとも思うけど、正直あまり期待していなかったから、あまり驚かない。
「うわ、本当だ。お菓子にも物にも意味が込められてる」
兄さんはそう言いながら、顔を顰めている。
いや、面倒そうにしていると言ったほうが正しいのかもしれない。
「なあ、マカロンじゃなくていいのか? 特別な人って書いてあるけど」
「それは作るのが難しいから……」
料理をしない兄さんにとっては、マカロンもバームクーヘンも大差ないのか、若干首を傾げながら「ふうん」なんて言った。
「てか、意味にこだわるなら、アクセサリーとかでいいだろ」
それはつまり、身体がつらいのを我慢してまでお菓子を作るより、簡単なものを用意したほうがいいのでは?という意味だろうけど。
「……物が残ったら、理桜ちゃんが僕を忘れられなくなるもん」
兄さんは、なんとも言えない表情を浮かべて、僕から顔を背けた。
兄さんは正しい。
お菓子でも物でも、買えば大変な思いをせずに済む。
でも僕は、ここで楽をしたくなかった。
だって、最後なんだ。
理桜ちゃんと過ごす、最後の特別な時間。
そのための準備を、楽するなんてできない。
「……本当に彼女のことが好きなんだな」
そこまでストレートに言われると、少し照れ臭い。
でも、兄さんにもそれが伝わったのだとしたら、嬉しさもあった。
「だから、理桜ちゃんには、絶対に幸せになってほしいんだ。……僕じゃない誰かと」
自分で言っておきながら、ひどく胸が痛んだ。
これは病気のせいなんかではない。
だって、本当は、そんなこと望んでいないから。
僕が、ずっと理桜ちゃんの隣にいたい。
最後まで、理桜ちゃんの笑顔を見ていたい。
でも、もう叶わないから。
僕が隣にいても、僕は彼女を泣かせてしまうから。
「……そっか」
兄さんには、今の言葉が本心ではないことは伝わっているだろう。
それでも、兄さんは気付かないふりをしてそう言ってくれた。
❀
家に帰ると、理桜ちゃんはもう仕事から帰っていた。
「おかえり、秋希」
僕に気付いた理桜ちゃんは、柔らかく笑った。
お別れの日を意識するようになってから、この笑顔が大好きなはずなのに、最近は見れば胸が苦しくなる。
時間が止まればいいのに。奇跡が、起こればいいのに。
僕は叶いもしないことを妄想しながら、笑顔を作る。
「理桜ちゃん、ただいま。これ、バレンタインのお返しだよ。素敵なチョコ、ありがとね」
丁寧にラッピングしたバームクーヘンを渡すと、理桜ちゃんは驚きを隠せていないようだった。
「ま、待って? もしかしてこれ、作ったの?」
理桜ちゃんが素直な反応を見せてくれるから、だんだんと胸の痛みが消えていった気がした。
やっぱり僕は、理桜ちゃんが好きだ。
そう思った。
「理桜ちゃんの手作りチョコが嬉しかったからね」
「でも私、ここまですごいの作れなかったんだけど……」
理桜ちゃんはそう言いながら、いつまでも僕が作ったお菓子を眺めている。
かと思えば、悔しそうな目をして僕を見た。
「次はもっとすごいもの作るから、待ってて」
ああ、どうしよう。泣いてしまいそうだ。
本当に理桜ちゃんはかっこよくてかわいい、素敵な人だな。
でもごめんね。
僕には、次がないんだ。
「……楽しみにしてるね」
だけど僕は、泣きそうな気持を隠して、精一杯笑って見せた。



