【書籍化】無華の花嫁〜蔵に囚われた少女は、黒薔薇の殿下に溺愛される〜

園遊会。
公的な場で娘を披露する機会を与えられたと受け取るには十分すぎる言葉だ。
案の定、伯爵の顔がぱっと明るくなった。

「はっ……!それは、まことに光栄の至りでございます……。
必ずや、殿下に恥じぬよう仕度を整えさせますゆえ……!必ずや!」
「楽しみにしております」

その一連のやり取りを、周囲の『華族』たちが密かに、しかし熱心に横目で伺っているのがわかる。
口もとを扇で隠し、視線だけで囁き合う気配。
『黒薔薇』の妃候補という言葉は、どんな献上品より甘い餌になる。

朝霞伯爵は深々と頭を下げると、勝利を確信したような表情を浮かべ、人波に紛れるように下がっていった。
その背を見送りながら、無関心を装って小さく息を吐く。

案の定、すみれの名は一度も出なかった。
長女が五条家で重病の養生をしていることを知っているだろうに。
当初はしつこく「家に戻せ」と言ってきたが、高額な治療費と、それを朝霞家が負担する可能性をちらつかせた途端、ぴたりと大人しくなった。

この男の関心は、次女と、五条家という地位だけだ。

……春までには、すみれの体力ももう少し戻るだろう。

伯爵の前に立つ伯爵家の令嬢と、俺の横に立つすみれ。
二人の姿が頭の中で並び、まだ見ぬ光景であるにもかかわらず、違いだけが痛いほど鮮明に想像できる。
飾り立てた赤と、慎ましく咲く紫。
声の大きさではなく、沈黙の重さで人を動かす目。

娘を売り込む父親と——父親に捨てられた娘、か。

『黒薔薇』の棘は相変わらず胸の奥でざわめいている。
けれど、その棘が暴れだそうとするたび、あの不思議な紫色の瞳が、無限の空白のように、その先を静かに絡め取ってしまうのだ。

脳裏に残るのは、湯冷ましを飲む際に『ごめんなさい』と呟きながら、必死に指を絡めてきた、小さな手の感触。
掴むというより、縋るように。

俺に必要なのは、燃え盛る炎ではない。
——あの、静かな空白だ。