賢しい妖狐は春を愛する


「どうしたんですか? 小春さん、その顔」

 手拭いをほっかぶりして、隠したつもりでいたのに、早速、由良さんにはバレてしまった。

(……この人)

 こちらから、ほとんど表情が見えないというのに、素晴らしい洞察力だ。

「あっ、分かっちゃいました? 実は派手に転んでしまって」

 嘘を吐くのは苦手だ。
 笑い飛ばして誤魔化そうとしたけれど、由良さんは、私の意図を察してはくれなかった。

「それ、転んだ傷ではないでしょう。一体、誰にやられたんですか?」
「お気になさらず。私は平気ですから」

 私は由良さんに、しいっと手振りで訴えて、きょろきょろ周りを確認した。

(まずい)

 いくら、本当のこととはいえ、勝手口から出てすぐの場所でする話ではない。

「駄目ですよ。誰が聞いているか分からないんですから」
「大丈夫です。誰も聞いちゃいません」

 その自信は、どこから来るのか?

「他の人の目なんて、気にしないでいいので、小春さん。誰にその頬、殴られたのか、俺に教えてくれませんか?」
「いや、これは……」

 由良さんから至近距離で、迫られてしまい、私は頬を押さえながら、後ずさった。

(一人じゃないしなあ)

 目に見える傷は頬だけど、全身青痣だらけだ。
 いちいち相手の名前を挙げたら、キリがない。

「仕方ないんですよ。これは」
「……仕方ない?」

 まじまじ見ないで欲しかった。
 あまり鏡は見ない方だけど、結構、腫れ上がっているはずだ。

「そうです。みんな、切羽詰っているんです」

 私は小声で言った。

「旦那様がお辛く当たるんでしょう。どの人も、ピリピリしていて……。私は、ほら、目立つから。仕方ないんです」

 最近、言いがかりのようなことで、先輩妻から、暴力を受ける。
 ここに嫁いできて、一年。
 機嫌の悪い妻から、折檻されることもあったが、ここまで頻繁になることはなかった。

「駄目です。こんなことに、慣れてはいけません」

 由良さんが、私より深刻そうに、立ち尽くしていた。

「ねえ、小春さん。一体いつから、酷くなったんですか? 何回、やられたんです?」
「しつこいですって。そんなこと、いちいち覚えちゃいませんよ」
 
 心配させまいと、即答したものの、頭の中では、そういえば……と、記憶を辿っていた。

(確か、雅さんが旦那様に目通りされた頃から、一段と酷くなったような?)

 もしかしたら、その頃、旦那様の周辺で何かがあったのかもしれない。

「当主の機嫌一つで、君が傷つけられるなんて、狂っていますよ。やっぱり、こんなところ、さっさと捨てて、逃げるべきだ」

 ――やっぱりそれ(・・)か。
 私はすかさず「無理です」と、断言した。