◇
実巳は、心身共に疲れ果てていた。
(正直、どうして、こんな生活を送っているのか、当主の僕にもよく分からない)
陰陽師だとか、当主だとか、ちやほやされるのは悪くないが、一族の長老たちは自分は何もしないくせに口喧しいし、早く後継を作れと、そればかりだ。
(大妖怪だって、三百年も祠に閉じ込められていたら、さすがに干からびているだろう)
伝え聞いた話によると、封じ込めた大妖怪は、国中のあやかしを引き連れて、悪道の限りを尽くした狡猾で冷酷な「妖狐」らしい。
(だから、何なんだ?)
たとえ、その話が本当だったとしても、三百年も維持し続けている結界が自分の代で破られるはずがないだろう。
――だが。
なぜだろう?
最近、どうしてだか、妙な胸騒ぎがするのだ。
(やってもやっても、手応えがない。違和感が消えない)
一応、妖怪を封じたとされている、裏山の祠を何度か訪ねてはみたが、不審な点はなかった。
他にも、調べさせてはいるが、異常なしと報告を受けていた。
(いよいよ、僕もおかしくなってしまったのか?)
時代錯誤の籠城生活に、心が壊れてしまったのかもしれない。
忙しいだけで、代わり映えのしない日々には、うんざりしているのだ。
(今日こそ、早く寝よう)
結界強化の術を遠隔で行い、先祖や神々に祈りを捧げる儀式の時間を終えて、ようやく一人になれると、寝所に向かえば、今宵も猫撫で声の女が能面のような白粉顔で妖怪顔で、実巳を待っていた。
「実巳様。今日も、お疲れさまでございました」
……無理だ。
(帰ってくれ)
喉元まで出た声は、監視役のように引っ付いていた老いた従者の視線で飲みこむしかなかった。
帝都で流行りの束髪に、何本も挿した簪。紅色の襦袢姿。胸を強調するような艶めかしい着付け方をしていた。
(現役遊女かよ? どうぞ、召し上がって下さいって?)
一体、誰の趣味なのだろう?
大方、実巳の両親と長老連中が、自分達の趣味を焚き付けたに決まっている。
「あ、あの……。雅と申します。旦那様。末永く、よろしくお願いいたします」
「末永く?」
なぜか、勝手に盛り上がっている。
まだ「正妻」になったわけでもないだろうに……。
(やってられない)
実巳は乱暴に従者を下げると、鬱憤を晴らすように、女を怒鳴りつけた。
「ああ、うるさい。やろめよ。その色目遣い! 気色悪い」
「どうして、そのようなことを? 他の妻が何か?」
他の妻も何も、ほとんど面倒で、共寝もしない状況なのに、的外れなことを平然と言うから、困る。
しかも、同情を誘うように、膝をついて泣きはじめてしまった。
(絶対、ワザとだろ)
実巳には、分かる。
(こいつ、面倒臭い奴だ)
一日の最後に、こんなものの相手をさせられるのだ。
醜悪な一族だ。
いっそ、滅べばいい……とまで、思ってしまう。
「疲れたから、僕は寝る。お前は、速やかにここから立ち去れ」
行燈の灯の下。
並べて敷かれた布団を無視して、実巳はごろりと横になった。
だが、せめてもの情けで、逃がしてやったのに、女はそのまま甲高い声で喚くのだった。
「ですが、私はご両親から、実巳様のことを託されたのです」
「……んなこと、知るか」
「実巳様は、私のような女は嫌いなのですか?」
「ああ、嫌いだね。二度とその顔を見せるな。出ていけ」
ばんっと、部屋中の障子を開け放った。
そのくらいの能力は、実巳とて持っている。
しかし、ようやく、実巳のもとから離れた女が歪な笑みを浮かべていたことなんて、疲労困憊の実巳が気づくはずもなかったのだ。
実巳は、心身共に疲れ果てていた。
(正直、どうして、こんな生活を送っているのか、当主の僕にもよく分からない)
陰陽師だとか、当主だとか、ちやほやされるのは悪くないが、一族の長老たちは自分は何もしないくせに口喧しいし、早く後継を作れと、そればかりだ。
(大妖怪だって、三百年も祠に閉じ込められていたら、さすがに干からびているだろう)
伝え聞いた話によると、封じ込めた大妖怪は、国中のあやかしを引き連れて、悪道の限りを尽くした狡猾で冷酷な「妖狐」らしい。
(だから、何なんだ?)
たとえ、その話が本当だったとしても、三百年も維持し続けている結界が自分の代で破られるはずがないだろう。
――だが。
なぜだろう?
最近、どうしてだか、妙な胸騒ぎがするのだ。
(やってもやっても、手応えがない。違和感が消えない)
一応、妖怪を封じたとされている、裏山の祠を何度か訪ねてはみたが、不審な点はなかった。
他にも、調べさせてはいるが、異常なしと報告を受けていた。
(いよいよ、僕もおかしくなってしまったのか?)
時代錯誤の籠城生活に、心が壊れてしまったのかもしれない。
忙しいだけで、代わり映えのしない日々には、うんざりしているのだ。
(今日こそ、早く寝よう)
結界強化の術を遠隔で行い、先祖や神々に祈りを捧げる儀式の時間を終えて、ようやく一人になれると、寝所に向かえば、今宵も猫撫で声の女が能面のような白粉顔で妖怪顔で、実巳を待っていた。
「実巳様。今日も、お疲れさまでございました」
……無理だ。
(帰ってくれ)
喉元まで出た声は、監視役のように引っ付いていた老いた従者の視線で飲みこむしかなかった。
帝都で流行りの束髪に、何本も挿した簪。紅色の襦袢姿。胸を強調するような艶めかしい着付け方をしていた。
(現役遊女かよ? どうぞ、召し上がって下さいって?)
一体、誰の趣味なのだろう?
大方、実巳の両親と長老連中が、自分達の趣味を焚き付けたに決まっている。
「あ、あの……。雅と申します。旦那様。末永く、よろしくお願いいたします」
「末永く?」
なぜか、勝手に盛り上がっている。
まだ「正妻」になったわけでもないだろうに……。
(やってられない)
実巳は乱暴に従者を下げると、鬱憤を晴らすように、女を怒鳴りつけた。
「ああ、うるさい。やろめよ。その色目遣い! 気色悪い」
「どうして、そのようなことを? 他の妻が何か?」
他の妻も何も、ほとんど面倒で、共寝もしない状況なのに、的外れなことを平然と言うから、困る。
しかも、同情を誘うように、膝をついて泣きはじめてしまった。
(絶対、ワザとだろ)
実巳には、分かる。
(こいつ、面倒臭い奴だ)
一日の最後に、こんなものの相手をさせられるのだ。
醜悪な一族だ。
いっそ、滅べばいい……とまで、思ってしまう。
「疲れたから、僕は寝る。お前は、速やかにここから立ち去れ」
行燈の灯の下。
並べて敷かれた布団を無視して、実巳はごろりと横になった。
だが、せめてもの情けで、逃がしてやったのに、女はそのまま甲高い声で喚くのだった。
「ですが、私はご両親から、実巳様のことを託されたのです」
「……んなこと、知るか」
「実巳様は、私のような女は嫌いなのですか?」
「ああ、嫌いだね。二度とその顔を見せるな。出ていけ」
ばんっと、部屋中の障子を開け放った。
そのくらいの能力は、実巳とて持っている。
しかし、ようやく、実巳のもとから離れた女が歪な笑みを浮かべていたことなんて、疲労困憊の実巳が気づくはずもなかったのだ。



