賢しい妖狐は春を愛する

「もちろんよ。そんなこと誰にも話さないわ。それに、ひょろっこの望み通り、きっと早く旦那様は子宝に恵まれると思うのよ」
「へえ。自信ありげですね?」
「ふふっ。実は私、旦那様からお呼びがかかったの」
「すごい! 良かったですね」

 先程まで、雅さんに対して、散々なことを想像していた自分が情けない。

「遅くなってしまったけど、旦那様のご両親にも、ぜひ、後継を生んで、正妻になって欲しいと頼まれてしまって……」
「わあ、正妻になられるんですね。おめでとうございます」

 祝い膳を用意した方がいいのだろうか?
 そんなこと、私が頭を悩ませる前に、誰かが企画しているだろうけど……。

(やった。これで一つ、嫁生活の解放日に近づいたってことよね)

 雅さんの赤く染まった頬と、はにかむ笑顔。
 紅色の着物が眩しかった。

「幸せになって下さいね。雅さん」

 気がかりなのは、お目通り済みの妻たちは、皆、陰気な顔をしていたような気がすることだ。

(女中仕事をサボってる雅さんは、そういうこと知らないんだろうけど……)

 配膳の準備や掃除で、何度か私は彼女達の姿を見たことがあった。
 ……でも。

(雅さんなら、やれる。ひょろっこの私にまで、普通に接してくれる人だから)

 期待しておこう。

「私が正妻の座についたら、何かして欲しいこととかある? 旦那様に伝えてあげてもいいわよ」

 得意げに、雅さんが言った。

「……して欲しいこと……ですか?」

 会ったこともない旦那様に、何かを強請るつもりは毛頭なかったが……。

「ああ、でしたら、鶏を飼うことをお勧めして頂いてもいいですか? 新鮮な卵は美味しくて、栄養価が高いんですって」
「……た、卵? まあ、いいけど。気が向いたら、伝えておくわ」

 ……などと、言っているそばから、雅さんはセリを摘まみ食いしていた。

 やっぱり、期待はできないかもしれない。

「ねえ、外、外を見て!」

 勝手口から戻ってきた先輩妻の多恵さんが、目の色を変えて叫んだ。

「何よ。どうしたのよ?」
 
 雅さんが、わっと駆け出す。
 日頃、話題の一つもない私たちは、好奇心の塊だ。
 台所仕事をしていた十人近くが、押されるような形で外に出たら、遠目に大名行列のように行進している人影が見えた。

「ああ、そうか。今日は、裏山の結界強化をする日だったのね」

 誰かが、ぼそっと呟いた。
 戦国時代に封じた妖怪は、裏山の中腹の祠で眠っている。
 旦那様は、定期的に山に行って、妖怪の様子を見に行っているらしい。
 ――らしい、というのは、今まで一度もその姿を私たちが目にしたことがなかったからだ。 
 今日は、珍しく昼間に出立するようだ。
 
「ほら、あそこ。先頭を歩いていらっしゃるのが、旦那様。……で、後ろを歩いているのが、正妻候補たちかしら?」

 実巳様を見かけたことがあるのだろう。
 化粧っ気のない多恵さんの頬が紅潮していた。

「えっ、あの人が?」

 人垣を掻き分けなくても、しっかり見えてしまうのが、背の高い私の唯一の利点だ。
 多恵さんの示す方向に、神社の宮司のような格好をして、前進している男性の姿を見つけた。

(あれが、旦那(さねみ)様)

 肩までの黒髪、殺気に満ちたギラギラした眼差し。
 背はそんなに高くない。下手したら、私と同じくらいかもしれない。
 苛々を隠すことなく、肩を怒らせて、猛然と進む姿は、正直怖かった。

(お目通り済みの皆さんが、しんどそうなのも分かるような……)

 後ろを歩く四人の妻たちを、一切、振り返ることもしない。

(実巳様も、日々のお務めが、大変なんだろうけど……)

 私の傍らで、雅さんも見入っていた。

(大丈夫かな?)

 実巳様とちゃんと向き合う前に、姿を見かけてしまったのは、もしかしたら、良くないことだったのかもしれない。
 横目で見ると、雅さんは唇をおもいっきり噛みしめていた。